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友人


 外は吹雪、その風は木製の木枠に嵌っている窓ガラスをガタガタと揺らす。

 その音は、誰かの悲鳴のようにも聞こえる。


「なぁ? 孝彦?」


 テーブルを挟み、向かい側に座る男が顔を引きつらせながら笑う。


「……うん」


 私達の目の前には、銀色の刃が光るナイフが置かれている。


「お前、俺こと怨んでるんだろ?」


 私が、彼を許す事なんてない。



 彼との出会いは大学に入ってから。

 あまり人付き合いの得意ではない方である私、野田孝彦のだたかひこに、彼こと桐谷譲治きりやじょうじは、偶然隣に座ったという事だけで声をかけてくれた。


野田孝彦のだたかひこっていうのか、じゃあ孝彦って呼んでもいいか?」


 少し軽薄だとは思ったけれど、その軽薄さは引っ込み思案の私を受け入れてくれそうな所があった。


「いいよ。えっと……」


桐谷譲治きりやじょうじ、譲治でいいよ」


「ああ、分かったよ。譲治」


 そんな良くある出会いだった。



 大学入学から数ヶ月の事。

 携帯電話が鳴った、相手は譲治のようだった。


「孝彦、今ヒマか?」


「今か。いや、ゴメン、ちょっと人とご飯食べててさ」


「人? いったい誰と?」


「彼女」


 私がそう言った後、彼は少しだけおかしな声を発して、


「お前、彼女いたのか!?」


 という、大声が耳をキンとさせた。


「声が大きい」


「あ、すまん。それにしても、お前彼女持ちだったのか?」


「うん、高校時代からの付き合いでさ」


「なんだよ、そういう事は先に言えよ。ってか、紹介しろって」


「言ってなかったか?」


「聞いてないよ」


 なんとなくもう伝えていた気がしていた、それほど彼と親密な気がしていた、小さい頃からの友人の様なそんな感覚で。


「そっか、なら今からここに来る?」


 目の前に座っている恋人の南このかに目線を送ると、彼女はゆっくりと頷く。


「おいおい、カップル水入らずに俺みたいなのが居たら迷惑なんじゃないのか?」


「このかも、大丈夫だって。ほら、駅前のファミレス、そこにいるからさ」


 そう告げると、「ちょっと待っててくれ」といい、彼は電話を切った。

 それから数分、


「お待たせ」


 と、譲治は片手を上げながら真っ直ぐこちらの席に小走りで向かってくる。

 私は腰を少し上げ、二人掛けソファを横に移動する、その隣にドカッと譲治が腰を下ろした。


「あっ!」


 その譲治の大きな声は、店内の客の注目を引いた。


「おい、譲治……」


 うるさいぞ、と嗜めようとする私を無視する様に、


「桐谷……譲治くん?」


 このかが、そう言った。



 いま考えると、あの時私がファミレスに彼を呼ばなければ、この雪山で遭難し、こんな小屋に避難する事はなかっただろう。


「なんだ? 後悔してるのか?」


 譲治はそう震えながら言った。それが今の事を指しているのか、それとも……。



 このかと譲治は中学の同級生だと知り、偶然というのは意外と起こるのだと驚きと共に関心した。

 それからというもの私と譲治、それにこのかと三人で行動する事が増えていった。

 そんなある日、譲治がある提案してきた。


「スキー?」


 いつもの軽い調子で、譲治は私とこのかに「スキー行こうぜ」と誘ってきたのだ。


「ああ、そうだ。冬休みにさ、俺たち三人で泊りがけでスキーしに行こうぜ」


「泊まり? さすがに、それはマズいだろ?」


「なんで?」


「なんでって、このみが……」


「別に恋人のお前がいるのなら、関係ないだろ?」


「いや、それは」


「まったく、単なる遊びだろ? そんなに深く考える事じゃないさ」


 大学の食堂で向かいに座るこのかを見やると、ニコリと笑って頷いた。


「ほら、行こうぜ?」


 そんな日々の中、ある噂が聞こえてきた。



「なんでお前、ここに小屋があるって知ってたんだよ、譲治?」


「……単なる偶然だよ」


 バタバタバタと窓が鳴った、小屋の中にあった唯一の熱源で光源である石油ストーブの光が、ナイフを光らせ印象づける。


「……本当か?」


「当たり前だろ!?」


