魔神仔(マシナ)
赤い服の女の子は魔神仔と名乗った。
チャン・チュンの選ばなかった世界を見せているのだと言うが・・・
「みんなごめんね〜、忘れ物探してたら遅くなっちゃった!」
教室の戸が開いてチャン・チュンが入って来た。後ろからノラとネン・ネンもついてくる。
「チャン先生ったら職員室にいなかったのよ」ノラがクラスのみんなに説明する。「先生音楽室にいて忘れ物を探してた」
「僕たちも一緒に探して、やっとピアノの後ろに落ちているのを、ボ・クが見つけたんだ」
ネン・ネンが誇らしげに報告した。
「チェッ、何自慢してるんだよ、もう待ちくたびれたぜ」
消しゴムの男の子が言った。
「ごめんごめん、この万年筆先生が大学を卒業する時恩師に貰った大切なものなの、一所懸命探してたらいつの間にか時間が経っちゃって・・・」
チャン・チュンが手を合わせて頭を下げた。
「さあ、授業を始めましょう。遅れた分取り戻さなくっちゃ、さ、二人とも席について」
背中を押されてノラとネン・ネンが席に着く。
「さて、算数の教科書の21ページを開いてください・・・」
いつもと変わらぬ授業風景が目の前に広がっていた。ただ、違っているのは私の知らない私が教壇に立っている事・・・
チャン・チュンの頭はますます混乱して行った。
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「きっとお腹でも痛くなってトイレにでも篭っているんじゃないのか?」
音楽室を覗いてチャン・チュンがいないのを確かめるとヤンが言った。
「おかしいなぁ・・・」ネン・ネンが首を傾げている。
「あっ何か落ちてる!」
理科室の前の廊下に赤いものを見つけてノラが駆け寄った。
「これ、先生の万年筆・・・」
「チャン先生のものなのか?」ヤンが訊いた。
「はい、間違いありません。一度大切なものだって見せてくれた事があるんです」
「確か恩師にもらったって言ってたよね」ネン・ネンがノラの手元を覗き込む。
「そうか、チャン先生はそれを取りに戻ったんだな?」
「そうだと思います」
「なら、こんなところに落ちているのはおかしくないか?」
「確かに・・・」
「きっとチャン先生の身に何か起こったんだ・・・」
ヤンが真顔になって辺りを見回した。さっきまではすぐに見つかると多寡を括っていたのだ。
「理科室と隣の空き教室も調べてみよう」ヤンが二人を見た。
「お前達は理科室を調べてくれ、俺は空き教室を調べる」
「わかりました」
ノラとネン・ネンが理科室に入るのを見届けて、ヤンは空き教室の戸を開けた。
ムッと異臭が漂って来た。
「嫌にカビ臭い・・・まぁ仕方ないか、長い間物置みたいになっていたからな」
手で鼻を覆いながら足を踏み入れた。ヤンの歩調に合わせてほこりが舞い上がる。
「こりゃひでぇな・・・」
ダンボール箱が無造作に積み重ねてある。埃を手で払ってマジックで書いた走り書きを読む。
昔運動会で使っていた備品のようだ。今はこんなもの使わない、きっと前任の体育教師が置いて行ったものだろう。
古い机が積み重なっている一角でコトリと音がした。
「なんだ鼠か?」そちらに足を踏み出す。
「ヤン先生、近づいちゃ駄目!」
立ち止まって振り向くとノラが怖い顔でこっちを睨んでいる。
「なんだお前達、理科室は調べたのか?」
「調べたけどチャン先生はいない・・・それよりも先生、ゆっくりとこちらへ来て」
「どうしたんだ、何でそんなに怖い顔をしている?」
「その机の下・・・首のない鬼がいる」
「えっ!」驚いて机を見た。しかし、ヤンには何も見えない。
「なんだ、何もいないじゃないか?」
「先生、ノラは陰陽眼を持っているいるんです、信じて!」ネン・ネンが必死に訴えた。
「何を馬鹿なことを、俺は鬼なんか信じな・・・」
そう言った瞬間、何者かに強く足首を掴まれた。見ると床から毛むくじゃらな手が生えている。
「うわぁぁぁぁ!!!」
ズルズルと床に引き摺り込まれた。
「先生!」ノラがヤンの腕に飛びついた。「ネン・ネン手伝って!」
二人がかりでヤンを引き戻そうとするがヤンの躰は徐々に床へと呑み込まれて行く。
「お、お前達もういい、手を離せ!」
「でも!」
「いいから、お前達はこの事を校長に知らせるんだ!」
ヤンは二人の躰を振り解いた。
「いいか、頼んだぞ!」
ヤンの躰はもう半分ほど床の中に埋まっている。
