元の世界に帰るため子どもを産みます。
またも思い付きです。
異世界召喚された女性と彼女を呼んだ男性の話。異世界転移が苦手な夏月が書くとしたら、こういう事になる話。
「あなたが召喚された理由は私の子を産んでもらう。それだけだ」
「……人をバカにするのがあなたの性格だとしても初対面から人をバカにした発言は許せないし、そんな理由で異世界に引っ張って来たあなたを私は許せないわね」
私は宣言と同時に男ーーこの異世界に私を召喚したという魔術師とやらを睨み付けた。でも先程説明を聞いてしまったから、このクズな発言をした男の子どもを産まないと私は元の世界……地球にある日本という国に帰れない。この魔術師とやらという男曰く召喚した者の願いを叶えれば私は元の世界に帰れるらしいのだ。
「あなたが何を言おうと私の願いを叶えないと帰還は果たせない」
無表情で威圧的な空気を醸し出した男に舌打ちをしたけれど私は溜め息をついた。幸か不幸か男性経験が有る事だけが唯一の救い。初対面の男に簡単に身を委ねるような女に見えているとしたらそれはそれは不本意だが、やることをやって子どもを産まないと帰れないならとっとと身篭るしかあるまい。
ーー私、恋人居るんだけどね、一応。
そして恋人以外の男に身を委ねたことなど一度も無い。ワンナイトラブ? 有るわけがない。男ってどこの世界もバカしか居ないのかしらね。そう思っても仕方ない。もうこの男の家で……おそらくこの男のベッドの上で現状押し倒されているのだから。
とはいえ、これでも医療事務の仕事をしている私としては考える事も有れば問い詰めたい事もある。私の溜め息を諦めと受け取って先に進もうとする男の顔が迫って来るのを両手で阻止して「確認事項がある」と言った。
***
そもそもの始まりは、おそらく現状より数時間前に遡る。仕事帰りに彼の家に行ってそこから自分の家に帰る途中、なんだか光って眩しいと目を閉じた後なんだか立っていられない感覚がして蹲み込んだところで声がした。
「成功した」
その声に導かれるように目を開ければ「私は魔術師だ。あなたを召喚した」と頭が沸いてんのか? って聞きたくなるような発言をした男が立っていた。風貌は日本人とはかけ離れているが私に外国人の知り合いは居ない。流暢な日本語を話すから日本に観光に訪れたのだろうか、と思いつつ周囲を見回した。
さっきまで外にいた。
アパート近くのコンビニを通り過ぎたところだった。
なのに今は誰かの家だ。……目を閉じてから開けるまで私の中では1分くらいだったと思うが、実は何時間も経っていたのだろうか、と本気で疑った。
「誘拐犯?」
私が睨みつけながら男を見れば男は片言で「ユウカイハンとはなんだ」と聞いてくるから「私を拐ったんでしょ? 目的は何? お金ならそんなに大金は無いわよ」と言ってやった。カラダ目当てとも考えたけれどそもそも自宅への帰り道に人が近寄って来た気配はまるで無かったのだから、拐ったのとは違うのだろうか。言うなれば目の前の男は突然私の前に立っていた。というのが正解だ。
「金は持っている。金目当てでは無い」
「じゃあ目的は何」
「此処はあなたがいた国ではない。異なる世界だ。私はこの国の魔術師という仕事をしている。事情があって子を生さねばならないが、私はこの国の女性が苦手だ。他国の女性も知らない。だから私の子を産める健康な女性を神に願って召喚術を行使した。そしてあなたがやって来た」
「……は?」
色々と突っ込みたい事が多くて顳顬を解す。理解出来ない。
「あなたは私が喚んだ。私の願いを叶えれば元の世界へ帰そう」
「言っている意味が分からない」
頭のおかしな外国人……見た目はワイルド系の美形で髪の色は金と茶の間のような色合いに新芽を思わせる明るい緑の目をした男にちょっとだけときめいた自分が許せない……の言い分を無視して出て行こうと思った。出入り口で有ろうドアは男に塞がれている。さすがにこんな頭のおかしな外国人に近寄って行きたくないので窓に近寄って外へ出ようとしたところで息を呑んだ。
いや、おかしいとは思っていた。
仕事帰りに彼の家に寄ってから自宅に帰りかけていたのだから太陽は隠れていた。それなのに此処はやけに明るい。電気かと思ったが電気系統は何も見えなかったため、どういうことだ? と思っていた。
だけど窓から見えたのは明るい太陽の光。そういえば先程感じた強い光。目を閉じていた感覚から言えば、まるで明るい真っ昼間の光はおかしかった。……もしや眩しくて目を閉じたのはこの太陽の光の所為?
