九尾の狐
妙心館の面々が守りを固める中、凛は一人道場を抜け出す。
お狐神社の上空に差し掛かった凛は、後方の気配にハッとして振り返る・・・
「儂と王が最後に戦った日の夢を見ておった」(拙著 平助と王 日・台爺い絵巻 ep21『十八羅漢山』参照)
居間の布団の上で目を覚ました時、平助が感慨深げにそう言った。
「あの後暫くしてワシの寿命が尽きたんじゃったな。凛々と会うたのはその直後じゃ」
王も遠い目をして呟いた。
「じゃあ、そこで仙狐を倒したのですね?」槇草が訊いた。
「そうじゃ、十八羅漢山の頂きで儂らが月を見上げておった時、いきなり月が落ちてきたのじゃ」
「その月が仙狐じゃった」
「だいぶ苦戦してらしたようですが?」
「危なかった、これがなければどうなっていたかわからん」平助が鬼切丸を槇草に返しながら言った。
「この槍もじゃ、おかげで帰って来ることが出来た、礼を言う」王が熊さんに槍を渡す。
「僕たちも台湾の宋江陣のステージに連れて行かれました」
「空孤という狐が兄に化けて槇草さんと戦ったのです。私は何もできませんでした」
「いや、そんな事はない。メイメイさんがいなければ僕らも帰って来れなかった」
「じゃっどん、これで残るは玉藻だけになったという事ですな」
「うむ、戦い方を見ておると徐々に妖力が強くなっておる。よほど用心してかからねばならんな」
「だけど、全員でかかればなんとかなるんじゃないですか?」
「じゃっど、いくら玉藻が強うても我らが一丸となれば倒せんことはなかろう、なぁ凛?」
「う、うん・・・」凛は上の空で返事した。
「なんじゃ、おかしな奴じゃな。そげん心配か?」
「ううん、そうじゃないけど・・・」
「なんも心配せんでよか、凛は必ずおいたちで守るけん」
「あ、ありがとう・・・」
「よし、そしたら対玉藻戦に向けて作戦を練っておこう」
平助の一言で、皆道場に移動した。
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「空孤に続いて仙狐までもやられてしまった。いくら私でも奴らを全員相手にするのは流石に分が悪い」
玉藻は一人になったお狐神社の拝殿で考えを巡らした。
「なんとかあの死神を誘い出せれば良いが・・・」
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凛は皆が話し合っている間中、あることを考えていた。
玉藻の妖力は既に神のレベルまで達している。いくらみんなが頑張っても到底無傷でいることなどできないだろう。
これ以上皆に迷惑はかけられない・・・
「・・・皆、わかったな」
平助の声が聞こえた。
「応!」
「では全員持ち場につけ!」
凛は慌てて立ち上がった。
「おはんはここを動くでない。今師匠から言われたじゃなかか?」
「あ、うん、そうだったね・・・」
「おいは今から弓ば持って屋根に上る。絶対玉藻をここに入れさせはせん」
そう言うと熊さんは立てかけてあった弓と矢筒を持って玄関から出て行った。
道場から人気が消えた。
「みんな、ごめん・・・」
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雲の隙間からお狐神社の屋根が見えてきた。
「あそこに玉藻がいるのね」
凛は徐々に高度を下げて行く。
「あなたの方からやってきてくれるなんて素敵だわ」
ハッとして振り向くと、そこに玉藻がいた。
顔はメイメイのままなのだが、着ているものが違っている。
幾重にも重ねた衣の裾が空中に波のように広がり、月の光を受けて絹の折り目が水面のように揺れている。
どうやら風遁の術を使って浮いているらしい。
「随分と大仰な格好をしてるじゃない。それじゃ戦いにくいでしょう?」
凛は精一杯の虚勢を張った。
「ふふふ、こんなものはあなたにそう見えているだけ。動きにはなんの支障もないわ」
