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分からない


 外の吹雪は激しく、しばらく止みそうになかった。


(やっぱり、あの女の言葉なんて聞くんじゃなかった……)


 偶然入った小屋の中のテーブルには何故か、用意しましたといっているかのようにナイフがそのまま置いてある。


「なぁ? 孝彦たかひこ?」


 うまく表情を作れている気がしない。


「……うん」


「お前、俺こと怨んでるんだろ?」


 俺とこのかが会わなければ、君は死ぬ事もなかったのに。



 大学入学したての頃に知り合った、野田孝彦のだたかひこが待つファミレスに向かう。

 なんでも彼女と一緒に居るらしいけど、孝彦のような硬い性格の男と付き合っている女性がどんな人物か見てみたいと好奇心もあった。

 その場所に着くと孝彦の横に座り、向かいに座る女性を見た。


「あっ!」


 その女性を見た時に、俺は自分の思った以上の声が出た事に一瞬気づかなかった。

 それを彼は咎めているようだったが、俺の耳には届かなかった。


桐谷きりや……譲治じょうじくん?」


 俺は、人生で絶対再会したくない女に会ってしまった。



 あの時、俺がファミレスに行かないでこのかの存在を知らなければ、この雪山で遭難し、こんな小屋に避難する事はなかっただろう。


「なんだ? 後悔してるのか?」


 不意に出た言葉は、孝彦にではなく自分に向けたものの様な気がした。



みなみこのかです、よろしくお願いします」


 彼女は中学一年の夏に転校してきた。

 教室内がざわつく、それは彼女がアイドルのように可愛かったからだ。


「なに、あの子? ムカつくんだけど」


 男子の反応を見た女子のグループがそんな事を言っていた。


(いじめか……)


 ウチのクラスは、仲はいいんだけどそれはみんなが各々の仲間グループだけで行動しているから。

 誰かを省く事もないが、過度に干渉しない。なぜかそんな雰囲気が自然と出来てしまっていた。

 そんな中に来た、かよわい獲物。

 俺はいじめが起きるんだ、そう思っていたんだけど。


「このかさん、これ貸してあげる」


 それは起こることはなかった。それどころか、彼女を中心とした新しい女子のグループが出来あがっていた。

 それが何故なのか、俺には分からなかった。



「ねぇ? 譲治じょうじくん?」


 俺はこのかに呼び出され大学の食堂に来ていた。お昼の時間を少し過ぎたとはいえ、まだ昼食を取っている人は何人も見えた。


「……なん、ですか」


「ふふ。そんなに怯えなくてもいいじゃない?」


 テーブルの下の彼女の足は、俺の足先をやんわりと踏んでいる。

 強く踏むのではなくただ体重をかけているだけ。

 けどそれは、いつでも踏めるのだという事も示していた。


「あのね? 孝弘を旅行に誘って欲しいのよ」


 彼女は鞄から何かを探しながら、そう言った。


「なんで俺が……」


 足にかかる重みが、わずかに重くなる。


「私から言ったら、ちょっと角が立つでしょ? それなら友達の譲治君から頼んでもらえれば、いいかなって」


 彼女は鞄の中から、はがきサイズの紙を出した。

 俺とこのかの、ちょうど真ん中。


「ねぇ? お願い?」


 恐る恐る、その紙をめくる。


「! ……分かった」


「じゃあ、お願いね」


 そういうと足から重みが無くなり、彼女はその場を離れていった。


(なんで、知ってるんだよ!?)


