15)アレキサンダーの悩み1
ローズの自覚ない、止まらぬ諫言以外にも、アレキサンダーには理解できないことがあった。
ローズは自分の功績を誇ることはない。謙虚といえば聞こえが良いが、孤児であるローズには、功績以外に寄って立つところが無い。ローズの謙虚さが、ローズを危険に晒しかねない。
アレキサンダーが、ローズの過度の謙虚さに疑問を感じたのは、ソフィアの件がきっかけだった。
誰もが諦めた赤子を、ローズただ一人が諦めなかった。結果多くの者を動かし、赤子の命は救われた。アレキサンダーはそのことの礼を、ローズに伝えた。
「お姫様が、お父様にお会いしたかったから、頑張られたのですわ。私はそれをお手伝いしただけです」
ローズはそういってほほ笑んだ。
「匙で乳をのませたのは君だときいている」
「乳をのんだのは御姫様御自身ですわ。私は匙で乳を含ませました。生きるために飲んだのは御姫様です。アレキサンダー様、お姫様のお名前、楽しみにしています」
ローズらしいといえば、ローズらしい。ライティーザ王家の王太子アレキサンダーと王太子妃グレースとの間に子が生まれたことの重要性を、ローズが今一つ理解をしていない可能性もあった。女児であれ子供がうまれたということは、いずれ男児が生まれる可能性を貴族達に示したのだ。ローズは、グレースの名誉を守った。
アレキサンダーが姫をソフィアと名付けたのは、建国の賢妃と讃えられる武王の妻ソフィアにちなんでのことだ。他にもあった候補の中からソフィアの名を選んだのは、姫に賢くあって欲しいというローズの願いを考慮したからだ。
ソフィアが理解できるようになったら、産まれたときのことを話してやりたい。その時、ソフィアと名付けた理由の一つを知ったローズの反応をアレキサンダーは楽しみにしていた。
「ローズはなぜ、自分がソフィアを助けたと認めない。誰がどう見てもそうだろう」
「ソフィア様ご自身が、乳を飲んだというのは本当ですけど、ローズちゃん、匙ですくってみたり、自分の指を吸わせようとしたり、布に含ませてみたりとか、ソフィア様が飲める方法をすごく頑張って探していました」
留守番だったティモシーもローズの頑張りを見ていた一人だ。
「推測ですが、ローズは、孤児の自分には、手柄を主張し、手柄による称賛を得る価値がないと考えているようなのです」
アレキサンダーは、ロバートに、お前はどうなのだと聞きたい自分を抑えた。イサカの町での功績をレオン・アーライルに譲り、叙爵を断ったのはロバートだ。
「出自か」
ローズは孤児院の前に捨てられた時、赤子だった。本人は当然のことながら何も知らない。唯一、手がかりとなりうる捨てられた時に彼女を包んでいた布も、既に他に用立てられて残っていないと、シスターたちは答えた。
「もし、ソフィア様がお育ちにならないまでも、どうしてもアレキサンダー様には会わせたかったと言っていました。このまま、神のもとに召される運命であっても、せめて一度だけでも、父親に会わせたい、アレキサンダー様に姫と会っていただきたいと思ったそうです。自分は何も知らないから、どうしても会わせたかったと言っておりました」
ロバートは一度言葉を切った。
「微笑んではいましたが、とても寂しそうで、言葉をかけてやれませんでした。ローズは、感情を言葉にすることが苦手ですから」
「お前もだろう」
アレキサンダーの言葉にロバートは何も言わなかった。
ローズは、イサカの町を襲った疫病に対応したことも、自分は提案しただけで、実行したのではないと言っている。だが、ローズが王太子宮にやってこなければ、イサカの町は、民と共に見捨てられる以外なかったのだ。即座に焼き討ちされなかったのは、交易都市としてのイサカの町に価値があるため、焼き払うことがためらわれたからだ。ローズがあと数日、遅れて来たらイサカの町の運命は変わっていただろう。
