1)ロバートの父、あるいは分家の男
ローズは、アレキサンダーが手配してくれる教育係たちに教えを請ううちに、王宮図書館の本を読みたくなった。ロバートに相談すると、すぐにアルフレッドから、王宮図書館に自由に出入りし、すべての資料を閲覧できる特別な許可を頂くことができた。
ローズはよく、アレキサンダーが王宮にいくときに連れて行ってもらって、用事がおわるまで、護衛と一緒に王宮図書館で過ごしていた。アレキサンダーが不在の間は、リヴァルー宰相が連れて行ってくれた。
王太子宮から絶対に一人で外へ出てはいけない。窮屈だが、ローズの身を守るための言いつけだ。自分で身を守ることが出来ないローズは、言いつけを守っていた。そんな中、数少ないお出かけの場所として、王宮図書館は気に入っていた。サイモンの師匠だという王宮図書館の司書達は、ローズに優しく接してくれた。
その日は、アレキサンダーと、アレキサンダーの視察に同行したロバートが戻ってくるまで、あと数日という日だった。御前会議のあと、リヴァルー宰相の仕事が終わるのを、ローズは図書館で本を読みながら待っていた。
ローズの目の前に、突如、男が現れた。ローズにも、その容姿からロバートの父親であると、すぐにわかった。
「バーナード侍従長殿」
リヴァルー宰相が残していってくれた護衛が、貴族を相手にしたときと、同じお辞儀をした。ローズは驚いた。それを当然のように受け止める人に、この人はロバートとは違うと思った。ロバートは過度の敬意を好まない。
ロバートは、アレキサンダー様の信頼厚いとは言え、家名もない使用人です。アレキサンダー様の権威を己のものと勘違いするような下品な輩にはなりたくありませんと、言っていた。
ロバートからは、アレキサンダーの乳母だった母親のアリアのことは、いろいろ教えてもらっている。バーナードという父親に関しては、分家の人間で関係ないと言われた。母親のアリアのことを語るときと、全く異なる冷たい口調だった。
ロバートと婚約してから一度も紹介されていない。何か因縁があるとは思っていた。バーナードの尊大な態度からすると、ロバートは会わせたくなかったのだろう。
侮蔑する視線をローズに向け、酷薄な笑みをうかべた長身の男は、ロバートに似ているが、まったく似ていなかった。
権威を己のものと勘違いするような下品な輩といったとき、ロバートは具体的な一人を思い浮かべていたと、ローズも察した。
「初めまして、バーナード侍従長様」
貴族相手にするお辞儀でなく、わざと軽く会釈したのが気に入らなかったらしい。ローズが、あえて名乗らなかった意図もわかったのだろう。バーナードが盛大に鼻を鳴らした。ロバートがいたら、下品で不潔だというだろう。
そのあとは、バーナードに罵倒された。思わず動こうとしたリヴァルー宰相の護衛は、ローズの合図に気づいて止まってくれた。ローズは、喚き散らすバーナードの言葉を、うつむいて反省しているふりをしながら、聞き流していた。どうせ、罵倒するためだけの言葉には何も意味はない。聞いても無駄なのだ。
「孤児の癖に、どこの誰とも知れない成り上がりものが、思い上がって。私の息子を死地においやろうとしたくせに。無事に帰ってきたからよいが、お前のせいで死にかけたようなものだ」
そんな時に、耳に飛び込んできた。疫病に蹂躙されそうになったイサカの町のことだとわかった。
悲しかった。
手紙だけで、やりとりしたあの二か月程の日々、送った手紙が受け取られず帰ってくる日がいつくるか、本当に怖かった。ロバートはイサカの町で、ローズは王都で、異なる場所にいたが、二人で一つの目標に向かって努力し、協力し、成果を出したのだ。もとからローズの提案に賛成してくれていた国王アルフレッドや王太子アレキサンダーや、御前会議の重鎮たちは、ローズを受け入れてくれた。
ローズに懐疑的だった貴族も、一部ではあるが成果として認めてくれている。ローズ一人の成果ではない。だが、ロバートは、ローズの功績として報告し、ローズに居場所を作ってくれた。
