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妖怪 王  作者: 真桑瓜
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河童(かっぱ)

王の愛弟子メイメイのマンションに異変が起きた!

相談を受けた王は河童の仕業と当たりをつけ、メイメイと策を練る。

だが、捕まえた河童の言い分に現代社会の闇が浮き彫りとなり、二人は呆然となる・・・


河童かっぱ


「陽さん・・・陽さんちょっと来て!」メイメイは夫の名を呼んだ。


メイメイの夫吉田陽よしだようは、妙心館同様この地に最も古くからある剛道流空手道場剛道館の師範代である。(ちなみに剛道館は槇草の妻美希の実家でもある)

不思議な縁で王の愛弟子メイメイと結婚したが、その顛末はまた別の機会に・・・。(拙著 日・台爺い絵巻 12話『宴の夜』〜15話『台湾から来た花嫁 参照)


「なんだいメイメイ、慌てた声を出して?」陽はメイメイの声のする方へと向かった。

バスルームの入り口にメイメイの背中が見える。

「陽さん、バスルームで魚なんかさばいた?」

「ええっ、そんな事はしないよ!」

「じゃあ、あれは何?」

メイメイが、中が見えるように躰をずらした。

「ううっ・・臭っ!」

吉田は思わず鼻と口を押さえた。しかし、視線の先にはもっと異様な光景が広がっていた。

「なんだぁ!デカイ鯉が・・・バラバラじゃないか!」

浴槽のお湯は血で染まり、洗い場には鯉の残骸が散らばっていた。

「陽さんじゃないとすると、誰がこんな悪戯いたずらを?」

「分からないよそんなこと。でも僕じゃない事だけは確かだ、誓ってもいい!」

「そうね・・・陽さんがこんな悪戯するはずがないわよねぇ」

メイメイは腕を組んで首を捻った。

「うん?今気が付いたんだが、魚の生臭い匂いの他に獣のような匂いがしないかい?」

「そういえば、微かに動物の匂いがするわ」

「こんな事をするのは(いたち)川獺(かわうそ)じゃないか?」

「ここはマンションの7階よ。なんでこんな所にそんなものがいるの?」

「う〜ん・・・」

「でもこのままじゃお風呂にも入れないから、取り敢えず片付けましょう」

「そうだな。片付けよう・・・あっ、あれ!」

「なぁに?」

見るとバスルームの隅に黒いボトルが転がっていた。

「俺のウイスキー・・・ああっ!楽しみにしてたのにっ!!」

陽が絶望的な悲鳴をあげた。


*************************************************


次の日メイメイは妙心館を訪ねた。平助は留守だったが熊さんに断って道場に入った。

「王先生、いますか?」メイメイは天井に向かって声を掛けた。

天井の蓋がパカッと開いて王が顔を出した。

「メイメイか、何の用じゃ?」

「ご相談があって参りました。今、お暇ですか?」

「今、ちょいと取り込み中じゃがお前の相談なら仕方があるまい」王はスルリと穴を抜け道場に降り立った。

「なんじゃ、改まって相談とは?」

「実は我が家で奇妙なことが起きたのです」

メイメイは昨日の出来事をかいつまんで説明した。

「う〜む、それは何とも不思議な事よ」

「不思議どころではありません、もう怖くって昨日の夜は一睡も出来なかったんですよ」

「お前程の拳法の達者でも怖いものがあるのか?」

「当たり前です!」

「旦那はどうしておった?」

「いびきをかいて寝てました。陽さん、世の中に不思議な事なんて無いって言ってました。不思議に感じるのは知らないからだって」

「その通りじゃ」

「でも私は死んだ王先生が、ここにこうしておられる事を知ってしまったんです。だったら、恐ろしい妖怪がいても不思議じゃない。今度の事は妖怪の仕業じゃないかって・・・」

