狒々爺の最期(さいご)
魔神仔の命でヤンとノラを探しに『虫食い穴』に入っていった狒々爺いは、穴の奥で日本兵の鬼に会い、激闘の末命を落としてしまう。
遅れて穴に入った王と陳は狒々爺いの断末魔の声を聞いた・・・
「井戸の壁が崩れておった、あの人間の大人と子供はこの洞窟に迷い込んだに違い無い」
狒々爺は薄暗い洞窟の中を進んで行った。「日本兵の鬼に喰われていなければ良いが・・・」
大人の男を怖がらせてやろうと思っていたら、陰陽眼を持った女の子が首無し鬼を見つけて邪魔をした。カッとしてつい井戸に繋がる床の中に引き摺り込んだが、十分に怖がったところで出してやるつもりだった。しかし、何かの拍子に井戸の壁が崩れて人間達は『虫食い穴』に迷い込んでしまった。
「魔神仔はただ、鬼の存在を人間どもに知らしめてやればそれでいいと言っておったのじゃ、もし死なせてしまったら魔神仔に申し訳が立たん」
狒々爺は逸る気持ちを抑えて注意深く迷路のような洞窟の中を見て回った。
帰りは自分の匂いを辿って行けばいい。
洞窟の中には部屋と思しき空間がいくつもあった。その暗がりには生成り(半人前)の旧日本兵の鬼達が潜んでいる。
「ふん、生成りの鬼など儂の敵ではないわ」
誰も狒々爺を襲おうとはしない、じっと誰かの命令を待っているかのようだ。
「ん?」
洞窟の先の方に二つ、黄色に光るものがある。
「親玉のお出ましか・・・」
周囲の鬼達を無視して、狒々爺は真っ直ぐその光に近付いた。近付くにつれ、その姿が朧げに見えて来る。全体は黒い影に過ぎないが軍帽の下の目がこちらを見据えているのが分かった。
「おい日本兵、人間の大人と子供を知らないか?」
黒い影が微かに動いた。
「なんだ、猿の化け物か。お前に用は無い、さっさと帰れ」
「そう言うお前は、死にきれずこんなところにしがみついている人間の化け物じゃないか」
「お前こそ、長く生き過ぎて遂には人間の言葉を喋るようになった獣の妖怪だろう」
「ふん、こんな所で罵り合いをしていてもしょうがない、俺の質問に答えろ」
「答えるつもりは無い」
「どこかへ隠したか、それとももう喰っちまったのか?この食い意地の張った化け物め」
狒々爺が軍帽の鬼を挑発した。
「答えるつもりは無いと言った筈だ!」
黒い影が地を蹴った。あっという間に肉薄した鬼の正拳をまともに喰らって、狒々爺は4〜5メートルも吹っ飛んだ。
「人間の鬼にしてはやるじゃないか」
ゆらりと立ち上がりながら狒々爺が言った。
「ふん、あまり効かなかったようだな」
「その辺の妖怪と一緒にするでない・・・次は儂の番じゃ」
「いいだろう、相手になってやる」
「来い!」
鬼が叫ぶと同時に狒々爺が跳んだ。
狒々爺の跳躍は驚異的だった。狭い洞窟の中を縦横無尽に飛び回る。
左の壁を蹴り、その反動で右の壁に跳び、また壁を蹴って鬼に襲いかかった。
不意を突かれた鬼が思わずよろめく。
その瞬間、狒々爺は長い腕を伸ばして鬼の躰を引き寄せ肩口に牙を立てた。
ううっ!と鬼が呻く。
狒々爺が顎に力を込めると、鬼の肩がミシミシと嫌な音を立てた。
「き、貴様ら・・・やれっ!」
激痛を堪えながら軍帽の鬼が命じると、生成りの鬼達が一斉に狒々爺に飛びかかった。
肩や脇腹、太腿に至るまで鬼達が取り憑き齧り付いた。
堪らず狒々爺は雄叫びを上げて鬼達を振り払う。
軍帽の鬼との間に距離が出来た。途端に鬼の右足が跳ね上がる。
ドスッ!っと鈍い音がした。
