いそがし
王の様子がおかしい?
ある日、王の後を尾行した熊さんが灰色の男を目撃する。
灰色の男とは一体何者なのか?
王を救うべく妙心館の仲間が立ち上がる・・・
いそがし
「王先生!王先生!・・・おられもはんか?」
天井に向かって熊さんが大声で呼んだが、返事は帰って来なかった。
「困ったばい、メイメイさんから電話が掛かっとるのに・・・」
熊さんが眉間に皺を寄せて呟いた。
「熊さん、王の奴また居らんのか?」奥の戸が開いて平助が顔を出した。
「はあ、そげんごたっです。昨日は見かけたとですが・・・」
「困った奴じゃ。爺いの夜遊びなんぞ洒落にならん」平助が不平を言った時玄関で声がした。
「儂に用か?」
不機嫌な顔の王が立っていた。
「王、どこに行っておった?」
「どこへ行こうと儂の勝手じゃ!」王がつっけんどんに言った。
「それはそうじゃっどん・・・」
「兎に角、儂は忙しいのじゃ。暫く天井裏に篭るから構わんでくれ!」
取り付く島が無い。
「じゃっどん、メイメイさんから電話が・・・」
「後で掛け直すと伝えてくれ!」
「わ、わかいもした・・・」
王がスルスルと天井裏に昇って消えた。
「師匠、近頃王先生ちと様子のおかしくはありもはんか?」
「うん、少々気が立っておるようじゃ。妖怪の世界に入って間がない故、色々と苦労も多いのであろう。暫くそっとしておいてやろうかのぅ」
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翌日、熊さんが裏庭で薪を割っていると、実体化した王が出かけて行くのが見えた。
「はて、あげんいそいそとどこへ行っとでごわそ?」
熊さんはそっと後をつけてみる事にした。最初は用心してかなりの距離を置いてついて行ったが、王が一向に気付く気配が無いので思い切って接近してみた。
「おかしかばい。王先生がおいの尾行に気づかんはずはなかとじゃが?」
王は手帳のようなものを一心に見ながら歩いていた。時々人にぶつかりそうになるのだが、全く意に介さない。
「ますますおかしか?いつもん王先生じゃなか」
王はやがて駅に着き、コンコースをキョロキョロと見回した。
「誰か探していなさっとじゃろうか?」
電車が着いて乗客がゾロゾロと改札を出て来る。その中に全身灰色の男がいた。
灰色のスーツに灰色の帽子、灰色のネクタイに鉛のような灰色の鞄。王はその男に近づき挨拶をした。
灰色の男は王から手帳を受け取り、胸ポケットから万年筆を抜き取った。
そして、何か手帳に書き付けてから王に返した。
王は礼を言って手帳を受け取り、それを見ながら、またいそいそと何処かへ歩いて行った。
「あん男、怪しか・・・」熊さんは暫くその男を見張ることにした。
男はコンコースの中で何かを物色するように辺りを見回した。
と、そこに一人の若者が改札に向けて猛ダッシュで走ってきた。
改札の前で、灰色の男が若者に声を掛けた。
「君君、そんなに急いで何処へ行くのかね?」
「何処って、次の列車が着くのです。僕はそれに乗らなけりゃいかんのですよ!」
若者は灰色の男を振り切って改札に向かおうとする。
「待ちなさい!」
灰色の男が若者の手を掴んだ。
「離してくださ・・・」
「君はそうやって自分の時間を浪費しているんだね?」
「・・・浪費?」
若者が一瞬固まった。
「だってそうじゃないか。君の持っている時間は限られている、それを使うのがもったいなくて焦っているのでは無いのかね?」
「だけど、僕には本当に時間がないんだ!」
灰色の男はそこでちょっとほくそ笑んだ。
「だから、君の時間を増やすことを考えては如何かね?」
「時間を増やす?」
灰色の男は、そこで少し間を取った。
「君に恋人はいるかい?」
「恋人?なぜそんな事を・・・」
「例えばだがね、その恋人とは週に何回会っている?」
「何回って言われても・・・彼女やきもち焼きだからほぼ毎日会っているけど・・・」
若者はつい返事をしてしまった。
「一回に何時間くらい使うのかね?」
「そうだな、二、三時間くらいですか・・・」
「多すぎる!」灰色の男が急に大声を出したので、若者はビクッと肩を震わせた。
「一時間にしなさい。そして余った一時間を、私の時間銀行に預ければ良い」
「時間銀行?」
「そうだ」
「預けたらどうなるのですか?」
「利子を付けて君に返そう。そうすれば君の時間はどんどん増えて行くだろう?」
若者は一瞬怪訝な顔をしたが、パッと明るい顔になった。
