妖怪 王
自分の道場から締め出しを食らった王は、仕方なく永遠のライバル、日本の無門平助の道場に居候を決め込んだ。
先輩居候の前田行蔵と空手家と結婚して日本に住む愛弟子のメイメイには何とか理解してもらったが・・・
爺い二人(一人は妖怪)がさまざまな妖怪と戦いを繰り広げる様子をご覧あれ!
妖怪 王
時は昭和の中頃。まだ携帯電話の影も形も現れていなかった頃の話。
所は日本。九州は福岡の片田舎。
表向きは『如水流空手道妙心館』と看板を掲げてあるが、その実武術なら何でも教える萬武術道場(今で言う総合武術)である。
なぜそうなったかと言うと、戦後古臭い武術など習うものが居なくなり、当時流行りだした空手を標榜する方が弟子を集められると踏んだからである。
事実一時は芋の子を洗うほどの大盛況だったが、館長が変わり者であった事と近代の指導法を取り入れた新しい道場が増えてきた事で下火になり、現在は弟子一人居候一人の閑散とした有様である。
館長の名は無門平助。終戦前は軍で武技を教えていた。
弟子もほとんどいなくなった状態で今も道場が存続しているのは、地下に潜った旧日本軍の地下組織から資金が出ているからではないかと、近所の専らの噂である。
ある日、平助に居候武術家前田行蔵、通称熊さんが訴えた。
「師匠、近頃天井裏に鼠のおりますばい」
「おいは、なんが好かんちゅうて鼠ほど好かんもんなありもはん」
「おや、初耳じゃな。熊さんにも苦手なものがあるのか?」
「そりゃ、ありもすたい。あいはおいが子供ん頃じゃっで、まだカゴンマの実家におった時のこっですたい。夏の暑か日、扇風機ばかけて座敷で眠っておったら鼻ん頭ば齧られたとですよ」
「鼠にか?」
「そげんです。じゃっで・・・」
コトリ、と音がした
「しっ!」平助が熊さんを制した。「確かに何かおる」
平助は音を立てぬよう道場の刀掛けから稽古用の長槍を手に取った。そして静かに天井の一角に狙いを定めると、「そこじゃ!」火の出るような突きを繰り出した。
天井裏から大きな物体がドスン!と床に落ちて来て、大量の埃が舞い上がった。
「痛たたたたた・・・・」黒い塊は腰をさすりながら身を起こした。「人が折角いい気持ちで昼寝をしておるのに、手荒な奴じゃ!」
平助と熊さんは、これ以上開かんと言うくらいに目を剥いた。「王・・・ワンでは無いか!お主生きておったのか?」
「し、師匠・・・これは一体?」
「・・・い、いやそんな筈はない、儂はメイメイに葬式の写真も見せて貰うた!」
「ならば、どぎゃんして・・・」
「わかったぞ・・・お前は王に化けた狐か狸、それとも貉か?いずれにしてもここで成敗してくれる!」平助は槍を構え直した。
「ば、バカたれ!儂の顔を忘れたのか平助!」
「わ、忘れはせんわい!忘れはせんがお前は王では無い!」平助が槍を扱いた。
「待て、儂は武松の教え通り、死神の股を潜って蘇ったのじゃ!」
「なに?」平助の手がピタリと止まった。
「武松が教えてくれたのじゃ、この世に留まりたかったら死神の股を潜れ、と」
武松とは中国の四大奇書『水滸伝』に出てくる拳法の達人である。王は若い頃、夢で武松に教えを受け武術の妙技を会得した。平助も一度台湾の王武館で武松に出会っている(平助と王 日・台爺い絵巻 17話 無門平助台湾へ行く 参照)。
「何故武松を知っておる?」
「じゃから、儂は本物じゃと言っとるだろうが!」
「信じられん・・・そんな事が本当に」
「こう、な、臨終の時がきたら死神が足元に現れるのよ」王は説明を始めた。「そして膝、腰とだんだん上に上がってくる・・・」
「う、うむ」呆気に取られながらも、平助が頷いた。
「腹に乗って最後に胸に乗る。その瞬間を狙って死神の股を潜り、頭と足を入れ替えるのじゃ」
「す、するとどうなる??」
