犬耳の女の子とは言葉が通じない!?
「をり……をり!! をりろ!!」
どこからか女の声がする。まだ眠い。昨日はいろいろあって疲れているんだ。ン……いろいろって何だっけ。あれ、確か俺は古く小さいくせにぼったくりの宿屋に泊まって、部屋に入って。それからすぐ寝てしまったはず……。
「をり!ろろなりっまりも゛ろま゛!!!」
この声は、誰だ?
声の主はなおも怒りをにじませた焦った声で強く問いかけてくる。対照的にアクタは目を閉じたまま寝ぼけた頭でゆったりと思考する。
昨日はたしか、なにか飛び上がるくらい驚くことがあったはずだ。なんだったっけ?
そこまで考えたところで、ベチンっ!! と肌をたたく大きな音が響いた。
「いってええぇえぇぇ」
アクタはがばっという効果音が付きそうなほど勢いよく起き上がる。右頬には紅葉が色鮮やかに咲いていた。そして目の前には女の子。ベッドに片足の膝をつき眉を顰め怒った目でこちらを見ている。
「お、女の子おおおおお!????」
再びアクタの絶叫が部屋にこだまする。左右の部屋から苛立たしげにドンッという壁をたたく音が聞こえた。
思い出した。昨日は二日間にわたるハードな仕事がおわり、宿屋のおばちゃんに慣れないお世辞を言い肉体的にも精神的にも疲れて夕飯も食べずにすぐふっかふかの気持ちいいベッドで横になったんだった。郊外の宿と違って布団は最高に気持ちよかったなぁ。じゃなくて! 重要なのはそのあとだ! えぇと、寝そうになったとき確か強い光とともに女の子が俺の上に落ちて来たんだった! しかも白い犬耳と尻尾をはやした可愛い女の子が!
その女の子に文字通りたたき起こされたおかげで頭が幾分か覚醒しすべて思い出した。表情と声色から察するに目の前の女の子はなにか怒っているようだ。俺は寝ている間に何かしてしまったのだろうか? サーと血の気が引き顔が青ざめる。
「お、おはよう? あー、俺昨日寝てからのことはよく覚えてなくて、なんかしちまった……なんてことない、よ、な?」
「ろろなも゛ろらろまれこ!!」
女の子の顔色を伺いながら恐る恐る聞いてみた。すると女の子は顔は険しく怒鳴られた。一体全体こんなに怒らせるほど何をしでかしてしまったのだろうか。
アクタはとりあえず女の子から発せられている殺気のような威圧感を何とかしようと必死に謝った。
「すいません! ごめんなさい!! 昨日はほんっとに疲れててグ――ッスリ寝てたもんだから身に覚えがないというかなんというかぁ!! ごめん!ごめんなさい!!!」
全く会話がかみ合っていないことに気付かずベッドの上で土下座をし、必死に謝罪する。
「は……は、はひおりっめりく、たみ゛てひろまれこ!!!」
一方でアクタの勢いのいい言葉がなんと言っているのか理解できなかった少女は、ふらつきそうになる体を両足でしっかりと立ち必死にささえる。タラりと頬に汗が一筋流れる。そしてもう一度アクタに問いかけた。
「ろろなりっまりも゛ろはんま゛!!」
その悲壮感の帯びた怒鳴り声にアクタはハッとし顔をあげ女の子を見る。この女の子は今何と言ったのだろうか。
「い、今なんて言った?」
「ろもな゛ら゛むうみ゛はり……」
アクタは言葉が通じていないということを今はっきり理解した。自分が何をしでかしたのか聞くことはおろか、彼女がどこから来た何者なのかを聞き出すこともできない。正座から胡坐をかき楽な体制をとる。そして女の子をあらためてまじまじと見つめる。昨日のアレは見間違いではなく、はたまた自分の妄想によりつけられた付属品でもなかったことを再確認する。
