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SF・近未来・現代FT系短編

正義の味方の転職

作者: 楠瑞稀

 さしたる目的もなくぱらぱらとページを捲っていた手が思わず止まった。

 別に転職を考えていたわけではなかったけれど、手持ち無沙汰の気まぐれで目を通していたリクルート情報雑誌。その中の求人広告のひとつに俺は目を奪われた。



 『交通費全額支給』

 『各種社会保険完備』

 『完全週休二日制。その他、有給・特別休暇もあり』

 『危険手当のほか、働きによって特別賞与支給』

 『経験者優遇。初心者歓迎』

 『あなたも私たちと一緒に夢を叶えてみませんか?』


 『悪の秘密結社 幹部候補生募集中!』



 俺はその一文に大きく目を見開いたものの、冗談だと鼻で笑い飛ばすことはできなかった。

 なにしろその時の俺の職業も、人のことは言えなかったから。

 何を隠そう。おれは正義のヒーローだったのだ。

「……つうか、うちより給料高いじゃん」



 俺がこの職に就いたきっかけは、実に単純なものだった。

 当時大学を卒業したばかりのフリーターだった俺は、街中でスカウトを受けたのだ。

 学生時代、部活動に力を注ぎすぎていた所為で、俺はうっかり就職活動の波に乗り遅れてしまっていた。結局卒業までにぴんと来るような仕事を見つけることができず、仕方がないのでアルバイトでもしていようと、割り切った毎日を過ごしていた。

 ワーキングプアや漫画喫茶難民なんていう暗いニュースが耳をかすめ、何となく将来に対する不安もあったけれど、だからと言っていったい何をすればいいのかさっぱりわからない。

 だから俺は嫌な話題には耳をふさいで、聞こえない振りをしていた。

 アルバイトをしていれば、どうにかその日その日を暮らすことはできる。だから何とかしたいという気持ちは持ちつつも、変わり映えのしない毎日を過ごしていたのだ。

 その男が俺に声をかけてくるまでは。


 街はいつもにぎやかで、どこか浮かれた祭のような空気を漂わせている。

 そんな非日常的な空間に身を置いていると、自分の境遇も将来のこともどこか遠いことのように感じられる。だからこうやって街中を歩くのが俺は好きだった。

 その日はバイトもなく、通いなれた繁華街をこれといった目的もなくぶらぶら歩いていたのだが、俺はいきなり袖を引かれてつんのめった。

「んなぁっ!?」

 あわや転びかけたところを間一髪で踏みとどまる。いったい何事かと反射的に振り返った俺は、しかし思いっきり顔をしかめずにはおられなかった。

 何しろそこにいたのは、爆発したような白髪頭によれよれの白衣という、なんとも怪しげな格好の小男だったからだ。

「ふむふむ、顔もそれほど悪くはないな」

 そんな勝手なことをほざきながら、男はぺたぺたと無遠慮に俺の体に触れてくる。

 それにしたって、いきなり『それほど』とは失礼な!

 あまりの気色悪さにその手を振り払ってしまったのだが、男はたいして気にした様子もなくふむふむとうなずいた。

「この筋肉の付き方からすると、つい最近までなにかのスポーツをやっていたとみた。どうだ?」

 俺は図星をつかれて言葉を失う。

 確かに俺は大学を卒業する三ヶ月前まで、サッカー部として毎日のようにフィールドをかけまわっていた。それは否定しない。

 だが、同時に俺はゾゾゾっと全身に鳥肌を立てて、身を仰け反らせた。

 とにかくやたらと気持ちが悪い!

 なんだこいつは。変態の同性愛者かストーカーかと思わず逃げ腰になった。そんな中そいつは俺にたずねる。

「君、名は?」

「お、王沢…怜音」

 とっさに素直に名乗ってしまったのは、さすが混乱していたからだと思う。

 ちなみになんとも仰々しい名前だが、これでも一応住民票にも記載されている俺の本名だ。

「そうかそうか! それはますます素晴らしいっ」

 男はさらに顔を輝かせると、熱心な様子で俺にこうたずねた。

「君、正義のヒーローに興味はないかね」

「ひ、ヒーロー!?」

 一体それは何の冗談だ。俺はぽかんと口を開けたまま絶句してしまった。


 ……にもかかわず、結果的に俺は男にしたがって奴らの基地という所までついて行ってしまった。

 いったい何を考えているんだと突っ込まれるのは覚悟の上。むしろ自分で自分に突っ込んでやりたい。

 何でそんな突拍子もないことを思い切れたのかと言えば、こんな怪しげな身なりにも関わらず男がきちんとした名刺を持ち、そして理路整然と基地に報告の連絡を入れていたのを見たからだ。ようするに、最初の印象ほど胡散臭い奴では無いだろうと思えたわけだ。

