初恋
今でもふと思い出す光景がある。
それは10年以上も昔。
記憶の隅に置き去りにしてきた、儚い思い出のひとつ。
粉雪が舞う、ある寒い冬の日のことだった。
「あなたの見る世界の中には、きっと“人”がいないんだと思う」
夕暮れ時の河川敷。
隣に座る少女が静かに告げた。
「良い人も、悪い人も、あなたはそれを“自分への行為”だけでしか認識しようとしない。だから憎まれっ子とだって仲良くなれるし、人気者だからってなびかない」
彼女の言葉で、僕は初めてそれに気づいた。
「あなたは昨日まであなたをいじめていた人とだってすぐに打ち解けられるし、昨日まで一緒に笑いあってた親友とだってすぐに縁を切れるでしょう? それはあなたの中に人という存在がいないから。あなたに向ける行為そのものだけが、唯一あなたが認識できる他人だから」
その時、確かに僕はうなずいていただろう。
君の言う通りかも知れない。
そう、苦笑した覚えがある。
「あなたは誰かの振る舞いを嫌いになれても、その人のこと自体は嫌いになれない。だって、人そのものを見ていないから。それはある意味、尊い感覚だなって思う。……でもね」
「でも?」
問い返した僕に、しかし彼女は何も言わなかった。
ただ何事か考えるように、じっと天を仰いだだけ。
そうして幾ばくかの沈黙の後、
「えへへ、どう? あたし、結構見る目あるでしょ?」
少し自慢げな微笑みが、なんとなく悔しかった。
自分のすべてを、彼女に見透かされたような気がして。
ただ、不思議と悪い気はしなかった。
何故――
そう、本当に何故だったのだろう。
「あなたって、本当に要領が悪いよねー」
心底うんざりしたように首を振る君の姿も。
「いやー、ごめんごめん! 今日の約束、すっかり忘れてた!」
何時間も遅れたうえ、まったく悪びれない君の笑顔も。
「ごめんね……。これ以上、あなたに私の体のことで辛い思いをさせたくないから。だからもう、これで本当に終わりにしよう」
涙に塗れた君の横顔だって。
そのすべてが、今なお僕の心を彩っているのは。
そよ風のような優しさで、満開の桜のような鮮やかさで。
悲しい記憶も、辛い記憶も、苦しい記憶も、ありとあらゆる嫌な記憶が、それでも楽しく、幸せで、暖かな記憶として今もこの胸に残っているのは。
彼女の言い当てた僕の本質。
でも、それとは異なる彼女への想い。
長い間、その差異に僕はどうしても決着がつけられずにいた。
しかし、そんな彼女が旅だって10数年。
後悔と空しさを抱えながら思考と現実の狭間を行き来し、ずっと答えを探し続け、そして。
――ああ、そうか。
今になって。
本当に今になって、ようやく僕はある答えを導き出せた。
彼女のどんな行いだって、今なお僕の心を温めてくれるその理由。
彼女とのどんな思い出だって、今なお美しいものとして心に遺っているその理由。
それはつまり、“彼女という人間”が僕の心に確かに存在しているという証なんじゃないか。
その場限りの、ただの行為としてじゃない。
彼女という確かな存在が、今なお僕の世界にいてくれるからじゃないのか。
もしそうだとしたら、彼女は初めて僕の世界に現れた、初めての……。
そう気づいた時、僕の胸に自然とある言葉が浮かんできた。
嘘偽り無く。
ただ、純粋に。
海の彼方へ届くように。
ありがとう。
君は確かに、僕の"初恋の人"でした――