「知らぬ方が良い事もあるのじゃな」

「先生お願いです、なんとかしてください!」

メイメイは王の腕に縋りついた。

「待て待て、心当たりが無いでもない」

「えっ、本当ですか?」

「そのようなことが出来るとしたら・・・」王は暫し考えた。「河童かもしれんな」

「河童って、あの蛙と亀の合の子のような日本の妖怪ですか?」

「うむ、元々は中国の水虎という妖怪が起源らしいのじゃが、日本に渡って形を変え、メジャーになった」

「先生は日本の妖怪にお詳しいのですか?」

「いや、事情があってから日本の妖怪を研究中じゃ・・・そうじゃ、ちと待っていよ」

そう言って王は一度天井裏に吸い込まれて、再び戻ってきた時には一冊の本を抱えていた。

「これじゃ、さっきはこれをみておった」

「『妖怪図鑑』、これ、どうされたのですか?」

「図書館で借りて来た」

「え、貸出カード作れたのですか?」

「貸出カード、なんじゃそりゃ?」

「まぁ、無断で持ってきたのですね!」

「堅い事を言うな、そのうち返す。それよりここじゃ」

王はページを開いて、お目当ての場所を見つけるとメイメイに示した。

そこには三、四歳くらいの裸の子供が、水中の蓮や真菰の葉の中から今にも飛び出しそうな姿が描かれていた。

「あら?色が緑ではありませんわ。蛙のようでもないし・・・どちらかと云えば猿みたい」

「じゃが、髪はオカッパで手に水掻きらしきものが描いてある」

「頭頂の凹みにはお皿が乗っているのかしら?」

「この絵ではわからんな」

「甲羅もありません」

「じゃが、河童の特徴はよく出ておろう。ここに草書体で『かわつは』と書いてある」王がその字を指差した。

「でも、現代人の河童のイメージには程遠いですね。どうして河童の仕業だと思われたのですか?」

「似たような話を平助に聞いたからじゃ」

「無門先生に?」

「平助がまだ幼少の頃、宮崎の山奥に爺さん婆さんと一緒に暮らしておった時の話じゃが、河童が近くの川からよく風呂に入りに来ていたそうじゃ」

「無門先生は河童の姿をご覧になったのですか?」

「姿は見ておらんと言っておった。じゃが、河童が入った後は獣臭くてとても入れなかったそうじゃよ」

「まあ・・・」

「時々お礼に川魚を置いて行ったそうじゃから、気の良い妖怪なのかもしれん」

「では何故うちのバスルームはあんな無残な状態に?」

「よほど腹が空いていたのかのぅ?」

「危険な妖怪ではないのですか?」

「力が強くて馬を川に引き込むと言う話もあるから怒らせれば怖いのかもしれぬな、ただ・・・」

「ただ?」

「最近は都市化の影響で山村の妖怪が凶暴化していると言う話じゃ」

「都市化?」

「河童は元々地方色の強い妖怪じゃ。じゃからその姿形も呼び名も多種多様。平助もひ《・》ょ《・》う《・》ず《・》ん《・》ぼ《・》と呼んでおった」

「では何故“カッパ“で統一されてしまったのです?」

「そこじゃ、都市には沢山の人が流れ込むじゃろ?妖怪の情報も然りじゃ。都市に集まった情報は統合され画一化されて地方に流出する。そうするとどうなると思う?」

「画一化された情報が全国に広まりますね」

「その通りじゃ。そして地方のオリジナリティは駆逐される」

「それで地方の妖怪は怒っているわけですね?」

「そう言う事じゃ」

「なんだか可哀想になってきました」

「この先何も起こらねばそっとしておいてやるが良い」

「分かりました、そうします。今日は有難うございました」メイメイは王に頭を下げた。

