チャン・チュンとの再会
ヤンとノラは洞窟を出て学校に戻る。しかしそこはチャン・チュンが迷い込んだ異次元の学校だったのである。
一方、王と陳は二人が消えたという空き教室に向かい、そこで魔神仔と出会う・・・
「ヤン先生、この崖の上に登ったら周りの様子が分かるんじゃない?」ノラが切り立った岩場を見上げて言った。
「そうだな、登ってみよう。お前はここで待っていろ」
「私も行く、これくらいの崖、なんて事ないわ。それに私はお前じゃない、ノラよ」
「そうか、済まなかった。じゃあノラついて来るか?」
「もちろん!」
二人は足場の悪い崖に取り付いて登り始めた。
「ノラ、俺の行くルートを辿って登って来るんだ」
ヤンはノラが登りやすいように足場のしっかりしたルートを選んで登って行く。
「先生崖を登るの上手ね」
ノラが先を行くヤンを見上げて言った。
「俺は体育大学の時、山岳部だったからな」
「え、さっきは野球部だって・・・」
「あれは高校の話だ、昔、日本の甲子園で決勝まで行った嘉義高校のエースだぞ」
「へ〜、ヤン先生って見かけによらず凄いんだ」
「まぁな、だがな俺は体育会系で理屈っぽいのが嫌いだから他の先生達とは折り合いが悪い」
「ふ〜ん、じゃあなんで先生になったの?」
「そりゃ食うためだ、他に無いだろう?」
「だって仕事って言うのは好きなものを選ぶべきでしょう?」
「そりゃ社会がお前達子供に希望を持たせるために言っている事だ。仕事って言うのは嫌な事をやるから給料が貰えるんだ、言ってみれば給料は我慢料なんだよ」
「なんだか夢も希望も無いわね」
「そんなもん持つから苦労するんだ。最初から仕事は嫌なもんだと思ってやれば我慢も出来る。いいか、楽しい事ってのは金払ってやるもんだろ?仕事が楽しけりゃ良いとこの二重取りだ。だったら金払って仕事しなきゃ理屈に合わんだろうが」
「さっきは理屈っぽいのは嫌いだって言ってたくせに」
「・・・」
ヤンが急に黙り込んだ。
「どうしたの、もう反論しないの先生?」
「い、いや、そうじゃない・・・」ヤンの額から汗が滴った。「今、俺が手を掛けている岩の上に蛇がいる」
「蛇?」
「それも猛毒の百歩蛇だ、噛まれたら百歩歩くうちに死ぬと言われている」
「じゃあ、百歩歩かなければいいじゃない?」
「馬鹿、そう言う問題じゃない!」
「冗談よ、いたいけな子供から夢と希望を奪ったお返し」
「よくそんな余裕があるな」
「だったら早く手を退けたら?」
「今動いたら餌と間違われて噛みつかれるだろ」
「仕方ないわねぇ」
ノラは岩肌を横に移動してから上に登り、ヤンが手をかけている岩の上に出た。
なるほど、岩の隙間から三角形の蛇の頭が覗いている。
蛇は舌を忙しく出したり引っ込めたりしながらヤンの方を見ている。
この種の蛇には唇の横にピット器官という赤外線感知装置がついている、少しでもヤンが手を動かせば反射的に飛び掛かることは間違いない。
「先生、動かないでよ」ノラは蛇の背後からゆっくりと近づいて行った。
蛇がヤンに向かって身をくねらせた瞬間、ノラは親指と人差し指で蛇の首根っこを押さえた。
体調に比して胴回りの太い蛇はノラの前腕に巻きついて抵抗するが、ノラの手から逃れる術は無い。
「もう大丈夫」
「ノラ、お前凄いな、蛇が怖くないのか?」
額に汗を浮かべたまま、ヤンが呆れ顔で訊いた。
「私、おじいちゃんに岩登りも蛇の捕まえ方も教わったの。岩登りは修行で蛇は呪術に使うんだって」
「へぇ、道士ってのはなんでもやるんだな。だが、お陰で助かったありがとう」
「どういたしまして、さ、後少し頑張りましょう先生」
ノラは蛇を下の草むらに放り投げるとヤンを促して登り始めた。
崖の上はテーブルの天板みたいに平らだった。畳二畳分くらいの広さがある。
「おお、下界がよく見える!」