腹を蹴られた狒々爺が蹲る。だが鬼の攻撃はそれで終わらない。
起き上がろうとする狒々爺の顎に前蹴りが炸裂した。
仰向けに転がった狒々爺の顔をさらに踏みつける。
狒々爺がその足を掴んでグイと捻ると鬼が転がった。
形勢逆転だ。
素早く立ち上がり覆い被さるように飛びかかった。
その途端狒々爺の動きが凍り付く。
いつの間に抜いたのか、軍帽の鬼が突き出した短剣の切先が、狒々爺の背中から突き出していた。
「ぐふっ!」
狒々爺の口から息と一緒に血が吹き出して、鬼の顔を赤く染める。
鬼が身を起こすと、狒々爺の躰がぐらりと揺れて仰向けに倒れた。
「これでお終いだ・・・」
狒々爺の躰から短剣を引き抜いた鬼は、両手にそれを持って狒々爺の心臓を深々と突き刺した。
断末魔の絶叫が洞窟内に響き渡った。
鬼がゆっくりと立ち上がる。
「貴様ら、こいつを喰らい尽くせ、齢百年を超えた獣の肉を喰らえばお前達も完全な鬼になることが出来る!」
途端に生成りの鬼達がわらわらと寄って来て、狒々爺の躰を不気味な音を立てて喰い始めた。
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避難用の縄梯子を井戸の縁に掛けると、陳が先に降り始めた。
「校長とネン・ネンはここで待っていてくれ」そう言い残すと王も陳の後を追う。
「お二人とも気を付けて」
「ノラを必ず助けて下さい」
校長とネン・ネンが口々に言う。
「任せておけ」
王は縄梯子を降りて行った。
枯れ井戸の底に着くと、陳が興奮した口調で言った。
「ノラはこの穴から出て行ったに違いない」
「これが魔神仔の言っておった『虫食い穴』じゃな」
王が陳の肩越しに穴の中を覗き込む。
「真っ暗闇では無さそうじゃ」
「光が入りそうなところはどこにも無いが・・・」陳が注意深く穴の中を見回している。
「ここからは既に異次元の空間と言う事か」
「よし、入ってみよう」
「うむ」
二人は穴の中へ足を踏み入れる。
「これは・・・?」
「儂は昔沖縄で、これと同じようなものを見たことがある」王が言った。「終戦後間も無くの事じゃ、日本軍の司令部じゃったな」
「この洞窟もそうだと言うのか?」
「はっきりとは言えんが、人工的に掘られた事は間違いない」
「魔神仔が日本兵の鬼がいると言ったのは、まんざら嘘ではなさそうじゃな」
「よほど深い恨みを抱いておるのか・・・」
「例えそうであっても、ノラの身に何かあったら絶対に許さん!」
「もちろんじゃ」
王と陳は用心深く前に進んだ。
「この光は天井の穴から差し込んでいるようじゃ」王が言った。
「しかし、やっと物の形が見える程度じゃな」
「昔は電灯があったに違いない、あの穴は空気を取り入れるための穴じゃろう」
「ん?この先は分岐になっておるぞ」陳が前方を指差した。
「どっちに行ったんじゃろう?」
「分からん、じゃが出口を目指したとなれば風の流れを辿っていけば良い」
「なら左じゃ」陳は左の穴に歩を進めた。
暫く行ったところで陳が足を止めた。かがみ込んで何かを拾っている。
「間違いない、これは儂がノラに持たせた呪符の燃えカスじゃ!」
「燃えカスじゃと?」
「使ったのじゃ」
「使ったと言う事は、鬼に遭遇したと言う事か」
「無事逃れていてくれれば良いが・・・」
その時、洞窟の先の方から、悍ましい獣の呻き声が聞こえた。
「なんじゃ今のは!」
「ノラに何かあったのかも知れん、急ぐぞ!」
二人は声に向かって一直線に駆け出した。




