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今日から騎士

作者: 周防環

「あなたは……どこのどなたですか?」

晴れ渡る雲ひとつない蒼空を背に、蓮の顔をじーっと覗き込んでいる女の子が言った。年は蓮とそんなに変わらない。ところどころ縫い直した痕跡がある年季の入った茶色いマントの下に、白いブラウス、紺のスカートを着た体をかがめ、不安な表情で覗き込んでいる。顔は……正直ストライクゾーンど真ん中。自分と同じ漆黒の髪と雪のように真っ白な肌、クリっとした蒼い大きな瞳が空のように蒼い光を放っているように見えた。これで髪が金髪だったらどう見ても外人さんである。フランス人形のように可愛い外人さんである。もしかしたら、髪が黒いだけで本当は外人さんなのかもしれないが。しかし、彼女が着ているのはなんだろう? 制服にも見えないこともないけど。蓮はどうやら仰向けに寝ている状態みたいだ。体を起こして辺りを見回す。茶色いマントをつけて、自分を珍獣でも見るかのような目で見ている人間が数人いた。見晴らしのいい草原がどこまでも広がっている。遠くの方に雑誌やプラモデルでしか見たことのないような城や風車が見えた。まるでRPGとかでよくあるファンタジーの世界みたいだ。頭が痛い。蓮は頭を押さえながら言った。

「どこって、東京。名前は祠堂蓮」

「トーキョー?それって精霊界ですか?もしかして神界?」

精霊界?神界?なんだそりゃ。周りを囲んでいる人たちも、彼女と同じようにマントを付けていたり、手に木の棒を持っていたり、背中に何かを背負っている。コスプレ会場にでも迷い込んでしまったんだろうか。

「メイベル、お前『召喚魔法』で人間を呼び出して、どうするつもりだ?」

誰かがそう言うと、蓮の顔を覗き込んでる少女以外の全員が苦笑した。

「やっぱり私には才能がないのでしょうか……そうですよねこんなバカで愚かで貧乏なダメ人間の私が召喚魔法なんてまともに使えるわけないですよね皆さんの貴重な時間をこんな私のために使わせてしまって申し訳ありませんでしたこうなったら私の命で皆さんにお詫びします。あ、でも私のプランクトン並の命じゃ到底償いきれるものじゃないですよね……どうしましょう」

蓮の目の前の少女が、透き通るような上品な声でこの世の終わりだと言わんばかりのネガティブな言葉を吐き出した。

「プランクトンは食物連鎖の過程で絶対必要な生物である。気に病む必要はない」

「そ、そうよ。プランクトンは大事なのよ。だから失敗なんて気にしないでメイベル」

誰かがそう言うと他の数人も、うんうん、と頷いている。蓮の顔をじっと覗き込んでいる少女は、どうやらメイベルというらしい。とにかく、コスプレ会場ではないようだ。それらしい看板やらカメラを持った人たちがどこにも見えない。映画の撮影?蓮はそう思った。しかし、映画の撮影にしてはカメラがない。セットがない。人が少ない。それに日本にこんな風景あったかな。新しくできた自然公園だろうか。でも、何で俺はそんなところで寝ているんだろう。

「ジャン先生!」

メイベルと呼ばれた少女が声を張り上げた。囲んでいた人たちの中から中年の男がこちらに向かって歩いてくる。蓮は激しく混乱した。彼があんまりな服装だったからだ。ひときわ大きい木製の赤い杖を肩に担ぎ、赤いマントに身を包んでいる。なんだあの恰好。まるで、趣味の悪い魔法使いみたいだ。こいつ気でも狂ってるんじゃないだろうな。やっぱりコスプレ会場なのか?でも、それにしては雰囲気がおかしい。蓮は急に恐ろしくなった。アブナイ宗教団体だったらどうしよう。あり得ない話じゃない。こいつらは街を歩いていた俺を、どうにかして気絶させてこんなわけのわからない場所に連れてきたんだ。あの門は、その罠の目くらましだったに違いない。じゃないと説明がつかない。蓮はとりあえず状況がわかるまでは大人しくしていようと思った。メイベルと呼ばれた女の子は、必死になって男と話をしている。私は生きている資格がないんですかとか、私はプランクトンなんですかとか、そう言って赤いマントに掴みかかっている。こんなに可愛いのに、妙な宗教にハマってるのか……、と少し同情する。