「概念だけになってこの世に止まる事が出来る」
「概念?」
「要するにお化けや妖怪の類じゃ、上等なのは神になったりするぞ」
「なら、お主は神か?」
「ふん、せいぜいがとこ貧乏神じゃ。妖怪と変わらんよ」王が自嘲気味に呟いた。
「しかし、あの時羅漢山で、お主は思い残す事はないと言っておったではないか」
二人は永遠のライバルであり、無二の親友でもあった。王が不治の病と知り最後の望みを叶えてやるために、平助は台湾の十八羅漢山で王と戦い、辛うじて勝ちを納めたのであった。(拙著『平助と王 日・台爺い絵巻 21話 十八羅漢山 参照)
「すっかり忘れておったが一つだけあったのじゃよ」
「それはなんじゃ?」
「儂の究極奥義をまだ誰にも伝えておらなんだ」
「そんなものがあるのであれば、なぜあの時使わなんだ?」
「使っておればお主は今頃ここにはおらん」王が嘯く。
「負け惜しみを言うな!」
「ふん、信じんのならそれも良い。兎に角それを李に伝えようとしたのじゃが、何せ儂も妖怪になりたてでな、姿を現すのを忘れておった」
「何故もう一度ハッキリと姿を見せてやらなかった?」
「その前に、奴は道場中に魔除を貼りおった。あんな小心者には奥義など教えられん」
「それでここに来たのか?」
「それもあるが、メイメイなら奥義を伝えても良いと思ってな」
メイメイは梅梅と書く。李子龍の妹だ。日本人の空手家と結婚して妙心館の近くに住んでいる。
「メイメイか。肝の据わった娘じゃものな」
「そうなのじゃ。もう、あやつしか居らん」
「しかし、いきなりではいくらメイメイでも・・・」
「じゃから、お主に頼みがある。メイメイにそれとなく儂の事を伝えて欲しいのじゃ」
「う〜む・・・」
「駄目か?」
「師匠・・・」ずっと黙って二人の話を聞いていた熊さんが言った。「こうなったら、引き受けるしかなかでっしょ」
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「私をからかっておられるのですか?」妙心館の板張りの上でメイメイが平助を睨んだ。
「い、いや、そうではない。なんと言って良いやらわからんが、本当のことなのじゃ」
「私は台湾で王先生のお葬式に出席しました。先生は棺の中で安らかに眠っておいででした」
「そう・・・じゃろうな」
「しかも、遺体は荼毘に付されました」
「そこが肝心なところなのじゃが、概念だけが残ったのじゃ」
「訳が分かりません!」メイメイが怒って言った。
「つまり、その、なんだ・・・」平助は、どう説明したら良いかわからなくなった。「要するに、王は妖怪になったのじゃよ」
「ヨ・ウ・カ・イ〜???」メイメイの目が吊り上がった。「幾ら無門先生のお言葉でも、王先生を妖怪とは許せません!」
メイメイは平助に向かって身構えた。
「待て!メイメイ、なんと言ったらわかってもらえる・・・」平助は両手を前に広げて途方にくれた。
「仕方がないのぅ。平助は説明が下手糞じゃ・・・」天井裏から覗いていた王が呟いた。
当たり前である。こんなことをうまく説明できる人間がいる訳は無い。
王が、天井に空いた穴からヒョイと顔を出す。「久しぶりじゃのぅ、メイメイ」
天井を見上げたメイメイは、一瞬何が起こったのかわからず固まってしまった。
王は音もなく道場に飛び降りた。そしてメイメイの頭を優しく撫でた。
「変わりは無かったかの?」
「・・・」メイメイは絶句したままヘナヘナと床に座り込んだ。
「せ、先生・・・本当に王先生なのですか?」
「本当じゃ、話せば長くなるが平助の言った事は概ね真実じゃ」
「わ、私はまだ信じられません・・・」メイメイの目に涙が浮かぶ。
「今すぐにとは言わん、ゆっくり呑み込んでくれ」
王はメイメイを見詰めた。