「ふ〜ん、だったら負けても着物のせいにしないでね」
「そんな必要は無いわ。死ぬのはあなただから」
玉藻は優雅に微笑んだ。
凛がセーラー服のポケットから手のひらサイズの鎌を取り出しフッと息を吹きかけると、次の瞬間大鎌が凛の手に握られていた。
「あなたの得物は?」
玉藻が右手を差し出すと、霧が集まりみるみる凝縮して薙刀の形を作った。
「これでいいかしら?」
凛は大鎌を右の肩に担ぐように構えた。
「行くわよ!」
「おいでなさい」
凛は右に回り込むように移動する。
玉藻は刀身を下にして右脇に薙刀の柄を掻込むと、悠然と凛の移動に合わせて向きを変えた。
「ええいっ!」
躰ごとぶつかるように玉藻に突進した。大鎌が袈裟懸けに振り下ろされる。
玉藻は大鎌を避けもせず、スッと凛の懐に入ってきた。
「グッ!」
薙刀の石突が凛の鳩尾を襲った。
大きく飛退がった凛がゲホゲホッ!と苦しそうに咳をする。
「まだ殺さないわ。この怨み晴らすまであなたをいたぶってやる」
「ち、ちくしょう!」
「あら、お口の悪い。お里が知れるわよ」
「うるさい!」
ブン!と唸りをあげて凛の大鎌が玉藻の足元を掬いに行った。
玉藻が右半身から左半身に変化すると、大鎌は空を斬り同時に薙刀の刀身が凛の首筋にピタリと止まる。
「これで二度死んだわね」
玉藻の顔が目の前に迫る。メイメイの顔が醜く歪んだ。
大鎌を滑らせて柄を短く持った。
左手で薙刀の柄を跳ね上げておいて、玉藻の空いた胸元に刃先を叩き込む。
萌葱色の襟元が斬れて香の匂いが漂った。
「今のは良かったわ」
間合いを切った玉藻が切れた襟元に触れながら言った。
「次はどうするつもりかしら?」
凛はもう答えなかった。
力の差は目に見えている、無駄なお喋りで体力を消耗したくはない。
剣術の上段の構えのように、大鎌を頭上に引き上げて柄尻を玉藻に向ける。
玉藻も薙刀を同じように構えた。
暫く睨み合った後、先に動いたのは凛だった。
上段から真っ向斬りに斬りつける。
大鎌の振りに合わせるように薙刀が振りてくる。
交差した薙刀の反りが凛の大鎌の軌道を逸らす。
前のめりになった凛の首筋に峰を返した刀身が落ちてきた。
凛はあえなく地上に叩き落とされた。
お狐神社の拝殿の前で、凛はうつ伏せになって気を失っていた。
「これで三度目ね。次は無いわ」
倒れた凛の前で地上に降り立った玉藻がほくそ笑み、薙刀を大上段に振りかぶった。
「積年の怨み、その躰でよっく味わえ!」
薙刀が振り下ろされた瞬間。
ヒョウ!
闇を切り裂いて矢が飛んできた。玉藻は振り下ろした薙刀の軌道を変えてその矢を切り落とす。
「それまでじゃ!」
狛狐の間を抜けて熊さんが拝殿前に飛び込んできた。
「お前は妙心館の・・・」玉藻が驚いて熊さんを見た。
「前田行蔵じゃ。その娘返してもらう」
「何を惚けたことを」
「熊さん間に合ったか!」
槇草が階段を駆け上がってきた。
「凛ちゃん無事なの!」メイメイも後に続いた。
その後から二人の爺いが息を切らして上ってきた。
「お主ら年寄りをなんだと思っておる・・・はぁはぁ」
「さっき仙狐と戦ったばかりじゃぞ・・・ちとオーバーワークじゃわい・・はぁはぁはぁ」
「くっ、あ奴らまで・・・」玉藻が歯噛みして後退さった。
熊さんが二本目の矢を番えて玉藻に向ける。
玉藻は足元に風を起こして拝殿の屋根に飛び上がった。
その隙にメイメイが凛に駆け寄った。
「凛ちゃんしっかりして!」
凛の躰を抱き寄せて大声で呼びかけると、凛が薄く目を開いた。
「あ、メイメイさん・・・どうして?」
「熊さんがあなたが山の方に向かって飛んでいくのを見たのよ」
「なんだ、見つかっちゃったのか・・・」
「無事で良かった・・・」メイメイの目に涙が浮かんでいる。
熊さんは矢を番えたまま屋根の上の玉藻を睨んでいる。
「降りてこい。降りてこんば射殺すぞ!」
「射てみよ、そんなものでは私は殺せん」
ヒョウ!
