とあるアパート①
ルームシェアシリーズの①の別サイドからのお話です。
ルームシェア①のその先でもあります。
まだそちらをご覧になっていらっしゃらない方はそちらも併せてどうぞ。
ー薄暗い夜であった。
閑静な住宅街の一角で、悲鳴が上がった。
慌てて階段を駆け下りる足音が、響く。
あるアパートの二階の一番奥から何かが、もつれる足を必死に動かす青年の姿を見守っていたという。
この世には説明のつかない事象が日々あちらこちらで発生している。
しかしそれと出遭ってしまう不運な人がいるのもまた事実。
それらは今も昔も変わらずに人の隣に密やかに住んでいるのだから。それを人々は、お化け、幽霊、怨霊、妖、物の怪、隣人など様々な呼び名で呼び、そんな彼らを視る者たちもまた昔から存在したのである。
そんな視る側の者の所には、彼らと出遭ってしまった人々からの救いを求めた依頼が舞い込むのである。
此処ー陰陽庵ーもその一つである。
何時から其処にあるのかはもう分からないが、昔から此処に存在する陰陽庵にまた一人、出遭ってしまった人物が訪れていた。
「…なるほど。お話は分かりました。」
庵というだけあって、内装は趣き深い茶室のそれと似た造りになっていた。
獅子落としの音が木霊する。
陰陽庵店主・紫藤鼎はソファーに座る男を見据える。
店主は店主らしくゆったりとした渋茶色の着流しに深緑の羽織を着こなしていた。少し神経質そうな雰囲気を纏う色白の面、秀麗な顔立ちがさらに如何にもといった雰囲気を醸し出す。
対して向かい合う男は、よくいる大学生といった風貌であるが、今は蒼白を通り越して紙のように真っ白な顔色をしている。全く眠れていないのだろう。服もよれたTシャツにパーカーを羽織り、ジーンズとサンダルである。サンダルを履くにはまだ寒い、春から夏への移ろいの時期であるから、余程慌てたとみえる。
全く落ち着かないのだろう。来た時からそわそわと外を見たかと思えば、玄関を見てとせわしないことこの上無い。
「まずはお茶を飲まれては?」
紫藤鼎の低くよく響く声に促されて、ようやく男は茶を啜った。
割と苦味の少ないマイルドなタイプのお茶を濃いめに淹れてある。ホッと息をつけるようにとの陰陽庵からの心遣いであった。
飲んでその染み渡る温かさに、少し心が緩んだのか、男は目に涙を浮かべていた。
こういう時は何も話しかけない事にしている紫藤鼎は、黙って庭を眺めていた。
頃合いを見計らって、新しく淹れた玉露と和菓子が男の前に出される。
「どうぞ、お召し上がり下さい。甘いものは心を落ち着かせてくれますから。」
まだ若い女性の声に、男が顔をあげた。
にっこり微笑んで着物姿の女性が羊羹を差し出す。
受け取って口に含むと、ここに来て初めて男は少し頬を緩めた。それを見やって、紫藤は口を開く。
「では、もう一度貴方の話をまとめさせて下さい。」
男の話はこういうものであった。
男は、一ヶ月ほど前に今のアパートに移り住んだ。
初めから曰く付きである事は、不動産会社から聞いていて知っていた。知ってもなお現在の男の経済状況ではこの様な物件でも無ければ苦しかったのだという。引っ越した当初は慣れないせいもあってか特に何も気にならなかった。それが異変というか、曰くに気付いたのは窓だったそうだ。一週間に一度くらいの割合で夜中窓が開く事があった。そして電気も消して寝たはずなのに朝になるとついていることがあった。
極め付けは自分以外の人が部屋にいないにも関わらず、浴室からシャワーの音が聞こえた事だと言った。怖くてシャワーを止めに行く勇気が無かったからそのまま時間をやり過ごしていたらしい。シャワーは人一人が浴びるのにかかる時間と思われる程度で何もしなくとも止まるのだという。それで確信したそうだ。本当にこの部屋には幽霊が住んでいるのだ、と。
鼎が男から聞いた話をまとめるとこのような内容であった。
それまで黙って鼎の言葉を聞いていた男は、意を決したように早口に再び喋りはじめた。
「そんな感じです。でも、それだけじゃなくて、家の中はそんな感じなんですけど、それ以外にもあって。えっと、エレベーターに乗ると自分が押してない階に連れて行かれる事もあったし、家を飛び出した日も、エレベーターの中でも何かが居てオレ、オレの首筋にふうって息を吹きかけられて、もう、もうオレ無理でっ」
そこまでを一気に話して残っていた茶を飲み干す。
「あのアパートがヤバイって話は知ってた。だけど金も無かったし、引っ越しもままならないし、どうしようってなって、大学の先輩んちに転がり込んだらココを紹介されて、で、それでオレ、きたんです。」
ふむ、と男の目を見て鼎は深く頷いた。
それが男を安心させたようで、ふうっと力が抜けたように男はソファーにもたれかかる。
「お話は解りました。では、この紙にアパートの場所、契約した不動産会社と貴方の名前、生年月日、連絡先をお書き下さい。」
お読みいただきありがとうございます。
まだまだプロローグな感じで、消化不良だと思いますので、できるだけ早く続きを上げていけたらと思っております。