水鬼の帰還
王の躰を借りて懐かしの我が家に戻った水鬼こと謝志明。
しかし、妻のリーファは「警察を呼ぶ!」と騒ぎ立てる。騒ぎを聞きつけて子供部屋から出てきた娘のアイリンが「お父さん・・・?」と聞いてきた・・・
「おい水鬼よ、儂の体には慣れたか?」王が頭の片隅から訊いた。
「俺はもう水鬼じゃねぇ、旋盤工の謝志明だ」
陳の祈祷によって水鬼の躰から解放されたのは、生前、謝志明と名乗った男の魂だった。
今、王の躰には二つの魂が同居している事になる。だからこの会話は王の独り言と言って良い。
謝はすぐにでも家族に会いたがったが、いま家に行っても娘は小学校から帰って来てはいないだろう。妻だってきっとどこかに働きに出ているはずだ。そこで、時間潰しに家までの道をブラブラ歩きながら王の躰に慣れる訓練をしている最中だ。
「爺さんの躰はなんだか動き辛ぇな、膝や腰は痛むし目だって霞んで見えにくい」
「贅沢を言うでない、せっかく貸してやっているのに。それにお前はそんな老いぼれに負けたのじゃぞ」
「そこが不思議なんだよな、水鬼の躰はパワーに満ちあふれていたんだが・・・」
「ふん、武術家はお主らとは躰の使い方が違うわい」
「どう違うんだ?」
「目が霞もうが膝が痛かろうが関係ない、要は力に頼らず動く事じゃ」
「負け惜しみだな、力が無くなったんでなんとか誤魔化そうとしているだけじゃ無ぇのか?」
「ふむ、では少し体感してみるか?」
「体感?」
「ほれ、そこの石を持ち上げてみよ」
「なんだこんな石、簡単じゃねぇか」
謝が王の躰を使って、海亀ほどの大きさの石に手を掛ける。石の尻を下から抱くようにしてフン!と力を込めた。
「ギャ!」
王と謝が同時に悲鳴を上げる。
「馬鹿者!無茶しおって!」
「だって爺さんが持ち上げろと言ったんじゃねぇか、爺さんの躰じゃ無理なんだよ、水鬼の躰なら片手で持ち上がったさ!」
「じゃから、水鬼ほどの力のないものならどうやって持ち上げるか考えてみよ」
「そんなことできる筈無ぇだろうが!」
「そうかな?」
「じゃあ、爺さんやってみろよ」
「では、やってやろう、儂の躰の“感覚“をよく感じるんじゃぞ」
今度は王が王の躰を使って石を抱いた。
「いくぞ」
なんの抵抗も無く石が持ち上がる。
「わっ!なんだ!」
「どうじゃ、わかったか?」
「うん・・いや、分からなねぇ、一体何がどうなったんだ?」
「躰のどこにも力がこもっていない事は分ったか?」
「あ、ああ・・・」
「お主は腕力で石を持ち上げようとした。それでは肩が上がって余分なところに力が入る」
「肩か?」
「力を抜き、肩を落として脇を締める、そうすると胸や背中の筋肉が働き出す。腕の力に頼っていると全身の力が引き出せんのじゃよ」
「全身の力を引き出す、か・・・だから爺さんの躰でもこの石が持ち上がるのか・・・」
「お主は先ほど膝が痛いとか言っておったな?」
「爺さんの躰だぞ、爺さんは痛くないのか?」
「痛くないな」
「なんで?」
「お主とは歩き方が違うからじゃ」
「歩き方なんてみんな一緒だろう?」
「違うな、お主は踵を上げて爪先で地面を蹴って歩くじゃろう?」
「そうだが・・・他に歩き方なんてあるのか?」
「儂が歩いて見せよう」王の躰で王が動く。(ええい、めんどくさい!・・・作者の声)
「どうじゃ、膝や腰は痛いか?」
「い、いや・・・痛くない」
「足の裏は地面と平行にフッと浮かせて並行移動する、そうすると脹脛が緊張して膝の負担が減る、ちなみに儂は腕を振って歩かんぞ」
「なぜだ?」
「あれは腰にこたえるでの」
「ふ〜ん、そんなものか・・・」
「武術家はそんなことをとことん追求する、じゃから常人とは違う動き方になるのじゃよ」
「そうか、武術とは面白いものだな。俺も生まれ変わったら武術家を目指そうかな」
「それも一つの道じゃでな・・・ん、もういい時間じゃそろそろ行くか?」
王と謝は薄暗くなった道を、家族の住む家に向けて足を早めた。
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謝の家は古い住宅の建ち並ぶ一角にあった。
狭い土地にたくさんの家が肩を寄せ合うように建っている。
ほとんどの家に橙色の明かりが灯っており、そのうちの一軒の玄関に、子供用の赤い自転車が停めてあった。生前謝が娘のアイリンに買ってやったものだ。夕飯の支度でもしているのだろう、包丁の音が聞こえて来る。
「ここだ・・・」
謝が玄関の前に立ち止まって言った。
「儂は暫く出てこぬ。あとはお主がやれ」
「ああ、ありがとう爺さん」
謝は大きく息を吸って、ドアをノックした。
包丁の音が止まる、玄関の気配を訝しんでいるようだ。
もう一度、今度は少し強めに叩いた。
足音が聞こえ、ドアの向こう側で止まった。
「どなたですか・・・」
懐かしい妻の声。
「怪しいものではありません、無くなったご主人の事についてお話しがあります」
早る心を抑えて、謝は静かな声で言った。ここで妻に怪しまれドアを開けてもらえねばどうする事も出来ない。
「警察の方ですか!主人の行方がわかったのですね!」
勢いよくドアが開きリーファが飛び出してきた。『リーファ!俺だよ!』喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
