学校の怪談 其のニ
チャン・チュンは授業に遅れそうになり廊下をひた走るが、いくら走っても理科室から先に進めない。
「先生・・・」と呼ばれて振り返ると、そこに赤い服を着た女の子が立っていた・・・
「あ〜どうしよう、授業に遅れちゃう!」
チャン・チュンは北棟二階にある音楽室を飛び出して左右を見た。
前の授業で音楽室に忘れ物をしたのを思い出し、10分休みに取りに戻った。
すぐに見つかるものと思っていたが、意に反してなかなか見つからずやっとピアノの後ろに落ちているのを見つけた時は、すでに次の授業のチャイムが鳴る直前だった。
「東と西の階段、どっちが早いかしら?」
チャン・チュンのクラスは南棟の西の端の一階にある。ここからならどちらから行ってもほぼ同じ距離だが、東から行けば職員室の前を通らなければならない。
歩いていては間に合わない。
廊下を走るのも気が引けるが背に腹は替えられない。西の階段から降りることにした。
意を決して隣の理科室の前を通過した時、「先生」と背後から子供の声がした。
なぜこんな時にと思ったが、生徒の呼びかけを無視する事は出来ず笑顔を作って振り返る。
なぁに・・・と言いかけて口を閉じた。
背後には誰もいなかった。
「そうよね・・・」この階には音楽室と理科室があるが次の時間はどちらも授業は入って無い。使っていない空き教室も今は物置になっている。それに生徒がいたとしても教室に入っている筈・・・
「空耳か・・・」と思い直してまた走り出した。
この廊下の突き当たりに階段がある。「あそこまで行けば・・・」
気ばかり焦って足がもつれて転びそうになる。
「なんでこんなに遠いのよ・・・」
突き当たりは見えているのになかなか辿り着けない。ついに始業のチャイムが鳴った。
「あぁ・・・」遅刻だ、先生が授業に遅刻するなんて、生徒たちになんて言い訳すればいいの。
溜息を吐いて立ち止まる。
「え・・・?」
理科室のプレートが目に入った。
「おかしいわね・・・?」
さっき通り過ぎた筈なのに・・・「あ、立ち止まってる場合じゃない」
そう呟いて走りだす。空き教室の前を過ぎて振り返った。
理科室のプレートが背後に見える。
「そうよね・・・」あんまり気が焦ってたからもう通り過ぎたものと、頭が勝手に勘違いしちゃったんだ。
一人ごちて前を見た。
「えええっ!」
また理科室のプレートだ。
「ど、どうなってるの!」
流石に勘の鈍いチャン・チュンも異変に気付く。
恐る恐る足を進めたが空き教室を通り過ぎた途端また元の位置に戻っている。
チャン・チュンは泣きそうになった。子供の頃、遊園地で迷子になった時の心細さを思い出す。
もう一度同じことを試す勇気も無く立ち竦む。
「先生・・・」
チャン・チュンはビクリと躰を震わせた。
弾かれたように振り返るとそこに赤い服を着た小さな女の子が立っていた。
あまり見かけない子だけれど、ここにいるという事はこの学校の生徒なのだろう。
まさか子供の前で怯えた様子は見せられない、いたずらに不安にさせてしまうだけだ。
膝を折って目線を合わせた。
「あなたなぜこんなところにいるの、もう授業は始まっているでしょう?」
女の子はチャン・チュンの問いには答えずに言った。
「先生のクラス南棟でしょう?」
「う、うん、三年一組だけど・・・」
「着いてきて」
そう言うと女の子はさっさと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って!そっちは・・・」
女の子はとっとっと歩いて空き教室の前を過ぎ、難なく廊下の突き当たりに着いてこちらに手を振っている。
「い、行けるの・・・」
慌てて後を追った。
少女は階段を降りて踊り場からチャン・チュンを見上げた。
チャン・チュンが恐る恐る階段を降りるのを確かめて、また少女は階段を降り始める。
下まで降りて西棟の廊下をまっすぐ行って突き当たりを左に曲がると南棟で、すぐに三年一組だ。
赤い服が廊下を突き当たって左に曲がるのが見えた。
「ま、待って・・・」
急いで追いかけたが廊下を曲がると少女の姿は消えていた。
その時、教室の中からは騒がしい生徒たちの声が聞こえて来た。
「どこに行ったのかしら?」
不思議に思ったがクラスの様子も気になる。女の子を探すのは諦めて教室の戸を開けた。
「みんな遅れてごめんね、すぐ授業始めるから!」
そう言ったが子供達の喧騒は収まらない。後ろの席の子と声高に喋ったり、消しゴムの投げあいをしている男の子もいる。いつもならチャン・チュンが入って来たらピタリと静かになるはずなのに。
「何してるの、みんな席に着きなさい!」つい声が大きくなる。
「みんな静かにして!」ノラ・ミャオが机を叩いて立ち上がった。
「そ、そうよ、ノラちゃんの言う通り、静かにして!」
一瞬教室内が静かになった。
「そうそう、それで良いの」
