僵尸(キョンシー)
弟子の李との邂逅を果たし『王武館』に戻った王。
ほっとしたのも束の間、使用人の包が怪異に遭遇した。
呪符を書いた道士に話を聞こうと万象山に向かった王一行は、そこで思わぬ話を聞く・・・
妖怪 王 台湾編第一話 僵尸
中央アジアの妖怪ズゥーを倒し、平助達と別れて台湾に戻った王は、台南の高尾にある拳法の道場『王武館』に向かった。
王の創ったこの道場は、王の死後弟子の李子龍が後を継いでいる。
当時妖怪になりたてだった王は、怪異の苦手な子龍と不幸な再会をして子龍を怖がらせてしまい、仕方なく日本に渡った。今回はどうしても子龍に妖怪としての自分の存在を認めさせねばならない。
そのためにわざわざ戻って来たのである。
だが、実体化して道場の玄関の前に立った王は愕然とした。いまだに道教の道士が書いた呪符がそこかしこに貼ってある。
「これでは中に入れんではないか。子龍の奴、まだ怪異が怖いと見える」
王は一通り建物の周りを巡ると、一箇所だけ呪符の剥がれた扉を見つけた。使用人がよく使う裏口だ。
きっと頻繁に出入りするうちに剥がれたのであろう。
扉を開けて中に入った。
「何もかも昔のままじゃ・・・」
感無量の面持ちで王は建物の中を見回した。
「そうじゃ、いきなり姿を見せては驚くじゃろう、念の為姿を消しておこう」
そう思った矢先、突然厨房の扉が開いて使用人と目が合った。
手に野菜の入った籠を大事そうに抱えているところを見ると、裏の井戸に行く所だったのだろう。
「ど、泥棒!」
使用人は一瞬立ち竦んだが、次の瞬間女のような悲鳴を上げ、籠を放り出して玄関から飛び出して行った。王が声をかける暇もなかった。
「しまった、遅かったか」舌打ちをしたが後の祭りである。
「包どうした、今の悲鳴はなんだ?」
二階から声が落ちて来た、子龍の声に間違いない。階段を降りてくる足音が聞こえる。
王は姿を消すべきかどうか一瞬迷ったが、どうせいつかは姿を見せねばならない。ならばこのまま会うことにしようと心を決めた。
子龍が最後の階段を降りて廊下を此方に歩いてくるのが見える。王は薄暗い廊下で子龍を待った。
「包どうしたんだ野菜が散らばっているじゃないか、またゴキブリでも出たのか?」
子龍がしゃがんで落ちていた冬瓜を拾い、ツイと顔を上げる。
『子龍、久しいのぅ・・・』王が慈愛の籠った目で我が弟子を見た。『何も変わっておらぬ、礼を言うぞ』
暫く王を凝視していた子龍の目が、突然裏返って白目を剥いた。そのまま後ろ向きに倒れると失神してしまった。
王は呆れた顔で無様な弟子の姿を見下ろした。
「声さえ出せぬとは、情けない奴よ・・・」
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子龍は王の棺に縋って泣いていた。見栄も外聞もかなぐり捨てて泣いた。
他の弟子たちや妹のメイメイが止めるのも聞かず・・・
「王先生、俺を置いて行かないで下さい、俺はまだ拳法の極意を極めてはいないのです!」
必死に叫んだ。
あの時、俺はなんと思ったのだろう。たとえ幽霊でもいいからもう一度王先生と会いたいと思ったのではなかったか?
