プロローグ
青い空が好きだ。
どこまでも広がっていく青、それを飛行機の中から見るのが俺の楽しみだった。
相棒の整備士が見てくれた、信頼の詰まった機体で空を飛ぶほどの快感は無いと断言出来る。
青い海も好きだ。
機体の中から眺める海は絶景で、青い海と青い空の二つが重なった時の景色は目を疑うほど。
水面ギリギリで飛ぶのも、楽しかった。
俺は、元航空自衛隊だ。
飛べなくなった今も空を飛ぶ快感を覚えている。
戦争の後遺症で手が麻痺した状態でも、俺が愛した海に、空に、飛んでいく飛行機を眺めていた。
高く、高く飛んでいく、大勢の人間を乗せた機体。
そぉら、最高の景色だろう?と自分勝手に、パイロットへ変な自慢をしたりして。
自分の手で飛べなくなった事は凄く悔しかった。
もうあの景色を自分の技術で見れないのだと思うと、苦しかった。
しかし、生きているのだから。
映像でも見てそれは我慢しようと、自分を支えてくれる嫁と笑いあう。
時代は移り変わり。
昔は白黒でしかなかった映像も、今では俺の大好きだった青を映してくれた。
それを見る度にはしゃぐ自分を見て、娘は親孝行がしたいと思ってくれたのか・・・。
給料を貯めに貯め、高価なテレビを持って帰ってきた。
当時、カラーテレビなんてどれだけ高かったか。
大きくなった娘の前で初めて号泣した。
・・・断末魔の様に記憶が流れてくる。
今、自分の周りは炎の海だ。
嫁も先に逝ってしまって、娘は嫁入りした為、家では俺一人である。
昨日から、台風が迫ってきていた。
過去最大の規模らしい。
それでも、最低でも三日で過ぎる物だろうと、自分は暢気に茶を啜っていた。
そんな中、雷が古い民家の我が家へ直撃したのだ。
はぁ、現役の頃は雲の中に入る度、雷に怯えていたのに・・・。
危険予知が鈍ったのだろうなぁ。
外は土砂降り、しかし、この燃えさかる火を消せるとは思えない。
木造で出来た家は全焼するだろう。
最後の最期まで、自分は雷に好かれる男だと失笑する。
逃げ道は全て塞がれてしまった。
雨が降っている、炎の勢いもそこそこだ、若者なら気合いで突破できる危険度ではある。
でも俺、年寄りだからね。
よぼよぼの足で50メートル走走れなんて言われたって無理に決まってるだろう。
火事場の馬鹿力つったって、途中で絶対にこける。
・・・火熱い、実に熱い。
とりあえず助かる見込みはないので、四つん這いで嫁の仏壇の前まで行き、正座した。
幸い仏壇にはあまり被害が来ていないようだ。
別に守る物もないし、孫の顔も見れたし、名残惜しいことは一つもない。
最期は嫁の近くで死ぬかという考えである。
思い出の家と一緒に死ねるなら、本望かもしれない。
「・・・いやなんだ、俺もお前も、こんなに老けたんだな」
遺影で笑っている嫁。
惚れた女だからだろうか、皺が増えてもやはり世界一可愛いと思う。
周りが炎で熱いってのに、気の抜ける笑顔を見ればどうでも良くなった。
彼女は、トモ子は雨女だ。
大事な予定があればいつも雨、
娘の入学式なんかは、トモ子ハリケーンが凄かった。
それでも嫌にならないで付き合って来れたのは、彼女の太陽の様な笑顔があったからだろう。
うん?いつから詩人になったんだ俺は。
普通にクサイ台詞を吐いているじじいなのかもしれないが。
まぁともかく、この豪雨だ。
死んだあとはトモ子が太陽の笑顔で俺を迎えてくれるんだろう。
なら、死ぬのも怖くないなと思える。
ただなぁ、トモ子。
俺、お前と笑いながら死にたかったよ。
時間切れだと言うように、炎が燃え上がる。
そろそろ嫁の所に逝くとしよう。
火は嫌いだ、戦争の真っ赤な空を連想させられる。
だったら、煙で死んだ方がマシだよな。
・・・よし。
今回は、雨、豪雨の中で潔く死ぬが・・・。
「次はぜっっっったい青空の下だかんな大好きだぞこのやろッ!!!!」
息を全て出し切ってから顔を上に向け、思いっきり煙を吸い込んだ。
最愛の妻へ、笑いかける。
肺が詰まったような感覚を覚えながら。
・・・遺影のトモ子が、泣き笑いしていたような気がした。