「メイベル」

「もう一度召喚をやらせてください」

召喚?なんだそれ。さっきも誰かが召喚魔法とか言ってたけど。ジャンと呼ばれた赤いローブの男は首を横に振った。

「メイベル、それはダメだよ」

「どうして?」

「召喚魔法は成功してしまったみたいだからね。君の様な見習い召喚士は一人立ちする際に『使い魔』を召喚する」

使い魔?召喚士?魔法?わけがわからん。

「召喚の儀によって現れた使い魔を従えて、世界各地を回り、己の力で困っている人々を二人で助けるのが召喚士なんだ。いわば召喚士にとって使い魔は一生のパートナーと言っても過言じゃない。もう一度召喚するなんて、召喚士の歴史を冒涜するようなものだよ」

「でも、人間を使い魔にするなんて聞いたことありません……」

メイベルがそう言うと、再び周りが苦笑する。それを見たメイベルは今にも泣きだしそうだ。召喚の儀?召喚士の歴史?なんなんだそりゃ。意味がわからない。こいつら、さっきから何を言ってんだろう。ヘンなとこにきちまったな……さっさと逃げた方が身のためかもしれない。それにしてもここはどこなんだろう。日本って感じじゃないってことは、もしかして外国?……誘拐だ!誘拐されたんだ!蓮は、自分がとてつもなく困った状況に陥ってしまったと思った。

「メイベル、例外は認められないんだ。彼は――」

真っ赤な中年悪趣味魔法使いは、蓮を指差した。

「ただの人間かもしれないが、呼び出してしまったからには君の使い魔になるしかないのだよ。それに、召喚士の歴史上で人間を使い魔にした例は全くないわけじゃない。彼には必ず君の使い魔になってもらう」

「あぅ~……」

メイベルはそれはもうがっくりと肩を落とした。

「さぁ、儀式の続きを。早く契約しなさい」

「……はい」

メイベルは蓮の顔を、困ったように見つめた。なんだ?何かされるのか、俺は。

「あの……」

メイベルは蓮に声をかけた。

「な、なに」

「ごめんなさい、私じゃ嫌かもしれないけどすぐに終わりますからちょっとだけ我慢してください」

メイベルは申し訳なさそうに目をつぶる。手に握られた、鉄製の杖の様なものを蓮の目の前に掲げた。

「我が名はメイベル・フラメル。我は百万の異世界を束ねる神の神へ願う。異世界からの来訪者であるこの者に祝福と力を与え、忠実な我の使い魔となせ」

RPGとか小説に出てくる呪文のような言葉を唱え始めた。そして、ゆっくりと……近づいてくる。

「な、なんだよ。俺に何するつもりだ!」

「大丈夫ですから……安心して……」

メイベルの顔がどんどん近づいてくる。

「ちょっ、あの、それ以上近づくとキ、キス……」

「するんです」

「えぇ!?いや、俺、実はファ――」

「ん……」

問答無用でメイベルの唇が蓮の唇に重ねられる。契約ってキ、キスのことだったのか。唇に感じる美少女の唇の柔らかさが、蓮を更に混乱させる。ファーストキス……初めては好きな子って決めてたのに……こんなわけのわからん場所で、わけのわからん人たちに囲まれて見世物にされるなんて……。蓮は混乱と理解不能な状況に対応しきれずに固まっていた。

「終わりました」

メイベルはほんのり顔を赤く染めている。照れているらしい。

「おいおい、照れるのは俺であんたじゃないだろ。というか、俺のファーストキス……」

しかし、メイベルは蓮の言うことなど聞こえていないみたいだ。キスしといて無視は酷くない?

もうわけがわからない。ツッコミにも疲れてきたし……。早く家に帰りたい。家に帰って携帯でメールをしたいと蓮は思った。携帯電話を買ったばかりだった。早く帰っていろいろいじりたいのである。

「おめでとう、メイベル。契約完了だよ」

ジャンが嬉しそうに言った。

「やっと終わったのか」

「まったくいつまで時間をかければ済むのかしら、さすがグズのメイベルね」

囲んでいるうちの二人が、笑いながら言った。そんな言葉を聞いてメイベルは悲しげな表情を見せた。そして、蓮はなぜかカチンときた。

「おい」

「なによ」

蓮の怒気を含んだ口調に真っ先に反応したのは、黒いマントに金髪蒼眼の女魔法使いみたいなコスプレをした蓮と同じくらいの年の少女。美少女と言われたらそうかもしれないが、何かを頑張ってる人をバカにする奴は蓮の最も嫌いな人種だった。我慢できずに余計な一言が口をついた。