それを、否定された。ローズはロバートを危ない目に遭わせたかったわけではない。それに、ロバートは無事に帰ってきた。
帰ってきたあの日、ローズが思わず泣いてしまったら、ロバートは優しく慰めてくれた。
「約束通り帰ってきましたよ」
そういってローズを抱きしめてくれた。和ませようと思ったのか、忘れていた出発前に勝手に約束していった“ご褒美”をしっかり獲得していった。あの時は、変な大人だと思った。
あれからほぼ毎日顔を合わせている間に、ローズの心の中にロバートの居場所ができてしまった。大切な人だ。ロバートに、いつから彼の心の中にローズの居場所があったのか、きいたことがある。ロバートは、ローズを抱きしめながらわからないといった。
あの優しい人の父親が、こんな人とは知らなかった。ロバートは、父親のバーナードを分家の人間で関係ないといった。ローズを、この男に会わせたくなかったロバートの気持ちも想像できた。
相手を罵倒するためだけに、罵倒し怒鳴る相手に反論しても無駄だ。だから黙って聞き流していた。
バーナードは王宮図書館の静寂を乱し、さんざん騒いで、帰っていった。
バーナードが去り、ようやく静かになった図書館で、ローズは大きく息を吐いた。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい」
顔見知りの司書が、お茶とお菓子を持ってきてくれた。
「よく我慢したね。えらい子だ」
司書に慰められて、ローズの目から思わず涙がこぼれた。
「あの親子の不仲は有名だ。清廉潔白、聖人君子のロバートと、真逆のバーナード」
優しく涙を拭いてくれながら、司書はローズにささやいた。
「騒がしくなってしまって、ごめんなさい」
「お嬢ちゃんのせいじゃないよ」
「止めることができず、申し訳ありません」
護衛が静かに詫びてきた。
「いいえ。下手に止めようとしたら、騒ぎになるから、いいのです。合図に気づいてくれて、ありがとうございました」
「そんな、本来は」
「宰相様にはご報告なさいませんように、お願いします。国王陛下、王太子殿下にも、ご心配をおかけしてはいけませんから、内密にしてください。無論、ロバートにも言わないでください」
遠巻きにしていた野次馬たちの耳に聞こえるように、ローズの背後にいるこの国の重要人物たちの存在を口にした。
「いえ、そんなわけには」
「普段から、お世話になっておりますもの。これ以上、ご心配をおかけしたり、ご迷惑をおかけしたりすることは避けたいのです」
「ですが」
「先ほど、あなたに何もしないようにお願いしたのは私です」
「しかし」
真面目そうな護衛の男性からは、何もできなかった悔しさが漂っていた。
「でしたら、一緒にお茶をしてくださいな。一人ではつまりませんもの。それに、国王陛下も王太子殿下王太子妃殿下も、私に、ちゃんと毒見してもらったものじゃないと、絶対に食べたらだめっておっしゃるのです。せっかく淹れてくださったお茶ですから、頂きたいわ。お菓子もおいしそうですもの。私が叱られないように、一緒にお茶をしてください」
王族に、だれかに毒見をさせろと教育される孤児などそういないだろう。国王親子の過保護ぶりを、披露しておけば周囲への牽制になる。
孤児に毒見をしてくれと頼まれたに近いが、あっけにとられながらも、護衛は承知してくれた。
アルフレッドがローズを見る目は、とてもやさしい。アレキサンダーとグレースも、優しくしてくださる。だから、大丈夫。自分にそう言い聞かせると、ローズは焼き菓子を一つ、口にいれた。ロバートに会いたかった。アレキサンダーもロバートも数日で帰ってくる予定だ。
伯爵家の護衛は、王太子宮の近習達とは違うから、この騒動を秘密にしておいてくれるだろう。
ロバートの父、バーナードがあんな人とは知らなかった。実の父親を、分家だから関係ないと言い切ったロバートとの間に何かあったのだろう。だが、ローズは何も知らない。
ロバートは秘密主義だ。心配かけないようにしたいのだろうが、それでは余計に心配になる。
時に怒りっぽくなるアレキサンダーの気持ちを、ローズは少し理解した。




