トップスターの来訪
「う……ん」
「目覚めたぞ!」
ルミィが意識を取り戻すと、事務所のソファの上で何枚ものシーツを被せられ横になっていた。
シェオルに病院はない。ほとんどの魔族は体さえ原型を残していればその圧倒的な回復力で治癒する……場合によってはその体が灰となっていても。
「気分はどうだいルミィ君? どうぞホットミルクだ、好きだろう」
「あっ……ありがとうございます伯爵様、多分すぐにでも歌えます。んく……こくっ……あの、一体何が起きたんでしょう……あの後ライブは……」
自分に優しく寄り添ってくれている何人かの魔族。そのうち一番身なりのよい燕尾服を着たその美男が、自分を雇ってくれているプロデューサーだ。
「すまない、単なる点検不足の事故だったよ。充分観客を沸かせてくれた後だったから、ひとまずすんなりとライブは終了となった。君が平気な顔を見せてくれた以上もう何の問題もないのだが……」
彼は力も美貌も地位も持っている万人の憧れの的だが、時折何を考えているのか分からない事がある。紳士的な彼が本当に自分を可愛がってくれているのか、それともただの金稼ぎの道具扱いなのか……考えても仕方の無い事だ。
ルミィが言葉の続きを待っていると、プロデューサーは不意に鼻先が当たりそうな程顔を近づけてきて、しげしげと見つめてくる。
「あっあの、ボク……わたしが何か……?」
「美しい。実に美しいな。私の理想に近い、永遠に隣に侍らせその血を啜って過ごしたい程だ」
突然そんな事を言われて、元々デビューするまで褒められ慣れていないルミィは真っ赤になる。
「ほぉ……君は自分というものを知るべきかもしれないな」
「え~と……もっと自信を持てという事でしょうか?」
問いには答えず、彼は思い出したように立ち上がると部屋を出ていってしまった。
相変わらず気まぐれな人だなと思っていると、入れ替わりで二人のボディーガードを連れた女性が訪ねてきた。
「この度は面会を許可し招き入れてくれた事、伯爵殿に感謝しよう」
「--ッ!」
その立ち姿を見てルミィは息を呑む。飲みかけのミルクを取り落としてシーツが汚れるのも気にならなかった。
「もしかして、ミレアさん! 本物ですか!?」
「そこらの者の模倣を疑われるようでは私もまだまだだな?」
メルティ・ムーン、ミレア。ルミィのプロデューサーと同じく非常に大きな力のある吸血鬼で、眩い白の肌と腰まで下ろした金髪を指して『溶け落ちる月』の名で通っているシェオル一の歌手だ。ルミィがステージに立つ事を志したきっかけは彼女への憧れからであった。
「すみません、すぐ何か出しますから……!」
「よい、今は安静にしておけ。私が勝手に来たのだからな」
立ち上がろうとするルミィを制し、ソファに音も無く腰掛けるミレアはおかしそうに顔を綻ばせる。
「なんだ脚が震えているぞ? 私はそんなに恐ろしいか? 生憎腹は減っておらぬ、先程も私に血を飲んで欲しくて仕方ない輩が大挙してきてな。奴ら私をプールか何かと勘違いしているのではないか、このままでは太ってしまう」
彼女は自分のファンを分け隔てなく愛し、その声を可能な限り直接聞き届けようとする。高嶺の花でありながら時に身近な存在になってくれる姿勢は根強い人気を生み、それを見ていたルミィも彼女のようになりたいと思ったのである。
「と、とんでもない! ただちょっとその……緊張しちゃって」
そんな彼女が冗談めかして話しかけてくれても、ルミィは動悸が治まらない。自分の何百倍もの年上というだけでも力が入るのに、子供の時分からの憧れのトップスターと話す日が来るなど夢にも思わなかった。
ただのファンとしてなら彼女の人柄もあって、声をかけられた幸運を喜び楽しく話せたのであろうが、今は業界の大先輩だ。突然現れて前代未聞の大躍進をしている新人の自分を腹の内では好ましく思っていないかも知れない。まして襟も正さずソファに横たわったままとあっては、ついつい萎縮してしまう。
そんな心中を察してかミレアは付き人を下がらせルミィの首元に手を置くと、先程までよりも一層優しい声で語りかけてくる。
「おかしな子だ、私などと話すよりもステージで何万という観客を前にする方がよほど勇気が要るだろうに。心配せずとも私はお前の事を邪魔に思った事は一度も無い、私の望みは多くの者が夜を楽しんでくれる事、それを誰が行うかは問題ではない……応援している」
「ミレアさん……ボクと、同じ……」
首元に置かれた手は冷たかったが、その時ルミィは胸の内が温かくなるのを感じた。
「落ち着いたようだな。きっと今は私が何故突然訪ねて来たのか聞きたいだろう」
「はい、ほんとに身に覚えがなくって……びっくりしました」
ルミィの緊張もなくなり、二人は一つのソファで肩を並べて話していた。
「私は聞かせるのも好きだが、聞く方も好きでな。最近巷を騒がせている売れっ子新人アイドルに興味を持ったんだ。まさか事故で中止になるとは思わなかったがな。そこで、君がサキュバスである事に気が付いた」
「やっぱり変……ですか? ボクの知ってる限り歌手はもっと高位の魔族が多いですから……」
「まさか、歌うのに位も何もあるものか。ただやろうと思えば特に男性からは簡単に人気を集められる種族だからな、そのアイドルがどんな悪女なのか見てみるべきだと思った。しかし、いらぬ心配だったようだ」
ミレアによると事故直後スタッフに運ばれていくルミィを空中に飛び上がり見ていたが、ちらりと確認できたその少女は舞台で歌っていた魔族とは違う姿形をしていたという。
「えっ? 見間違いじゃないですか? ボクが運ばれてたんですよね?」
これにルミィは驚いたが、ミレアはルミィが驚いた事が信じられないという様子だった。
「ルミィ、お前は……自分がどんな存在であるのかあまり詳しくないのか?」
「えっと実はボク、親がいなくって……何も聞いてないんです。人の精を誘惑して狩る悪魔だってくらいしか」
内容が内容だけにあまりしっかり話すのも憚られたが、その説明でミレアには合点がいったらしい、片手を額に当て力無くうな垂れている。
「そうか孤児で、この街で慎ましく暮らしていればそうなるか……事務所は把握しているのか、それとも鼻にかけぬよう敢えて黙って……?」
ルミィは思わず彼女の座る前へと回り込み、床に頭を下げていた。
「ミレアさん、何か分かるならぜひ教えてください! たまに違和感は感じてたんです、用意してもらった衣装のサイズが合わなかったり、観客にルミィちゃんって呼ばれたかと思えばルミィ様って言われたり……ボクちゃんとアイドルやりたいんです!」
ミレアは目を伏せたまま開けず、その瞳に映る自分の姿も確認できない。恐らく、あまり自分にとって好ましくない報せがもたらされるだろう。だが、そんな不安の種をよく分からないままに放置しておくのもルミィは恐ろしかった。
やがて根負けしたミレアが口を開く。
「よく聞け、お前は――」
「え……」