「なにがなんだかよくわかんねえけど、寄ってたかって一人をいじめるなんざ最低だなお前ら」

「召喚された猿ごときが私に文句?主と同じで礼儀を知らないようね」

「……落ち着けフレイ」

メイベルをバカにしていたもう一人が口をはさんだ。背は蓮よりも若干高いくらい、フレイと呼ばれた少女と同じ黒いマント、手には自分の身長くらいあるいかにも魔法使い的な杖を持っている眼鏡をかけた蒼髪蒼眼の男である。

「メイベルが呼び出した低級の使い魔なんかに目くじら立てるとは情けないぞ」

「でも、アイザック!こいつ生意気なんですもの!」

「まぁ、確かにそのようだな」

アイザックと呼ばれた少年の目が冷たく光った。

「低級な猿にはしつけが必要なようだ」

「あいにく、しつけは厳しい家庭で散々叩き込まれてきたんでね。お前なんかに教えてもらう必要はないね」

蓮はアイザックの物腰を真似て、紳士ぶった仕草で言った。

「よかろう。特別に相手をしてやるからありがたく思え」

アイザックは蓮に向かって杖を構えた。

「おもしれえ」

蓮は獣のように唸った。こいつは第一印象からして気に入らねえ。妙に紳士ぶった態度とか、可愛い子をいじめる性格とか、全部まとめて気に入らねえ。しかも、こいつらは俺の事を低級の猿とかバカにしやがった。

売られたケンカを買うには十分すぎるほどの理由ができた。もう一人の方は一応女の子だからな。やっぱ男が女を殴るのはよくない。その分こいつにお見舞いしてやる。

「ここでやんのか?」

蓮はファイティングポーズをとった。アイザックは蓮よりも背が高いが、ひょろひょろして肉体的にはあまり強くなさそうだ。蓮もどちらかといえばケンカが強い方ではないが負けるとは思えない。アイザックはくるりと体を翻した。

「逃げんのか!」

「ふざけるな。お前の様な猿ごときに逃げるわけがないだろう?石碑公園で待っている、準備ができたら来たまえ」

メイベルがオロオロしながら蓮を見つめている。蓮は笑いながら言った。

「大丈夫。あんなもやしに負けるわけねぇって。お高くとまりやがって」

「あ、あなた、殺されちゃう……」

「はぁ?」

「アイザック君は魔法学院のトップクラスの実力者だから……」

メイベルはまたもや泣きそうな顔をしている。意味わかんねえよ、と蓮は思った。魔法学院ってなんのことだよ。それともあいつ、そんなにケンカ強いのか?後ろからジャンが駆け寄ってきた。