そう思いながらもそれ以上に有り得なかったのは……私のアパートの近所にこんな森なんて無かった。それも鬱蒼と生い茂る木々など無いし、窓から見える景色がどこもかしこも森だなんて、私のアパートの近所に無いと断言出来る。
ーー信じ難いけど信じるしか無さそう。
私は逃げようとした気持ちを折られて窓際でヘナヘナと座り込んだ。
「おい」
慌てたような男の声が背後から聞こえる。
「……信じるしか、無さそうね。いくらなんでもウチの近所にこんな森なんて無かったわ。私が目を閉じていた時間なんて僅かだもの。そんな僅かな間に移動出来る場所にこんな森なんて無いわ」
ポロリと溢した自分の言葉が耳に届いたと同時に頬に伝う温かなもの。……ああそうか。きっと心が限界だった。環境が違い過ぎて追いつかなくて。流れる涙を拭う事もなく落ちるままに任せた後ようやく男を振り返る。男はなんだか驚いたような表情をしていたが、まぁいきなり泣いている女を見れば感情の起伏が薄い人間以外は驚くのだろう。
「だい、じょうぶか」
「……ええ。それでもう一度説明してくれるかしら」
泣くだけ泣いてからそう言えば。男は何故か私を抱き上げてベッドに私を押し倒して言ったのである。
「あなたが召喚された理由は私の子を産んでもらう。それだけだ」
と。
「……人をバカにするのがあなたの性格だとしても初対面から人をバカにした発言は許せないし、そんな理由で異世界に引っ張って来たあなたを私は死ぬまで許さないわ」
今度は理解した私はその瞬間、生来の負けん気が機能したようにこんな可愛げない事を男を睨みながら言い返していた。
「あなたが何を言おうと私の願いを叶えないと帰還は果たせない」
こんな事を言われてつい舌打ちをしてしまったけれど、帰してもらえるみたいだからまだ人の心は有ると思うべきか。帰さないって言われる事も考えていたし、帰せないと言われる事も覚悟していたから。恋人の顔が過ぎったけれど振り払って腹を括った。「確認事項がある」と男に事務的に切り出した。
***
「カクニンジコウ?」
また片言。この男が知らない日本語は……って異世界とやらが本当なら日本語じゃない⁉︎ えっ。私は日本語を話しているつもりだけど、もしかして神さまとやらの力で勝手に通訳されてる⁉︎ で、男が知らない言葉は片言になるって感じ⁉︎
「気になる事が有るから教えてってことよ」
「成る程。なんだ?」
男はキス〜ヤル気満々のマウント体勢を直して私の身体を起こしてベッドに腰掛けさせて話を聞こうとした。もしかして結構相手のことを思いやれる良い人なのかもしれない。
「先ずはお医者様に会わせて」
「オイシャサマ」
「医師とか医者とか言わない?」
「ああ医官だな。なんでだ?」
「私は少しだけ医官? って言うのね? 医官の手伝いを向こうではしているの。患者さんにあなたは向こうの先生ですよ、ご案内します。みたいな感じで」
「そういう仕事か」
「医官が1人で患者さんの病気や怪我を診た後に今回はこんな病気や怪我でこういう薬を出してだからいくらかかってお金をもらう。って大変でしょ? だから代わりになる事をして負担を減らすのが私の仕事」
「そうだな。解る。それで?」
「だから思ったのだけど。もうこれだけあなたと私の距離が近いから今更かもしれないけれど。私は異なる世界から来た。つまりこの世界の異物なの」
「イブツ」
「この世界に存在しない人間が来たから、例えばこの世界に私の世界の病気が一緒にやって来たかもしれないってこと。私は健康だと思うけれど私の世界では目に見えないくらい小さなものが人を病気にさせたり怪我を悪化させたりするって事が分かっていて、それに対抗する薬が作られているの。向こうでは簡単に手に入る薬でもこちらの世界には無いものだったら? それなのに健康な私と共にその小さなものがやってきてこの世界に未知の病気が流行したら? 私は嫌だわ」
「成る程。だから医官にあなたの身体を調べさせるっていうことか」
「理解してくれてありがとう」
「いや。素晴らしい考え方だ。だが医官は不要だ。いや不要というのは違うな。医官の魔法というのが、この世界ではどんな病気や怪我も治せる治癒魔法という魔法がある。未知の病気にも効果はある。そんな治癒魔法の使い手が医官だ。神からそう教わっている」
「そう。それならとりあえず安心して良いのかしら」
「おそらくな。ただ。寿命はどうしようもない」