ヤンが手庇を翳して周囲を見回した。
「先生、あそこを見て!」
ノラが西の方を指差した。
「あれは・・・学校じゃないか!」
「やっぱり・・・」
「とすると、ここは学校の裏山だ!」
「中庭の井戸がこんなところに続いているなんて・・・」
「しかしおかしい、距離も方向も俺の感覚とはてんでバラバラだ」
「でも、とにかく学校へ戻るしかないわ、先生」
「よし、一旦下山するぞ」
二人は今登って来たばかりの崖を降りると、西に向かって斜面を降り始めた。
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「この部屋です、ノラとヤン先生が連れ去られたのは」
ネン・ネンが空き教室の戸の前に立って手で示した。
「ほう、鬼の匂いがプンプンするぞ」陳がネン・ネンを後ろに退げて戸に手を掛けた。
「陳、気をつけろ」
「心配するなこの中にいるのは雑魚ばかりじゃ、たいした妖気は感じられん」
陳は一気に戸を開けると中に踏み込んだ。積み上げた机の下には首のない鬼が膝を抱えて座っている。その他にもダンボール箱の上や部屋の隅に、髪の長い女の鬼や、充血した目を剥いて長い舌を垂らした鬼が立っている。
「あいつか、ノラが見たと言うのは?」後から入って来た王が机の下を指差した。
「王先生、私には何も見えませんが・・・」
校長が王の後ろに来て言った。
「妖気の弱い鬼は普通の人間には見えんよ、ネン・ネンが見たと言う毛むくじゃらな鬼はよほど強力な鬼に違いない」
「僕、見ればすぐに分かります」ネン・ネンが言った。
「今はいないようじゃが?」
「と、するとあの首無し達は見張か?」
「そのようじゃな・・・」
陳は机の前にしゃがんで、蹲っている首無し鬼に話しかけた。
「おい首無し、お主の主人を呼んで来てくれんか?」
陳が言うと、首のない鬼は頭(のあったであろう場所)を掻いて立ち上がりどこかへ消えてしまった。
「偉く素直な鬼じゃのう?」王が不思議そうに聞いた。
「あやつらはただそこにおるだけで何も悪さはせん。ただ時々陰陽眼を持った人間に目撃されて怖がられているだけじゃよ」
「ふ〜ん、いずれこの世に未練を残しているのじゃろうの?」
「まぁ、わしらも似たようなものじゃが・・・」
「違いない」
王が言った時、首無し鬼が戻って来て黙って机の下に蹲った。
「どうした、主人は連れてこなかったのか?」
陳が訊いたが首無しは動かない。
「私ならここにいるわ」
背後から声が聞こえ全員が一斉に振り返る。そこには赤い服を着た女の子が立っていた。
「私に何か要?」
「お主があいつらの主人か?」
「そう」
「僕が見た毛むくじゃらの鬼じゃないよ!」ネン・ネンが言った。
「毛むくじゃら?・・・ああ、狒々(ひひ)爺なら今虫食い穴に行ってる、人間を二人井戸に閉じ込めたけど、いなくなったと言って探しに出た」
「虫食い穴じゃと?」
「この世と異次元を結ぶトンネルよ」
「君は誰だね?」校長が訊いた。子供の姿なのでつい生徒に対するようになってしまう。
「私は魔神仔そこの二人と同じ妖怪よ、」
「ええっ、妖怪には見えないなぁ?」
「儂等だって見えんじゃろう?」王が言った。
「ははは、それはそうですね」そう言いながら校長は魔神仔を見た。
「ところで君、ヤン先生とノラはその虫食い穴とやらにいるのかい?」
「多分ね」
「じゃあ、チャン先生もそこなのかい?」
「あの女の先生なら私が異次元空間に連れて行った」
「なぜそんな事をする?」王が言った。
「ちょっとした悪戯よ」
「悪戯にしてはタチが悪いよ!」ネン・ネンが言った。
「みんな無事なのか?」陳が訊いた。
「異次元空間は問題無いけど、虫食い穴には日本兵の鬼がいる。狒々(ひひ)爺が間に合えばいいけど」