 またこんな貧相な小男が相手なら、いざと言う時にはどうにでも逃げられるだろうと言う思いもあった。サッカー部だった俺は、足の速さには誰よりも自信がある。

 そして何より――たぶん俺は結局の所、無意識の内であっても、いまの自分を変えるためのきっかけを欲しがっていたのだろう。

 基地とは言っても、そこはいつもの繁華街から電車で15分ほどの所にある普通のオフィスビルの一室だった。なんとも拍子抜けだが、実際そこは本当の基地ではなく出張所的な扱いの場所らしい。

 連れて行かれたその応接室で、俺は過剰なほど手厚い歓待と、熱心な勧誘を受けた。

 実はこの貧相な男はこの世界ではかなりの地位と権威をもつ発明家、摩周庄一郎博士だった。ただし俺は、これまでまったくその名前を聞いたことはなかったのだが。

 つんと澄ました顔の美人秘書が淹れてくれた麦茶をすすりながら、俺は何とはなしに博士の話を耳にしていた。けれどそうして説明を聞いているうちに、現金なもので俺はだんだんとヒーローになるのも悪くはないかなと思いはじめていった。

 正直、現代人のモラルだとか地球の未来だとか世界の平和だとか、そんなモノには一切興味はなかったけれど、君の力が必要なのだと熱心に求められるのは悪い気はしなかった。

 なによりその時の俺にはやりたいこともなりたいものもなにひとつなかったから、ちょうどよくもあった。

 そして俺はあれよあれよと言う間に、見習いヒーローという肩書を手に入れたのだった。


 もっとも見習から本物のヒーローになるには、かなり面倒な訓練をいくつもこなさなければならなかった。

 まずは研修という名の筋力トレーニング。

 ヒーローというのは品行方正でなければならないらしいことから、マナー講習。

 ほかにも空手だか柔道だか剣道だかよく分からないような武術の特訓。

 筋トレに関しては、部活時代の合宿を思い出せばさほど辛いものでもなかったし、戦闘訓練もそれなりに面白かった。まぁ、何の役に立つのか分からないような各種講習には正直辟易したが。

 それでも俺はめきめき頭角を現して……なんて自分の口からはさすがに言えないが、どうやら摩周博士の目は確かだったらしく、俺は要領よく半年間の見習期間を終了した。

 その後はお決まりの戦隊ヒーローもののグリーンから始まり、ブルー、レッドとこなしたあと、単品で活躍する正義のヒーローまで出世した。

 けれどそれは、俺にとってはさして心の沸き立つようなことではなかった。



 さて、俺はその日いつものように繁華街を一人ぶらぶらとうろついていた。

 定職に――しかも憧れのヒーロー職についても、俺の繁華街をうろつきまわる癖はいっこうに治らなかった。

 摩周博士やその秘書たちは、俺がこうして街中を歩き回ることにいい顔をしなかったが、自主的パトロールだと言い張ったところ、無理に引き止められることはなくなった。

 そう。俺の気持ちはいつの間にか、フリーターをやっていた頃に戻っていた。

 だいたいヒーローの仕事も最初のうちは面白かったが、だんだんその仕事に不満を覚えるようになっていった。

 悪の怪人たちを殴り倒して、子供たちを救って感謝されて。

 それがけして嫌なわけではないのだけれど、本当にこれが自分のやりたいことかと言われれば素直に頷くことはできなかった。

 果たしてこのままで本当にいいのか。そんなことを考えながら、俺はふらりとショッピングセンターのあるビルに足を伸ばす。気晴らしにCDショップでも見てまわろうと考えたからだ。

 エレベータに乗り込むと、あとからもう一人中年男性が乗り込んできた。

 年は俺の親父よりは若いだろうが、髪の毛がかなり灰色がかっている。穏やかと言えば聞こえはいいが、なんとなく覇気のなさそうな雰囲気。女だったら優しげなロマンスグレーと呼び称しそうな感じだが、きっちりと堅苦しく着こなしたスーツ姿に俺はなんとなく印象の薄さを覚えていた。

 このエレベータを降りて人ごみにまぎれてしまったら、たとえ五分後であっても見分けがつかなくなりそうだ。

 そんなとりとめもないことを考えながら俺は目的の階に到着するのを待っていたのだが、あと少しでランプがその階を点灯させるというところでふいにがくんとエレベータが止まった。エレベータ内の明かりも消えてしまう。