「またいつでも相談に来るが良い」

「はい」メイメイは道場の入り口まで歩いてふと振り返る。

「王先生・・・」

「なんじゃ?」

「その図鑑、早く返さなければ大騒ぎになりますよ」

「分かっておる、そろそろ返そうと思っておったところじゃ・・・」王は子供のように口を尖らせた。


その夜はパトカーのサイレンがやけに耳に付いて、メイメイはなかなか寝付けなかった。


*************************************************


次の朝、NHKのローカルニュースが下半身裸の男の水死体が上がった事を報じた。

「陽さん、これって・・・」

吉田はコーヒーを飲みながらTVの画面に見入っていた。

「間違いない、そこの公園の池だ!」

「私、あの近くをよく通るの・・・自殺かしら?」

「分からない」

ニュースは、殺人も視野に入れて捜査をするという警察の方針を伝えていた。

「なんだか物騒ね」

「今日、警察関係者が稽古に来たら聞いてみるよ」

「ええ、何かわかったら教えてね」

「うん、そうしよう」


昼間、メイメイは現場を見に行った。

立ち入り禁止のロープが張られていたが、死体は運ばれ、一台のパトカーと二人の警察官が立っているだけだった。

「あの、ここで水死体が上がったとニュースで見ましたが、何かわかりましたか?」メイメイは若い巡査に聞いた。

「まだ何もわかりません」

「自殺か他殺かも?」

「今捜査中ですが何か心当たりでも?」

「いえ、殺人事件なら物騒だと思っただけです」怪しまれてもつまらないので、メイメイは早々にその場を引き上げた。

引き上げる時、微かに獣の匂いがしたような気がした。


「陽さん、どうだった?」メイメイが、剛道館から帰った吉田に訊いた。

「うん、これはまだ公表されていないが、水死体には内臓が無かったらしい。しかも目立った外傷も無い」

「不思議な話ね。でもそれじゃ自殺は無理ね」

「そうだな、内臓の無い人に自殺は出来ない。あっ、それから死体のそばに鯉が数匹浮いていたそうだよ。誰かに食い散らかされたような跡があったらしい」

「うちのバスルームの事と何か関係があるのかしら?」

「それは分からないな」

「そう、警察に任せるしか無いのかしら・・・」


*************************************************


「肛門じゃよ」王が言った。「河童は死体の肛門から内臓を吸い出して喰うと言われておる」

メイメイが吉田から聞いた話を王にした後の答えだった。

「まあ、変なところから食べるのですね。じゃあ水死体は河童が犯人なのですか?」

「或は自殺した後に河童が喰ったか?」

「ああ、そうか。その可能性もありますね。でもなぜ今頃河童がこんな街中に?」

「さあのぅ。本人に聞いてみるしかないな」

「また、現れるでしょうか?」

「分からんな。じゃが河童は人間の男に化けるとも言うから、何食わぬ顔でその辺をうろついているかも知れぬな」

「まぁ嫌だ!」

「もしお前が、真相を知りたいと思うのなら、そいつを見つけてみる事じゃ」

「どうやって見分ければいいのですか?」

「そうじゃのぅ、好物のうりで釣ってみるのが良いかも知れぬ」

「瓜?河童の好物は胡瓜きゅうりなのでは?」

「河童は祇園社の祭神である牛頭天王の眷属とされておる。祇園社の神紋が胡瓜を輪切りにしたような形なので河童が胡瓜好きと言われるようになったが、元々は瓜だったのじゃよ」

