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妖怪 王  作者: 真桑瓜
3/67

火車(かしゃ)

寺から遺体が消えた!

酔っ払いの仏師が目撃したものは、何とも面妖な姿をした猫だった。

一番弟子の槇草の持ち込んだ難題に平助と王が果敢に挑んで行く。

火車かしゃ



翌日、熊さんが天井の穴を四角に切り取って、縁と簡単な蓋を取り付けた。

「おう、立派な玄関が出来上がった」王が天井を見上げて言った。

「しかし、中は狭くはごわはんか?」

「心配無い、概念に空間は関係ないからのぅ」

「そんなら、出入口は必要なかとじゃごわはんか?」

「気持ちの問題じゃよ」

「そんなもんでごわすかなぁ・・・」

その時、建て付けの悪い妙心館の玄関を苦労して開ける音がした。

「おっと、人が来たようじゃ。儂は消えるとしよう」ふっ、と王の姿が見えなくなった。

「こんにちは!あれ、熊さん今誰かと喋っていませんでしたか?」

入って来たのは槇草だった。槇草は就職のため田舎から出て来て平助の弟子になり、今は結婚して妙心館の近くに新居を借りている。

「い、いや、気のせいじゃなかな・・・」

「そうですか、おかしいなぁ・・・おや?」槇草は目敏く天井の蓋に気がついた。

「あれは何です?」

「あ、あれは通気口じゃ。梅雨んなると雨漏りで湿気が篭っでな」

「ふ〜ん・・・」

「そいはそうと槇草どん、今日は非番でごわすか?」熊さんが慌てて話題を変える。

「あ、そうそう、非番ではないのですが夜勤ではあります。出勤前に師匠にお話があって来ました」槇草は奥を覗き込むようにして訊いた。「師匠はご在宅ですか?」

「おられもす、呼んできまっしょか?」

「その必要はありません」槇草は平助の居室に通じる扉に向かって歩き出した。

「熊さんも一緒に来てください」


*************************************************


「ほう、それは面妖な話よのぅ」槇草の話を一通り聞き終えて平助が眉をしかめた。「通夜の晩に遺体が消えたと言うのじゃな?」

「はい、万福寺の住職の話では、何者かが火のついた大八車に棺を乗せて走り去る姿を、酔っ払いが目撃しているそうです。あ、因みに万福寺というのは美紀の実家の檀那寺でもあるのですが」