貴族はそれぞれに領地を持ち統治する責任がある。疫病の恐ろしさを知っていて当然だ。イサカの町の疫病が問題になってから、次の春で二年になる。人の記憶とは恐ろしい。貴族の中には、あの頃の疫病の恐怖を忘れ、当時人や予算をつぎ込んだことを非難するものも現れていた。
王太子宮に突然やってきたローズの進言により、イサカの町は救われた。町を牛耳っていた者達は己の不正により、法の下に裁かれた。ティタイトとの国境地帯と、交易のために必要な河の交通を掌握している川の民も、ライティーザに恭順をしめした。
彼の地の出来事は、疫病からイサカを救うための知恵を神から授かった聖女ローズと、聖女ローズの神託に耳を傾けた王太子アレキサンダーと、その命をうけたロバートの話として、吟遊詩人達に各地で歌わせている。
イサカの民が疫病の後、噂に苦しむことがないようにしてほしいというローズの願いを聞いて思いついたことだ。イサカの民は聖女と共に疫病と戦った敬虔かつ勇敢な人々として、歌われているからローズの希望はかなえてやっているから問題はない。
問題はいつ、吟遊詩人達の歌をロバートとローズに聞かせるかだ。
ローズとロバートの功績を軽視する風潮に、会議の記録を見たサイモンも気づいていた。サイモンは、彼の師匠でもある王宮図書館の司書達と一緒に、アレキサンダーに報告書を持ってきた。
町を一つも焼き払うことなく疫病を抑え込んだという記録は、王国の歴史を遡っても一度もない。周辺国の記録にもない。彼らの報告書の意味することは明確だ。ローズは町の焼き討ち以外の疫病対策の方法を、この国にもたらしたのだ。これが今後、どの程度の意味をもつか、一部の視点の狭い貴族達が理解していないことが問題だ。
―ライティーザ始まって以来のことです。アレキサンダー様のご功績であることはもちろんですが、ロバートさんとローズさんのことも記録に残すべきです。今、評価されなくても、将来お二人が正当な評価を受けられるようにすべきですー
サイモンの言葉は、アレキサンダーの耳に少々痛かった。
「ロバートが叙爵を辞退し、ローズが功績を認めない。そうなると、私にはどうしようもない」
言い訳めいたアレキサンダーの言葉に、サイモンはうなずいた。
―お二人とも、そういう方ですー
「お前が言う通り、せめて記録は残してやれ。あの二人の子供か孫の頃には役に立つだろう」
アレキサンダーの言葉にサイモンは頷いた。
「お祖父様が、アリアの兄のロバートの功績に報いてくださっていてもよかったはずだ。亡くなられた伯父上が、王都まで戻ることができたのは、彼のおかげだろう。なぜ、先祖たちは代々、王家の揺り籠の功績にきちんと報いない。グレースは、私にロバート離れがどうのこうのというが、王家そのものが、王家の揺り籠に甘え過ぎだ」
―代々断っておられるようですー
サイモンの言葉に、アレキサンダーは文字通り目を剥いた。
「なんだそれは」
―文字通りです。叙爵された方もおられますが、その場合は分家として独立し、貴族となっておられます。王家の揺り籠本家が、叙爵をうけたことはありませんー
「王家の揺り籠は何を考えている」
ロバートの一族は、家名すらもたない。王家の揺り籠という呼称すら慣用的なものだ。なぜ、何も持たないことを、それほど望むのか、アレキサンダーには理解ができなかった。
叙爵に値する功績など、一人で成し遂げ得るものではない。当然、王家の揺り籠の一族の多数の人間が関わっている。その場合、代表として本家の当主が叙爵を受けて当然のはずだ。
「作為的だ」
―記録は記録したことしか残りませんー
アレキサンダーの言葉にサイモンも頷いた。
「お前も忙しいだろうが、少し調べておいてくれ。時間はかかってかまわない」
アレキサンダーの言葉に、サイモンが深く一礼した。
―心得ましたー