言葉が終わらぬうちに二本目の矢が放たれた。
玉藻は易々と矢を切り落とすと言った。「お前たち纏めて冥界へ送ってやる!」
「くそっ!これでは手が出せん!」熊さんが屋根上の玉藻を見上げて歯軋りした。
「ワシに任せろ!」
王が背を丸めてキキッ!と鳴くと、拝殿に取り付いてスルスルと屋根まで登って行った。
「あっ、先生得意の猿拳!」
メイメイが叫ぶ間も無く王が玉藻に飛びかかる。
ウキャキャキャキャキャキャ!!!!
鋭い爪を立てて玉藻の衣装を切り刻む。
たまらず玉藻が地上に飛び降りた。
「ほう、さすが犬猿の仲じゃ」
平助が感心するとすかさず槇草が突っ込んだ。
「師匠、玉藻は狐ですよ」
「似たようなもんじゃろ」
「絶対許さない!」
メイメイが玉藻の前に立ち塞がる。
同じ顔の二人が睨み合った。
玉藻は頭上で薙刀をブン!と振り回すと、切先をメイメイに向けて青眼に構えた。
「素手で勝てると思っているの?」
「やってみなくちゃわからないでしょ?」
「いい度胸ね、あなたに化けて正解だわ」
玉藻は青眼に構えた薙刀を一直線に突き出した。
メイメイが右に躱すと、穂先を返した刀身が水平に軌道を変えて追ってきた。
身を屈めて刃を頭上にやり過ごすと、地を蹴って真上に飛んだ。
キェー!!!!
飛び蹴りが玉藻の頬を掠めて行った。
頬が切れて血が一筋流れ落ちて行く。
「今ので決めなかったのが、あなたの運の尽きよ」
玉藻は青眼に構え直すと、刀身を右へ左へ翻しながらメイメイに向かって突進した。
メイメイは真っ直ぐ下がるしか道が無い。
狛狐の台座まで追い詰められた。
「サヨナラ」
突きがメイメイの心臓目掛けて放たれた。
ガッ!
「槇草さん!」
「今度は僕が君を助ける番だ」
鬼切丸を手にした槇草が、玉藻の前に立って薙刀の刀身をガッチリと受け止めていた。
「チッ!」
大きく跳び退がった玉藻を囲むように、平助、王、熊さんが立った。
「これまでじゃ玉藻、観念致せ」平助が静かに言った。
「大人しく消えれば命まで取ろうとは思わん」王が続けた。「しかしまだ抵抗するというなら・・・」
「おいが引導ば渡しちゃる!」
熊さんが弓を構えた。
「ふふふふふ・・・これまでのようね」
「大人しゅう凛ば諦むるか?」
「諦める?まさか・・・少し順番を入れ替えるだけ」
「どういう事じゃ?」
玉藻が右手を高く上げた。
「危ない退がって!」
凛が絶叫した。
その途端玉藻の躰が金色の炎に包まれた。
オワッ!
平助たちがたまらず身を伏せる。
真っ白な九尾の狐が炎の中に浮かび上がった。
この神社の狛狐のような凶悪な顔が炎の中から一同を見回した。
「その死神の命は暫くお預けじゃ、首を洗って待っておれ!」
ゴウッ!
炎の巻き起こす風に乗って、九尾の狐が空高く舞い上がる。
そして何事もなかったかのように静かに消えていった。
「凛、大丈夫か?」
熊さんがまだ立ち上がれないでいる凛に声をかけた。
「ごめんなさい・・・私」
「よか、なんも言わんでんよか。おはんが無事じゃった、そいだけで十分たい」
「熊さん・・・」
凛はあらためて一人一人の顔を見回した。
「みんなありがとう」
「これで暫くは玉藻も現れんじゃろう」平助が言った。
「だといいんじゃが・・・」王は多少懐疑的に首を傾げる。
「さあ、皆さん帰りますよ。車に乗ってください」
「そうね、凛ちゃんの手当てもしなきゃ」
「車で来たんだ?」
「そうよ、槇草さんがぶっ飛ばしちゃって、生きた心地がしなかったわ」
「じゃっどん危機一髪じゃった、師範代には感謝じゃ」
「ありがと、槇草さん。これで暫くは頭が上がらないわね」
「いやぁ、大した事じゃないさ、あははははは!」槇草がドヤ顔で胸を張った。
皆白けた顔で槇草を見ると、ゾロゾロと階段を降りて行った。




