4 商団の屋敷へ
フェネラたち《五ツ尾商団》がこの国で買った屋敷はかなり大きかった。どうやら以前はどこかの高位貴族の邸宅だったものらしい。
門から入って広い庭を通り抜けて、ようやく邸宅の扉前まで着いた。王都のど真ん中だというのに、本当に広い。
扉が開いて中から兎の耳をした執事服のおじいさんが出てきた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ」
「そちらがティナ様でございますね。わたしは執事のライムと申します。ようこそ、《五ツ尾商団》へ。娘のマリーに世話させましょう」
パンパンとライムが手を鳴らすと、同じく兎の耳をしたティナと同じぐらいの女の子が出てきた。
「こんにちは、ティナ様。あたしがマリー…………ぶはっ!!ジェン!あんた、なんで頭にたんこぶが出来てるのさ!!」
たんこぶをこさえたジェンを見て、涙が出るほど笑い転げるマリーの横にライムがさっと寄って頭に拳骨を落とした。
「痛ってぇ~」
「客人の前だぞ!」
「だって、今日から商団に入るんだろ?もう家族じゃんか!」
殴られても豪快に笑うマリーにライムが諦めたようにため息をついた。
「ティナ様、マリーが大変失礼いたしました」
頭を深々と下げるライムに慌てて頭を横に振った。
かしこまって接してこられるよりは全然良かった。だいたい商団に一時的に保護されている手前、まるで大貴族のようにもてなされても落ち着かなかっただろう。
正直、マリーが家族と言ってくれた事は嬉しいし、ぞんざいな口調でも温かい態度が感じ取れて一気にマリーの事が好きになった。
マリーの手をとって、その手のひらに文字を書く。
『ティナです。よろしくお願いします』
そしてペコリとお辞儀をする。
これから1人でも生きていけるようになるまで世話になる相手だ。きっと仲良くなれる。
「あっ!そっか!喋れないんだったね!それなら紙とペンを用意してこなくっちゃ!」
あっけらかんと、「喋れない」と言われても不快感はなかった。
それよりも、あっと言う間に屋敷の中に入っていったマリーのスピードや反射に驚く。
「我々は兎の獣人ですからね、足には自信があるのです」
疑問が顔に浮かんでいたのだろう。ライムが横から答えてくれた。後ろにいたジェンが「犬の獣人も足が速いっスけどね!」と張り合い出す。
「分かってますとも、分かってますとも」
ライムが穏やかに相づちを打つ。
ジェンがへへっと照れくさそうに笑って、尻尾をパタパタと振った。
「それより、早く中に入りたいんだが」
それまで黙っていたフェネラがぼそりと口を挟むとライムが直ぐに頭を下げた。
「これは大変失礼いたしました、旦那様」
ようやく屋敷の中に入る。
広いエントランスに中央には横に広い階段。
赤い絨毯はふかふかで、踏むのを躊躇ってしまいそうだ。
「ティナ、疲れているだろうが話がある。付いてきなさい」
フェネラに言われて、こくこく頷づき後ろから付いていく。さっさと歩きだしたフェネラに遅れまいと、少しだけ逡巡するが思いきってえいっとふかふか絨毯を踏む。
――――――ふかふかだ!
予想通りのふかふかさで気分が高揚する。
ティナは貴族だったとは言え、貧乏なため絨毯はあってもこんなに高級感溢れるふかふかはなかった。べろんっとしていた。
まるで小さな子供がベッドの上で飛び跳ねて楽しむように、足の感触を楽しむティナに一緒にいたライムがふふっと笑った。
「ティナ様が喜んでくださって、こちらとしても嬉しい限りでございます。こちらの絨毯はティナ様のお部屋にも敷いてございますよ」
ふかふかの絨毯にうっとりし過ぎて無意識に足を止めてしまっていた事に気がついて、慌てて前を行くフェネラの方を見た。
彼は中央の階段の真ん中辺りで足を止め、じっとこちらを見て待っていた。
狐面のせいで表情が見えず、怒ってしまったかとティナは青ざめる。これから世話になるというのに、年甲斐もなく絨毯にはしゃいでしまった。
青ざめたティナをライムが穏やかに声をかけた。
「大丈夫ですよ、ティナ様。旦那様は怒っていませんから」
「ああ。別に怒るような事ではないだろう。ライムの言う通り、部屋に色は違うが同じ絨毯を用意している。ベッドはもっとふかふかだぞ」
「そうっスよ、ティナさん!ボスと話して、さっさと部屋行きましょ!」
ジェンも付け加えるように後ろからティナに話した。
ティナはその優しさに恥ずかしくなって顔が赤くなったのを感じた。
18歳にもなって回りの人からあれこれ気を使わせてしまっている。しっかりしなければ。今はまだお客さんとして扱われているからこんなに親切にしてもらえているが、これが長くなればなるほど生産性のない居候と思われてしまって迷惑をかけてしまう。
だから、出来るだけ早く自立できるようにならなくてはならない。
優しい彼らが自分を助けたことを後悔しない内に。
無償の助けなんてないのだから。
歩き出したフェネラの後を、心をぎゅっと強くしたティナが追いかける。
二階の応接室に着き、フェネラとテーブルを挟んだ位置にあるソファーに座るように言われた。ジェンは仕事がどうとかで二階に上がったらすぐにどこかに行ってしまった。
見るからに高そうな革張りのソファーに遠慮して浅く腰かけた、その瞬間。
予想以上の柔らかさで、後ろに倒れ込み背もたれにぽすりと頭をぶつけた。
思わぬ事故に顔から火が出そうだった。
こんなに柔らかいソファーは初めてだから、とか言い訳する場合ではない。急いで座り直す。
フェネラの方を見れば、ばっちり見ていたのだろう。驚いたようにこちらを狐面越しに凝視していたが、突然おかしそうに吹き出した。
「あははははっ!」
居たたまれなくてティナはもじもじする。
しっかりしようと心に決めた途端にこれだ。自分の間抜け具合に穴があればそこに隠れてしまいたい。
「旦那様、そんなに笑われてはティナ様に失礼ですよ」
ライムが微笑ましそうな表情で笑い続けるフェネラをたしなめた。
「ああ、笑ってしまってすまない。ふふっ、そのソファーはすごく柔らかいだろう?」
まだ笑いの残る声で聞かれて、ティナは目を合わせられず下を向いて頷いた。
目の端にライムがテーブルに紅茶を置いたのが見えた。
「さて、紅茶も入った事だ。これからの話をしよう」
そう言われて弾かれたように顔を上げる。
しっかりと聞かなければ。
「ティナ。私はお前の刺繍の腕を買ったのだ」