「それはそうね」
「他は? どうせなら全部気になる事を聞くと良い」
「あなたに恋人は?」
「私はこの国の女性が苦手だ。故に妻も恋人も一度もいた事が無い」
その言葉に私は別の問題に気付いた。……それってさっきヤル気満々だったけれど、キス以上の事をしたこと無いんじゃぁ……。私の物言いたそうな表情に気付いたのか、彼は慌てて口を滑らせた。
「きちんと、き、教本を読んで勉強した!」
それってあれか。18歳未満厳禁のビデオやDVDなどを見て勉強したようなものか。うーん。まぁ私がハジメテじゃないから何とかなるかもね。
「それじゃあ次の質問ね」
私が話題を変えたからか、あからさまにホッとした表情を見せた彼がなんだか少し可愛く思えた。
「なんだ」
「私の世界では大体280日くらい妊娠期間があるのだけどこちらは?」
「同じくらいだな」
「その間は私の面倒を見てくれる?」
「当然だ。私の子を産んでもらうんだぞ? 命がけで産んでもらう相手を大事にするのは当然のことだ」
「そう。それは良かった。安心したわ。それから」
「まだあるのか?」
「あるわよ。だけど大切だと思うわ。……私は私の世界で子どもを産もうと思っていたくらいには子どもが好きよ。だから私が帰った後にきちんと育ててもらえるのか知りたいわ」
私のその言葉に彼はとても驚いていた。
「もしかして将来を誓い合った男が居たのか? いや、そういう相手を排除してこちらへ召喚したはずなんだが」
彼のその言葉に今度は私が驚いた。
「どういう意味?」
「いや子どもが欲しいということは将来を誓い合った男が居るからだろう? あなたの世界では女性が1人で子どもが欲しいと思ったら出来るのか?」
「いいえ。おそらく子どもを作る方法は同じだと思うわよ。そうじゃなくて。将来を誓い合った男が居る相手を排除した、という意味の方」
「ああ。そっちか。いやだって、恋人がいる若しくは結婚している相手に違う男の子を産んでくれ、とは言えないだろう」
……成る程。という事は私はやはりそういう事になるわけか。
妙に納得すると同時に胸に穴が開いた気持ちになってしまう。
「待て! 何故泣く? やはり恋人が居るか結婚しているのか⁉︎」
彼に言われて私は泣いている事に気づいた。
「少し、だけ……泣かせてくれないかしら」
彼は困ったように頷く。そして慰め方が分からないみたいで頭を撫でつつ彼の袖でグイグイと目を擦られる。……痛いんだけど。
「目が痛いわ。もう少し力を抜いてくれないかしら」
ちょっとだけ唇を尖らせて文句を言えば、彼は目を彷徨わせて「すまない」と呟くように謝ってきた。そんな彼にクスリと笑ってしまう。こういうの、今泣いたカラスがもう笑ったって言うんだっけ。
「落ち着いたか?」
「ええ。……結婚してないわ。恋人も大丈夫」
それ以上私は言えなかった。
「そうか。あなたが我が子を産んでくれた後だが」
彼は私を気遣ったようにそれ以上踏み込んでこなかった。そして私の疑問に答えてくる。
「私が育てる。乳母も雇う。だから大丈夫だ。他は?」
「最後ね。私は元の世界に必ず帰れる? そして帰れるならいつ? 来た日? それともここにいた日数だけ過ぎて行くの?」
私は27歳。向こうで仕事を持ち1人暮らしをして恋人も居たけれどいきなりコチラに来て帰れない、となれば。恋人はともかく父を亡くした母と疎遠になっているけれど妹が私が居ない事を心配するとは思うから。
「元の世界には必ず帰れる。神との契約だからな。いつ、とまでは言えないが来た日と誤差の無いようにしておく」
「……そう。分かったわ」
もう他に聞く事もない。私は了承した。だが逆に彼が何かを言いたそうな顔をしている。
「なに?」
「本当は話さないつもりだったのだが」
「話さないつもりなら話す必要は無いんじゃないの?」
「いや。話す。そして協力をしてもらいたい」
「協力?」
首を捻った私に彼は心を落ち着かせて聞いて欲しい、と切り出して話し出した。
「……つまり?」
「我が国では望まぬ妊娠でも子を必ず産まねばならない。だが心に傷を負った女性に子を育め愛せとは言えない。故に魔法で成長を促進させ早くに子を産ませる術を生み出した。その試験を私とあなたの子で行いたい」
望まぬ妊娠が辛いだろう事は同じ女だ。理解出来る。でも自然の事を外部から捻じ曲げて許されるのかしら。そしてこれは実験ではないの?