「なんだかややこしいですね」

「そうなのじゃ、河童は一筋縄では行かぬ・・・あっ、そうじゃ瓜よりも良いものがあるぞ!」

突然王が大声を上げた。

「何ですいきなり、びっくりするじゃありませんか!」

「美女じゃよ!」

「美女?」

「河童は美男子に化けて婦女子を誘惑するそうじゃ。お前が囮になれば良い」

「なんで私が・・・」

「いや、すでに目をつけられていたのかもしれぬな。そうだとすればバスルームの件も辻褄が合う」

「いやだぁ、気持ち悪い!」

「心配するでない。お前がやるのなら儂が姿を消してついて行く」

「・・・」

メイメイは暫く考えていたが、やはりこのままでは埒があかない。

「先生、絶対に離れないで下さいよ!」

「うむ、任せておけ!」


*************************************************


現場は既に立ち入り禁止のロープも外され、警察官も立っていなかった。

黄昏時、街灯の裸電球が頼りなく辺りを照らしている。

街灯の光が届かない所では、もう人の顔の判別すら出来ない。

通行人も通らなかった。事件があった後だから当然だろう。

『メイメイ、もう少し暗いところへ行け』頭の中で王の声がした。

『はい』

メイメイは光源から離れ水辺の葦原の方へと近付いた。

その時、前方から人影が近づいてきた。

『来たぞ』

影はゆっくりと近づいて来る。風が生臭い匂いを運んで来た。

「お嬢さん、こんなところで何をしておいでですか?」

影が話しかけてきた。

「いえ、なんでもありません・・・」メイメイはわざと弱々しく俯いた。

「何か事情がおありのようだ。私で良ければ話し相手になりましょう」

「でも・・・」

「恥ずかしがる事はありません。悩みがあるときには誰かに話してしまうのが一番ですよ」

「だって・・・」

「さあ、そこのベンチに座りましょう」

メイメイは気がつかなかったが、水際にベンチの黒い影があった。

『メイメイ、水の側は危険だ』王が耳元で囁いた。

メイメイは小さく頷いて影に言った。

「もう少しあなたのお顔が見てみたい・・・だって、どんな顔の殿方かわからないままでは、お話はできませんもの」

「それもそうですね。いや、気がつきませんでした」

「そこの街灯の下までいらして・・・」

「そうしましょう」

『ほう、メイメイのやつなかなかの役者じゃ』王が呟く。

街灯の灯に照らされた男の顔は、映画俳優のようなイケメンだった。

「まあ、なんて素敵な方。貴方のような方が私に声をかけてくださるなんて、夢のようだわ」

「そんな事はありません。貴方のような美女こそこの辺りには珍しい」

「そんな・・・お上手ね」

「さあ、これで安心しましたか?」

「はい」

「さ、ベンチに座りましょう」

男はメイメイの肩を抱いて、ベンチの方に誘った。

「待って」

「まだ、何か?」

「これを・・・」そう言ってメイメイはバックから瓜を取り出した。

男がゴクリと唾を飲む。

「瓜?・・・どうして?」

「だって、貴方の好物でしょう?」メイメイの顔が意地悪く歪んだ。


男は慌てて後退あとずさる。

「お、お前は何者だ・・・」

「リー・メイよ!」

メイメイはいきなり飛び上がって、男の顎を蹴り上げた。

グワッ!と蛙の潰れたような声を上げて男は仰向けに倒れたが、すぐに起き上がって逃げ出した。

メイメイが追うと、男は葦原に飛び込んだ。

「出てきなさい!」メイメイが叫ぶ。

『メイメイ、深追いはするな!』王の声が聞こえた。

男が葦原から立ち上がった時、その姿は異形の物に変じていた。王が見せてくれた絵巻の絵に似ている。ただ、腕が異様に長かった。

次の瞬間、左腕が縮んだと思ったら右腕が鞭のように伸びてきた。

キャッ!っとメイメイが短い悲鳴をあげる。

河童はメイメイの足首を掴み、物凄い力で池に引き摺り込もうとした。

ズルズルとメイメイは池に近づいて行く。メイメイは必死で地面に爪を立てる。

ウキャ!

もう少しで池に落ちそうになった時、突然猿が現れた。

猿が河童に襲いかかる。

足首を掴んだ力が緩み、メイメイはようやく解放された。

「王先生!」

猿だと思ったのは、猿拳を使う王だった。

「お前誰だ、人間じゃないな!」河童が叫ぶ。

ウキャキャキャキャキャ・・・・・!

猿は・・否・・王は河童の問いを無視して、飛び掛かると所構わず爪を立てた。

河童が堪らず池に逃げようとした時、王が叫んだ。

「メイメイ、縄じゃ!」

メイメイはバックから縄を取り出し駆け寄った。


「先生、なぜ猿拳を?」

河童を後ろ手に縛り上げながら、メイメイが訊いた。

「お前には言っておらなんだが、河童と猿は仲が悪い。猿は陸上で河童を見かけると必ず喧嘩を吹っかけるそうじゃ。そして勝つのは大概猿じゃ。猿の手を河童除けとして軒先にぶら下げておく地方もあるほどじゃからのぅ」