「へ? なんだ?」

 俺はカチカチと開閉ボタンを押すが、うんともすんとも言わない。ちょうど6階と7階の間の所で止まってしまったらしい。非常通話ボタンも押してみるが、どうやら込み合っているらしくなかなか繋がらなかった。

「停電のようですね……」

 もう一人の客がそんなことを言った。

「ったく。ついてねぇなぁ」

 俺はゴリゴリと頭を掻くと、その場にどっかりと腰を落とした。

 ここでやいのやいの騒いでいてもしょうがない。電力が復旧すれば、そのうち動き出すだろう。

 とりあえず、腐っても俺はヒーローだ。エレベータシャフトから外に脱出するくらいのスキルは持っているが、それにはこのもう一人の客の存在が問題だった。

 基本的に、一般人には正義のヒーローたる俺の正体はばらしてはいけないことになっている。

 さてさて、いつ頃エレベータは復旧するか。そう思いながら俺が携帯電話を取り出そうとした時、突如やかましいアラーム音がエレベータ内に鳴り響いた。

「おわっ!」

 慌てた所為で、手の中で携帯電話が跳ねる。とっさに着信音を切ろうとしたが、音源は携帯ではなかった。アラーム音は俺の左手首から鳴り響いている。

『王沢君。休暇中すまない、緊急事態だ』

「げえっ!!」

 耳慣れたオペレーターの声に俺は思わず、うめき声を上げる。

『いま君の現在地の近くで悪の秘密結社の構成員が事件を起こしているらしい。至急現場に向かってくれ』

 正義のヒーローは、例え休暇中であっても万が一に備え連絡が取れるように通信装置を渡されている。事実、せっかくの休みが緊急事態と言う名の敵の襲来で潰されたことは一度や二度では無い。

 だが問題はそういうことではなく、向こうからほとんど一方的に送りつけられるこの連絡通信だ。

 俺はエレベータの同乗者の目を気にして慌てて音声を切ろうとするが、上手くいかない。と言うか、音声を切るスイッチなんてあるのか、この通信機に。

 オペレーターはその現場とやらの住所を読み上げ、最後にこう言った。

「地球の平和は君に掛かっている。任せたぞ、ヒーロー君」

 そして、一方的に通信は断ち切られた。

 一気に静まり返ったエレベータの中で、俺は背後からのなんとも言えないもの言いたげな視線に非常に気まずい思いをしていた。

 振り返えろうにも振り返れない。

 むしろ、振り返る勇気がない。

 ヒーローの正体を秘密にしておきたいのなら、むしろこんな大々的に宣伝するような通信方法を取らせないでくれと、俺は心の中で摩周博士に文句を言う。何しろこの通信機だって、摩周博士の発明品だ。

 俺は同乗者になんて説明をしようか考える。正直に秘密にしてくれと頼むか、いっそヒーロー愛好家同士のお遊びだとでも言うか。

 そんなことを考えていると、再びアラーム音が鳴り響き出した。

 心臓が大きく跳ね上がる。またかっと俺は怒りを込めて手首の時計型通信機睨みつけるが、俺の通信機は沈黙を守っていた。

 おや、と首を傾げたのも束の間。

 俺の背後からやたらと麗しい女性の声が聞こえてきた。

『秘密結社エンツィアン・クロイツの構成員の皆さまへ、連絡事項です。現在C-21地点で展開中の作戦において、現場付近にヒーローがいることが確認されました。作戦コードをT-K2からS-Y7に変更するとともに、本日非番の皆さまにも現場付近で正義の味方を見かけた場合にはご連絡をいただけるよう、ご協力をお願いいたします。繰り返します……』

 妙な沈黙が、流れた。

 俺が恐るおそる背後を振り返ると、そこにはなんとも途方に暮れたおっさんの顔が通信機器から漏れる光によって照らし出されていた。しかも互いにばっちり目が合ってしまう。

「え〜っと……」

 こうした場合は、果たしてどうすればいいのだろうか。

 ヒーローのマニュアルにはこんな場合の対応は一切書いていなかったし、講習でも習いはしなかった。

 今日は互いに非番であるようだし、どちらにしてもエレベータは動かず、俺とおっさんは閉じ込められたまま。

 すっかり頭を抱えたくなってしまった俺だが、解決の糸口は意外にも向こう側から提示してくれた。

「あのぅ、こうなったらいっそ……お互いに聞かなかったことにしませんか?」

「へっ?」

 俺は顔をあげて、おっさんを見る。おっさんはどこか頼りない笑みをとほほと浮かべていた。

「わたしは腕っ節の強い方ではありませんので、こんな所で戦ってもあなたにこてんぱんにやっつけられてしまうのは目に見えています。あなたも、連絡を回されてエレベータを出た所で待ち構えられてもお困りでしょう。ここは互いに通信は聞かなかった……と、いうことにしてしまいませんか?」