美希とは槇草の新妻の名前である。

「警察には届けたのじゃな?」

「勿論です。ですが警察もお手上げのようで・・・」

「じゃっどん、遺体なぞ盗んでどげんすっつもりじゃろか?」熊さんも首を捻った。

その時、平助の頭の中で王の声がした。

『平助、それは火車という妖怪じゃないか?』

「火車じゃと?」平助が思わず声に出して訊き返す。

「師匠、カシャって何ですか?」槇草が怪訝な顔をする。

『平助、声に出すな怪しまれる』

「い、いや・・・」平助は頭の中で聞き返した。『王、火車とはなんじゃ?』

『年老いた猫の妖怪じゃ。悪事を働いた人間の死体を奪って地獄へ落とすと言われておる』

「これは以前聞いた話じゃが・・・」と言って平助が一つ咳払いをした。「年老いた猫の妖怪が悪事を働いた人間の死体を奪って地獄へ落とす事があるそうじゃ」

「そう言えばおいも子供ん頃、大人からそげな話ば聞いて怖かった覚えのありもす」

「やっぱり妖怪ですか?」槇草が複雑な顔をする。

「やっぱりとはなんじゃ?」

「いえ、万福寺の住職がこれは妖怪の仕業では無いかと・・・」

突然、槇草が頭を下げた。

「師匠、お願いがあります!」

「なんじゃ、改まって?」

「よかったら万福寺の住職の話を聞いて頂けませんか?」

「儂がか?」

「師匠しか頼れる人がありません」

「しかし困ったのぅ、いくら儂でも相手が妖怪では・・・」

「そこを何とかお願いします。可愛い弟子の頼みと思って」槇草は床に額を擦り付けた。

「う、うむ、まあ、そこまで言うなら仕方がない。とにかく話だけでも聞いてみるか」

「あ、ありがとうございます!」

「これで肩の荷がおりました。では、僕は仕事がありますのでこれで失礼します」

そう言って槇草は嬉しそうに帰って行った。

「奴め余程怪異が苦手と見える」平助が呆れてその姿を見送った後、熊さんに目を転じる。

「普通ならば到底信じられる話ではないが・・・」

「じゃっどん、ここには本物の妖怪が居られもす」

『平助、万福寺には儂も行くぞ!』頭の中で声がした。


*************************************************


「わざわざご足労いただき申し訳ありません」万福寺の住職七里順照しちりじゅんしょうは平助に頭を下げた。

万福寺は江戸時代から続く寺である。明治の神仏分離政策による廃仏毀釈の嵐にも耐えた名刹だが、先先代の順敬じゅんけいがその騒ぎの中で命を落としている。

「さっ、どうぞお入りください。お話は本堂の方でさせて頂きます」順昭は平助を本堂の須弥壇の前へと誘った。

外陣の畳敷きに座布団を敷いて座ると、住職の妻が茶を運んで来た。

「無門先生、本日はお運び頂きまして有難うございます。先日槇草さんと美希さんがお母さまのお墓参りに見えたのでこの度の怪異についてご相談させて頂きました」

「そうしたら槇草さんが、うちの師匠に話してみましょう、と仰って下さったのです」順照が妻の話を引き取った。

「はて、何故にそのような話になったものか?」

「なんでも、妖怪退治は昔から武術の達人の仕事と相場が決まっているそうで」

「槇草の奴、勝手な事を・・・」平助が呟いた。

「ご迷惑だったでしょうか?」

「いや・・・」

平助が考え込んでいると、頭の中で王の声がした。

『平助、面白そうではないか。承知してはどうだ?』

「お主まで勝手な事を言うな!」

「え?」住職が怪訝な顔をする。

平助は慌てて掌で口を押さえた。

「い、いや、こちらの事じゃ。ところで、詳しい話をお聞かせ願いたい」

「そうでした。実は、この寺に隣接する門徒会館での出来事なのですが・・・」

要約すると次のようになる。

最近の通夜は自宅ではなく多くは葬祭場を利用する。万福寺は門徒会館という施設を有しており檀家の人々はそこで通夜をする。住職の読経が済み親族だけになった夜更け、どこからともなくマタタビを燻したような煙が流れ込んで来て全員が眠ってしまったというのである。

「目が醒めるとご遺体が棺と共に消えておったという事なので御座います」

「警察はなんと言っておるのじゃ?」

「なんの痕跡も残っておらぬうえ、目撃証言はわけの分からぬ事ばかりで捜査は暗礁に乗り上げておるそうです」

「目撃者は?」

「たまたま寺の前の道路を通行中の仏師です。夜更でもありかなり泥酔していたようですから信憑性を疑われております」

「どのような証言だったのじゃろうか?」

「なんでも躰中毛だらけの猫のような顔をした化け物が、火のついた大八車を引いておったとか」順照は眉を顰めた。

「何か心当たりは?」

「一向に・・・でも、猫という事でしたら先日寺で飼っていた雌猫が死んだのです」

「ふむ、それで?」

「その猫はチロといって、先代の話では先先代が可愛がっておった猫だとか。そうしますともう百年以上生きておった事になりますので、私は勝手に代替わりした猫だと思っておりましたが」