 その紙に書いてあったのは地図。そして×印のついた場所は、俺の住んでいるマンションだった。



 メリメリ、メリメリ。


「南。なに、してるの?」


 メリメリ、メリメリ。


「トンボのね、翅が綺麗、だなぁって」


 ブチブチ。


「トンボの尻尾って、邪魔だと思わない?」


「南……そんな事したら駄目だよ」


「フフフ。必死にもがいてるよ、もう頭と胴体しかないのに。じゃあ、胴体も」


 プチ。プチ。プチ。


「あ、動かなくなっちゃった。あと、半分もあったのに。それに頭も」


 そういって振り向いた彼女の目は、興奮しているのか大きくまん丸に見開かれていた。



「なあ、お前って南このかと付き合ってたって本当?」


 そんな事を知人に言われた。

 携帯が着信を告げる、そこには南とあった。


 俺は肯定も否定も出来なかった。

 タイミングのいい着信。ここに居ない彼女は、どうやって知ったのだろうか。



「おい、ジョウ。お前、南このかと付き合ってるんだって?」


 あの事を見た後から、そんな噂が広がった。


「違うよ」


「そんな恥ずかしがるなよ、南がそうだって言ってるんだから」


 同じ教室内で他の女子と話している彼女と目が合った、その目はトンボの分解する時と同じ目をしていた。

 その事があってから、俺とこのかがふたりでいても誰も不審に思わなくなった。

 それが目的だったのだろう。


「ねぇ? ちょっとついて来てよ」


 このかは、俺を手招きして路地裏に誘った。


「……」


 俺は彼女の異常さに、ただ黙ってついて行くしかなかった。

 着いた先は、使われていない工場の敷地だった。


「この箱、踏んでみせてよ」


 そこには、小さなダンボールの箱が逆さまに置いてあった。


「なんなの?」


「いいから、ほら」


 と、後ずさる俺を無理矢理に箱の前に立たせる。その力は女子の物とは思えない程強く、異様な執念の様な物を感じた。


「ほら早く! 危なくないから」


 ゆっくりと片足を浮かせ、踏もうとしたのだけど、


「違うよ、ジャンプ! ほらほら」


 急かされるその声から、何故か逃げられないような印象があった。


「!」


 目を閉じて、ダンボールの箱を踏む!

 その感覚は思っていた物とは違い、なんだか柔らかくグチュグチュとおかしな音を立てる。


「フフフ」


 目を開ける、ダンボール箱が赤黒く濡れていく。

 奇妙な臭いが鼻につき、吐き気を誘う。


「ウッ!」


「吐いたら、駄目だよ?」


 前傾姿勢になった俺の肩に、彼女の小さい手が触れる。


「オェェ……」


「あーあ」



「ほら、これ見てよ」


 このかは俺に今度行くスキー場の見取り図を見せた。


「……これが?」


 ここ数週間、なんだか頭がボーっとする。


「旅行、楽しみだね」



「なんでお前、ここに小屋があるって知ってたんだよ、譲治?」


「……単なる偶然だよ」


 そう言ったものの、実際は違う。

 彼女に見せられた地図に、ここが載っていた。それを思い出したんだろう。


「……本当か?」


「当たり前だろ!?」


 この場所に来てから、異常に頭が重い。

 全ての事にイライラする。


「俺達は遭難したんだぞ!?」



 中三の春、いつものように呼び出された俺は、あの工場にまた来ていた。


「譲治君の弟って、まだ小さいんだね?」


 ドキリとしたが、俺は平然を装って返す。


「弟なんて、居ないよ」


「嘘」


「本当だって」


「中央小学校、四年二組、出席番号7番、桐谷望きりやのぞむ。廊下側の席、前から三番目。火曜と金曜は、学校が終わると家の近所にある書道教室に通っている、先生の名前は木村薫。一番の親友は、同じクラスの出席番号十四番、渡辺伸二わたねべしんじ君」


 スラスラと出てくる望の事を細かに語る言葉に驚きと恐怖を覚える、望が学校でどこに座っているのかと、書道の先生の名前は俺も知らない事だった。


「ね? 本当でしょ?」


 僕は小さく頷くしかなかった。


「お母さんも綺麗な人だし、お父さんは……出張だよね?」


 怖い! 怖い! 怖い!

 一刻も早くここから逃げたい!