河童を松の木に吊すと王が言った。

「メイメイ、お前にもあんなしおらしいところがあったのじゃな?」

「女はいつだって女を演じられるものですわ」ふふふ、とメイメイが微笑んだ。

「ふむ、妖怪より怖いわえ・・・」


*************************************************


松の木にぶら下がった河童を見上げて王が訊いた。

「なぜ、あんな事をした?」

「あんな事とは、なんだ?」河童が憮然として言った。

「ふむ、では質問を変えよう。なぜメイメイの家のバスルームに鯉の死骸をばら撒いた?」

「そ、それは・・・」

「はっきりと言え!」王が語気を強めた。

「お、俺がそ、その人に一目惚れをしたからだ」河童がしどろもどろに答える。

「まあ・・・!」メイメイが目を見開いた。

「だから、鯉をプレゼントしようと思ったんだ」

「あれが河童の作法か?」

「あ、あれは・・・その・・・ちょいと出来心で・・・」

「出来心で鯉をバラバラにしたの?」メイメイが訊いた。

「ち、違う、出来心で酒を・・・台所にあった酒を呑んだ」

「あっ、陽さんのウイスキー!」

「酒が好きなのか?」

「す、好きだが弱い・・・」

「下戸の河童か?」

「ちえっ、なんとでも言え・・・」

「酒に酔って鯉を食い散らかしたと言うのじゃな?」

「そ、そうだ、なんかつまみが欲しくなって」

「ふ〜む・・・メイメイどう思う?」

「いまいち納得は出来ないけれど・・・」

「う、嘘じゃない。信じてくれ!」

「メイメイ、信じてやろうじゃないか。お前さんに岡惚れするのは人間だけじゃないらしい」

「嫌ですわ、でも先生がそう仰るのなら・・・」

「信じてくれるのか?」河童が嬉しそうに言った。

「仕方ありませんわね」


「では、次の質問じゃ。池に浮かんだ水死体はお前の仕業か?」

「違う違う、誓って俺じゃない!俺は止めたんだ!」

「止めたじゃと?」

「奴は死にたがっていたんだよ。そこの葦原からふらふらと水に入って来たのさ。俺は化ける暇がなかったんでこのままの姿で飛び出したんだ。そしたら奴さん、びっくりした顔をしていたな。だけど、死ぬ覚悟をしていた奴だからすぐに落ち着いて『君は河童かい?』って訊いて来たんだよ」

「お前さんはなんと答えたんだ?」

「『そうだ河童だ、俺で良ければ話を聞こう』って答えた。そうしたら、『同じ死ぬにしても最後に誰かに聞いてもらうのも悪くないな。人でなければ余計に良い』って」

「それで?」

「そこのベンチに座って奴は静かに語り始めた。絵に描いたようなエリートだったよ。一流大学を出て一流企業に就職をし、美人の嫁さんをもらい、可愛い娘もできたそうだ。勉強やスポーツも、囲碁や将棋も何をやらせてもそつなくこなした。お得意先のウケも良く、一年間の単身赴任が終わって東京に戻れば出世街道まっしぐらさ」

「そんな人間がどうして自殺なんて考えたのじゃ?」

「あの日ふと虚しくなったんだと。どんなに頑張っても所詮人の頭の中の世界じゃないか。人は家庭に縛られ、会社に縛られ、社会に縛られて雁字搦めの窒息状態なのにそれに気付かないんだ。それを自由だと思わされているんだ、ってね」

「ふむ、頭の良い人間だったのじゃな。それに気付かねば死なずに済んだのに」

「そうだよな。でもそれに気付いたら居ても立ってもいられなくなったんだそうだ。俺は必死で止めたよ。死んで花実が咲くものかってね。でも、奴の決心は固かった。そして言ったんだ。『河童は尻子玉を抜くんだろう?』って。なぜ知っているんだ?って訊いたら、『僕の実家は東京なんだけど東京にも河童はいるよ、東京の河童は尻子玉を抜いて死体から内臓を食べるんだ』って言った。そして『僕が死んだら内臓を食べて良いよ。話を聞いてくれた、せめてものお礼だ』ってそう言ったんだ」

「ふ〜む・・・」王は腕を組んで考え込んでしまった。

「可哀想なお話ですわ」メイメイがハンカチで目頭を抑えた。

「兎に角、話の筋は通っているな」

「本当の事だよ」河童は木にぶら下がったまま遠い目をした。


「それでは最後の質問じゃ。お前は何故こんな街中にいる。もっと水の綺麗なところはいくらでもある筈じゃろう?」

「それは、此処が喰うには困らない所だからさ」河童は即答した。「此処には人の飼っている鯉が沢山いる。ちょっと泥臭いのを我慢すれば生きていく事はできる」

「なぜ我慢する。なぜ田舎の川に帰らぬ?」

「帰ったさ。だけど川が無くなってなっていたんだ」

「川が無くなった?」

「ダムができていたんだよ。ダムは冷たい水を放流するから魚がいなくなる。しかも川をまっすぐにして護岸工事をするから流れが速くて魚も住めない。それで河童同士の争いも起きている。俺はそんな争いに巻き込まれたくはない」

