犬耳の女の子がふってきた!
手入れのされていないごわごわとした赤髪を手ぐしで軽く整えゴホンっと喉の調子を整えた。そしてキラキラとした人のよさそうな顔を作り宿屋のおばさんに話しかける。
「やぁ、今夜1泊したいんだけど、部屋はあいているかな?」
アクタは軽く周りを見渡す。カウンターにはおばさんが新聞を読み座っている。その後ろには休憩スペースだろうか、暖簾のかかっただけのドアスペースがあった。カウンターの右横には2階へ上がるための階段が、左側には食堂が広がっている。2階と3階が宿泊スペースのようだ。おばさんはアクタを一瞥するもそっけない態度で答える。
「一泊2銀50銅だよ」
「い゛っ!!2銀50銅!??」
値段を聞いたアクタは顔をゆがめ驚きの声を上げる。
「ないなら他をあたっとくれ。ここいらでうちより安い宿をあたしゃみたことないがね。」
第2都市の宿屋だ。規模が小さく古ぼけていてもある程度値が張るだろうとは予想していたがこれほどとは……。高すぎると怒鳴りたく気持ちを何とか抑え込み再び笑顔を張り付ける。
「あー、おねぇさん、2銀っていったら郊外の方じゃ飯屋で腹いっぱい飯を二日三食はがっつり食べられる金額だぜ?俺は今田舎から出て来たばっかりの芋剣士でね。もうちょっと安くしてくれないですかねぇ??」
カウンターに片肘をつき、上目遣いで見上げてくるアクタをフンっと鼻で笑い言い放つ。
「同じことは何度も言わないよ。うちはこれでもこの辺では最安値さね。1ビタもまける気はないね。」
「そんなこといわないでさ、1銀とはいわない! せめて50銅だけでも!! あら、おねぇさんよくみるとびっくりするくらいの美人だね! 言い寄って来る男もおおいんじゃないの?」
アクタにとっては苦しまぎれにでたお世辞であったが若い20歳を迎えたばかりの男に美人といわれて悪い気はしなかったようでおばさんは少し口元を緩ませた。
「そうだねぇ。私も鬼じゃないし30銅なら負けたげてもいいよ」
「た、たった30銅……もうひとこえぇえええおねえさん!」
必死におだて上げて値切るも、それ以上の値下げはしてもらえなかった。かといって今から野宿も他の宿屋を探すほどの体力も残っていない。ふかふかのベッドではやく眠りにつきたい。結局、2銀20銅で2階の5室あるうちの真ん中の部屋になくなく宿泊することとなった。先ほどの仕事が1銀と90銅だったアクタにとっては大きな痛手である。100銅で1銀貨に相当するので、宿泊代だけで30銅の赤字だ。
いつまでも文句を垂れているわけにはいかない。アクタはおばさんから部屋のカギを受け取り重たい足をもちあげ2階へと登って行った。
カギを刺しまわし扉を開ける。部屋の中は質素で、まず目に飛び込んできたのはシングルベッドが一つ。向かって右側に枕がおかれていた。その奥にサイドテーブルが一つ、さらにその上には小さいルームライトが置かれているだけだった。真っ直ぐ前を向くとカーテンのない小さい窓が閉じられていた。外はもう暗闇と静寂に包まれている。
部屋に入るなり相棒である剣をベッドのすぐ横の壁に立てかけ、飾り気のない斜め掛けのカバンを放り出す。そしてベッドの前まで行きぼふんと仰向けに両手広げ、倒れこんだ。疲れた。腹も減った。
「とにかく明日すぐに仕事探さねぇと……。物価が高けりゃ給料もそれなりに貰えるはず……だ……」
ベルンでは最下級の宿屋とはいえ、第2首都の宿屋である。さすがに布団はふかふかでよく干されており太陽の匂いがアクタを眠りの世界へと引きずり込もうとする。
その時、突然部屋の中が光に包まれた。閉られているにもかかわらず、目がしみるほどの強さだった。同時に何故だか懐かしいような感覚がアクタを覆い意味も分からず泣きたくなる。光は一瞬の瞬きで消え去った。が、ホッと息をつく間もなく、自分に降りかかってきた強い衝撃と重みに息をつまらせる。
