2)楽隠居とは遠い日々
「まぁ、まだ若い者には負けんな」
デヴィッドはゆっくりと腰を伸ばした。
二人の視線の先にはローズとロバートがいる。今日は庭で、ロバートが、ローズのダンスの稽古に付き合ってやっている。
微笑ましい光景に水を差したデヴィッドを、ジェームズは軽くにらんだ。
「殺気のない相手を見つけるのは難しいだろうに」
気に入っているロバートを庇うジェームズに、デヴィッドは苦笑した。
「しかしまあ、あんな若いのが、たった一人で長か」
それがデヴィッドの正直な感想だった。
「俺の知る限りだ。俺はこれでさっさと引退したから、知らないことも多いはずだ」
ジェームズは、左手のフックをかざした。
「確かに儂が一番長くいたが、今はアーライル家の家臣だ。王都に戻っていたのか、マシューだったか。顔くらい見ておきたかったのに残念だ」
ジェームズは、左手の怪我で早々に影ではいられなくなった。長く影だったマシューは、怪我で渋々の引退だった。デヴィッドは年老いるまで勤めた。デヴィッドのほうが、影についてジェームズよりも、よほどよく知っているはずだ。
ジェームズとしては、影として正式に勤めることができた二人が羨ましいと、思わないでもない。
「顔は見てなくても、お前がここで食べている料理は、“マシューのチキンスープ”だからな」
ジェームズの言葉にデヴィッドは首をひねった。
「あいつはここで調理人だったのさ。調理場に逃げ込んだ刺客と、火かき棒でやりあって死んじまった。あいつ自身は死ぬまで影だったのさ」
そういうジェームズも当時は、つるはしやスコップを振り回していたのだから、人のことは言えない。フックになった左手も、慣れたらそれなりには使い物になった。庭師の弟子達も素人なりに、落とし穴を掘ったり、罠を仕掛けたりと、活躍したものだ。
今、守るべきは、あの若い長が大切にしているローズだ。もうおチビちゃんと呼べないくらいには大きくなった。
「で、デヴィッドお前はどうする」
「儂のお役目は、あの嬢ちゃんに手ほどきしてやることだ」
判り切ったことを言ったデヴィッドにジェームズは顔をしかめた。
「俺はそんなことは聞いてないってくらい、分かっているだろうが」
ジェームズの言葉に、デヴィッドは肩をすくめた。
「こんな引退した老いぼれよりも、影をつければいいだけだろうが。長も何をしている」
「“我らこの国の礎とならん”だ。王族でも貴族でもない子供に、個人的に影をつけられるか。あの生真面目だ」
ジェームズも、自分で身を守ることのできないローズに、影をつけたほうがいいと思う。万が一、あのローズの身に何かあったら、あの若い長がどれほど嘆くかと思うと、本当に心配だった。
「俺はかまわんと思うがね。心置きなく仕えるため、見習いに自分の女を守らせるくらい何が問題になる。影だと問題があるなら、見習いにやらせたらいい」
デヴィッドの言葉に、ジェームズはますます顔をしかめた。引退した影の二人がそう考えても、長がそう思わないから、困っているのだ。
「俺もそう思う。ところでお前は引退したそうだが、楽隠居したつもりか」
言葉で煽ったジェームズに、デヴィッドが胡乱な目をむけた。
「お前は儂に何をしろと」
本題に切り込んできたデヴィッドにジェームズは答えた。
「庭にいる間は俺が護る。お前はどうする」
「建物にいる間か?まぁ、あの若い長の手が回らん時に、嬢ちゃんの面倒を見てやるくらいはかまわん」
今度はジェームズがデヴィッドに胡乱な目をむけることになった。
「は、年寄りが、年寄りぶるな。稽古をつけるといっても、一日中じゃなかろうに。何なら庭師をやってみるか、日がな一日仕事があるぞ」
「儂が嬢ちゃんについていられるのは、この王太子宮にいるときだけだ。ここじゃあ俺達以外の使用人もみんな、嬢ちゃんの味方だ。俺がいたって意味がない」
デヴィッドにとり、ローズは、出来は良くないが、素直に一生懸命稽古する可愛い弟子だ。守ってやりたいとはおもう。だが、今は影ではなく使用人なのだ。
「だから、お前が何とかして、王宮に行くときに、同行しろ」
デヴィッドの言葉を消極的ととらえた、ジェームズはとうとう本音を口にした。
「無理をいうな、無理を。アーライル家の使用人だぞ。王宮に勝手に出入りできるか」
デヴィッドは言い訳にしか聞こえない自分の言葉に顔を顰めた。デヴィッドも、有象無象がひしめく王宮が、ローズにとって危険であることはわかっている。
だが王宮は一介の使用人が気軽に入ることができる場所ではない。影ではない今、かつてのように王宮に忍び込めば、デヴィッドを知らない若い影の獲物にされかねない。素人はともかく、現役の影が相手では、引退した影のデヴィッドには分が悪い。影のころは影であることに不自由を感じていた。今は逆に、影であったころの自由さが無いことがもどかしい。少なくとも、あの頃は誰にも見られずに、どこへでも行くことができた。
「そうだ、もうここは正直に、嬢ちゃんが上達するまでの間、お前が護衛をすると名乗り出ろ」
思い付きを勝手に提案してくるジェームズに、デヴィッドはもう何度目かわからない胡乱な目を向けた。
「そんなもの、あの若い長が認めるか」
「認めるさ。俺のほうが付き合いは長い。まぁ、言ってみろ。それで認めるといったらお前、引き受けて来いよ」
「わかったわかった」
翌朝、ローズの護衛をすることになったというデヴィッドの言葉に、ジェームズはそれみたことかと笑った。
「許可したのは、王太子殿下であって、長じゃない」
デヴィッドの負け惜しみは、余計にジェームズの笑いを誘うことになった。




