空狐
妙心館で寝ずの番をしていた槇草とメイメイの前に、銀色の狐火が現れた。
槇草は幻覚と知りつつもメイメイの兄李子龍と対決する・・・
「こうしていると初めてあなたが台湾へいらした時の事を思い出しますわ」
敵に警戒されぬよう蝋燭を一本だけ立てた道場で、メイメイは槇草の横に膝を抱えて座り込むと、槇草の方を見ずに呟いた。
「そう、そこで君のお兄さんと戦ったのだったね」(拙著『平助と王 日・台爺い絵巻 ep8 宗江陣』参照)
妙心館に戻った面々は、妖狐との戦いに備えて体力を温存することにした。
二人一組になって交代で休みを取る流れとなり、熊さんと凛、槇草とメイメイ、平助と王がそれぞれ組になった。
熊さんと凛はすでに戦ってかなりの体力を消耗しているので先に休ませた。
平助と王は元気だとは言え、そこはお年寄りに敬意を表して休んでいただくことにする。
勢い槇草とメイメイが道場で宿直とあいなった。
「子龍のやつ、僕がメイメイさんを誑かしていると勘違いしてやがったな。飛んだ慌てものだ」
「ふふふ、槇草さんには日本に美希さんという立派な奥様がいらっしゃると言うのにね・・・」
その時、突然道場が真昼のように明るくなった。
「誰だ明かりをつけたのは?」眩しさに目を細めながら槇草が言った。
「違う、あれを見て!」
メイメイが指差した先に銀色の狐火が燃えている。
「お前たちの思い出の場所に連れて行ってやろう」
不気味な声が聞こえてきた。
目を開けるとそこは赤い絨毯の敷かれた舞台の上だった。
正面に掛かった扁額には『宋江陣祭』の文字。
『宋江』とは中国三大奇書の一つ『水滸伝』に出てくる梁山泊のリーダーの名前だが、架空の人物ながら今も人々の絶大な尊敬を集めている。
「ここは台湾だ、それも宋江陣のメインステージ!」槇草が叫ぶ。
こここそ槇草がメイメイの兄李子龍と戦った場所。
「あ、お兄様!」
ステージの下手の方から功夫の稽古着を纏った李子龍が歩いてくる。
「メイメイその男から離れろ」低い声で子龍が言った。
「何を言っているのお兄様、もう槇草さんの誤解は解けたはずよ」
「俺は日本人は嫌いだ」
「お兄様!」
「メイメイさんそれは幻だ、現実ではない」槇草がメイメイを庇って前に出る。
「お前は誰だ、本性を現せ!」
「ならば俺を倒してみよ、あの時のようには行かないがな」
子龍が上着を脱ぎ捨てると、舞台の床に叩きつけた。引き締まった上半身が剥き出しになる。
「槇草さん・・・」
「メイメイさん俺がやる、いくら幻でも兄弟で戦うわけにはいかないだろう?」
「でも」
「俺がやられたら、その時は頼む」
「分かりましたわ」
メイメイが舞台上手に引き退がった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
子龍が真っ直ぐに槇草に突進してきた。
槇草は十分に引き付けておいてから床を蹴る。
子龍の頭上を飛び越しざま後頭部目掛けて後ろ蹴りを放った。
子龍はゴロゴロと前に転がって跪いた。頭を抑えて首を振る。
「浅かったか、だが本物の子龍ならこんな技通用しないぜ」
子龍の目が怪しく光る。ゆらりと立ち上がると、右半身に構えて前足を浮かせた。
「アチャ!アチャチャチャチャチャ!!!!!」
左足で前に移動しながら右足を縦横無尽に槇草の躰に蹴り出してくる。
槇草は後退して蹴りをやり過ごすと、最後のハイキックを左上段受けで受けながら一気に前に出た。
子龍の軸足が浮いた。同時に右の正拳を鳩尾に叩き込む。
3メートルも吹っ飛んで背中から床に落ちた子龍が苦しそうにもがいている。
「そろそろ正体を現したらどうだ」槇草が言う。
「まだだ・・・」
立ち上がった子龍は両手に斧を持っていた。
「叶わぬと見て武器を出したか」
槇草が初めて構えをとった。
左の入身に腰を落とし頭を無防備に晒した。
両手はダラリと下を向く。
斧がブンブンと音を立てて回転を始める。
そのうち高速で回る風車のように残像しか見えなくなった。
「危ない!」
思わずメイメイが声を上げた。
二丁の斧が真っ直ぐ槇草を目掛けて飛んでくる。
かろうじて跳び退がって躱すと、斧は子龍の手に戻っていた。
「紐がついているのか、こりゃ迂闊に近寄れないな」
槇草が間合いをとると、その分子龍が前に出る。
少しでも間合いが詰まると斧が容赦なく飛んできた。
槇草は少しづつ舞台下手に追い詰められていった。
ドンと背中が壁にぶつかった。
「終わりだ!」
唸りを上げて二丁の斧が襲いかかる。
槇草が観念した時斧の勢いが弱まった。
メイメイが子龍を後ろから羽交締めしているのだ。
槇草の躰が放たれた矢のように子龍に向かって飛んで行く。
メイメイが子龍の躰を離すと同時に、槇草の飛び前げりが子龍の顎に炸裂した。
子龍はゆっくりと舞台の床に落ちていった。
「助かった、メイメイさん」
「いえ、私、兄の幻だと分かっていても何もできなかった。ただ槇草さんが危ないと思った時、勝手に躰が動いたの」
「ありがとう・・・」
舞台の上を見ると、僧の衣を纏った三尾の狐が舌を噛み切って死んでいた。
見る間に宋江陣のメインステージが、霧の中に霞んでいった。