「子供の頃から、お前は気は強いが優しい子じゃった。儂はそんなお前に儂の究極奥義を伝えるために舞い戻ったのじゃよ」
「究極奥義!初耳です、そんなものがあったのですか?」メイメイが泣きながら尋ねた。「あったのなら、何故生きているうちに教えてくださらなかったのです?」
「う、うむ・・・し、然しこれは伝えるのが難しい。暫くはこの世に留まらねばならん」
王の声がうわずった。目も宙を泳いでいる様に見える。
「師匠、王先生少し動揺しているように見えもすが?」熊さんが平助の耳元で囁いた。
「そうじゃな、究極奥義など唯の口実かもしれん・・・」
王が横目で二人を睨んだ。「と、兎に角、儂は当分平助のところに厄介になる。時々儂に会いに来いメイメイ・・・良いな、平助!」
「ああ、好きなだけ居るが良い」
「本当に王先生なのですね・・・」メイメイはもう泣いてはいなかった。「妖怪でも、王先生に会えるのですもの、こんな嬉しいことはありませんわ」
「元々妖怪みたいな奴じゃったものな」平助が言った。
「お主に言われたくは無いわ!」
「お、おいは二人の妖怪の面倒ば見ななりもはんか?」熊さんが恐る恐る訊く。言外に、師匠だけでも持て余しているのに、と言う響きがあった。
「熊さん、宜しく頼む」爺い二人は揃って頭を下げた。
「私からもよろしくお願い致します」メイメイが言う。
「メイメイさんの頼みなら嫌とは言えん・・・」熊さんが深いため息を吐いた。
ふと、平助が天井を見上げた。
「さて、そうと決まれば天井の穴を塞がねばならんが・・・」
「待て平助、儂は天井裏が気に入った。あそこの穴は出入り口に丁度良い」
「じゃが破れたままでは、道場に来た者達が怪しむではないか」
「そんならおいが、通気口に見えるように細工ば施しまっしょ」
「それは名案じゃ」王が嬉しそうに言う。
「なら、当分この事はここにいる四人だけの秘密にしておいた方が良い」
「でも、槇草さんにはお話ししておいた方が良ろしいのではありませんか?」メイメイが言った。
槇草とは平助の一番弟子の名前である。
「う、うむ・・・そうなのじゃが」
「何か不都合な事でも?」
「実は、奴は腕は立つがお化けの類はからっきし駄目なのじゃ」
「なに、子龍と同じではないか・・・最近の若い者ときたら意気地のない」
「奴の名誉の為に伏せておきたかったのじゃが・・・この事はいつか儂が折を見て話す。それまで槇草には内緒にしておいてはくれぬか?」
平助が言うと、皆一様に頷いた。
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「しかし、王。お主に実態は無いのじゃろう?」王と二人きりになった時、平助が訊いた。
「無いな」
「じゃが、さっき天井から落ちた時ドスン!と大きな音がしたぞ。あれは重さがあると言う事ではないか?」」
「実態は無いがそこは概念じゃ。重いと思えば重い、軽いと思えば軽い、あの時は油断しておったゆえ生きていた時の感覚のままでいた。妖怪になって、まだ日が浅いからかのぅ」
「姿は、誰にでも見えるのか?」
「儂が見せようと思えばな」
「声はどうじゃ、皆に聞こえておるのか?」
「儂の声は儂が話したい者の頭の中に直接響く」
「では儂が話しかける時、声を出さなくてもお主に届くのか?」
「そうじゃ、やってみるか?」
「うむ」
『あ〜あ〜、本日は晴天なり』王が運動会のマイクテストのような事を言った。唇は動いていない。
『古臭い奴じゃ、もっと気の利いた事は言えんのか?』平助も声を出さずに言ってみる。
『聞こえたぞ。古くて悪かったな』
『ははは、便利なものよのぅ』
「どうじゃ、わかったか?」王が声を元に戻した。
「うむ、他の者がいる時はこれで話ができるな」
「うっかり声を出すなよ、おかしくなったと思われるぞ」
「心得た」




