11)命名
皆が育たないと思った赤子は、今やグレースやブレンダに抱かれ、乳を吸い、泣いて、寝てと、小さいながらも立派に元気に育っている。アレキサンダーは安堵した。
貴族が自らの子に乳をやることは少ない。だが、グレースは、赤子に自ら乳をやった。
「私の乳を漸く吸えるようになった時、本当に嬉しかったのです。痛みがないとは言いませんわ。でも、あの時の喜びを、そう簡単に手放せませんもの」
乳をやるグレースの慈愛に満ちた笑みに、アレキサンダーは目を奪われた。
アレキサンダーは、赤子の泣く声をうるさいと思うときもあった。赤子が泣き止まなくても、ローズは動じることはなかった。
「耳にはうるさいですけど、大きな声で泣いてお元気です。本当によかったです。お元気な声をきくと安心します。元気に生きておられます」
ローズの言葉に、産まれたときに産声を上げなかったという報告を聞いたときのことを、アレキサンダーは思い出した。
「泣かなくなった赤ちゃんは、みんな死んでしまいました」
ローズはそう言いながら目に涙を溜め、ロバートが抱きしめてやっていた。孤児院で見送った赤子たちのことを思い出したのだろう。アレキサンダーにも、孤児院でローズが泣き虫リゼと呼ばれていた理由が少しわかった。
「大きな声で泣いている赤ちゃんは、安心です」
「確かに、私は贅沢になったな」
アレキサンダーも、生まれた赤子が産声を上げなかったと聞いたあの日、生きていてさえくれればと思ったのだ。生きている証だと思えば、泣き声を大きいとは思っても、疎ましいとは感じなくなった。
アレキサンダーには、早急に決定せねばならないことがあった。
「早くに名前を決めてやらないと、あの子は自分の名前を“お姫様”と覚えてしまいますわ」
グレースがそういうのも無理はないほど、ローズは赤子を「お姫様」と呼び、可愛がった。皆が、小さく生まれたが元気に育っている小さな姫を溺愛した。その中心にはローズがいた。
「この子には、乳が出る乳母のミランダと、乳のでない乳母のローズと、二人の乳母がいるわね」
グレースがそう言って笑うほどだった。
アスティングス家の使用人の娘ステイシーが、遊び相手となるために連れてこられてきていたが、幼いステイシーにその自覚はない。ステイシーは、ローズに懐き、ローズに遊んでもらっていた。どうしても姫を抱きたいと言うステイシーに、ローズが腕を添えて姫を抱かせてやったりもした。三人姉妹のような愛らしい光景に、息子ニールを溺愛するミリアまでも、娘が欲しいと言ったほどだ。
自分自身も赤子のミランダまでもが、姫に興味を示した。首の座っていない赤子を、つかまり立ちを稽古している赤子が面倒を見ることなど出来ない。それでも姫に興味を示すミランダは可愛らしかった。
「姫の名前を決めねばならない」
アレキサンダーが、ここ数日の課題を改めて口にした。
いくつか名前の候補はある。だが、いざ、決めるとなると難しい。父アルフレッドは、母子無事なだけで十分嬉しいといって、名前は好きに決めろと言ってくれた。アルフレッドは、ほぼ毎日、王太子宮にやってくる。来るたびに名は決まったかと言われるアレキサンダーも困っていた。
「グレースに相談してくる」
昨日、グレースも、決められないと言っていたばかりだ。
「かしこまりました」
一瞬ロバートが返事をするまでに間があった。アレキサンダーが、昨日もグレースの部屋にいき、結局決められずに帰ってきたことを思い出したのだろう。少しばつがわるかった。
アレキサンダーは、姫の名前をソフィアに決めた。
「賢い可愛いお姫様になっていただきたいです」
赤子の命を助けたローズの一言で、叡智に由来するソフィアに、ライティーザ建国の英雄、双子王の一人、武王マクシミリアンの妻ソフィアから名をいただいた。
「グレースの娘だ。美人に育つのは目に見えているからな」
ソフィアはグレースと同じ空色の瞳をしていた。