 今の状況に苛立っているのか、譲治は苛立ちをあらわにする。


「俺達は遭難したんだぞ!?」



「ふ~!」


 先に降りた私とこのかの前に止まると、譲治は自分のゴーグルを外し大きく息を吐いた。


「チョー、気持ちいいわ!」


「だな」


「うん」


 このかの笑顔はいつも通りだった。


「うっし、もう一滑り行こうぜ」


「ちょっと待った、流石に腹が減ってきたよ。なんか食おうぜ」


 ほら、と袖を軽く巻くって腕時計を見せる。時刻はすでに昼を過ぎていた、


「あ、もうそんなに経ってたのか。じゃあ、一旦休憩するか」


 そういうと、譲治はすぐさまスノーボードを外し、私達を先導する様に先を歩いていく。俺とこのかはその後ろをついていった。

 ふたりにおかしな所はなかった、あの噂は嘘なのだろう。

 このかと譲治が付き合っていただなんて。


 

「まあまあ。ほら、孝彦。とりあえずやかんも茶葉もあるんだから、なんか飲んで落ち着こう」


 いつの間に探し当てていたのか、棚の前に立って市販のティーパックを差し出す。

 キッチンの蛇口自体は凍結しているのか使えないが、幸か不幸か外には雪が降り積もっている。これをやかんに入れれば、水分補給に困る事はない。

 しかし、あんな事を見た後では彼の淹れたモノを飲む気にはなれない。


「いい、自分でやる」


 棚の中にある二つのカップの片方を手に取り、茶葉の小包を乱暴に掴んでお湯を注ぐ、乱暴に入れたせいで熱湯が顔に跳ねイラつく。

 カップを手に机に戻った。

 コポコポとお湯を注ぐ音が背後でする、視線の先にあるコップがだんだんと茶色く変色していく。

 カップを持って、向かいの木製椅子に譲治が座り直した。


「さて、これからどうする?」


「助けを呼ばないといけないな」


 内にある怒りを一旦抑え、出来る限り冷静に話そうと努める。


「携帯は?」


 譲治は、コップの中身を飲みながら尋ねてくる。


「部屋のカバンの中」


「同じか」


 この小屋の中に、連絡手段になりそうなものは一切ない事は確認済みだった。



「このかは?」


 泊まっている部屋で汗まみれの服を着替えていると、隣で着替える譲治が聞いてきた。


「疲れたから、少し休むって」


「ふーん」


 私と譲治はこの後もう少しだけ滑るつもりなのだが、このかはもう満足したみたいだった。


「……なあ」


 そう私が言うのと、ほぼ同時に譲治の携帯が鳴った。


「ん? どうした?」


 彼はいつもと変わらぬ表情でこちらを見る、その顔に疑惑をぶつけるのは少し気が引け、


「いや、なんでもない」


 譲治は一瞬奇妙な目をこちらに向けたが、すぐに携帯を確認していた。


「……ちょっと、おみやげ買って来るわ。少しだけ休んでてくれよ」


 そういうと私が言葉を返す暇もないほどの早さで、彼は外にそそくさと部屋を出て行った。



 空になったカップの中を見つめる。


「吹雪、止まないな」


 風は一向に収まる気配がなかった、それは私達の発見が遅れるという事だった。


「まあ、灯油もたくさんあるみたいだし、しばらくは大丈夫だろうな」


 ポリタンクひとつでどの程度持つかは分からないが、今夜過ごすには大丈夫だろう。

 けど、そんな事よりも私は彼と同じ場所に居る事が耐え難かった。



「……ん?」


 気がつくと私はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。


「……いま、何時だ?」


 着替えの時に外した時計を見ると、三十分程経っているようだった。

 けど、


「……譲治?」


 彼の姿は部屋の中になかった。

 まだ虚ろな意識を無理やり起こし、何かあったのかも知れないと売店に向かう事にした。

 たしか売店は一階にだと、エレベーターに乗り一階のボタンを何度も押した。

 


「とりあえず、今日は寝ておくか」


 譲治はそう言った。


「……なあ?」


 寒いはずなのに、夏かと錯覚するほど喉が渇く。


「うん?」


「このかの部屋で、何してたんだ?」



 一階の売店に着いたのだが、そこに譲治の姿はなかった。

 店員に彼の特徴を伝え、見てないか尋ねたのだがはっきりとした返事はもらえなかった。


(譲治とこのか、付き合ってるって知ってる?)