「あっ!そうか。そうしたらこんなに慌てる必要も無い訳か!」
「その通り!君は頭が良い。理解したならこの書類にサインしなさい。そうすればこの時間通帳を君に渡そう。節約した時間を書いて週に一度私に見せなさい。その場で記帳してあげよう」
「わ、分かりました!」
若者は灰色の男の差し出した万年筆で書類にサインをした。
「では、来週のこの時間に又ここで会おう」
「はい、ありがとうございました。いや〜、知らなかったなぁ、時間が増やせるなんて。なんだか得した気分だ!」
若者は灰色の男にお辞儀をして改札を通って去って行った。
灰色の男は、若者の後ろ姿を見送ってうすら笑いを浮かべた。
灰色の男が駅前のロータリーに出ると、灰色のレトロな車が男の目の前に止まった。灰色の男は後部座席に乗り込んで灰色の葉巻を吹かし始める。灰色の煙がゆらゆらと窓から流れ出た。
灰色の車はゆっくりと発車して、大通りを北に向かって走って行った。
熊さんは一部始終をコンコースの柱の陰で見ていた。
「なるほど、そういうことでごわしたか・・・」
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「それは時間泥棒に似ていますわ」
王の様子が変だと聞いて、妙心館にやって来たメイメイが言った。
メイメイは熊さんから駅での話を聞いたところである。
「時間泥棒?」平助が妙な顔をする。
「ドイツのファンタジー作家にミヒャエル・エンデという人がいます。その作家に『モモ』という作品があって、その中に出て来る闇のキャラクターです」
「と言う事は、ドイツの妖怪か?」
「まぁ、怪しいと言う意味ではそんなところでしょうか」
「その時間泥棒に時間ば預けるとどげんなるとですか?」熊さんがメイメイに質問した。
「動作がせかせかして不機嫌になります。怒りっぽくなって人の話を聞きません」
「正に、今の王の状態じゃ。しかし、王は妖怪じゃ、時空は関係ないと言っておらなんだか?」
「これは推論ですが、王先生には人間だった頃の記憶が、まだ根強く残っていて、そこを上手く突かれたのではありませんか?」
「そういや、口は達者なごたったな」
「して、時間は戻るのか?」
「いえ、やがて本人は契約したことも忘れてしまいます。時間は永久に戻ることはありません」
「それは詐欺やなかですか!」熊さんが憤慨した。
平助が、まぁまぁと熊さんを宥め訊いた。
「今度王がそ奴に会うのは一週間後なのじゃな?」
「じゃっど」
「今度は儂が、駅で王を見張っていよう」
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「持ってきましたか?」
「今週は十時間節約ができましたぞ」王は通帳を灰色の男に差し出した。
灰色の男が手を伸ばして、それを受け取ろうとした。
「待て!王、そいつに時間を渡すのではない!」後ろから平助が声を掛けた。
「なにっ、平助なぜお前がここにいる!」王が目を見張る。
「近頃、お主の様子が変なので見張っておったのじゃ」
「あんた誰だ?」灰色の男が言った。
「無門平助。王浩然とは刎頚の仲じゃ」
「平助、お前もこの人に時間を預けたいのか?」王が訊いた。
「馬鹿を言うな。儂はお主のように時間を無駄にはせん」
「無駄にしているのはお前たちの方ではないか!何よりも大切な時間を恋人の為やら、家族の為やら無意味な事に浪費してなんになる?」
「それが無駄だと言うのか?ならばお主に問おう、何よりも大切な時間の最高に贅沢な使い方とは何じゃ?」
「何を訳のわからぬことを・・・」
「わからぬか、最高に贅沢な時間の使い方とは、意味のないことに時間を使うことじゃ」
「何・・・?」
「我々のやってきた武術などその最たるものではないか!目を覚ませ王、お主はその男に騙されておるのじゃ!」
「王さん、この男は詭弁を弄している、耳を貸してはいけない。それよりも、こんな無駄な時間は早く終わりにしてその時間を私に預けたほうがいい」灰色の男が王の耳元で囁いた。
「それもそうですな。平助、これ以上邪魔するとただじゃおかんぞ!」
「王・・・」
その時、柱の影から熊さんが現れた。駆け寄って飛び上がると大上段に振りかぶった木刀を灰色の男に叩きつける。
「チェスト行けー!」
ぎゃっ!と悲鳴を上げた灰色の男の躰が二つに分裂した。
駅にいた人達の叫声が巻き起こる。