「君! 大丈夫かい?」

「あぁ、ども」

「ふぅ、何をのんきにしているんだ。君はたった今決闘を申し込まれたんたぞ」

「だって、あいつがあんまりにもムカつくから……」

蓮はバツが悪そうに言った。ジャンはやれやれと肩をすくめた。

「悪いことは言わないから謝るべきだ」

「なんでだよ」

「怪我をしたくなかったら謝るべきだ。今なら許してくれるかもしれない」

「ふざけんな! なんで俺が謝んなきゃいけないんだよ! 仕掛けてきたのは向こうじゃねえか。頑張ってる奴をバカにする奴は許せねえ、だいたい……」

「いいから」

ジャンは強い口調で蓮を見つめた。

「……いやだね」

「意外と頑固だな。君みたいな子は嫌いじゃないんだが、ハッキリ言って怪我ですんだら運がいい方だぞ」

「決めつけんなよ、そんなのやってみなきゃわかんねえだろ」

「聞きなさい。君はどうやら普通の召喚獣とはちょっと違うみたいだから知らないだろうが、君みたいな普通の子が魔法使いに勝つことはできないんだ」

召喚獣?魔法使い?さっきからなにわけわかんねえこと言ってんだ。

「もういい。石碑公園ってどこだ」

蓮は歩きながら、近くにいた少年に尋ねた。少年は石碑公園の方向を指差す。

「こっちだよ」

「あぁもう! メイベル、君の使い魔なんだからどうにかしなさい!」

「えぇ!? あ、は、はい!」

呆然とやりとりを見ていたメイベルは蓮の後を追いかけた。


   +++


祠堂蓮、十七歳。高校二年生、剣道部所属。運動神経、そこそこ。成績、まぁまぁ。彼女、ナシ。周りの評価は『蓮?あいつはいい奴だよ。でも、ちょっと猪突猛進なところがあるね』『祠堂君?不良に絡まれてるところを助けてもらったことがあるわ、返り討ちにあってボコボコにされてたけど。いい人なんだけど実力が伴ってないのよね』。猪突猛進だけに不測の事態に陥っても動じることがあまりなく、どんなことにも素早く順応する方。中学の時、修学旅行先で景色を見てくると言って夜の樹海に単身入り込み、遭難した挙句、救助されるまでの二日間をひとりでサバイバルしていたというほどである。普通の人間なら恐怖で精神がおかしくなるところをあっさり順応してしまったのは、この性格によるところが大きい。単純に、何も考えてない性格と言ってもいい。致命的なのは、蓮はこの性格に加えてかなりの負けず嫌いということである。そんな蓮は、その日東京は秋葉原の電気街を歩いていた。学校に内緒で続けていたアルバイトで貯めたお金を使って、携帯電話を買った帰りだった。蓮はテンションが上がっていた。これで好きなあの子とメールができる。連絡先を聞いたばかりだった。家の電話で話すと家族に聞かれて恥ずかしかったので携帯電話を買うことに決めたのが昨日の夜の事。彼は、並外れた行動力を発揮する男だった。しかし、帰宅途中に彼の並外れた行動力が災いを呼ぶことになる。バス停から家へと帰る途中、近道しようと路地に入った彼はそこで空に浮く不思議な門を発見したのである。蓮はその門に近づき、まじまじと見つめた。蓮は好奇心旺盛だった。三十センチほど空中に浮かんでいる立派な造りの閉じた門。高さは二メートルくらい。幅は一メートルくらいある。裏側に回っても部屋があるわけではなく、ただその空間にふわふわと浮かんでいる門。好奇心が騒ぎ始めた。テンションが上がっているせいもあって蓮はその門を目を輝かせながら見つめる。蓮の知る限り、空中に門が浮かぶ現象など見たことも聞いたこともなかった。さっさと家に帰ってあの子にメールをしようと通り過ぎようかとも思ったが、好奇心がそれを許さなかった。門を開けてみたくなったのである。そんなことしてる場合じゃないだろ、と思った。しかし、少しくらいなら、と即座に考えが変わった。門の取っ手を掴んで、これで鍵がかかっていたら笑えるな、などと思いながら引っ張ってみた。ギギギ、という音と共に門が驚くほど簡単に開いてしまった。門の先には――向こう側に建っている家が見えた。蓮は拍子抜けしながらも、とりあえず門をくぐってみようと思った。くだらないと思いつつも、結局、彼はくぐってしまった。展開が見えたRPGを、エンディングは読めちゃったけどもうすぐ終わるからとりあえず最後までやるか、というあの心境に似ていた。くぐった直後、蓮は後悔した。門をくぐった瞬間、向こう側に広がっていた住宅街の景色が消滅し、蓮は足元に広がる漆黒の闇に向かって落下し始めたからである。小さい頃、高い所から落ちる夢を見て二段ベッドの上段から落ちたあの感覚によく似ている。蓮は意識を失った。

そして、目を覚ますとそこは、見たこともない景色と女の子がいるファンタジーのような世界で、なんだかよくわからないうちに魔法使いとか言ってるわけのわからない連中と決闘することになってしまったのだった。


   +++


石碑公園は蓮がいた所から割とすぐ近くにあった。巨大な石碑が建てられていて迷うようなこともなかった。見渡す限り緑の草原が広がっていて、決闘をするにはうってつけの場所だった。

「本当に来るとわ思わなかったぞ」

アイザックが杖を構えながら言った。

「アイザック、メイベルの召喚獣と決闘なんてやめなさい!」

ジャンが叫ぶ。俺だって名前があるんだけど、と蓮は思った。蓮とアイザックは向かい合って睨みあう。

「逃げずに来たその勇気は誉めてやろう」

アイザックは杖を振りながら、見下すように言った。

「誰が逃げるかってんだ」

「では、始めるとしよう」

アイザックが言った。言い終わる瞬間、蓮は駆け出した。やられる前にやってやる!アイザックまで、蓮の足で約十歩ほどの距離。魔法使いだか何だか知らないが、あの天狗の鼻をへし折ってやる。アイザックは、そんな蓮を余裕の笑みを浮かべながら見つめると、何かを口ずさみ始めた。