「実験ね」
「そう捉えても構わない」
「命を弄ぶような事をするの⁉︎」
「弄ぶわけじゃない。私はこの国の女性が苦手だがそれでも望まぬ妊娠に対して思う事は色々ある。彼女達の助けになれば、と思ってのこと」
「……何故最初は話さないつもりだったのに話す気になったの?」
彼は困った顔で言った。
ーーあなたは私が苦手な女性と違う気がしたから。
彼はそこから何故この国の女性が苦手なのか教えてくれた。
***
「私は医術も扱える魔術師。つまり医官だったのだが。ある時自分が生死に関わる大病に侵された。無論助かりたいとは思ったがあまりにも苦しくて死ぬ方が楽かもしれない、と思う程。その時に神の声が聞こえた。神の声が聞こえたと同時に病が治り……私は神官になった」
「話の途中でごめんなさい。神官って神さまに仕える人の事ではないの?」
「あなたの世界ではそうなのか? こちらでは神に仕える者は神仕官という。神官は神の声が聞こえる者や神の存在を感知出来る者或いは神の姿を見られる者の事を言う」
「そうなのね。分かりました」
「神官は少ない存在なのだが説明したように神の声が聞こえてしまった私は、この国で地位が高くなってしまった。それに比例するように発言力も強くなり神官になってしまったから金も普通の医官や神仕官よりも遥かに多い。そして幸か不幸か恋人も婚約者も居なかった」
そこで彼は溜め息をついた。
ここまで言われれば先は読める。
「恋人になりたい、とか結婚したい、という女性が多くなった?」
「そうだ。私はどうやら見た目が良いらしくてな。元々言い寄られてはいたのだが、子どもの頃に使用人の女性から寝ているところを抱きしめられた上に唇を奪われた。それに抵抗したら両親が気付いて助けてくれたが、それ以降女性は苦手になった。成長するに従い言い寄られる事が多くなり全てを断っていたのに、神官になってしまった故に鼻がおかしくなりそうな程強い香水を付けた女性達に押し掛けられた。それを断るのも面倒くさい手順があって。あまりの数の多さに私はこの森の中に家を建てて一人暮らしをしている」
無理やり召喚されて腹立たしかったけれど話を聞くうちにちょっと同情心が湧いてきた。男でも女でも自分の意にそぐわない事をされるのは不快だ。ましてや子どもと大人では……。それは女性が苦手になってもおかしくない。
「それは苦手になってもおかしくないわね」
「あなたはどうか知らないが、この国では女性優位なところがあってね。女神信仰だからか女性優位なんだ。もちろん私が聞いた神の声は女性だった。女性優位である事が問題なのではなくて。私には……女性なのだから男がそうするのは当然、と思えるような言動は取れないから苦手なんだ」
「ええと?」
「この国では女性に話しかけるにはまず贈り物が必要なんだ。一般的なのは花束。花束を持って挨拶をして花束を受け取ってもらえたら初めて女性と話が出来る。女性からは全く何もなく男に話しかけられるのに、男が女性に話しかけるのはそんな感じでな。私はそういう習慣に違和感を覚えて自分から話しかけたい女性は居なかった。おまけに私の唇を奪った使用人みたいな目がギラギラした女性ばかりでとてもじゃないが恋人になって欲しいとは思わなかった。仕事の会話ならそういう事は無いのに、な」
「それはまた随分変わった習慣ねぇ。私の国ではそんな習慣はなかったわね。でも私が男だったら余程相手を好きならともかく。そうじゃないならあなたと同じように関わらない選択を取るわね」
彼は肯定した私に驚いたような表情を浮かべた後「ありがとう、理解してくれて」と笑った。だがまぁそういう面倒くさい女性とのやり取りは私が男でも嫌だと思う。だから共感出来た。それで私を召喚するのもどうかと思うけれど。
「それでこの国の女性が苦手になった、と」