「そ、そうだな。そうしよう!」

 俺はその提案に一にも二にもなく飛びついた。

 いくら悪の秘密結社の構成員だとしても、確かにこんな気の弱そうなおっさんを痛めつけるのは寝覚めが悪い。それに、非番であるのにこんなせまっ苦しい所で変身して戦うと言うのは正直気が進まなかった。

「ではそう言うことで手を打ちましょう」

 あからさまにほっとしたような様子で、おっさんはうなずく。俺も同様にうなずいて了承を告げると、エレベータ内は再び沈黙に包まれた。

 カチコチと時計の針が振れる音だけが静かにケージ内を満たしている。俺の時計は通信機内蔵のデジタル時計だから、たぶんおっさんの時計だろう。

 妙に静かな、気の抜けるような時間。

 しかし、俺の胸の中は徐々に落ち着かない気分でいっぱいになっていった。

 互いに互いの正体は知らなかったことに。そういう約束が取り交わされたのはもちろん俺も了承したことだ。

 しかし俺はこの年かさの構成員のことが気になって仕方がなかった。

 もっともそれは向こうが敵だから油断ができないだとか、裏切られないか心配だとか、そういった意味合いからではない。

 どちらかと言えば、押さえがたい好奇心と言うものに近かったかもしれない。

「……あの、ちょっといいか?」

 俺は思い切っておっさんに声を掛けた。

「さっきの約束からするとルール違反だとは分かっているんだが、聞いてみたいことがあるんだ」

 おっさんはちょっと驚いたように顔をあげたが、それでも気さくに頷いてくれた。

「ええ、構いませんよ」

 俺は緊張からごくりと唾を飲み込んで、喉を湿らせる。そして、慎重に問いを口にした。

「どうして、あんたは――悪の秘密結社になんて入ろうと思ったんだ?」

 俺はその点がどうしても気に掛かっていた。

 何しろこのおっさんは、見た目からして荒事を好んでいるようにも、悪巧みを企んでいるようにも見えない。むしろ人の良さそうなただの中年だ。

 自分のしたいことが分からず、今の自分の道が本当に正しいのか不安を抱いていた俺は、何故この人がここまで似合わない道を選んだのか、どれほどのものがこのおっさんをそうさせたのか。その理由が知りたくって仕方がなかった。

 俺の真剣そのものの、そして不安そうな表情がおかしかったのだろう。おっさんは大人特有のどこか余裕を抱いた眼差しで小さく苦笑した。

「ええ、確かに不思議に思われるかもしれませんね。わたしのような人間が悪の組織にいるということが」

 俺は正直にその言葉にうなずく。

「確かに、わたしも昔は自分が悪の組織の一員になろうとはまったく思っていませんでした。むしろ、わたしは正義の味方の陣営に加わりたかったのですよ」

「へ? それが、じゃあどうして……」

 驚きを隠せない俺に、おっさんは穏やかな口調でその疑問に答えた。

「わたしが学校の卒業を目前にして就職先を探していた頃も、今と同じくらい、いえ、それ以上の就職難と呼ばれる時代でした。正義のヒーローに関する仕事は、例え花形であるヒーロー職でなくても非常に高倍率でわたしは望んだ就職先を得ることができなかったのです」

 だからと言って家庭の事情から、就職自体を先送りにするわけにはいかなかった。しかもできる限り定職であることが望ましい。

 そんな中、ようやく内定をもらえたのは人気がなくともその分給料は良い、悪の秘密結社での仕事であったと、おっさんは語る。

 就職自体を先延ばしにした上、棚から牡丹餅的にヒーローと言う花形職種についた俺にはなんとも申し訳ない話であった。

「そりゃあ……お気の毒様に。だけど自分が本当につきたかったのとは違う、むしろ正反対の職につくことに悩んだりはしなかったのか?」

「ええ、悩みましたよ」

 俺の疑問におっさんはあっさりと頷いた。

「これは自分の本当にしたい仕事ではない。自分に相応しいのはこんなことではないと、常に不満を抱いていました」

 その答えに俺はぎくりとする。それは俺が現在抱いている思いとほとんど一緒だったからだ。

「だけど……あんたは今も同じ仕事についている。それは、諦めてしまったからか?」

 自分の本当にやりたい仕事を見つけることを断念してしまったから、だから今も同じ仕事をし続けているのか。

 俺はそう思ったのだが、彼はふっと微笑み首を振った。

「違いますよ。確かに最初のうちは選り好みできる余裕もなく、仕方なしに仕事をしていた部分もありました。けれどね、理想とは違う仕事であってもやっているうちにだんだんやりがいを感じるようになったのです」