「うむ」

「ただ、このチロが死ぬ前に不思議な事が起こりました。チロが棺を跨ぐと蓋があいて死者が起き上がったのです」

「なに、生き返ったのか?」

「いえ、生き返ってはおりません。ただの物質的反応かと・・・私は今までそのような事を目撃した事はありませんでした」

「そうじゃろうの」

平助は腕組みをして考え込むフリをした。

『王、どう思う?』

『その猫が犯人じゃろう、否、猫じゃから犯猫か?』

『犯人でよい。何か考えはあるか?』

『次に通夜があった時、直接犯人に会って事情を聞くのが良かろう』

『そう都合よく現れるかの?』

『それは分からぬ。じゃが何もせんでは先に進まん』

『それもそうじゃ』

平助は腕組みを解いて順照に言った。

「今度、通夜があったら儂を呼んでくださらんか?」

「それでしたら丁度今夜、うちの檀家の通夜が行われます」

「左様か。ではその前に目撃者の話を聞いておくか」


*************************************************


目撃者は寺の敷地の裏長屋に住んでいる仏師の東雲とううんであった。

「東雲さんのお宅はこちらかな?」平助は戸障子の前に立って声を掛けた。

「誰だ?」

「妙心館の無門平助という者じゃ。寺の事件について伺いたい」

「武術の先生か?話す事など何も無い。警察も信じてはくれなかったしな・・・」

「火車という妖怪を知っておるか?」いきなり平助が訊いた。

「・・・」

「寺の雌猫が死んだという話じゃが?」

暫く返事がなかったが、やがて東雲が言った。

「・・・入れ」

東雲は長屋の板張りを仕事場にして木彫りの仏像を彫っていた。歳は平助と同じくらいだろうか?

「その辺に座ってくれ、ただし座布団は無いぞ」

「構わんよ」

木屑があちこちに散らばっている。平助は框に浅く腰を掛けた。

「早速じゃがその時の様子を聞かせてくれんか?」

「何故興味を持つ?」

「住職に頼まれたのじゃ」

「ふん、あの小僧は駄目じゃ。俺は彼奴を小僧の頃から知っておるが、奴に説法されても有り難みなど何もない」

「医者と坊主は余所者の方が有難いというからな。自分の若い頃を知っておる者の多い地元では、住職もやり辛かろう」

「ところで何が知りたい?」東雲が言った。

「時刻は何時頃じゃった?」

「あれは近所の居酒屋がはねてからだから十二時はまわっていただろう」

「そんなに遅くまでやっている店があるのか?」

「馴染みの店でな。あの日はどうしても上手く仏像が彫れず、むしゃくしゃしていたので少し長居をさせて貰った」

「ずいぶん酔っていたのか?」

「酔っていたって俺の目に狂いはない、あれは火車だ」

「何故火車だと判る?」

「俺は仏師だ、古い画図などもよく見る。あれは江戸時代の妖怪画家鳥山石燕とりやませきえんの描いた火車に違いない」

「そうか、やはりな」

「あんたは信じてくれるのか?」

「お互いこの年まで生きてくると、理屈に合わぬことも沢山経験するでな」

「そうか、信じてくれるか・・・」東雲はホッと息を吐いた。

「他に何か気がついたことは無かったか?」

「そうだな、燃える大八車の上には棺の他に金の阿弥陀如来が乗っていた」

「阿弥陀如来?」

「ああ、鋳物師が作った物だ。あの大きさなら結構な金が必要だったろう」

「何故そんなものが?」

「あの時消えた遺体は近所の高田という強欲爺いのものだった。これは師匠に聞いた話だが、以前万福寺の阿弥陀如来が明治の廃仏毀釈運動で持ち去られるという事件があったそうだ。それがどういう訳か下金屋の手に渡っていた。きっとその爺いの先祖が売っ払ったのさ」

