8)ローズの涙
子供たちはセタ達商人の語る、遠い異国の話、旅の話に夢中になっていた。
「商談みたいになったけど、よかったのかしら」
ローズはそういうと、商人と子供たちの間で決まったことの説明をロバートに説明し始めた。一通り説明したローズは、ロバートを見上げてきた。
「明日、子供たちだけで行かせるのが心配だから」
言いよどんでうつむいてしまったが、ローズの言いたいことくらいわかる。
「明日も行きたいのでしょう」
ロバートは、顔をあげたローズの額に口づけた。
「行ってもいいかしら」
「そうなるだろうと、思っていました。レオン様が護衛を用意してくださるそうです。アレキサンダー様に許可をいただけるように、相談してみましょう」
「ありがとう、ロバート」
抱き着いてきたローズを抱きしめ、口づけた。
「レオン様もありがとうございます」
ローズの言葉にレオンが笑った。
「お気遣いなく。適度な緊張感のある訓練になりますからこちらも助かります。身内での訓練では、緊張感にかけるので困っていたのです」
「レオン様のお身内なら、護衛がなくても身を護れますものね」
ローズが笑う。
「ですから、ローズ、短剣だけでも使えたら、逃げる時間を稼げますから、稽古をきちんとしてくださいね」
「でも、難しいわ」
ローズの言葉に、レオンが笑った。
「短剣ですか。僕の爺やのデヴィッドは、年を取っていますが、教えるのは上手いですから、お貸ししましょうか」
「よろしいのですか。アーライル家の方をそう簡単にお借りしても」
ロバートは、レオンが口にした名に、聞き覚えがあった。
「ぜひどうぞ。デヴィッドが暇になると、僕ら兄弟への風当たりが強くなるので、適度に仕事があるほうがよいです」
レオンは、「独り言」については何も言わなかった。
結局、市場の開かれている一週間、毎日ローズと子供たちは、市場に出かけて行った。さすがに毎日は付き添えないロバートは、護衛を用意してくれるレオンの心遣いに感謝した。
子供達には、ローズをリゼと呼ぶように教えた。王太子宮にいる聖女候補ローズは、この国で特に王都周辺では、あまりに有名になりつつあったのだ。
忘れろといわれたが、レオンの独り言は気になった。彼の独り言の通り、ローズが伯爵家の養女となるのが、彼女にとっては最も安全だ。ただしその場合、ただの使用人である自分と彼女との婚約など、破棄され、ローズは貴族を婿に迎えるだろう。せめてローズの側に仕えて姿だけでも、一番近くにいることだけでもと思う。だが、その場合は、アレキサンダーに仕え続けることはできない。 アレキサンダーには、父母を同じとする、あるいは庶子であっても兄弟はいない。乳兄弟もロバート一人なのだ。一族の義務とは関係なく、物心つく前から一緒にいるアレキサンダーと離れるなど考えられなかった。
心配なだけです。レオンの独り言が耳の奥で木霊していた。かつてロバート自身が懸念していたことでもある。
最終日、気が緩むのが心配だから、できれば市が終わる前、少し早めに来てほしい。というローズの言葉に、ロバートは午後から馬市へと足を向けた。
子供たちとローズは、遠方へと帰る商隊から優先して計算してやっていた。そんな彼女たちを手伝い、飽きてしまった子供を遊ばせて気晴らしをさせてやったりして、何とか無事に市場での子供たちの仕事は終わった。
孤児院へ子供たちを送り届けるとき、あの、異国の商人セタが、シスターたちに相談したいことがあるから、同行したいと申し出てきた。
出迎えたシスターにセタは言った。
「この子を引き取りたい。うちの商隊の一人にしたい」
一人の少年が彼の傍らにいた。ローズもロバートも二人が何かを相談しているのには気づいていた。
「俺、この人についていく。旅にいくんだ」
そんな少年にローズは溜息をついた。
「ダン、旅は大変よ?野宿もあるし、商隊は夜盗に狙われることもあるわ」