「そうだ。だが今も言ったように神官になってしまった以上国の中枢に近くなってしまったからな。近くなればなるほど権力や地位が鬱陶しくなるほど高くなるし、こちらが少しでも油断をすれば蹴落とそうとする輩が多い。その上私と結婚すれば安泰と考える女性達……。煩わしくて仕方ないのに私の力を残すために跡継ぎを作れ、と陛下から命じられて。だがこの国の女性は無理だと悩んでいた私に、女神からの託宣で異世界から女性を招けば良い、と」
「それで私が召喚されたわけね」
不本意だが。まぁ仕方ない。帰れるというなら子を産むしかないだろう。人体実験に協力はしたくないけれど望まない妊娠をして更にその子を堕ろせないのであれば、せめて心の負担を少なくするよう考えるのも肯ける。
「必ず元の世界へ帰れるようにする」
「分かりました。協力、しましょう。あなたの子を成長させる魔法も含めて」
改めて私はその申し出を受け入れた。
***
結果から言わせてもらうと、まぁ女性経験が一切無い肉体的な触れ合いをした事の無い彼が相手なので教本通りにやろうとしてもなかなか上手くいかなかった。という事で、私は経験者としてリードさせてもらう事を彼に納得してもらいまぁ無事に致す事が出来た。そしてたった一回で身籠った。ーー相性が良かったらしい。正直なところ異世界人との間に(遺伝子とかそういったレベルで)子が出来るのか不安は有ったが良かった良かった。
ちなみに妊娠が分かったのは、私のお腹の中に彼と同じ魔力が宿って少しずつ成長している事に彼が気付いたから、らしい。へぇ魔法って便利ね。そう思いながら彼の考えた魔法を使って日々私のお腹の子は成長していった。
彼は約束通り私の面倒も見てくれたし、大切にしてくれた。
「マーナ!」
「お帰りなさい、フィオッタ」
私達の所謂“初夜”に、私は名前を教えて欲しいと頼んだ。恋人でも夫でもない相手に身を委ねるのは帰るためとはいえ、やはり怖い。だから互いの名前を呼んで少しでも心が触れ合えるように提案した。魔術師は真の名前を家族以外には教えないそうで。(真の名前を教えるのは魔術師にとっては命を握られているのと同じ、らしい)通称を教えてくれた。
彼が呼ぶマーナは、私の名前をなかなか呼べない彼に教えた分かりやすい呼び方である。
真島秋菜
が、私の本名だけどシュウナが呼びにくいらしくて真島の“ま”と秋菜の“な”を取り出して“マーナ”と呼ぶように教えた。以来、彼は私をマーナと呼んでいる。そんな彼は仕事が終わって帰宅したところで。私は何もしないのもどうなのか、と思ったので簡単な食事の支度と掃除や洗濯を請負った。
こちらの世界に電気が無いので炊飯器や冷蔵庫や洗濯機など無い。米が主食じゃないのは日本人の私としては寂しいけど。でもパンが美味しくないんだよね。固いのよ。水じゃなくて牛乳で焼いたら柔らかくならないかな。オーブン的な物として窯があるけど全く使用してなかったみたいで埃が付着。それを綺麗にしてから小麦粉に牛乳を入れてパンの生地を捏ね上げて焼いてみた。……うん。ミルクの味がするけど柔らかくなった。なんだっけ。何を発酵させた菌で焼くと美味しいんだっけ。そんな事をツラツラ考えながら過ごす日々。市場へ移動するのだけは少し距離があるから辛いんだけど、でも色々な物が売られていて見るのは楽しい。服や下着も買えたし。
フィオッタの魔法であっという間に大きくなった私のお腹は、今はもう市場まで歩いて行く事も出来ず、いつ産まれてもいい状態だった。
「ねぇフィオッタ」
「なんだ?」
「乳母は見つけた?」
この子を置いて帰ってしまう私としては気になってしまう。
「……ああ。心配しなくていい」
「そう。良かった」
安堵の溜め息をついて笑顔を浮かべる。
「マーナはやはり帰りたいか?」
こちらに来て1ヶ月が過ぎもうすぐ2ヶ月が見えて来そうだ、という現在。出会った直後よりも私は彼に心を許していたし、彼も私に心を傾けてくれている気がしていた。
オズオズとした言葉を聞けば強ち間違っていないはず。