「ぐふぅっ」
急いで目を開ける。ちかちかして焦点がなかなか定まらない。自分の上にある重みは何なのか。敵か、はたまた一度も遭遇したことないような強烈な光を発するモンスターか……。緊張感が高まるも体の上の物体は動く気配がない。とにかく手で押しのけようと試みる。すると、両手がさわり覚えのある感触をとらえた。ふかふかの三角形が二つ。
「これは……み、み?? 犬!?? いや、ウルフか!? 」
耳から手を放し、肘をつき上半身を軽く持ち上げた。未だに定まらない目をこらしてよく見てみると、確かに犬の耳である。視線を少し下げると水色のさらさらとした髪の毛が布団まで流れ落ちている。まるで快晴の青空を溶かし込んだかのような空色が窓から差し込んでくる月明りを反射してつややかに輝いている。そして自分の腹部には柔らかい感触が二つ。
「お、女の子ぉっ!??」
一度目をこすり、ようやっと慣れてきた視界で今しがた自分の上にあるものは何なのかを確かめる。顔はアクタの胸部に沈んでいるため見えない。人間のように見えるがその頭には真っ白い犬のような三角形の耳が二つはえている。さらに視線を落とすとまるいおしりの中心に人間にはない不自然なふくらみがある。そのふくらみを目で追っていくと、短いクリーム色のワンピースの裾から真っ白なふさふさとした触り心地のよさそうな尻尾が出ていた。困惑し唖然とするもアクタは自分の上に女の子がのっているこの非情事態と腹部に感じる柔らかい二つの感触に顔を赤くさせた。はっと息をのんだ。
「うわぁっ。」
小さく叫び声をあげて勢いよく女の子の下からはい出る。ベッドサイドの壁に張り付いた。じっと女の子から目を離さず観察するも微動だにしない。
「(い、きてるよな……? )」
アクタにとっては1時間たったころ― 実際には10分か20分ほどしかたっていない - 顔の赤みもひき冷静さを幾分か取り戻してきた。女の子にあまりにも動きが見られないため、この子が生命活動をしているのかどうか不安になった。壁に張り付いていた体をはがしベッドのほうへ近づいてみる。
「おーぃ……生きてるかぁ、……生きてマスかぁ」
声をかけるも反応がない。ゴクリと生唾を飲み込み、意を決して女の子の肩に触れた。やはり反応がない。さらに肩をたたいたり横腹をつついてみたりするも、女の子は起きる気配が全くない。どうしたものかと頭を悩ませる。先ほどまでまどろんでいた己の脳みそはうまく働いてくれない。
うつぶせのままでは苦しいだろうか……というか、この子は息をしているのだろうか。
再び不安に駆られたアクタは女の子の肩と腰の下に手をいれ仰向けにひっくり返した。女の子の顔があらわになる。そのあどけなさが残る端正な顔立ちに目を奪われた。はっきりとした鼻立で、かわいらしいふっくらとした唇、今は閉じられているその目を開ければくりくりとしているに違いない。
「やましいことじゃなくて、これはだな、大事な生死の確認行為であって!」
誰に言い訳しているのかわからない独り言をぶつぶつとつぶやく。そして慎重にゆっくりと女の子の口元に自らの耳を持っていき近づける。息をいている!
「非常に! 緊急事態だから! 俺は致し方なくだな!!」
顔を赤らめ、一際声を大きくし相手不在の言い訳をしながら今度は胸に耳を張りけ、心音をきく。とくん、とくん、と確かに鼓動している。
よかった。この子は生きている!
生存が確認できた安心感と今日一日の疲れがどっとおしよせ、アクタは女の子の横にごろりと倒れこんだ。
この女の子は一体どこから来たのだろう。人間、なのだろうか。さっきの光の正体もわからない。あのとき感じた懐かしさも……。そこまで考えたところでアクタの意識は途絶えた。