視線
入院経験のある友人Dから聞いた話である。
ある時、スポーツ中に足を骨折したDは、とある病院に入院することになった。
そこは割と大きな病院で、五階にある病室に厄介になったらしい。
部屋は四人部屋。
先に入院している先客がいたが、皆、人柄も良く、快適な入院ライフを送ることが出来たそうだ。
さて、入院経験者ならご存じだろうが、相部屋の場合、窓際のベッドは料金が割り増しになる。
Dの家族は、それを知っていて、当初窓際のベッドを望んでいなかったが、空き状況の関係で、窓際のベッドを借りることになった。
好奇心旺盛で飽きっぽい性分のDは、窓から外が見えるこのベッドを気に入ったようで、一人喜んでいたという。
これも入院経験者ならご存じだろうが、入院生活はとても退屈だ。
リハビリなどがあれば刺激になるが、それもある程度治療が進むまではお預けになる。
いわゆる「絶対安静」が強いられるわけだが、これもDのような人間には苦痛だ。
読書やポータブルDVDで映画を見ながら過ごし、気を紛らわせていたDに、ある日、一人の知人が変わった見舞い品を持ってきた。
それは双眼鏡だった。
双眼鏡と言っても、ガチの高価なものでは無く、中古の使い古しである。
その友人曰く「漫画も映画も飽きているなら、これで周囲の景色でも楽しめ」ということらしい。
Dは苦笑しながら、この双眼鏡を受け取ったという。
それから数日後。
暇を持て余していたDは、知人がくれた双眼鏡の事を思い出した。
そこで、双眼鏡で窓からの風景を眺めることにした。
その時初めて知ったが、双眼鏡は思いのほか望遠率が良かったようで、見慣れた町の路地なども結構見渡せたらしい。
いい暇潰し方法を見つけ、喜々としていたDだだったが、ふと思いなおした。
日中、堂々と双眼鏡で周囲を見ていると、周りの人間に妙な目で見られるし、下手をしたら、ノゾキ行為で通報されるかも知れない。
そこで、Dは夜の街並みを覗くことにした。
夜ならば、Dの姿も目立たないし、相手にも気取られない。
やがて、Dは、夜の町を覗くことを始めた。
昼間程、視界は良くないが、町の明かりでそれなりの範囲を見ることが出来た。
ネオンの輝き。
週末の駅前通りの賑わい。
車のテールランプの列。
屋台の赤提灯。
大通りから路地まで、様々な風景が見て取れる。
深夜になると、飲み潰れて路上で眠りこける酔っ払いや、公園で練習している大道芸人の姿なんかも見え、結構面白がっていた。
そうして、夜の町を覗き続けていたある日。
いつものように、就寝時間を超えても起きていたDは、双眼鏡で町を覗き始めた。
そうして、あちこちを覗いていたDは、とある路地に一つの人影を見つけた。
それは、とても髪の長い女性だった。
白い服に紺のスカートのその女性は、人気のない深夜の路地を、俯いたまま病院の方向に向かってトボトボと一人歩いている。
Dは「こんな夜に、一人で不用心だな。襲われても知らねぇぞ」と思いつつ、女性を見ていたそうだ。
しばらく女性を眺めていたD(どうやら美人かどうか、確かめたかったらしい)。
そして、異変に気付いた。
よく見ると、女性の服は所々破けている。
スカートも、切り裂かれ、スリットみたいになっていた。
靴も片方が脱げていて、裸足である。
ヨロヨロと歩くその姿に、Dはハッと思いいたった。
女性の身の上に何が起こったのか、察したのである。
Dの心配は、もう手遅れだったのだ。
見てはいけないものを見てしまったDは、しばらく身動きできなかった。
そして、どうするべきか、思い悩んでいると、双眼鏡の中で、歩いていた女性が、ふと傍らの電柱に手をつく。
一休みでもしているのか、と思ったその時だった。
女性の手が上がった。
そして、何かを指差す。
その光景に、Dは思わず悲鳴を上げかけ、慌ててそれを飲み込んだ。
女性の指は、Dへ向けられていたのである。
Dの話では、夜という状況や距離からして、女性がDに気付くのは不可能だ。
にも関わらず、その指はDへと向けられていたのだ。
まるで、Dが覗いているのを知っていたかのように。
その時、Dには女性がこの世のものでは無いように見えたという。
女性の表情は、長い髪に隠れて見えない。
が、双眼鏡を覗き込んだまま硬直していたDは、髪の間から覗いた女性の唇が動いたのをはっきり見たという
Dには読唇術の心得は無い。
が、それは、
「ゆるさない」
というように動いたらしい。
そこに至って、Dは慌てて双眼鏡を目から引きはがした。
そして、布団を被って、震えていたという。
それ以来、Dは双眼鏡で外を覗くのを止めた。
また、あの女性が見えてしまいそうで、怖かったそうだ。
後日、無事に退院したDは、こう語った。
「夜の町を覗くのは、絶対に止めた方がいい。見てはいけないものまで見えてしまうことがある
からな。少なくとも、俺はもう絶対にご免だ」