すると、分裂した躰の中から何かががむくむくと膨れ上がり、恐ろしい化け物になった。
化け物は辛うじて人間の形はしているものの、全体が青味を帯びた緑色で、痩せて骨と皮ばかりの躰には粗末な単の衣を纏っている。手の指は四本、足の指は二本しかなく鋭い爪が伸びていた。
肩の上に乗っている狆のような頭には、髪が後頭部に僅かに生えているだけで、白目が黄色く濁り、先端に丸い鼻が通気口のように開いている。そして何よりも異様なのは、大きな口から真っ赤な舌がだらりと首の辺りまで伸びている事であった。
周囲の人達の叫声は悲鳴に変わり、コンコースを逃げ惑う。
「な、なんじゃ此奴は!」王が叫んだ。
「見ての通りの妖怪じゃ!王、しかと見たかっ!」
化け物はキョロキョロと周りを見回したかと思うと、バッタのようにジャンプして駅を飛び出し商店街の方へ逃げて行った。
王は呆然とその姿を見送った。
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「あれは、こいつじゃ!」
王が妖怪図鑑を広げて指差した。そこには、駅で見た妖怪と思しき絵が描かれていた。
「いそがしって、それ妖怪の名前ですか?」絵の横に描かれた文字を見て、メイメイが訊く。
「そのようじゃ。なんともおかしな名じゃのう」
「どげな妖怪でごわす?」
平助が解説文を読む。
「『この妖怪に取り憑かれると、じっとしていると罪悪感に苛まれ、逆にあくせくしていると妙な安心感に包まれる』・・・そうじゃ」
「なんか現代人のごたる」熊さんが呟いた。
「こ奴は室町時代に描かれた『百鬼夜行絵巻』に登場する妖怪じゃ。人間の本性は今も昔も変わらぬのじゃなぁ」平助がしみじみと言った。
「王先生。この本まだ図書館に返していなかったのですか?」
「い、いや・・・返そうとは思っておったのじゃよ・・・ただ、忙しゅうてのぅ」
メイメイが問い詰めると、王はしどろもどろになった。
「まあ、お陰で奴の正体がわかったのじゃ、今はそのことはおいておこう」平助が言った。
「王、いつ取り憑かれたか心当たりはあるか?」
「うむ、多分あの時じゃ」王が遠い目をした。「一月ほど前、儂は蕎麦が無性に食いとうなって、駅の立ち食い蕎麦屋に行ったのじゃ」
「さっきのあの駅か?」
「そうじゃ。そこで蕎麦を食っていると、同じ様な地味な色合いのスーツを着たサラリーマンたちが、入れ替わり立ち替わり忙しなく蕎麦を食っては電車に飲み込まれて何処かへ運ばれて行った」
「通勤ラッシュの時間帯か」
「儂はそれを見ていて気分が悪くなって箸を置いた。するといつの間にかさっきの男が隣に立っていた。奴が店の鏡を指差すと、そこには若かりし頃の儂の姿が映っておった」
「その時奴の術に嵌ったのじゃな」
「恥ずかしい話じゃがその通りじゃ。若い頃の儂はいつも時間に追われておった。時間が欲しいと切に願っておった」
「若い時は誰でんそうでごわす」
「そうねぇ、私も炊事、洗濯、お掃除、それから仕事。時間がいくらあっても足りませんもの」
「その、心の隙間に奴は入り込むのであろう」
「しかし、メイメイの話だと灰色の男は西洋の妖怪だそうじゃないか。なぜ日本の妖怪と連んでおるのじゃ?」王が解せぬ顔をした。
「きっと、エンデの奥さんが日本人だったからではないでしょうか?」
「その作家の奥さんは日本人じゃったのか?」平助が訊いた。
「はい。これは想像ですが、エンデが灰色の男の構想を持ったのも、結婚前の奥さんから日本の妖怪の話を聞いていたからかも知れません」
「ありそうな話たい」
「いそがしが人々を不安に陥れ、それに乗じて灰色の男が時間を盗み取る。よくできた筋書じゃ」
「いそがしは、普段は害のある妖怪ではないと書いてある。きっと灰色の男にいいように利用されているだけじゃ。なんとか縁を切らせねばならぬな・・・」
平助がパラパラと図鑑を捲った。
「ん?」
平助がポンと手を打った。
「儂に良い考えがある。皆、耳を貸せ」
その日、全員が平助の作戦に相槌を打って散会となった。
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次の日、駅のコンコースに次の様な張り紙が貼られた。
『時間銀行、倒産の危機!今すぐ時間の現金化を!換金は当駅前の平石時計店で正午より!』
「時計屋で換金とは、師匠考えもしたな」熊さんが感心して言った。
「なぁに、時間と現金の交換じゃ、時計屋を置いて他にはあるまい?」