なのに・・・
『子龍・・起きよ・・・子龍』
二階の天蓋付きの寝台に子龍を寝かせた王は、姿を消して子龍の頭の中に直接語りかける事にした。また気を失ってもらっては困る。
『子龍、儂じゃ王浩然じゃ』
『せ、先生の声が聞こえる・・・俺は夢を見ているのか?』
子龍は目を瞑ったまま頭の中の声に耳を澄ませた。
『夢ではない、儂はこうしてお前の元に戻って来た』
子龍はハッとして目を開けた。だが見えるのは天蓋の裏ばかり、首を回して辺りを見たが見えるのは見覚えのある自分の部屋だ。
「やはり夢だったか・・・」身を起こし首の後ろに手を当てた。
『子龍よよく聞け』
子龍の躰がビクッと震えた。激しく首を振って必死に何かを振るい落とそうとする。
「違う違う!これはただの空耳だ!」
『空耳などではない、儂は妖怪になったのじゃ。今少しこの世にとどまってお前と拳法の修行をしたいと思ってな、死神を騙して舞い戻った』
「う、嘘だ!お前は一体何者だ、先生の名を騙るとは不届き千万、今すぐ消えねばただでは済まさんぞ!」
子龍は寝台から床に飛び降りて身構えた。だが、何となく腰が引けている。
『ほう、そんな屁っ放り腰で儂に勝てるつもりか?』
「うるさい姿を現せ!」
『そうか、ならば望み通りに見せてやる・・・』
王は子龍から二間ほど間を置いて立つと、足の爪先から徐々に姿を現した。
子龍の目がまた裏返りそうになる。
「まて子龍!気を失うでない、儂の姿をよぉく見よ!」
子龍は目に力を込めて必死に耐えている。そうでもしなければまた倒れてしまうだろう。
「さあ、昔のようにかかって来い、久し振りに稽古をつけてやろう」
「うぬっ・・・」
子龍の目に光が戻った、強い相手を前にして全てを忘れてしまうのは武術家の常である。
たとえ相手が妖怪でも倒さずにはいられない。
「覚悟しろ!」
言うより早く床を蹴る。天井に頭が届くくらい高く飛び上がると、落下を利用して蹴りを繰り出した。
王は頭を下げて蹴りをやり過ごすと、間合いを切って窓際に立った。
「腕を上げたな子龍」
「当たり前だ、王先生の教えを守って毎日修行に明け暮れている」
「感心感心、しかし、感情のコントロールがイマイチじゃ。今の蹴りだってもう少し冷静ならもっと低く飛んでいる」
「なに!」
「高く飛び過ぎた分だけ技が遅れた」
「く、くそっ!」
「見せてやろう、飛び蹴りはこうやるのじゃ!」
王は見当違いの方向に足を踏み出すと、壁に向かって飛んだ。
「え?」子龍の思考が一瞬止まる。
王は壁を蹴って反動をつけると子龍に向かって真っ直ぐに飛んで来た。
反応する間も無く顎を蹴られて吹っ飛んだ。
寝台の縁で頭を打って、そのまままた意識が途絶えてしまった。
「子龍起きよ・・・」
王に抱きかかえられて目を覚ます。懐かしい王の顔が目の前にあった。
「せ、先生・・・」
「気がついたか?」
「ほ、本物の先生なのですね?」
「うむ、妖怪じゃが本物じゃ」
「先生!」
子龍は思い切り王の躰にしがみ付く。直に技を交わして子龍の懸念は消えた。
「会いたかったです、先生・・・」
「儂もじゃ、当分世話になるぞ」
「当然です、先生の部屋はそのままにしてあります」
「有り難い、じゃが他の弟子たちには内緒だぞ」
「なぜです?」
「ここはもう、お前の道場じゃ。儂はお前のやり方に口は出さぬ。ただもう少しお前と稽古がしたいだけじゃ」
「願っても無いことです。ただ、使用人の包にだけは本当のことを知らせてやりたいのです」
「なぜじゃ?」
「先生の身の回りのお世話をしてもらわなければなりません」
「驚いて辞めはせぬか?」
「大丈夫です、包にはもう行く所がありませんから」
包は王が死んでから子龍が新しく雇った使用人だが、天涯孤独で他に頼る身寄りもない。少々のことは我慢するだろう。
「では早速包を探しに行って来ます、今頃高尾の安平老街辺りをウロウロしているはずです」
「造作をかけるの」
「先生が戻って来てくださった事を思えばなんて事はありません」
子龍は部屋を出て行こうとして、何かに思い当たったように振り返る。
「ところでさっきの技は何ですか、初めて見たような気がしますが?」
「あれか?・・・あれは日本の空手の技で『三角飛び』と言う技じゃ。兵助がいつか使うて見せた事がある」
「そうだったのですか・・・」
子龍は納得したようにドアを閉めて出て行った。
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包にとって王が妖怪であると言う事実は、当然我慢の限界を超えていた。
しかし中国本土にルーツを持つ外省人の包としては、ここを出て新しい職を探すにはたくさんの困難が予想される。包は次の職が見つかるまで、と言う条件付きで道場に残る事を承諾した。
子龍が早速呪符を剥がすように命じると、自分の部屋だけには黄色い呪符を貼る事を追加条件として加え、子龍はそれを許した。
ともあれ、これで王の台湾での生活は保障された事になる。
呪符を剥がしながら、包はあることに気がついた。
なぜ裏口の札だけが剥がれていたのだ?