「その狒々爺とやらは二人を助けに行ったと言うのか?」
「私たちはただ悪戯したいだけだもの。だけど日本兵の鬼はそうじゃない」
「どう言うことだ?」
「日本兵の怨念は人を喰い殺す」
「ならば早く助けに行かねば!その虫食い穴はどこにあるんだ!」
「中庭の枯れ井戸・・・」
魔神仔の答えを最後まで聞かずに陳は空き教室を飛び出した。
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「ノラ、あれを見ろ、学校の裏門だ!」
最近宅地の造成の為削り取られたらしい斜面の上に立ってヤンが叫んだ。
「下校の時間なのね、ちらほら生徒達が校舎から出て来ているわ」
ヤンは赤土が剥き出しの斜面を滑り降りて、ノラを振り仰いだ。
「早く降りて来い、今ならまだ校長先生も校内に居るだろう。この事を報告して何か対策を立てないとまた同じ目に遭う人間が出て来る」
「分かった」
ノラは身軽に飛び降りて斜面を駆け降りるとヤンの横に立った。
「凄い運動能力だ、ノラも将来体育教師になれるぞ」
「私は道士になるの・・・そんな事より急ぎましょう」
「あ、ああ・・・」
ヤンとノラは一緒に裏門へ向かう途中、下校途中の生徒数人とすれ違った。
突然ノラが立ち止まった。
「先生、何かおかしくない?」
「ん、どうしたそんな顔して?」
「だって、誰も先生に挨拶しない」
「そんな事もあるんだろう、俺は赴任してきたばかりで人気が無いのさ」
「そんな事はないわ、一年生だって先生に挨拶くらい出来る」
その時裏門から女子生徒が走り出て来た。
「あ、シャオラン!」
ノラが大声で名を呼んだが知らん振りして通り過ぎてしまった。
「シャオラン待って!」呼び止めても聞こえないように走り去る。
「なんだ、友達か?」
「クラスメイトよ」
「お前達、仲が悪いのか?」
「いいえ、シャオランは親友よ」
「じゃあ、なんで・・・」
あっ!とヤンが叫んだ。突然走り出した男の子がヤンの躰をすり抜けたからである。
「なんだ今のは!」
呆然と立ち尽くすヤンの躰を、何人もの生徒が走り抜けて行く。
「お、おい、今確かにぶつかったよな・・・」
ノラも目を丸くして驚いている。
「先生、きっと私達は目に見えてないのよ、それどころかまるで空気みたいになっちゃてる!」
「そんなバカな!」
「だって、そうとしか考えられない!」
他にこの現象を説明する術は無い。ヤンは気を取り直してノラに言った。
「とにかく、校内に入ってみよう。何か分かるかもしれん」
「そうね、驚いてばかりじゃしょうがないわ」
「よし、校舎に入ってみよう」
二人は裏門から校内に入り、北棟の入り口から校舎の中に入った。この棟の二階に空き教室がある。
「もう一度あの部屋に行ってみるかい?」
「いいわ」
二人は東側の階段を使って二階に上り空き教室を目指した。
音楽室の前を通り理科室の前に差し掛かった時誰かの怒鳴る声が聞こえて来た。
「その、虫食い穴はどこにあるんだ!」
ノラが足を踏み出そうとした瞬間、空き教室の戸があいて陳が飛び出して来た。
「あっ!おじいちゃん!」
ノラの前を陳が駆け抜けて行く。
「待て陳!」
王と校長とネン・ネンも飛び出して来て、陳の後を追って行った。
「私達も行きましょう!」ノラがヤンを促して走り出した。
もう、ほとんどの生徒は下校してしまい、中庭には誰もいなかった。
陳は金網の張られた枯れ井戸の前で足を止めた。
「中から妖気がプンプン匂って来る」
「これは水鬼が潜んでいた井戸だ」王が説明した。
「なるほど、妖気が集中しやすい場所にある」陳は校長を見遣った。
「この金網を外してくれ」
校長は井戸の中を透かし見た。薄暗くてよく見えないが人の気配はしない。試しにノラの名前を呼んでみたが返事は無い。