 これから何をされるのか、想像も及ばない事を思うとそれだけで足が震えた。


「フフフ。じゃあね」


 そういうと、無言の俺を置いて彼女は去っていった。

 彼女の姿が見えなくなると、俺は足から崩れ落ちた。いつの間にか股間が濡れている、漏らしていたようだった。


 彼女が消えたのは、それからすぐの事だった。



 スキー場で一通り滑り終えて部屋に戻ってきたのだが、このかがずっと孝彦をつけ狙うかの様に見ていたのが気になり、楽しめる様な状態ではなかった。

 冷や汗で濡れた服を着替え、少し考える。

 もういっその事、彼にこのかの本性を告げるのがいいかもしれない、そうすれば楽になる。


「……なあ」


 その瞬間、俺の携帯がなった。

 南。

 そう表示されていた。


「ん? どうした?」


「いや、なんでもない」


(今すぐ、部屋に来て)


 それだけ書いてあった。



 コップの中身を飲み干したのだが、なんだか意識がフワフワと夢心地だった。


「このかの部屋で、何してたんだ?」


 その名前で、急に現実に引き戻された。



「これから、もう一度滑るんでしょ?」


「うん」


「じゃあ、もっと難しいコースがあるんだって」


 奇妙な香りがした、あんだか甘くて心地のいい匂い。


「フフフ。そこに行ってみるのもいいんじゃない?」


 それから暫くの間、俺の意識は虚ろになった。



「……なんの話だよ?」


「とぼけるなよ……」


 いつの間に見られていたんだろうか?

 たぶん、それすらこのかの策略だったのだろう。


「知らねぇって」


「お前が、このかの部屋から出てくるのを見たんだ!」


 そうか、このかはトンボや動物はもう飽きたんだ!

 今度の獲物は孝彦なのか!


「お土産を買いに行ったんだよな、お前は! なのに、どうしてこのかの部屋から出てくるんだよ!」


「……見てたのか」


 頭の中が異様に冴える。

 たぶん、俺とこのかが付き合っていたというのを吹聴していたのはこのか本人で、俺と孝彦が仲違いするのを目論んで……!


「やっぱりそうなのか!」


 孝彦は叫びながら、机を叩く。

 何度も何度も叩いたせいか、赤く腫れていた。


「まて、違うんだ、落ち着いてくれ!」


「何が、違う! 何を待てと!」


「だから、落ち着いてくれ!」


「うるさい!」


 彼はカップを投げた。俺を狙ったのだろうけど、当たることなく壁にぶつかり砕け散った。


「はあはあ……」


 俺はようやく平常心を取り戻し始めた、そしてあることに気づいた。

 それはこの小屋の違和感にだ。

 何故か都合よくあるコップにティーパック、置いていったようなストーブと余りある灯油。

 なによりここを指定するかのようにした、このかの行動。


「孝彦、聞いてくれ」


「うるさい!」


 今まで何故か気にもしていなかったモノを孝彦は掴んでいた、ナイフだ。

 俺はそれを認識できていなかった。

 彼の視線はソレに向いていた。


「おい、孝彦」


 俺は慌ててナイフを掴む、こちらの方が一瞬早く届き、孝彦が持つ事はなかった。


「落ち着けって」


 このナイフも、このかが用意した物に違いない。


「なあ、孝彦? 話をしよう。あいつは……南このかに関わっちゃ駄目なんだ」


 一歩、また一歩と彼に近づくが、彼は青い顔で下がる。


「あいつは、人を不幸にするだけなんだ。あの女は、サイコパスだ」


 俺はナイフを窓の外に放り投げた、出来るだけ遠く見えない場所へ。

 そうこれで、このかの企みは……。

 途端に視界が歪み始めた。


「あいつは。あいつは、人の心を操って、そして人を殺すんだ」


 朦朧とした意識で彼の肩を掴み、


「あいつは、悪魔だ……!」


 そして俺は倒れた。

 隣で何かが倒れた音がする。


 たぶん、このかが仕掛けた毒だろう。


 俺は友人を守るどころか、いつの間にか巻き込んでしまったみたいだ。



「どうすれば、お互いに疑念を抱く二人を殺せると思う?」


 私の言葉に、他人を妬む男が言う。


「殺意があるなら、ナイフを置けばいい」


 人を殺したい女が言う。


「毒よ。コップに塗っておけばいい」


 優しい男が言う。


「ストーブに細工して、火事になればいつでも死んでくれますよ」



 雪の降る月夜は美しい!


「人の心を操るのは面白いわぁ」


 月夜で輝く血溜まりに三人の男女の体が倒れている、各々他人の血がついたナイフを手に持って。


「さて、次は誰にしようかな」


 また「ダレカ」を手なずけようかしら?


「フフフ」


 トンボも人も同じ、全部私の実験道具。

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