いや、貼ったものは剥がれる事もあるだろうが、怪異に関しては異常なほど怖がりな李先生が絶対に剥がれないようにと自分に命じて貼らせたのだ。だから、裏面にべったりと糊をつけたのに、ちょっとやそっとでは剥がれるとは思えない。
それに剥がれた跡をみてみると、誰かが無理矢理に剥がしたような痕があった。
その事を李先生に告げると、一笑に付された。
この道場の前の主人だという妖怪の爺さんは、姿を消して毎日出歩いているようで、帰って来ると俺にいろんな話をする。
そして夜になって弟子たちが帰ってしまうと、李先生と道場に籠って秘密の特訓をしている。
俺の想像だが、時々李先生の悲鳴が聞こえるので爺さんの方が強いらしい。
俺もだいぶ爺さんに慣れて、恐怖心も薄まったある日の朝その怪異は起こった・・・
「誰だこんな所に足跡をつけたのは!」
子龍は玄関と道場の間に泥のついた足跡を見つけて大声を出した。
「おかしいねぇ、私昨日ちゃんと掃除したよ」包が厨房から出て来て怪訝な顔をする。
「だが、現にこうして足跡が残っているじゃないか!」
「どうした子龍」王が眠そうな顔をして階段を降りて来た。
「王先生、これを見て下さい」子龍が廊下を指差す。
「ほう、これは変わった足跡じゃな」
王がしゃがんで見てみると、まるでうさぎ跳びをしたような足跡が点々と続いている。
「こんな歩き方をする人間を儂は見た事が無い」
「俺だって見た事がありません」子龍が言った。
「でも、私確かに掃除したよ」
「そのことはもう良い、それよりもうすぐ弟子たちがやって来る、それまでに綺麗にしておいてくれ」
「分かったよ・・・」包は不服そうに頷いた。
「子龍、包を責めるでない。これは調べてみる必要がある」
王が取りなすと包は王に向かって頭を下げた。
「爺さ・・・じゃなかった王先生ありがとう、恩に着るね」
「爺さんで良い、この道場の主人は李先生じゃからな」
その日は一日何事も起こらなかった。
包は朝の出来事などすっかり忘れて、王と子龍が秘密の稽古を始めると部屋に戻った。寝台に横になって黄本(大衆娯楽小説)を読んでいると、昼間の疲れがドっと出たのかいつの間にか眠ってしまった。夜中にふと気づいて耳を澄ますと、もう稽古の音も聞こえない。既に真夜中を過ぎているのだから当然だ。下手に早く寝たばっかりに変な時間に目が覚めた。こんな時に限って尿意が我慢出来ないものだ。中国の古い言い伝えでは、夜中に厠へ行くと百鬼夜行を見ると言う。行きたくはないけれど意識するといよいよ尿意が切羽詰まって来る。諦めて寝台から足を下ろした。包の部屋は一階の厨房の隣にあり、厠は建物の反対側にある。意を決して部屋のドアを開けた。足を踏み出すとギギっと廊下が軋む。電燈のスイッチまでは暗い廊下を手探りで行かねばならない。やっと灯りを点けると厠はもう目の前だ。
と、妙な音が聞こえて来た。タン・タン・タン・・・と人が飛び跳ねる時に立てる音に似ている。
振り向くと人影が見えた。
廊下の明かりに人影が映し出された時・・・包は失神した。
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「ほんとよ、屍体が動いていたのよ!」
朝、包は厠の前で失禁して倒れているところを子龍に発見され、自室に運び込まれた。
「夜中に厠へ行くと怪異に会うという言い伝えあるから、本当は行きたくなかったのよ・・・」
子龍には子供の頃の苦い思い出がある。無下に包の話を否定する訳には行かない。
「信じよう・・・それで、どんな様子だった?」
「干からびたミイラのような奴が、ぴょんぴょんと跳ねて近づいて来たのよ、今思い出すだけでもおぞましいね・・・」包は顔を引き攣らせて小刻みに震えている。
「襲われたのか?」
「い、いえ・・・私、気を失ってしまったから・・・」
包は恥ずかしそうに下を向いた。
「恥ずかしがる必要は無いないぞ包、子龍だって儂を見て・・・」
「え?」
いつの間に現れたのか、気がつくと王が子龍の後ろに立っていた。
「せ、先生!その事は内密に・・・」子龍が慌てて遮った。
「ふはははは、いずれにしても怪異が起こった事は間違いなさそうじゃの」