「ええ。帰りたいわ」
その意思は変わらない。ずっと彼と過ごして来て突然こちらに召喚された許せない思いは既に無い。何故なら彼は優しくて不器用で誠実で愚直だから。そんな彼相手にいつまでも頑なに拒める程に私の心は凍てついていなかった。……いいえ、もしかしたら彼が私の心を溶かしてくれたのかもしれない。
だからこそ、余計に私は日本に帰りたかった。
私のその決意を聞いた彼は明らかに肩を落とした。
「やはり……私の事が許せない、か?」
苦しそうな表情で彼は声を絞り出すように私に尋ねてきた。思わず目を瞬かせて彼を見てしまう。彼は慌てて私の視線から逃れるように目を逸らした。
「いいえ」
私の静かな声の否定に彼がハッとして私に視線を合わせてくる。彼と視線を絡ませて私は覚悟を決めた。
「フィオッタ。話を聞いてくれる?」
彼は多分私の覚悟に気づいたのだろう。真剣な面持ちで頷いてくれた。それから私はこの世界に来る直前の出来事と私の生まれた時からの日々を軽く話す。そして帰りたい理由も全て曝け出した。
「……そうか。そういう事だったのだな。それなら帰りたいというマーナの気持ちを尊重しなくてはいけないな」
彼は全てを黙って聞いて少しだけ悲しそうに笑った。その日の夜、彼の魔法で陣痛を促された私は無事に彼の子を産んだ。彼の髪色と目をした可愛い男の子でそれだけは私に似なくて良かったな、なんて思えた。
彼の子を産んで私が体調を整える間は3人で暮らした。母乳を勢いよく飲む我が子が可愛くて不器用ながらも可愛がる彼が愛しくて帰りたくない……と思う。でも。その気持ちを押し隠して私は日本に帰る事にした。
「フィオッタ。私、体調はもう大丈夫そう」
「そうか」
私が産んだ彼の子に付けられた名は、ガルドという。彼の魔術師の師匠で医官の師匠である方の名前らしい。でもガルドは医官ではなく神仕官か神官のどちらかになるだろう、と彼が言っていた。
「ガルドをお願いね」
「ああ。マーナ。いや……シ、シュナ。ありがとう。ガルドを産んでくれて」
フィオッタが初めて私の名を呼んで私は心臓が痛いくらい強く鼓動を打っている事に気づいた。シュナ、か。シュウナってやっぱり呼びにくいみたいね。でも一生懸命呼んでくれたからそれで良いわ。
「私こそガルドに会わせてくれてありがとう。フィオッタ、最初は勝手な召喚に怒ったけれど今は私を召喚してくれてありがとうって言えるわ」
「そう、か」
彼は泣きそうな表情で頷いて
「女神にあなたを元の世界に帰す帰還の儀をいつ行うべきか訊ねる」
と請け負ってくれた。それから少しして彼が3日後に帰還の儀を行う、と伝えてくれた。3日後には私は日本へ帰れる。彼が言うには、女神サマ曰く召喚直後の時間にはならないけれど数時間の誤差であの日に戻れるらしい。数時間の誤差なら大した事無い。私はそれを了承した。
その夜から帰る前日まで彼は私を求めて来て私も彼を求めて……お互いに隙が無いくらい肌を重ね合わせて……そうして私は日本に帰還した。
***
久しぶりに見る日本の景色。私の部屋に入ったところで元彼からのメッセージがスマホに入った。話し合いたい。短いメッセージに日時と場所を指定する。彼の部屋も私の部屋も絶対に避けたいから喫茶店にした。
元彼に会う日を遅くしたのは冷却期間、と嘯いて。その間に母親の元に帰るつもりで契約更新の時期を待たずに来月いっぱいで解約をする事にした。仕事先にも辞める話をしておく。こちらは女性が多い職場なので、失恋と母親の体調が思わしくない……の2点だけで後は皆様が脳内補完をしながら私の退職理由に納得してくれるだろう。女性とは想像が逞しい生物なのだ。
それから母には話したい事があるから暫く帰る、と伝えておいて。そして疎遠になった妹に初めて手紙を書いた。