「じゃっどん、良く店ば使わせてくれもしたな」
「この時計屋の主人は昔の弟子でな。訳を話したら快く使わせてくれたわい」
「それにしても、王先生遅いですね」
「交渉が難航しておるのかの」
「狸が来ねば万事休すです」
「慌てるで無い。王を信じて待とう」
平石時計店の前には、時間前から通帳を持った人々の長蛇の列が出来た。
皆、イライラと余裕が無い。
「おい、まだ始まらないのか!」
「俺たちゃ、時間がねぇんだ!早くしねぇとこんな店ぶっ壊しちまうぞ!」
「そうよそうよ、こんな時間があるんならもうとっくに洗濯済んじゃっているわよ!」
「もう待ち切れねぇ!現金の代わりに時計を頂いていくぜ!」ガラの悪い男が言った。
「客が騒ぎ出したぞ、どうする平助?」店の中から外の様子を窺っていた王が言った。
「そうじゃのぅ・・・」
「おいが行って宥めて来もす」熊さんが扉を開けて出て行った。
「もう少し待ってたもんせ?まだ正午までには十五分あっと。『果報は寝て待て』と言うじゃごわはんか」
「煩せぇ、俺はもう一時間も前から待っているんだ!」
「そいはそちらの都合でごわそう。張り紙にはちゃんと正午からと書いてありもす」
「馬鹿野郎!俺は俺の都合最優先で生きているんだよ!」
「なんと都合のよか生き方か、そげなこつなら人間らしゅう生きるこつなどできんじゃなかと」
「こちとら、そんな御託は聞き飽きてんだよ!」
「待て!」列の後方から声がした。
「あっ、王先生、間に合ったでごわすか!」
「うむ、待たせたな」王は騒いでいる男に言った。「五分待て、決して損はさせぬ」
「五分だな、それ以上は待てねぇぞ!」
「分かった」
「皆、遅れてすまなんだ。伊予の隠神刑部の家来八百八狸の中から、変化の術の得意な奴を選ぶのに手間取った」
変化の術とは、ある物体を別の物体に見せかける術の事である。
「五百三番、頼んだぞ!」王が言った。
「五百三番?」平助が聞き返す。
「へい、順位が低すぎてまだ名前がねぇのす」狸が言った。
「大丈夫なのか?」
「へい、任せてくだせぇ。変化の術なら自信があるのす」
「よし、任せたぞ!」
時計屋のカウンターでメイメイが通帳を預かり、カウンターの下では五百三番が新聞紙を紙幣に変えて次々と渡して行った。
ようやく最後の客が帰った。
「こいで、終わったばい!」
「いや、まだ最後の仕上げが残っておる」平助が言った。
その時、店の扉が勢い良く開いて灰色の男が入って来た。
「よくも巫山戯た真似をしてくれたな!」
「お前さんが“いそがし“を利用しておったのは分かっておる。諦めてドイツへ帰るがよい」平助が灰色の男を見据えて言った。
「ふん、ドイツはもう頭打ちだ。少しでも成績を上げるためには日本の方が有利なんだよ」
「じゃが、もうおしまいじゃ。通帳に残り時間は無くなった。見よ、この時計たちを!」
「なにっ!」
見ると、店中の時計が正午きっかりに全て止まっていた。
「うぬぬぬ・・・」
「あるのは、この砂時計の残り僅かな時間だけじゃ」平助が目の前の小さな砂時計を示した。
「あと十秒程かのぅ」
「さあ、カウントダウンよ!」メイメイが叫んだ。
「10、9、8、7・・・」
「待て!待ってくれ・・・」灰色の男が慌てた。
「6、5、4・・・」
「俺はまだ死にたくない!」
「3、2・・」
「時間切れじゃ。消えて無くなれ!」
「うぎゃー!」
断末魔の叫び声をあげて、灰色の男は煙になって消えてしまった。
「彼奴め、まんまと暗示に引っ掛かりおった」平助がほくそ笑んだ。
「じゃっどん、店中の時計ば全部十二時に合わせるのは一苦労じゃったばい」
「さっきの人達、怒って戻って来ませんか?」
「メイメイ、お主が言っておったではないか。時間泥棒と契約した者は、いずれ契約したことさえ忘れてしまうと」
「あ、そうでした!」
「しかし、狸を使うとは。平助いつ思いついた?」王が不思議そうに訊く。
「昨日妖怪辞典をめくっていた時じゃよ。化け狸の頁の解説に、四国では狸が妖怪を駆逐したと書いてあったからのぅ」
「それはどうしてじゃ?」
「四国の妖怪は皆、狸が化けたものと解釈されるからじゃよ」
「つまり、個々の妖怪は、狸がいることで存在自体が無くなると言うことか?」
「そうじゃ。じゃから狸を使って妖怪を消した」
「う〜む・・・」皆、狸に化かされたような顔をする。
「しかし“いそがし“は、何処に行ったのかの?」王が遠い目をして呟いた。