「だったらまた魔除けの札を貼らなくては!」
「馬鹿者、また儂を追い出す気か」
「いえ、そんなつもりは・・・」
王が子龍の横を通って包の前に立った。
「包のいうことが事実なら、それは妖怪の仕業ではない」
「え、でも爺・・もとい王先生はさっき怪異だと言ったね?」
「じゃから爺さんで良いと言うておろう・・・包が見たものはただの動く屍体じゃ。だから怪異ではあっても妖怪ではない。背後に屍体を操る人間がいる」
「え、それは本当ですか?」子龍が信じられないと言った顔をした。
「儂は日本で数々の妖怪と戦った、妖怪に関してはお前達より遥かに詳しい」
そりゃそうでしょう、何しろあなたが妖怪なんだから・・・と言いたいのを子龍はグッと我慢した。
「それじゃあ誰が・・・」
「屍体を操れるのは道教の道士だけじゃ」
「え、では呪符(魔除けの札)を書いてくれた陳傳老師が?」
「それは分からん、じゃが確かめてみる必要はある」
「陳傳老師は万象山の道院に住んでおられます」包が言った。
「よし、では早速行ってみよう」
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道場を高弟に任せ、子龍の車で万象山に向かった。二時間後、麓の村に車を停め、徒歩で山道を登る事一時間、峻険な岩場にある道院に着いた。先端の反り返った六角形の屋根、黄色と朱を基調とした道院の建物、龍の把手のついた大きな香炉、不老長生を得て神仙になる事を最終目標とする道士の修行場としては最適な場所だ。
盛大に線香の煙が立ち上る大香炉の横を通り抜けると、道教の神々が並ぶ祭壇の前で陳傳老師は瞑想していた。
荘厳な雰囲気に声を掛けるのを躊躇っていると、背中を向けたまま老師が問うて来た。
「どなたじゃな?」
子龍が前に進み出た。
「お久しぶりです老師、王武館の李です」
陳傳がゆっくりとこちらを向いた。
「李子龍先生か、一年ぶりかな?」
「はい、そうなります」
「そちらはどなたじゃな?」子龍の後ろに立つ包に目をやった。
「使用人の包です」
「いや、その後ろに立っておられるお方じゃ」
王は姿を消していた。いきなり魔除けの札を貼られては敵わぬと思ったからだったが・・・
「老師に隠し立ては出来ませんな」子龍が包の後ろに立っているはずの王に声を掛けた。「先生、老師は先刻ご承知のようです、姿を見せて下さい」
王は足の方から徐々に実体化すると、陳傳に向かって言った。「さすがは高名な道士じゃわい、儂の姿が見えるようじゃな」
「伊達に修行は積んでおらん、妖怪の匂いがプンプンするでな」
二人は互いに目を逸らさず見つめ合い、中空に火花が散った。爺い同士の見つめ合いはあまり気色の良いものではないが・・・
「お、お二人ともそんなに敵対しないで下さい、今日はただ話を聞きに来ただけですから」子龍が必死で取り成した。
「あの札のお陰で、儂は一年間も道場に戻れずにいたのだぞ」
「王武館の怪異はお主の仕業だったのか、もう一度霊符を書いてやろうか?」陳傳は黄色い札と筆を持って立ち上がる。
「や、やめてください、この方は俺の武術の師匠です。あの時は俺の誤解だったのです!」
子龍が二人の間に立ってあたふたと言い訳を繰り返す。
「あの〜」包がのそりと言った。「爺いの喧嘩はみっともないあるよ」
包の一言で王と陳の意地の張り合いは・・・無駄骨に終わった。
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「それは乾屍じゃな」包の話を聞き終えた陳傳が言った。
「コンシー?」
「うむ、送尸術と言ってな、昔から道士は死体を運ぶのに呪をかけて自分で歩かせておったのじゃ」
「それは便利じゃな」王が感心して言った。
「そのコンシーなら問題はない」
「と言うと?」子龍が訊いた。
「問題は僵尸じゃ」
「キョンシーとは?」
「なんらかの理由によって風水的に正しく埋葬されなかった者が、人間にある三魂七魄のうち魂が無くなり魄のみを持つに至った者のことを言う」
「それがどう問題なのじゃ?」王が訊く。