妹は私の2歳下だが早くに所謂オメデタ婚をした。だが妹からすれば望まぬ妊娠だったようで現在3歳の娘を疎ましく思っている。事あるごとに私に「お姉ちゃんは自分の好きな事が出来て自由で羨ましいわ」と突っ掛かってくる上に、偶にしか会わないからついつい姪を甘やかしてしまうのでそれが尚気に入らない、とばかりにこの1年は会わないどころか電話もしない間柄になってしまっていた。その関係を私は修復したい、と手紙に書いておいた。
そうして様々な事に目処を付けた私は、ようやく彼との話し合いに挑める自信がついた。3年前から付き合っていて半年前には結婚しよう、とプロポーズを受けていたというのに。
「久しぶりね」
「秋菜! あの」
「名前を呼ばないで。真島の方にしてくれる? 片瀬君」
私が正樹って呼ばない事を彼は驚いたような表情でこちらを見る。なんで名前を呼ばれるって思っているのかしら。
「秋菜! 話を聞いて!」
「聞いているわ」
「俺は別れない。秋菜と結婚したいんだ!」
「それは無理ね」
何故、あんな事をしておいて結婚したいと言えるのか寧ろそっちの方が疑問だ。
「し」
「あのね、名前を呼ばないで」
「真島さん……」
「片瀬君。なんで結婚出来るって思っているの?」
「それは、し……真島さんは俺のことが好きだろ? 俺も秋菜が好きだから」
「片瀬君のことはもう何とも思っていないのよ、私。だってそうでしょ? これから会いに行くねって連絡に気付かずに私の親友とベッドの上で致していたのだから別れる話になるわよね? コトの真っ最中で言い逃れが出来ないあの状況で浮気してないって言うつもり?」
何しろこっちは濃厚なキスシーン付きの「好きだよ、玲緒奈」という言葉まで聞いているのだ。当然服無しである。これで浮気じゃないというなら何を浮気と言うのか1万字以内に説明せよ、という気分だった。
「それはその、出来心というか」
「出来心ねぇ。あれが最初だろうと何回目だろうと浮気は浮気。有り得ないわね。という事でさようなら。式場の予約とかしてなくて良かったわね。それじゃ」
スッパリと告げれば「秋菜が悪いんだ」とか言い出した。……前から思っていたけど、同い年のはずなのになんでこんなに子どもっぽいんだろう、この人。もう何も話す気になれずに私は自分でオーダーした分だけを支払って店を後にした。彼の連絡先も削除して後は心置きなく実家に帰って母とのんびりしていよう。
***
私が実家に帰ってから2ヶ月。妹が姪を連れてやって来た。
「久しぶりね、冬華」
「あんな手紙をもらったから気になっただけよ。お母さんに会ってなかったしね」
ツンとした表情の妹に笑った。父の名前が真島晴則で母が奈津子。はるとなつだから私が秋菜で妹が冬華になった。4人揃うと四季になるのが嬉しかった。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「うん?」
「お母さんをお願いしますっていきなり、なによ」
「そうねぇ。冬華が来てくれたから丁度良いわね。今、お母さんは出かけているから帰って来たら話すわね」
私はイタズラ大好きな悪ガキみたいな表情で冬華に笑いかけた。
やがて久しぶりに揃った母子3人。私はスマホの待ち受け画面になっている2人の写真を見せた。覗き込む母と妹。
「この外国人と子ども、誰」
「私の夫と私の息子」
母と妹は呆然とした様子。まぁそれはそうだろう。結婚した、とも言わない娘が夫と息子なんて、言い出すのだから。フィオッタとガルドの待ち受けを見ながら私は「信じられない」とこぼした妹と母に2人の事を話した。
「えっ? ちょっと、27にもなって真顔で厨二病を発症したような事を言わないで」
妹に真顔で諭され、私は笑った。まぁ信じられないのは分かる。私だって未だに夢みたいに思えるから。でも眠るフィオッタとガルドをこっそり撮ったこの1枚だけが真実だと教えてくれる。