頭にはしっかりと白い犬耳がぴんと立ち上がっていた。より多くの音を拾い上げようと前に後ろにとせわしなく動いている。歳は自分と近いだろう。同じ年か2,3歳年下だろうか。瞳は髪と同じ青空色。宝石のように美しく引き込まれそうだ。やはり、かわいい。しかし今は苦渋の表情を浮かべその端正な顔はゆがめられている。目は鋭くアクタのことを射貫く。
昨日はミニ丈のワンピースを着ていると思っていたが違うようで、服は一枚繋がりの布を体の前で合わせてあるものだった。腰のあたりで幅の広い紐を2,3週巻きつけ左横腹あたりで縛っている。ちょうど高級旅館にある客がゆったりと寛ぐために着る浴衣というものに似ている。以前反物屋の荷物の護送をした時に一度だけ見せてもらったことがある。- 当時は珍しいものを見せてもらい感動していたが、後から思い出すとあの反物屋は高級品を見せびらかし、俺のことを見下していたのではないかと思う。- ひらひらとした布の裾から短いピタッとしたズボンがちらりと見えている。時折、足の後ろでふさふさとした尻尾が左右に揺れた。靴はひざ丈まである茶色の編み上げのブーツを履いていた。
二人は見つめあったまま沈黙する。アクタはどうするべきかと思案した。
駐在警備隊に引き渡すか……。いや、国の駒なんぞ信用ならない。絶対にいいようにもて遊ばれるだけだ。
アクタの脳内はよからぬ妄想でピンク色に染まり鼻血があふれ出る。鼻の奥から迫ってくるむずむずとした感触に急いで体と手を伸ばし、カバンをつかみ寄せた。ガサゴソと中をあさりティッシュを取り出し鼻に詰める。少女はアクタのことを警戒しているようで、注意深くアクタの一連行動を見つめる。手はきつく握り、右足を一歩後退させた。相手の行動を見極めいつ戦闘になってもいいように構えているようだった。
「(こいつ、見かけによらず戦闘慣れしているな。それにこの殺気。ただの小娘ってぇわけじゃねぇ)」
鼻にティッシュをつめたまま再び胡坐をかき膝に肩肘をつく。今度は少女のことをじとっとした目で見つめる。
面倒なことになった。国の駒に引き渡すわけにはいかないし、かといって一般人の連中に面倒を頼めば人間離れしたその見た目から人身売買が行われかねない。引き渡した人物がたとえ“良い人”であったとしても何かしらの事件に巻き込まれることは間違いないだろう。この少女がどこから来たのか、これからどうしたいのかもわからない。意思疎通ができないというのが一番の難題だ。と、なればまず言語を教えるしかないだろう。肩肘をついていた手でパンと膝を叩く。そして両手を上にあげ降参のポーズをとる。
「よし! これから俺が言葉を教えてやる! まず会話をしてどうするか考えるのはその後だ!」
突然の降参ポーズと理解できない言葉に女の子はポカーンとするもまたすぐ表情を引き締めた。しばらく両手を上にあげていたがさすがに血が引き疲れてきたので次の行動に移す。まず自分自身を指さした。そして自らの名前をのべる。
「アクタ。」
自分に指をさしたまま、何度か自分の名前を繰り返した。すると女の子が久しぶりに柔らかな唇を開く。
「アク、タ?」
緊張した声色だった。アクタは大きくうなずき再び自分の名前を発する。
「アクタ」
次に今まで自分を指さしていた手をゆっくりと動かし女の子の方に向ける。そのまま黙って待つ。アクタの指に女の子は身構えたが、黙ったままなにもしてこないアクタの様子に今までの鋭い視線から目を軽く見開き困惑した表情に変わる。しばらくそのまま固まっていたがついにアクタの意図に答えた。
「ヨカ」
アクタは女の子に指をさし直し問いかける。
「ヨカ?」
すると女の子はわずかにうなずいた。
名前がわかった。長かった。窓の外ではもうとっくに太陽が真上に輝いていた。陽の光が差し込みぽかぽかと温かい。小春日和だ。
アクタは最初の一歩が踏み出せたことに顔が緩む。そして女の子にニカっと笑いかけた。
「ヨカ!」