「それは全部話した。実際、俺の父親の商隊は、俺が赤ん坊のときに全滅して、俺は叔父に育てられた」
「まぁ、あなたも苦労されたのですね」
シスターの言葉をセタは豪快に笑い飛ばした。
「いや。別に。叔父は実の子供も俺も変わらず育ててくれたから、子供の時は大した苦労はしていない。商隊を預かる今の方が大変だ。全員が家族のようなものだ。養う口が多くて大変だ。どうせ養うなら優秀な口のほうがいい」
ローズはダンの目をみた。
「お金の計算はとっても大切よ。絶対に、嘘はいけないわ。間違えないようにちゃんと確認しなさい。それでも間違えた時はちゃんと言うのよ。ごまかしたり、卑怯な真似をしたりしてはだめよ。もし、この人がお金について卑怯なことをあなたにさせようとしたら、それにちゃんとだめっていうのよ。神様はみておられるのだから。約束よ」
「わかってる。約束する」
ダンの返事にローズは微笑んだ。セタにローズは目を向けた。
「あなたも、約束してくださるかしら。ダンが商人としてきちんとまっとうに生きていけるように、育てて教えてくださるかしら」
「もちろんだ。お嬢さんには世話になったからな。約束だ。あと、来年もまた、頼みたい。子供たちと来てくれないか」
セタの一言に、ローズは顔を曇らせた。
「来年のことはわからないわ」
「なぜだ?お嬢さんは、今、どこかのいいお屋敷で、なにか仕事しているのだろう?子供たちが言っていた」
セタの言葉にローズは悲し気に首を振った。
「居候よ。何もできない。ただの居候」
「ローズ、なぜ、そんなことを、何もしていないなどということはないではないですか」
ロバートはローズの肩を掴み、振り向かせた。
「何もしていないことはないでしょう?忘れましたか。あなたのお陰でどれだけ沢山の人が助かったか。つい先日も、一人助かりました。元気に育っておられるではないですか。忘れましたか」
ソフィア姫が生きているのは、ローズのおかげなのだ。
「私はきっかけをつくっただけよ」
「そのきっかけがなかったら、助からなかった命は沢山あります。なぜ、そこまで自分を否定するのですか」
言ってから、ロバートは気づいた。
「誰かに何か、言われましたか。ローズ」
ローズが息をのんだ。
「言われましたね。誰に何を言われたのですか」
「言えない、言いたくない」
ローズは首を振り、黙ってしまった。喘ぐような息をして泣くのを必死にこらえている。
「ローズ。言わなくてもいいから、泣きたい時くらい泣いてください。あなたは悪くない。あなたがいることで、沢山の人が助かりました。今も助かっています。少なくとも私の主と奥方様はそう思っています。そうでしょう?主の御父上もそう思っておられる」
ロバートの腕の中でローズは肩を震わせた。ロバートは、声を押し殺して泣くローズの背をなで、慰めた。
「なぜ泣く?」
セタは首を傾げた。
「この子もこの孤児院で育ったのです。私の主がこの子を見込んで引き取って屋敷で暮らしています。実際、主の仕事を手伝ってくれていて、主もそれを喜んでいるのですが、どうやら妬む者がいるようですね」
ロバートの言葉に、セタが分からないというように首を振った。
「愚か者に妬まれるくらい仕事ができるってことだろ?いいじゃないか言わせておけば」
セタの言葉に、かつてカールが、商隊を率いる者は個性的だと言っていたことを思いだした。
「なかなかの考え方ですね。ローズもそれくらいになってくれたら、婚約者として安心なのですが」
ローズは泣き止まない。
「すみません。気づいていませんでした。また、あなた一人につらい思いをさせていましたね」
ロバートは自分の不明をローズに詫びた。ロバートの腕の中でローズは首を振った。以前、王太子宮で侍女達に嫌がらせをされていたときも、そうだった。ローズは相手を庇うのだ。
誰かは知らないが、ただで済ませるつもりはなかった。