チャン・チュンはホッと胸を撫で下ろす。
「なんだノラ、良い子ぶるなよ。先生まだ来てないんだぜ、いいじゃんかよ。遅刻してくる先生が悪いんだ」消しゴムを投げていた男の子が言った。
「だ、だからさっきから謝って・・・」チャン・チュンが口籠る。
「だから、先生にもご用事があるのよ、もう少し静かに自習していましょう」
「だってもう15分も過ぎているんだぜ、飽きちゃったよ」
えっ、もうそんなに経ったのか・・・ほんの二、三分の遅刻だと思っていたのに。
「ご、ごめんなさい、先生音楽室に忘れ物しちゃってて、それで・・・」
「誰か職員室に行って先生呼んでこいよ!」別の男の子が言った。
「え、私ここに・・・」
「ネン・ネン、お前学級委員長だろ。行ってこいよ」消しゴムの子だ。
「分かった、行って来る」ネン・ネンが立ち上がった。
「え、え、そんな必要ないわ、だって私はここに・・・」
「私も行くわ」ノラが言った。
二人は一緒に教室を出て行った。
「よ〜し、先生が来るまで遊んでようぜ!」
また教室内が騒然となった。
「ど、どうなってるの・・・みんな私の姿が見えてないの?」
消しゴムが教壇に立っているチャン・チュンの顔をめがけて飛んで来た。
「きゃっ!」両手で顔を覆う。
コツンと消しゴムが黒板に当たって落ちた。軌道からして躰を通り抜けている。
「わ、私・・・透明人間になっちゃった・・・」
チャン・チュンは呆然と教壇に立ち尽くした。
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「失礼します!」
ノラとネン・ネンは南棟にある職員室の戸を開けて礼儀正しく頭を下げた。
職員室には教師の机がずらりと並んでいるが人影は無い。皆それぞれの授業に行っているようだ。
「チャン先生いないね?」
ネン・ネンが部屋を見回して言った。
「おかしいわねぇ・・・誰もいないの?」
「うん、誰もいないみたい」
「仕方ないわね、他を探してみましょう」
二人が諦めて部屋を出ようとしたその時、グォ!と猛獣の唸るような声が聞こえた。
「な、何かいる!」ネン・ネンが叫んだ。
「行ってみましょう」
「い、嫌だよ、ライオンだったらどうするの!」
「そんなものいる訳ないでしょう、弱虫ね」
「だって、この前は水鬼がいたじゃないか!」
「そんなものがいたら私に見える筈よ」
そう、ノラは鬼が見える陰陽眼を持った少女なのだ。
ノラは踵を返して職員室に入って行った。机の下も用心深く確認しながらゆっくりと歩いて行く。窓際の一番奥の机に近づいた時、再びあの声が聞こえた。
ガガガ・・・グォ!
机の上には本や書類が乱雑に積まれていて向こう側が良く見えない。
「あの机の向こうよ・・・」
ノラはしがみつくようについてくるネン・ネンを振り返った。
「行くわよ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
「待てない!」
ネン・ネンの静止を振り切ってノラが机を回り込む。
「あっ!」
椅子に寄りかかり、行儀悪く足を机の上に乗せて寝ている男がいた。顔に体育の教科書を被せている。
「ん、なんだお前達・・・やけに騒々しいじゃないか」
男が目を覚まして二人を見た。
「楊先生・・・」
体育教師の楊威龍だった。
ヤンは政府教育局が試験的に採用した体育専門の教師だ。その為他の教師とも馴染めず異端児的な存在であった。
「ヤ、ヤン先生いたんですか?」ネン・ネンが訊いた。
「いたんですかとはご挨拶だな、俺は教師だ職員室にいてもおかしくないだろう?」
「で、でも・・・」
「今は授業中です」ノラが言った。
「ああ、今日はプールが水漏れしてるから授業は中止だ。今、業者を呼んで見てもらっている」
「なんだ、そうだったんですか・・・」ネン・ネンが納得したような顔をした。
「ところでお前たち、職員室に何の用だ。お前達こそ授業中だろ?」
「それが・・・」
「チャン先生が居ないんです!」ノラが言った。「もうチャイムがなって15分以上経つのに、教室に来ないの」
「なに、あの真面目で美人でちょっと抜けてるでもそこが可愛いチャン・チュン先生が教室に来ないだと!」
ヤンは椅子ごと後ろにひっくり返りそうになりながらもようやく立ち上がった。
「ヤン先生、そんなに詳しく言わなくても・・・」
ネン・ネンが呆れ顔で言った。
「俺はチャン先生のファンなんだよ、これが驚かずにいられようか」
「それで先生を探しに来たんですが・・・」ノラが眉根を寄せる。
「う〜む、それは心配だな。よし、俺も一緒に探してやろう」
「本当ですか、ヤン先生!」
「ああ・・で、心当たりは無いのか?」
「えっと、確か音楽室に大切なものを忘れたから取りに行くと言ってましたが・・・」ノラが言った。
「そうか、じゃあまずそこを探そう」
「はい!」
三人は職員室を出て北棟に向かった。