「誰もいないようですが、あの妖怪が嘘を言ったのではありませんか?」
「いいから外すのじゃ!」
「い、いや、これは子供達の墜落防止の為の金網でして・・・」
「この中にノラがいるのじゃ、お主はノラを見殺しにするのか!」
「おじいちゃん、私ここにいるよ!」
ノラは陳の耳元で大声で叫んだが陳には聞こえない。
陳は更に言い募る。
「外さぬなら儂の術で破壊するまでじゃ!」
「わ、わ、分かりました、外します外します!」
校長は金網を外す鍵を職員室に取りに行った。
「ノラ、待っておれ、今助けに行くからな!」
陳は井戸の底に向かって声を張り上げた。
「どうしよう、ヤン先生・・・」
陳達にはノラの声は聞こえない。このままあの洞窟に入ったら日本兵の鬼と遭遇してしまうのは必定である。
「仕方ない、あの洞窟を戻っておじいちゃん達に知らせるんだ」
「大丈夫?私達も鬼に見つかるかも知れないわ」
「どっちにしても、元の世界に戻るにはあの洞窟を戻るしかない」
「そ、そうね、でも間に合うかしら?」
「他に方法は無い」
「分かったわ、行きましょう!」
ノラが顔を上げた瞬間、廊下をトボトボと歩く人影が見えた。
「あっ!」
「どうした?」
「あれ・・・チャン先生よ」
ノラが西の廊下を指差した。
「なんだ、チャン先生戻ってたのか、人騒がせな先生だな」
「違う、あれは・・・!」
ノラは西棟に駆け込んで廊下の先を行くチャン・チュンに声を投げた。
「チャン先生!」
チャン・チュンの足が止まった。
「チャン先生、私ですノラです!」
ゆっくりとチャン・チュンが振り向いた。
「私が・・見えるの・・・?」
信じられないと言った顔でチャン・チュンが訊いた。
「見えます」
「ほんと・・・」
「本当です!」
チャン・チュンの目が大きく見開かれた。
「ノラちゃん!」
飛びつくようにノラに抱きついた。
「本当に見えるのね、本当に触れるのね!」
ノラにしがみついたままチャン・チュンが泣き出した。
「もう、会えないと思ってた!」
「先生・・・」
ヤンが西棟に入って来た。
「驚いたな、チャン先生も異次元空間に迷い込んでいたのか?」
チャン・チュンが声の方に顔を向けた。
「ヤン・・・先生?」
「光栄だな、新任の俺の名前を覚えてくれてたなんて」
ヤンが嬉しそうに近づいてくる。
「ええ、さっき知りました」
「さっき?」
「職員室に行ったら、あなたがいてその・・・」自分の為に抗議してくれていたなんて、恥ずかしくて言えない。
「そうか、この世界にも俺がいるんだな」
「ヤン先生、チャン先生のファンなんだって」ノラが無邪気に言った。
「こ、こら、そんな事今バラすんじゃない!」
「まぁ・・・」チャンの顔が赤くなった。「と、とにかく二人に会えて嬉しいわ」
「チャン先生はどうやってこの世界に来たの?」
「音楽室に忘れ物をとりに行った帰りに、魔神仔という赤い服を着た子供の妖怪に連れて来られたの」
「子供の妖怪?」
「そう、誰にも供養してもらえない鬼の気持ちをわかって欲しかったらしいわ」
「そ、そんな事で・・・」
「でも、帰り道を教えて貰ったわ」
「どこだ?」
「虫食い穴を探せって言われたけど、なかなか見つからなくって・・」
「虫食い穴?」
「空間と空間を繋ぐトンネルだって・・・」
「あの洞窟だ!」ヤンとノラが声を揃えた。
「洞窟って?」
「裏山にある昔日本軍が掘った洞窟。中庭の井戸につながっているわ」
ノラが中庭を指差した。
井戸では陳の手によって、今まさに金網が外されようとしていた。
「大変、早く行かなくちゃ、おじいちゃん達が中に入ってしまう!」
「え、なに、どうしたの、なにが大変なの?」
「説明は後だ、とにかく裏山の洞窟に急ぐぞ!」
ヤンが走り出すとノラも続いた。チャン・チュンは訳も分からず二人を追って走り出した。