「下金屋が買ってどうするのじゃ?」

「仏像を溶かして金を取るんだよ。」

「それは周知の事か?」

「いんや、俺の懇意の下金屋から聞いたんだ。そいつは鍋、釜、薬缶なんかの古金を買う奴だが、買ったのは金、銀、地金を扱う高級下金屋だ」

「その話は警察にしたのか?」

「しねぇよ。遺体が消えたことと直接関係はないからな。それ以前に火車を見た事すら信じては貰えなかったからな」

「尤もじゃな」

「それからこれは俺の憶測だが、万福寺の先先代が死んだのも阿弥陀如来が持ち去られた事と関係がある」

「ほう、何故そう思う?」

「首吊り自殺だったからだよ。責任を感じたのさ」

「う〜む」平助は目を閉じて腕を組んだ。『王、どうじゃ?』

『普通に考えれば、死んだ雌猫が妖怪になって主人の無念を晴らした、というところじゃな』

平助は王の言葉をそのまま東雲に伝えた。

「そんなことなら、無念を晴らす相手はこの界隈には沢山いる」

「なに、本当か?」

「万福寺の檀家の中に、寺の打ち壊しを先導した者がいた。そいつらの子孫は何食わぬ顔をして今も檀家を続けているからな」


平助は礼を言って東雲の家を出た。いつの間にか王が実体化して平助の隣を歩いている。

「平助、だいぶ謎が解けてきたな」

「うむ、今夜門徒会館に行ってみるとしよう」


*************************************************


その夜、異変は起こった。

夕方から始まった通夜の受付には、弔問客の長い列が出来ていた。

それはこの街を地盤にする市議会議員保坂大三郎ほさかだいざぶろうの葬儀だったからである。


保坂は代々受け継いだ票田で三期に渡って当選し、十二年の任期を勤め上げた。

市への影響力も強く、いち早くこの街の道路は裏道まで舗装された。

その工事を請け負ったのが高田組である。

保坂大三郎の父は、高田組の娘と結婚し翌年市議に当選している。選挙資金の出所は高田組だと噂されていた。

保坂の息子は父の跡を継ぎ、次の選挙に立候補すれば当選は確実視されている。


住職の読経が始まり、参列者が次々と焼香を行った。

法話の後住職が退場すると、参列者も三々五々と帰って行く。

門徒会館の祭壇の前には、保坂の親族だけが残った。


「ついに親父も地獄へ旅立ったか」息子の庄八が言った。

「庄ちゃんそんなこと言うもんじゃないよ」叔母の秋子が庄八を諫めた。

「そうですよあなた、義父さんが聞いてるじゃない」庄八の妻代利子の視線の先には棺がある。

「なぁに、構うもんか。人は死んだら唯のモノだよ」

「しかし、これで庄ちゃんも独り立ちだね」秋子の夫建雄が庄八の機嫌を取る様に言う。

「ああ、やっと俺の時代がやって来た」

「でも、お兄ちゃん。あの事はどうすんのさ?」妹の友恵が言う。

「あの事?」

「仏像だよ」

「ああ、あれはもう時効だろう。それに曾祖父さんがやった事だ。俺には関係ない」

「そうだよ義兄さん。そんな昔の事今更蒸し返すもんじゃないよ友恵」友恵の夫一郎が言う。

「そりゃそうだけどさ。なんだか後ろめたくない?仏像を売って選挙資金を出したのは母さんの実家でしょう?罰が当たりそうで怖い」

「そんな事怖がってたら政治家なんて出来ないさ。俺は市議で終わるつもりはないからな」

「そうだよ庄ちゃん。庄ちゃんはやっぱり大物だ」建雄が煽てる。

「親父が小物だっただけさ。親父は出来なかったけど、俺は曾祖父さんの遺言を実行する」

「此処に建設会館を建てるって話ですか義兄さん?」

「そうだ、母さんの実家への恩返しだ。仏像を造り替えるために貸した金を返して貰う。出来なければこの土地を頂くだけだ」

「私は反対だよ。一度ならず二度までも・・・」

「いいじゃないか秋子。そうなれば俺の会社も安泰だ、お前も安心して社長夫人を続けられるんだぞ」建雄は高田組の系列会社の社長である。

「それはそうだけど・・・」

「もうよそう。それより今夜は通夜だ、線香を絶やさないようにしなけりゃ・・・」庄八は強引に話を打ち切った。


*************************************************


平助は門徒会館の庭の茂みに隠れて様子を窺っていた。

『平助、来たぞ』王が頭の中で囁いた。

道路から門徒会館の玄関に続く石畳の上を、街灯に照らされて一匹の白猫が歩いて来る。

『あれか?』

『そうじゃ。暫く何が起きるか見ていよう』


白猫は、玄関の扉の前でフッと姿を消した。



「ふわぁ〜・・・なんだか眠くならないかい?」

「あら、もうこんな時間だ。そろそろ寝ましょう」

「通夜だぞ、起きていたほうがいい」

「お兄ちゃん、そんなところだけ妙に律儀だわねぇ」

「誰か一人起きていればいいんじゃないのか?」

「そうだね、交代で起きて線香を立てよう」

「でも、なんか線香の匂いが変わった気がするんだけど・・・」

「気のせいだよ・・・ふぁ・・・」

「目蓋が・・急に重くなった・・・」

「そ、そういえば・・・」

「だめだ・・抗しきれない・・・」

「躰が・・揺れる・・・」

「私、もうダメ・・・」

「駄目だ・・・寝るんじゃ・・ない・・・」

「お・や・す・み・・・」

程なくその場にいた全員が深い眠りに落ちた。


ゴトリ!