「仄かに暗く、尚暗く、冥府に咲き乱れる闇の花、花咲く大地を駆ける漆黒の獣、冥界の主の僕、歓喜に満ちるその瞳、全てを喰らうその顎、生者を引き裂くその爪で、我が敵を滅ぼし喰らい、全てを貪れ――……」

呪文の様な言葉の羅列。アイザックは、虚空に向かって杖を振った。

「――生まれ出でよ!冥界の番犬!」

アイザックが叫んだ直後、真横の空間にひびが入った。日々は徐々に大きくなり、ついに割れた。ガラスの破片が落ちるようにポロポロと落ちる空間の破片、その奥に見えるのは漆黒の闇。そして、闇の奥に光る紅色の六つの目、三つの頭。割れた空間からゆっくりと大地に降り立ったのは三頭六眼の真っ黒な犬だった。体長はおよそ二メートル、鋭い牙を剥き出しにしながら三つ首の犬は低く唸っている。そいつが蓮の前に立ちふさがった。

「な、なんだこいつ!」

「僕は召喚士だ、だから召喚獣で戦う。文句はないだろう?」

「て、てめぇ……」

「そう言えば紹介してなかったな。こいつは冥界の魔犬ケルベロス。君の相手だ」

「えっ?」

真っ黒い毛並みをしたケルベロスが、蓮に向かって飛びかかってきた。鋭い爪の斬撃が蓮の左腕をかすめた。

「くぅっ!」

蓮は左腕を抑えて、地面に膝をついた。無理もない。鋭い刃物で切り付けられたも同然なのだ。その蓮をケルベロスが赤い瞳で見下ろした。しかし、痛みと恐怖で立ち上がれない。