「恨みや妬みを抱えたまま死に、正しく埋葬されなければ死後も魄(陰の精気)、怨念が残って凶暴な妖怪となる」
「妖怪になるのか?」
「なる、しかも道士は符呪や儀式によって故意に屍体に魄を入れ、自由に操る事が出来るのじゃ・・・じゃがそんな事が出来るのは儂の他には九叔しかいない」
「ガオって誰ですか?」
「儂の不肖の弟子じゃ。呪術の魔力に取り憑かれ、道教本来の教えを忘れてここを出て行きおった」
「う〜ん、だけど包が見たのがコンシーなら、それほど心配する事じゃないかも知れないですね?」子龍が楽観的感想を述べる。
「じゃが、一枚だけ呪符が剥がされておったのが気になる、誰がなんの目的で剥がしたのか・・・」
王が言うとすかさず陳傳が反応した。
「人為的に剥がされていたのか?」
「私、絶対に剥がれないように糊でくっつけたよ。あれは誰かが無理やり剥がしたに違いないね!」
包が唾を飛ばして訴えた。
陳傳はしばらく考えていたが、ツイと席を立って出て行った。帰って来た時には手に黄色い呪符と剣らしき物を持っていた。
「もしキョンシーが襲って来たらこれを使うと良い。この呪符をキョンシーの額に貼れば動けなくなる」
「その剣はなんじゃ?」
「これは儂が呪を籠めて削った桃剣(桃の木で作った木剣)じゃ。キョンシーには普通の武器は効かん、この木剣ならば或いは倒せるかもしれん」
「なんじゃ、自信がないのか?」
「効果は呪の強さによる。ガオの呪力は儂を超えているかもしれん」
「ふん、弟子に追い越されるとは師匠冥利に尽きるな」王が皮肉混じりに揶揄った。
「そういうお主はどうなんじゃ?」
「子龍はまだまだ儂には及ばん」
「ふん、それはお主が妖怪になったからじゃないのか?本当ならとうの昔に追い越されておるわい」
「なんじゃと!」
「ほらほら、また喧嘩する・・・」
またもや包に諌められて二人は口を噤んだ。
「陳傳老師、ではありがたく頂いて帰ります。他に気をつけることはありませんか?」子龍が訊いた。
「うむ、キョンシーに傷付けられたり殺されたりしたら、その者もキョンシーになるから気をつけろ」
「分かりました」
三人は陳傳老師に別れを告げて道院を後にした。
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その夜は満月だった。霊力は月の光によって高まるからキョンシーが出るには最高のシチュエーションだ。
「包、お前は呪符を貼った部屋から出てくるでないぞ」
王が包に向かって言った。
「私絶対に出ないよ、老先生達も私の部屋にいた方が良くないか?」
「先生と呼んでくれるか?」
「私、老先生が好きになったよ、李先生より優しいよ」
「ありがたいが儂は妖怪じゃ、呪符の貼られた部屋にはおられぬよ。それにもし凶暴なキョンシーならばこの道場を守らねばならん」
「分かった、私部屋に籠って武運を祈ってるよ」
「ふふ、よろしゅうな・・・子龍」王は弟子に呼びかけた。
子龍は桃剣を背負い呪符を持ったまま、廊下の隅に蹲っている。
「お前が武術家として大成したければこの試練を乗り切らねばならん」
「は、はい・・・」
「子供の頃のトラウマを一気に払拭せよ」
「し、しかし足が震えて動けません」
「情けない奴、それともお前もキョンシーになって妖怪の仲間入りをするか?」
「い、嫌です!それは絶対イヤだ!」
「ならばしっかり呪符を持って立っておれ。キョンシーの額に呪符を貼るのはお前しかいないのだぞ」
その時、裏口の方からタン・タン・・・と言う音が聞こえた。
「あ、あの音だ!」包が叫んだ。
「包、部屋に入れ!」
包は這々の体で部屋に飛び込んでドアを閉めた。ドアには黄色の呪符がしっかりと貼ってある。
「さて、いよいよだな・・・」
薄暗い廊下の向こうから青白い物体が跳ねて来る。王は子龍を背後に庇って物体が近づいて来るのを待った。
廊下の天井から吊るしてある裸電球の光の輪の中に現れた物体は、まさしく屍体であった。
精気を失った顔が橙色の光を跳ね返している。
躰が硬直しているのか、足首だけで器用に跳ねて前進している。バランスを取るためだろうか、両方の手を前に突き出していた。