大八車が祭壇の前に止まった。引いていたのは六尺はあろうかと言う真っ白い怪猫である。

怪猫は棺の蓋を開け中を確かめると大八車に乗せた。と同時に燃え盛る阿弥陀如来の仏像が現れ、見る間に大八車は炎に包まれてしまった。

ナァ〜オ!

怪猫は恐ろしげな声を発して引手を持ち上げると、玄関に向かって突進した。


まるで異次元の壁を抜けてきたように玄関から怪猫が飛び出してきた。人間のように二本足で立っている。続いて燃え盛る大八車が現れた。

平助は茂みを飛び出して怪猫の前に立ち塞がった。

「待て!」

怪猫はピタリと足を止めた。

「どこへ行く!」

怪猫の口が耳まで裂け、鬼の形相で平助を睨む。

「棺を置いて立ち去るのじゃ!」

怪猫は、大八車の軛を押していた前足を地面につけゆっくりと前に出た。

「まるで虎の様じゃな・・・」

『平助、油断するな!』王が頭の中で叫んだ。

『儂が囮になる、奴が儂に飛び掛かったらすかさず勁を発せよ!』

勁とは中国武術の奥義、発勁の事である。

『心得た!』

怪猫が姿勢を低くしながらゆっくりと近づいて来た。

平助は無言で身構える。

刹那、怪猫が地面を蹴った。

『今じゃ!』

平助は前に飛び、敷石に蛙のように這いつくばった。

平助と入れ替わるように実体化した王が、怪猫の鼻っ面に特大の勁を放った。

断末魔の咆哮を放って、怪猫はドタリと地に落ちた。

「見よ平助!」実体化した王が叫んだ。

いつの間にか大八車は消え、火の着いた仏像も消えている。真新しい棺だけががその場に残されていた。


「チロ・・・」

振り向くと住職の妻、佳代が立っていた。

「お内儀何故ここに?」平助が訊いた。

「きっとチロだと思っておりました」佳代は怪猫の傍に跪きそっと頭を撫でた。すると怪猫はスッと縮んで元の姿に戻った。

「何故そう思われた?」

「チロは元々シロと呼ばれる猫でした。幼い私がシロと発音できずチロと言った事から、お祖父様がチロと改名したのです。でも、この子はお祖父様が飼っていた白猫のシロなのです」

「では、住職はその事を知らないのですな?」

「そうです。主人は幼い頃寺の小僧となり、一時期よその寺で修行を積み、帰って来て婿養子となりました。主人は知らない事ですが、チロはもう百年近く生きておりました。百年生きた猫は物の怪になるといいます」

「そうじゃったのか・・・」

「保坂市議の祖父様は廃仏毀釈を推し進める事で市議の地位を盤石のものにされたのです。もちろんそれは公にはなっておりません」

「それでのうのうと檀家を続けて来られたのですな」

「明治政府の神仏分離政策と廃仏毀釈は本来関係のないものでした。しかし幕府による寺請制度の為、多年に渡って仏教に虐げられてきたと考える神職や国学者達が拡大解釈し仏教の排斥運動に発展したのです。彼らはその機運に乗じ、無頼の徒を使って仏像を持ち出したのです」

「保坂一族は影で糸を引き先先代の住職を自殺に追いやった・・・と?」

「はい。チロはその一部始終を見ていたのだと思います。しかし普通の猫のままではどうすることもできません。それで百年もの間敵を討つために生きて来たのでしょう」

「畜生とはいえ見事な執念じゃ」

佳代が、そっとチロを抱き上げた。

「チロを墓に戻してやりとうございます」

「貴方は、保坂一族に対して恨みはないのじゃな?」

「因果応報、悪業は必ず本人に帰ります。現世でなければ来世、来世でなければまた次の生まれ変わりに・・・」

「立派な心掛けじゃ」

佳代はチロの亡骸を抱いて、背を向けた。が、ふと振り返って平助に訊いた。

「先ほど、先生が二つに分かれたように見えましたが・・・」

「分身の術じゃ。武術家も長くやっておると妖怪に近うなる」

「まぁ、おほほほほほほ・・・」


「どうじゃ、王。帰って一杯やらんか?」

「そうじゃの、チロの冥福を祈ろう」

平助は実体化した王と並んで、夜道を歩き出した。



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