「やりがい?」

 彼はうなずいた。

「そうです。確かにこの仕事は危険を伴うきつい仕事です。世間の評判もけして良くはありません。ですが、その分給与は良いですし、福利厚生もしっかりしています」

 俺は先日見かけたリクルート情報雑誌に書かれていた条件を思い出して、頷く。確かに待遇はとても手厚く書かれていた。見栄えは良くても薄給のうちとは大違いだ。

「それに、はじめはやりたいこととまったく違うと思った仕事でしたが、よくよく考えてみればまるっきり違うと言うわけでもありませんでしたし」

 その言葉に、俺は思わず耳を疑う。

「で、でも悪の組織だよな!?」

 それがいったいどういう部分で正義の味方と重なるのか。まったく正反対の仕事ではないか。

「ええ、確かに驚かれるのも当然ですね」

 おっさんは苦笑する。

「確かに、我々がしていることは紛れもなく悪事と評されることです。けれど、例えば我々が幼稚園バスをジャックして正義の味方に退治されることで、小さな子供たちに悪を憎む心と正義に対する憧れを持ってもらうことができます。あるいは産業廃棄物から巨大モンスターを作ることで、人々に環境破壊への問題意識を持ってもらうことができます。」

 おっさんは淡々とそう語る。

「我々のすることはけして正道ではありません。ですが、私は自分の仕事にやりがいを感じています。例え手段は違っても、自分の信じる正義を貫くことができますから」

 そう語るおっさんの目は、自分のしたい仕事をやりがいを持ってやっているという自信と満足が見て取れる。

 一方の俺はどうだろう。ヒーローと言う人から憧れるような職業につきながらも、流されるままに今の仕事について、やりがいも見出せぬまま惰性で仕事を続けている。

 気が付けばおれはおっさんに対して、抑えがたい羨望の思いを抱きだしていた。

「……あんたは、今の自分に満足しているのか?」

「ええ、もちろんです」

 おっさんは即答した。

「私にとって大切なのは、どこにいても、なにをしていても、自分のやりたいことを貫けているかという、ただそれだけなんですよ」

 その揺ぎ無い声を聞きながら、俺は徐々に自分の気持ちがひとつの方向に向かって動きつつあることを自覚していた。


 結局俺たちは、電力が復旧するまでエレベータの中に閉じ込められ続けた。

 外に出たときはとっくに数時間が経過していて、事件解決には間に合わなかった。その件は別のヒーロー組織が対応したそうだ。

 そのことで俺は摩周博士や他の人間たちにこっぴどく叱られてしまったが、その時にはすでに俺の心は定まっていた。

 数日後、驚き言葉を失う彼らの前に辞表を差し出し、俺は正義の味方の秘密基地を後にしたのだった。



 そして現在――俺は、変身スーツのかわりに久々のリクルートスーツを纏い、悪の秘密結社の本部の前に立っていた。これから行われる最終面接を受けるためだ。

 こうすることが自分にとって本当に正しいことなのか。それはまだ分からない。

 あのまま正義の味方として働きながら、その中で自分のやりたいことを見つけ出していくのも一つの手だっただろう。

 だけど俺はどうせだったら、まったくの新しい場所で自分が本当にしたいことを探り出してみたいと思った。そして、その上で今度こそその道を貫こうと。

 何よりあの人の良さそうなおっさんが働き、満足を見出していた組織でなら、それが見つかるような気もしていた。

 俺は大きく息を吸い、意気込んで悪の秘密結社の内部に足を踏み入れる。

 ここから、俺の本当の戦いが始まるのだ。



 <終>


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 秘密結社の定義が迷子に… 求人情報に乗ってる「秘密」結社ってなんぞや… [一言] やりたい事と実際にやっている事とのギャップを埋めていくのが大人になるって事なんだなぁとしみじみ思いまし…
[一言] コメディとあったのでどんなかと思ったら、深みのある作品ですね。 悪役なりの哲学を語るおっさんの言葉がとても新鮮です。 文章も堅牢で、短編としてよくまとまっているなぁと思います。 ラストがどう…
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