「ダムのない川もあるじゃろう」

「日本の川にダムのない川は数えるほどさ。それなのに人間はまだ無駄なダムを造ると言っている・・・」

「でも!」メイメイが口を挟んだ。「この前、住民の反対運動でダム建設が中止になった川が氾濫して被害が出たの。ニュースでやってたわ。死者も出たはずよ。その時建設省のお役人が『ダムを造らなかったのが今回の被害の原因だ、これは人災である』と言って怒っていたわ」

「詭弁だ!」河童は松の木に吊るされたまま身を捩った。「いったい、日本にどれだけの数の川があると思っているんだ?三万だよ。その中に本流にダムのない川は片手の指でも余るほどだ。それなのに毎年どこかの川が氾濫する。ほとんどはダムのある川だ。ダムを造らなかったから被害が出たなんて、ダムを造りたい奴の詭弁じゃないか!」

「詳しいな?」王が感心して言った。

「ダムの反対運動に参加していたカヌーイストが話していたんだ」

「でも、ダムは発電や貯水でも役に立っているわ。人間の暮らしに欠かせない物よ!私の故郷の台湾だって、ダムのお陰で荒れた土地が緑の耕作地に変わって人の暮らしも楽になった地域がある」

メイメイも負けてはいない。人間の側から反論する。

「百歩譲って、それは認めよう。しかしもういらないだろう?今では儲けたい一心でダムを造っているんだ。人間は頭の中から自然を追い出して、その自然をも管理しようとしている。だからゆとりがなくなった。自殺した奴も、無意識にそんな事を感じ取っていたんじゃないか?」

「・・・」

「昔、俺の住んでいた川の漁師の親父が言っていたよ。『川は時々暴れるもんだ、人が川の近くに住み過ぎるのだ。それが嫌なら山のほうに住めば良い。俺は川が好きだからここに住んでいるが、時々川が溢れるなんて覚悟の上だよ』ってね。その親父は二階建ての家に住んでいたんだが、一階には殆ど物が置いてなかった・・・それに」

「それに・・・何じゃ?」

「川は人間だけのものなのかい?」河童はしみじみとそう言った。

暫く沈黙の時が流れた。

「メイメイ・・・儂等の負けじゃ」

「自然は人間だけのものじゃないのですね・・・私はそんな当たり前の事にも気付かなかった」

「メイメイ」

「はい」

「縄を解いてやれ」王が命じた。

メイメイは河童を松の木から下ろし縄を解いてやった。

「さあ、自由にどこへでも行くが良い」

「俺にはどこにも行く所がない」

「ならば、ここに居れば良いではないか」

「いいのか?」

「儂等にお前の自由を束縛する権利はない。ただ、居場所は教えておいてくれ・・・もし良ければじゃが」

「俺はそこの暗渠あんきょに住んでいる。いつでも訪ねて来てくれ」そう言って河童は向こう岸を指さした。そこには金網の破れた暗渠の入り口が、ブラックホールのように口を開けていた。

「暗渠って?」メイメイが訊いた。

「忘れ去られた川のことだよ。この池に流れ込んでいる川には、昔たくさんの鰻がいた。人間はその川に蓋をして車の為の道路にしちまったんだ」

「新しくできた道路の事ね?」

「そうだ。その下に住んでいるんだから、俺も都会化した妖怪ということになるのかな?」

「世の趨勢じゃ。儂も妖怪の仲間入りしたからには人間との共存を考えて行かねばならぬ」

「できるかなぁ?」河童が意地悪く訊いた。

「分からぬ。じゃがやってみるしかあるまい」

「分かったよ。じゃあな、また会おう」

河童は葦原から暗い水面に消えて行った。

「儂等に出来るのはここまでじゃ」

「では、あの事件は謎のまま永久に解決しないのですね?」

「うむ、人間が妖怪の存在を認めるまではな・・・」

「私は認めます!」

「うはははははは、じゃが暫くは内緒じゃ」

「言っても誰も信じてくれないでしょうね・・・」

メイメイがフッとため息を吐いた。

「さあ、儂らも帰るとしよう」

「王先生・・・」

「なんじゃ?」

「マンションの前まで送って下さいね」

「メイメイ、まだ何か怖がっておるのか?」

「いえ、私が怖いのは、妖怪よりも人間です・・・」









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