目の前に立った謝(実は王の躰)を見てリーファが明らかに戸惑った表情を見せた。
「あ、あの・・・警察の方ですよね?」
『そうだ』と言いそうになったが思いとどまる。妻に嘘はつきたくない。
「違ぇ・・・いや違います、ただ、ご主人の消息について話しておきたい事があるのです」
年寄りの姿に安心したのか、リーファが表情を和らげ訊いてきた。
「主人の事について何かご存知なのですか?」
「はい、しかしここでは話せません、家にあげてもらえませんか?」
戸惑いながらもリーファが頷いた。いざとなったら相手は年寄りだ、なんとかなると思ったのだろう。実はとんでもなく強い爺さんなのだが。
「どうぞ、入ってください」
妻に誘われて懐かしい我が家に入る。娘の姿を探したが目の届く範囲には見当たらない。多分奥の子供部屋にいるのだろう。
「娘さんは?」
勧められた椅子に座りながらさりげなく訊いた。
「娘のこともご存じで?」
少し警戒させたかもしれない。
「い、いえ、謝さんがいつも言っていたものですから・・・自慢の娘だと」
「そうだったんですか、今は奥で勉強しています。今度学校でテストがありますのよ」
そうか、もう二年生になるものな。早く娘の顔が見たい。
「それで、主人の消息について何をご存知ですの?」
謝は一瞬躊躇した、本当のことを言ってもとても信じてくれるとは思えないが・・・
「実は、ご主人は妖怪によって川に引き摺り込まれたのです・・・」
嘘は思い浮かばなかった。気がついたら本当の事を口走っていた。
「水鬼と言う妖怪に身代わりにされて、ご主人が水鬼になってしまったのです」
リーファの顔が引き攣っている。自分を家に入れたことを後悔しているようだ。
「何を言っているのですか、母子家庭だと思って甘く見ていたら警察を呼びますよ!」
「本当なんです信じて下さい、早く娘さんに薬を持って帰ろうと近道したばっかりに・・・」
「もう結構です、そんな冗談聞きたくもありません、帰って!」
血相を変えてリーファが捲し立てる。すっかり怒らせてしまった、これではもう最後の別れなど望むべくもない。
「何をしているの、早く帰って!」
謝はなす術も無く立ち尽くす。
その時奥のドアが開いてアイリンが出て来た。
「お母さん何があったの、そのおじいさん誰・・・」
「アイリン!」思わず叫んでしまった。
アイリンが怪訝な顔で謝(実は王の躰)を見た。
「アイリン離れなさい、そのおじいさんは狂人よ!」
リーファがアイリンを庇うように前に立ち塞がった。
「リーファ、俺だ志明だ!」
「何を馬鹿な事を!」
謝(実は王の躰)の頬が鳴った、リーファが平手打ちを食らわせたのだ。
再びリーファが手を上げた。
「お父さん・・・?」
その時アイリンが呟いた。
「え?」リーファがアイリンを振り向いた。
「お父さんなの?」今度はハッキリと口にした。
「何を言ってるのアイリン!」
「お母さん、この人お父さんよ、私にはわかる」
「そ、そんな馬鹿な・・・」
「ううん、間違いない・・・お父さん!」
リーファの横をすり抜けてアイリンが謝(実は王の躰)にしがみついた。
「アイリン離れなさい、その人は・・・!」
「お父さん、私との約束覚えてる?」
母を無視して娘が訊いてきた。ひょっとしてこの子も陰陽眼を持っているのかも知れない。
「ああ、覚えているとも、台北の西門紅楼でシャオティンタン(ドラえもんの事)の靴を買ってやる約束をした」
アイリンがリーファを見上げた。
「お母さん、この約束は私とお父さんしか知らないの。これでわかったでしょ?」
リーファが呆けのように立っている、このことを飲み込むにはまだ時間がかかるのかも知れない。
この夜、親子三人・・と王・・・は夜が明けるまで台所のテーブルを囲んで語り合った。
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「と、言う訳で儂ゃ酷い目に会ったぞ」
王武館の食堂で王が愚痴を言っている。あれから謝親子に付き合って台北まで行き、買い物やら遊園地やらに引っ張り回されたのである。
「良かったではないか、久方ぶりに家族の団欒というやつを味わったのであろう?」
陳が面白そうに訊いてきた。
「だがな、別れる時は大泣きされて困ったぞ、たまに儂が遊びに行くという約束までさせられた」
「だったらあの水鬼の妖怪、成仏したあるね?」
包が妖怪はもう懲り懲りだという顔で訊いた。
「ああ、皆によろしくと言っておった」
「それは残念だなぁ、私も水鬼と闘ってみたかった」
子龍が心から残念そうに言った。
「やめておけ、妖怪の力は人間の手には負えんよ」
「そうですかねぇ・・・?」
「それより王先生、チャン・チュン先生たちには知らせたあるか?」
「ああ、ここに帰る前に寄って来た。皆とても喜んでおったぞ。ただ、ノラだけは少々不服なようじゃったな」
王は揶揄うような目で陳を見る。
「これからは毎日おじいちゃんに会いに来るそうじゃ」
「おい、王、儂ゃ孫は可愛いが毎日は困る!特にあの子はパワーが強い、年寄りには荷が重い」
「そう言わず遊んでやれ」
「元はと言えばお前が連れて来たのじゃないか、お前にも責任がある!」
「ふふふ・・・ノラがなんと言うかな?」
「あ〜!儂はまたガオを追って旅に出るぞ〜!!!」
夜更けの王武館に陳傳の声が響き渡った。