「ネン・ネン行って、私はヤン先生と行く!」
「だけどノラ・・・」
「いいから行って、おじいちゃんと王先生にも知らせて!」
ダッと床を蹴ってノラはヤンの首に抱きついた。その途端二人の躰は床の中に消えて行った。
ネン・ネンはノラの名前を大声で叫んだがもう返事は返ってこなかった。
「た、大変だ・・・」
ネン・ネンは空き教室を飛び出し、校長室に向かって廊下をひたすら走り続けた。
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「あれは、あなたが選ばなかったあなたの今よ」
呆然と佇むチャン・チュンの背後から声が聞こえた。
「え・・・?」
放心状態のチャン・チュンにはその言葉の意味が全く頭に入って来ない。
「なんの・・こと・・・」無表情でゆっくりと振り返る。
「私を覚えている?」
赤い服を着た女の子が立っていた。
「あ、あなたはあの時の!」
チャン・チュンは電気鰻に触れた時のような衝撃を受けた。と言っても電気鰻など一度も触った事はないのだが・・・
「あなたをここへ連れて来たのは、わ・た・し・・・」
「こ、ここって何処?・・・それに、あのもう一人の私は・・・そして、あなたは一体誰?・・・・・・ああ、頭がこんがらがって来た!」
頭を抱えて蹲る。
「ここは、同じ空間に存在するもう一つの世界、授業をしているのはあなたが選ばなかった世界を生きるコピーのあなた、そして私は魔神仔」
「魔神仔って、あの人を攫うという妖怪・・・」
「そう、昔から神隠しにあったと言われている人たちは、大抵私が異次元に連れて行った」
「異次元って、選ばれなかった世界の事?」
「そう、あなたは西の階段を行くか東の階段にするか迷った、そこに心の隙ができる、それが異次元への入り口」
「だ、だって誰にだって迷いはあるでしょう?」
「みんな迷って選んだ道がその人の現在。選ばなかったもう一つの道はその人のコピーが生きるの」
「私は間違った道を選んだっていうの?」
「いいえ、どちらが正しくてどちらが間違っている道だという事は無い、ただ、選んだ道と選ばなかった道があるだけ」
「じゃ、じゃあ私はどうしてここへ来たの?」
「そうね、私のちょっとした悪戯かな。あなたの選ばなかった世界を見せてあげようと思って」
その時ガラリと教室の戸が開いた。
「チャン先生、ちょっと・・・」
「あ、校長先生・・・」
振り向くと校長が顰めっ面で立っている。
「どうなさったんですか?今、授業中なのですが・・・」
校長は、いいからと言ってチャン・チュン(コピー)に手招きをした。廊下に連れ出し声を潜める。
「あなた、さっき職員室の前をすごい勢いで走っていたそうですね?」
「あ、あの・・・」
「たまたま私を訪ねてきた政府教育局のお偉方が見ていて、生徒の模範になるべき先生にあるまじき行為だと、すぐにあなたを教育局に出頭させるようにと仰るのですよ」
「は、はあ・・・」
「私もこのような事は言いたくありませんが、事が公になればあなたの先生としての仕事も、もちろん私の立場も無い。ここは今すぐに行って二人で平謝りに謝るしかありません、どうです、一緒に来てくれますね?」
「は、はい!」
チャン・チュン(コピー)は青ざめた顔で教室に戻り言った。
「みんな、先生今からご用事で校長先生と出かけるから、おとなしく自習していてね。ネン・ネンよろしく頼んだわよ」
選ばれなかった世界のネン・ネンは不安そうな顔で頷いた。
校長とチャン・チュン(コピー)が去った後、教室は再び騒然となった。
チャン・チュン(コピー)が連れて行かれた理由を詮索する者、これ幸いと遊び出す者、収拾がつかない大騒ぎだ。
ネン・ネンとノラが鎮めようとするがとても収まりそうにない。
チャン・チュンはどうする事も出来ずに立ち尽くすのみだ。
「どう、選ばなかった世界は大変なことになってるわね。このまま行くといずれこちらの世界が現実になる」
「だったら早く選んだ世界に戻して!」
「それは無理、誰かが助けに来るのを待つしかないわ」
「そ、そんな・・・」
「じゃあ私はこれで・・・選ばなかった世界をゆっくり楽しんでね」
魔神仔は黒板にぶつかるように飛び込んで消えてしまった。
「だ、誰が助けに来るっていうのヨォ!」
叫んだけれど、チャン・チュンの声は誰にも届かなかった。




