第1話 - A part「ドロップ・アウト - Ⅰ 」
〈死者が血を求めるとして、君はぼくに何を求めるだろう〉
突き刺すような異臭が鼻を刺戟する。
命の香りでもなければ、死の香りでもない。これは非存在の香り。命の残り香とでもいうような、生という狂乱がパタリと途絶えた後の香りである。
タイムリミットまであと十五分、と血がこびりついた腕時計を見つめながら、ミコトはぼんやり思う。片付けなければならない屍体はまだ十体ある。
拡張現実が搭載された特殊なコンタクトに映し出された地図が、次に向かうべき屍体の在り処を示している。赤い点が計十個。立川市の西の一部が彼に割り振られた処理範囲だ。
急がなきゃ。そう心がつぶやくと、身体は自然と動き始めた。目の前に転がる屍体を肩に担ぎ上げる。そのまま引きずってしまうと、綺麗にしなければならない血痕が増えてしまうからだ。
まるで自分の身体じゃないみたい、裏路地を抜けトラックへと走りながら思う。誰かに操作されるロボットにでもなった気分。
しかし、それはあながち冗談でもなかった。彼がこうして屍体処理に奔走するのは、それが彼に与えられた職だからであり、〈マザー〉が認めた「天職」だからでもある。その結果は否応なくミコトを襲い、否応なくミコトを服従させた。
十五歳の冬、彼はマリオネットへとドロップアウトした。
ドロップアウトーー辞書には決して載ることのない言葉。社会からの脱退、没落といった意で、おおかた社会という言葉とセットで用いられる。義務教育の中退者や犯罪者に向けて用いられる言葉だ。
社会からのドロップアウト。
しかし、ミコトの場合は自らそれを望んだわけではなかった。中学三年生の冬、彼は「統合失調症」の診断を受けた。俗に言うところの「分裂症」というやつである。
思考と知覚、思考と言語、他者と自己の歪み、捻れ、そして、分裂。ことにミコトのなかで生じた他者の心象は現実のソレと大きく食い違っており、その矛盾が彼の理性を破壊した。少なくとも、医師からはそのように告げられていた。狂っているのはミコトの方であって、他人ではないのだと。
彼は他人を理解することができなかった。
他者と自分の違い、相対的距離、感情の存在、言葉の意味。
異質な存在は、社会に存在することすら許されない。そういう時代に彼は生まれついた。社会に適応することのできない人間は見限られ、特定の隔離施設へと捨てられる場合が大半だ。
窓もないアルカトラズのような地獄。そこには精神異常者が山ほどいて、山ほどある時間を浪費し、なんとなく死んでいく。ドロップアウトした者の死を嘆く者は一人としていない。ミコトもドロップアウトするや否や親に勘当された。それは恥であり、不名誉なことだからだ。
しかし、ミコトは施設に送られるのではなく、こうして屍体処理という仕事を与えられた。理由はただふたつ。彼の場合、幻覚や幻聴などの精神異常症状が軽度だったから。そして、他者に情報を漏らす可能性が極めて低かったから。
タイムリミットまであと九分。地図上の赤い点はーーあと四つ。裏路地でうつ伏せになっていた女性の屍体をトラックのタンクに放り投げると、赤い点が黒点となる。そして、もう一度「現場」へ戻る。
屍体の処理は現場の処理だ。屍体を片付けるのだけが仕事ではない。背中に背負った強力な掃除機で地面や壁に付着した血を吸い取る。そして、トラックへと駆け戻る。あったことをなかったことにする、それが彼の仕事である。
ハンドルを握る手が先ほどの女性の血で生々しく輝いている。銃殺じゃなかった、とミコトは先ほどの女性のことを思う。
しかし、すでに記憶はあやふやで、彼女がどんな顔をしていて、どんな身体つきで、何歳ごろで、という細かなことは思い出せない。鈍器で撲殺かな。それにしちゃ血が凄かったけどーー。
そのときだった、ナビゲーターの地図上に新たな赤点がひとつ増えたのは。
本日から投稿開始します、しがない大学生です。
今は海外にいます。
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(2016年6月18日)