10)報告
アレキサンダーはハロルド達医師と、産婆の役割を果たしたシスター達、乳母ブレンダから報告をうけた。王太子宮の誰もが、産声をあげず、乳を飲まない小さな赤子をあきらめた。ローズだけがあきらめなかった。ローズだけが、諦めたら可哀そうだと譲らなかった。そのローズの熱意に、ローズをよく知るシスターたち、乳母のブレンダが引き込まれていった。
ローズとブレンダは、赤子が冷えないように、己の肌で温め、湯たんぽも使い、布で包み、交代で文字通り肌身離さず抱いた。ブレンダの乳やグレースの乳を鉢で受け、赤子に匙で飲ませた。
ローズはずっと赤子に語り掛けていたという。
「あなたのお父様はもうすぐお戻りになるわ。だから頑張って。お父様に抱っこしてもらいましょうね。きっともうすぐ、お戻りになるわ。お父様はもうすぐよ。だから頑張って」
弱弱しかった赤子は、徐々にブレンダやグレースの乳を吸えるようになった。それにつれ、泣き声も力強くなっていった。
アレキサンダー達、視察にいっていた一行が帰ってきたのは、そんな時だった。
「姫を父親に会わせたいというローズの思いが、姫を助けさせたのでしょう」
全員が口を揃えるようにしていった。ローズは親の顔を知らない。赤子のときに孤児院の前に捨てられていたのに、親を怨む言葉を決して口にしない。そんなローズが不憫でならないと、情に厚い医者のハロルドは目を潤ませた。
「ローズの親は、今どこで何をしている」
答えが無いことを知りながらのアレキサンダーの言葉に、答える者はいない。誰も答えを知らないのだ。
アレキサンダーにとって、ローズの親が名乗り出てきても、面倒なだけだった。
「ローズを親に会わせてやりたいとは思うが。赤子を捨てた親が、今更ローズに会いたいなどと言って来たら、会わせようとは思えないな」
矛盾するが、それがアレキサンダーの思いだった。
「はい」
ロバートも、アレキサンダーの言わんとすることを察したのだろう。
「事情はあったのでしょうが、捨てておいて図々しいと思わざるを得ません。物ではないのですから。いらないから捨てる、やっぱりいるから拾うというのでは残酷です」
エリックの言葉に、他の者たちも同意した。
ローズは王太子宮に暮らし、グレースの名代として慰問を任されるほどに信頼をされている。多くの貴族のローズへの理解はその程度だ。
本来は王族に授けるべき教育を受け、いずれ王太子の片腕となるべく育てられていることを知っているのは、御前会議に出席することができる高位貴族達だけだ。王太子の腹心であるロバートの婚約者であると知る彼らは、アレキサンダーの子供の代まで安泰だろうと言っていた。
アレキサンダーは、将来の側近としても、乳兄弟ロバートの婚約者としても、ローズを手放すわけにはいかなかった。
ローズを捨てるという決断をした親は、最悪の場合は死もあり得るという結果も覚悟していたはずだ。首が座ったばかりの赤子が、自力で動けるわけがない。赤子だったローズを孤児院の前に置き去りにしたのは親だ。万が一娘を返せといわれても、アレキサンダーにとっては迷惑だ。ローズの功績を盾に、何らかの便宜を要求されたら、煩わしいことこの上ない。
どんな親でもローズにとっては親だ。心優しいローズは、会いたいだろう。だが、ローズの功績に胡座をかいたり、奪い取ったりするような親であれば、ローズを悲しませるだけだ。
「ローズの親が、私利私欲にまみれた悪人であるとは思えないが。よほどの善人でも無い限り、故人であるほうが、問題がない。ローズには悪いが」
ローズに申し訳ないとは思う事も含め、アレキサンダーの正直な思いだった。
「私もそう思います」
ロバートも含め、異議を唱えるものはいなかった。
ローズの親がローズをグレース孤児院の前に捨てなければ、ローズがこの王太子宮に来ることはなかった。ローズ自身もそのことをわかっている。
「沢山勉強できて、少しですけれど、アレキサンダー様のお役に立てる今がいいです。大きくなったら、もっと沢山お役に立てるように、がんばります」
以前、そんなことを言ってローズは笑った。健気なことを言ったローズを、アルフレッドが抱きしめていた。一瞬、ロバートが嫌そうな顔をしたのを、アレキサンダーとグレースは見逃さず、後に二人で大いに笑った。
「ローズの婚約者は過保護ですから。子を捨てる親よりも、遥かに溢れんばかりの愛情で、ローズを育てていますから、何も問題はないですよ」
エドガーの言葉に、ロバートが手で顔を覆ってしまった。
「俺じゃなくて、言ったのはメアリだ」
「だからローズちゃんは、ロバート兄様の好みのとおりなんですね」
「ヴィクター!」
ロバートの声が飛んだ。ヴィクターに呼称を使わないよう、注意しようとしているのだろう。赤面した顔を、手で半ば隠したままでは、威厳も気迫もない。
「最初から、ローズちゃんって、ロバートのお気に入りだったんだよ」
サンドラと結婚し、夜の町と縁遠くなったフレデリックがヴィクターに囁いた。
「そうなんですか。僕、その頃に、会ってみたかったです」
「ローズちゃん、もっと小さかったからね。可愛かったよ」
フレデリックの笑顔は、向けられたロバートの視線に気づいて凍った。
「誤解です、誤解です。俺はサンドラ一筋です」
フレデリックは慌てて弁解を始め、執務室は笑いに包まれた。