 ふと、その時の事を思い出した。

 それはある講義の時間、私と譲治を知っている知人からの急な言葉に驚いた。


(なんかさ、ふたりって中学の時に付き合ってたらしいんだけどさ、それでまた付き合いだしたとかって)


 そんな事があるか! そう、叫びたかった。


(昨日、ふたりでファミレスに居る所を見たとかさ)


 昨日? このかはバイトだって……。


(まったく羨ましいよな、彼女持ちはさ)


 その事を思い出した時、自然と走ってエレベーターのボタンを押していた。

 譲治は、私に嘘をついていたのか? このかもそうだって……。

 ふたりして私を騙していた、そうだというのか!?


 ポーン、という電子音と共にエレベーターの扉が開く。


 目の前に、このかの部屋から出てくる譲治の姿があった。



「……なんの話だよ?」


「とぼけるなよ……」


 私は咳払いをした、のどがねばつく。


「知らねぇって」


 その態度に、私の我慢は限界を迎えた。


「お前が、このかの部屋から出てくるのを見たんだ!」


 視界が赤く曇る。


「お土産を買いに行ったんだよな、お前は! なのに、どうしてこのかの部屋から出てくるんだよ!」


「……見てたのか」


 その言葉に、私は立ち上がり机を叩く。


「やっぱりそうなのか!」


 再度机を叩く、ミシリとおかしな音がした。


「まて、違うんだ、落ち着いてくれ!」


「何が、違う! 何を待てと!」


「だから、落ち着いてくれ!」


「うるさい!」


 咄嗟に近くにあった何かを放り投げる、ガシャンと音を立てて壁にぶつかったソレは粉々になった。


「はあはあ……」



「なあ、大丈夫か?」


 あの後、私はなにも見なかったと自分に暗示をかけるかのように言い聞かせ、譲治と山の頂上に来ていた。


「なにが?」


「そっちって、ルートじゃないんじゃないか?」


「大丈夫だって」


 そして、私達は遭難する事になった。



「孝彦、聞いてくれ」


 彼の声は私を落ちつかせようとしているのだろうが、それは逆に私を苛立たせる。


「うるさい!」


 再度、机を殴った時にある物が目についた。

 ナイフだった。


「おい、孝彦」


 彼は私の視線に気づいたのか、慌ててナイフを掴む。私の手は空を切るだけだった。


「落ち着けって」


 彼はナイフを持ったままでそう言う、その切っ先はこちらを向いている。


「なあ、孝彦? 話をしよう」


 一歩、こちらに近づいてくる。

 

「あいつは……南このかに関わっちゃ駄目なんだ」


 更に一歩、私は逆に下がる。


(何を急に言い出したんだ、コイツは?)


「あいつは、人を不幸にするだけなんだ」


 更に近づき、


「あの女は、サイコパスだ」


 窓を開け、その手に持ったナイフを外に放り投げた。

 冷たい風が室内の温度を下げる、それは私の頭に上った血を冷やす。


「あいつは」


 譲治は窓を締め、


「あいつは、人の心を操って」


 こちらに歩いてくる。


「そして、人を殺すんだ」


 譲治の腕が私の肩を掴む。


「あいつは、悪魔だ……!」


 そういうと、彼は血を。


「ぐふ……!」


 噴き出し、倒れた。


「おい、どうした……」


 頭が酷く痛む、それは眩暈を起こさせ私を床に倒させた。

 喉の奥から熱い何かが湧き上がる、それは止める事が出来そうにない。


「ゴヴァ!」


 血の塊が口の中から飛び出し、床と倒れている私達の体を汚す。


「ザ、ザムイ……」


 震えが止まらない、隣で倒れる譲治も痙攣しているのかガタガタッと音をあげる。


「ア、ア~……」



「数カ月前から行方不明になっていた大学生ふたりと思われる遺体が発見されました。ふたりはスキー場近くにある山小屋に避難していた模様で、燃え落ちた建物の中で焼死体になっているふたりを所有者の男性が発見しました。警察は事件性があるかどうかを捜査中との事です」


 私の周りでは「かわいそうに」「大変だったでしょ」と、複数の知人が声をかけてくる。

 人から見たら、大切な友人二人をいっぺんに亡くした女子大生。

 私は泣き崩れ、膝をつき顔を伏せながらも、愉快で笑いをこらえるのが辛かった。

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