「だからね。冬華にお母さんを頼んだの。いつか私はまた異世界に行くわ。フィオッタとガルドのために私は向こうで生きる。今度はこちらに帰って来ない。帰って来られない。だから私はこちらに未練が残らないように、そしてお母さんと冬華が心配しないように話に帰って来たの。いつ行くか分からないわ。でも必ず私は……向こうに帰る。こっちに戻って来たら母乳も出ないのに、それでも母乳が出るような感覚がするの。だって私はあの子を産んだのだもの。だからお母さん、冬華元気でね。私の荷物はここに置いておくから私が居なくなったら処分をお願いね。それと結婚するために貯金していたけど、もう必要ないから冬華にあげるわ。通帳と印鑑とカードを渡しておくから、後は頼むわよ」
私がそう言って笑えば、冬華は「まだ言うか。いいとしして厨二病とかホント勘弁して欲しい」と溜め息をこぼしながらも、ちゃっかり通帳と印鑑とカードを握りしめて。母は泣きそうな顔をして「もう会えないの」と言うから「ええ、二度と」と微笑んだ。
「お姉ちゃん。正樹さんの事どうするの?」
と冬華に聞かれて、私は「ああ、言ってなかったわね」と浮気されて別れた事を話した。冬華も良く知る玲緒奈との浮気に、冬華と母が怒ってくれて嬉しかった。そんな時だった。
この場が眩しく光った。
「何、この光!」
冬華の声が聞こえる。
「お母さん、冬華。元気でね」
私の別れの言葉は聞こえただろうか。
「秋菜も元気でね」
……ああ聞こえたみたい。それが嬉しくて目を閉じたまま光に身体を委ねた。光が収まってから目を開ければ、呆然としたフィオッタの表情が目に飛び込んで来た。
「えっ⁉︎ マーナ⁉︎」
「ただいま、フィオッタ。いいえ、フィーオルートラ」
彼の真の名前は、私が日本に帰る直前に教えてくれた。彼は目をこれでもか、というほど見開いてそれから泣きそうな顔で言った。
「お帰り、シュウナ」
あら。今度は名前をきちんと言えるのね。呑気にそう思う間もなく彼の腕の中に居て。ギュウギュウに抱きしめられた。
「あれからどれくらい時が過ぎたの?」
「1年だよ」
「ガルドは大きくなったでしょうね」
「うん。シュウナに似てきた。今は寝てる」
「そう。……ねぇフィオッタ。あなたに尋ねたい事があったのよね」
「なに?」
「あなた、何歳なの?」
そう。外見は私より年上に見えるフィオッタだけどきちんと年齢を尋ねた事が無かった。彼は泣き笑いで「23歳だ」と答えてくれた。えっ、年下だったの? そして1年経ったという事は……出会った時は22歳だったのか。向こうとこちらでは時の流れが違うからもう少し日本にいたらフィオッタが同い年か年上になっていたかもしれない。そうは思うけどそれはもしもの事。今は彼と再び会えた事に感謝しよう。
それから私は。
乳母を頼むとか言ったくせに、たった1人でフィオッタがガルドを育てている事を直ぐに知ることになる。フィオッタはフィオッタで私が二度と日本に帰れない覚悟をしてこっちにきた事に驚いていた。
「そもそもどうやってこっちに帰って来られたんだ?」
「女神サマに言われたのよ。私が日本に帰る直前。私とフィオッタが心から会いたいって願った時に再び会えるって。だから私は向こうに帰って、浮気した男に別れを告げて、家族にも説明して。いつこっちに来てもいいように向こうの未練を無くしていたわ」
だから今度は死ぬまで私の面倒を見てね。
そう耳元で囁いたら彼は真っ赤な顔で泣きながら頷いて「二度と離れたくない」と応えてくれた。
誤字脱字チェックしたつもりですが、あったらすみません。
異世界転移って、転移した方も色々元の世界に未練があるだろうし、転移された元の世界の家族とかいきなり居た人がいなくなる事に未練があるよねってことをふと思い付いたので書いた話です。
異世界転移して帰還してまたも異世界転移。単なるご都合主義な話になりましたが、これなら異世界転移に巻き込まれた主役の話に、夏月が納得出来ると思い書いたものです。
ご都合主義バンザイ!←