「子龍、呪符を!」
子龍は呆然と立ち尽くしている。
「何をしておる、早く額に呪符を貼らんか!」
「い、嫌だ・・・怖い」
「えぇいこの腰抜けが!」王は思い切り子龍の背中を突き飛ばした。
「あわわわわわわ・・・」
タタラを踏んで子龍が屍体にぶつかって行く。
「そのまま呪符を貼れ!」
言われて子龍が慌てて手を伸ばすと、呪符は屍体の額にペタリと張り付いて動きが止まった。
「止まった・・・」
子龍が目を丸くして屍体を見つめている。
「やはりコンシーのようだな」
陳傳に聞いた凶暴なキョンシーでは無い。
「ふぅ・・・」
子龍が溜息を吐いたその時、大きな音を立てて玄関の扉が吹き飛んだ。
驚いて振り返ると、そこには牙を剥き出し両手の爪が鋭く伸びた、鬼のような形相をした妖怪が立っていた。
「キョンシーだ!」子龍が叫ぶ。
キョンシーの動きは明らかにコンシーとは違った。躰中に精気が漲り戦闘的な構えを取っている。
「子龍、呪符じゃ!」
「は、はい!」
偶然とはいえ呪符でコンシーの動きを封じた子龍は、少し余裕を取り戻したのかキョンシーの前に進み出た。
「こい、俺が相手だ!」呪符を手に気勢を張っている。
キョンシーは少しだけ首を傾げたが、牙を剥き出して咆えるといきなり子龍に飛びかかった。
コンシーの緩慢な動きに目を慣らされていた子龍の対応が遅れた。
呪符を弾き飛ばされ物凄い力で両腕を掴まれた。口が大きく開かれ子龍の首に噛みつこうとする。
「子龍!」王が間に飛び込んで拳をキョンシーの顔に叩き込んだ。
グワッ!っと臭い息を吐いてキョンシーが離れる。
「油断するな、こいつの動きは拳法の達人にも匹敵する!」王が叫んだ。
「はい、師匠!」
危機を脱した子龍はキョンシーに向かって攻め込んで行く。
途切れる事なく拳と蹴りを雨霰とキョンシーに浴びせかけた。
壁に追い詰められたキョンシーは、しかしダメージはそれほど受けてはいない。普通なら立ってはいられないほどの打撃を受けても平気で立っている。
「子龍、桃剣じゃ!」
王の声に桃剣を背中から引き抜いた。
「くらえっ!」
桃剣を縦横無尽に振り回しキョンシーの躰をめった打ちにする。
あれほど打たれ強かったキョンシーが、一太刀毎に絶叫を上げて苦しんでいる。
「子龍、心臓を貫け!」
子龍は桃拳を頬の辺りまで引き付けると思い切りキョンシーの左胸めがけて突き出した。
木で作った木剣にもかかわらず、桃剣はキョンシーの躰を背中まで貫通した。陳傳の呪の力が上回ったらしい。
「呪符を貼れ!」
桃剣を左手に持ち替え、懐から新しい呪符を取り出した子龍はキョンシーの額に呪符を叩きつけた。
キョンシーは悲鳴を上げたかと思うと、その姿勢のまま動かなくなった。
子龍はそっと離れて息を吐いた。
「やっと終わった・・・」
「子龍、良くやった。これでお前の恐怖心も消えたじゃろう」王が弟子の労を労う。
「師匠のお陰です!」
子龍が王の手を握った。
「ふはははははは・・・」
その時背後で笑い声が起こった。
王と子龍が振り返ると八卦法衣を着た道士が立っている。
「お前がガオか?」王が訊いた。
「ほう、よくわかったな。さては陳傳に聞いたか?」
「残念だったな、お前の呪力はまだまだ師には敵わぬようじゃ」
「そうかな・・・」
「なに?」
「これで終わりだと思うなよ、今日はただの挨拶がわりだ」
「負け惜しみを言うな!」子龍がガオを睨みつける。
「いずれ分かるさ・・・」
ガオはそう言うと踵を返した。
「待て!」
子龍が追うのを王が止めた。
「追うでない、あの背中には尋常でない妖気が漂っている」
「しかし・・・」子龍はまだ納得出来ないでいる。
「それよりもこの二体の屍を荼毘に付そう・・・包!」
王は自室に隠れている包を呼んだ。
「もう出て来て良いぞ」
ドアが開いて包が恐る恐る出てきた。倒れている二体の屍を見て顔を顰める。
「この屍体を焼くのを手伝ってくれんか?」
「も、もちろん老先生の頼みなら喜んで」
王は庭に薪を積み上げると、子龍と包に屍を運ばせ火を着けた。
「明日もう一度万象山に登らねばなるまい・・・」
燃え上がる炎を見上げながら王が呟いた。