「なんだ、もう終わりか?」

アイザックが呆れた声で言った。その時、メイベルがケルベロスと蓮の間に割り込んでくる。

「アイザック君!」

「邪魔だ、そこをどけメイベル」

メイベルは髪を揺らし、アイザックに向かって怒鳴りつけた。

「もうやめて!決闘は禁止されてるはずでしょ!」

「禁止されてるのは生徒同士の決闘だ。僕の相手は使い魔なんだからルールは破ってない」

メイベルは言葉に詰まった。

「そ、それはそうかもしれないけど……」

「メイベル、お前まさかそこの猿に惚れたのか?」

メイベルの顔が真っ赤に染まった。

「ち、違います!自分の使い魔が傷ついていくのを見てられないだけです!」

「だ、誰が怪我するって?こんなのただのかすり傷だっつーの」

「でも!」

メイベルは震えていた。

「ジャン先生だって言ってたでしょう?あなたじゃサモナーには触れることだってできないのよ!」

「あんなん見てちょっとびっくりしただけだ。いいから離れてろ」

蓮はメイベルを押しのけた。

「まだやるつもりか?手加減しすぎたな」

アイザックが蓮を挑発する。蓮はゆっくりと、アイザックに向かって歩き出した。メイベルが追いかけながら蓮の腕をつかむ。

「行っちゃダメ!どうして立つの!」

蓮は腕を掴んだ手を強引に振り払った。

「ムカつくんだよ」

「え?」

蓮はよろよろと歩きながら、言った。

「ムカつくんだよ……。魔法使いだか召喚士だか知らねえけど、頑張ってる奴を平気でバカにする奴見てると、いい加減イライラすんだよ」

アイザックが見下すように、薄く笑みを浮かべながら、そんな蓮とメイベルのやりとりを見ている。

「それは勇気とは言えない、ただの無謀だな」

蓮は笑いながら言い放った。

「こんなの効かねえよ。それでも攻撃か?お手なら他所でやんなイヌっころ」

アイザックの顔から笑みが消えた。

「……やれ、ケルベロス」

ケルベロスの右手(?)が蓮の腹にめり込む。モロに食らって、蓮は吹っ飛んだ。

「げほっ!」

内臓のどこかをやられたのか、咳と共に血を吐きだした。蓮は腹を押さえながら、思う。参ったなー……、殴り合いなら負けないと思ってたんだけど、まさかこんな化けモンが出てくるなんてなー、こんなパンチ食らったことねえよ。それでもよろよろと立ち上がる。ケルベロスは容赦なく満身創痍の蓮を殴り飛ばした。立ち上がるたびに、ブッ飛ばされる。もう何回繰り返されたのかもわからない。着ていた服もケルベロスの爪で引き裂かれ、上着はすでにぼろぼろだった。おそらく十二回目であろうケルベロスの攻撃が蓮の脇腹に当たり、辺りに鈍い音が響いた。糸の切れた人形のように、蓮は背中から地面に倒れこむ。その時、頭を打ったせいで一瞬気を失ってしまった。目を開けると蒼い空とメイベルの顔が見えた。

「お願い……もうやめて下さい」

メイベルの瞳から冷たい雫が蓮の顔にぽたりと落ちた。蓮は声を出そうとしたが、痛みでうまく声が出せない。それでも、気力を絞り出して声を出した。

「……どうして、泣いてんの?」

「泣いてません。こ、これは、汗です。もういいでしょう?あなたはよく戦いました。あなたの様な方は見たことがありません」

痛めた内臓と折れた肋骨がズキズキと痛む。蓮は顔を歪ませた。

「痛い」

「当り前です。全身傷だらけなんですよ。無茶苦茶です」

メイベルの瞳から、また涙がこぼれた。

「あなたは私の使い魔なんですよ?主人の命令には従わないし、勝手に決闘するし……、でも、私のために戦ってくれたのは、嬉しかったです」

そんな二人にアイザックの声が飛んだ。

「終わりにするか?さすがに僕も弱い者いじめはしたくないんでね」

「……まだだ。まだ終わってねえ」

「レイ!」

「やっと名前呼んでくれたと思ったのに……間違えてんじゃねえっつーの……」

アイザックは微笑んだ。そして、杖を振った。空間が裂けて、そこから一本の剣が現れる。アイザックはそれを掴むと蓮の方に向かって投げた。剣は横たわった蓮の真横の地面に突き立った。

「レンとか言ったか?お前の意地に免じて武器をくれてやる。続ける気があるならそれをとれ。ないなら地面に手をついて謝るんだな。そしたらさっきの無礼は許してやる」

「ざ……けんじゃ、ねえぞ」

蓮はよろよろと立ち上がった。

「立っちゃダメです!」

メイベルが怒鳴った。しかし、アイザックは気にした風もなく、言葉をつづけた。

「それを取るということがどういうことかわかるな?召喚士に剣を向けるんだ、それなりの覚悟はしてもらうぞ」

蓮はその剣に手をのばす。脇腹の痛みで体に力が入らない。その手がメイベルによって止められた。

「ダメです!剣をとったらアイザックはあなたを殺すわ!」

「俺にはここのルールなんてわからねえ。つーか、ここがどこかも知らねえ。わけわかんねえ連中に囲まれて、気がついたらイヌっころにボコボコだ」

蓮は呟くように言った。その目はメイベルに向けられている。

「だからもうやめましょう?私だったら平気です。いつもバカにされてるし、才能なんてないんです。でも、それでも……立派な魔法使いになりたかったから、今まで……頑張って……」

蓮の左手を握りしめるメイベルの手に力が入る。顔を見ると、今にも泣きだしそうだった。俯いたメイベルに、蓮ははっきりと力強く言い放った。

「もうここがどこかなんてどうでもいい。こいつらが何者かなんて関係ねえ。めんどくさい事は全部後で考えればいい。でもな……」

蓮はそこで言葉を切って、右手で剣の柄を握り込んだ。

「レン……」

「女を泣かす奴と、頑張ってる奴をバカにする奴は、許せねえんだよ!」

蓮は、メイベルをはね退け、最後の力を振り絞って剣を地面から引き抜き、構えた。そのとき、蓮は光に包まれた。そして、蓮の体が今まで味わったことのないほどの熱を帯び始めた。

「か、体が熱い!ぐぅっ!」

全身に見慣れない文字が躍っている。蓮のいた世界では見たこともない、文字というよりは模様である。

「魔法文字が……刻まれていく?」

魔法文字というらしい。それにしても、熱い!冗談じゃねえぞこの熱さ!

「ぐぅあああ!」

「落ち着いて下さい!すぐにおさまります!」

メイベルの言うとおり、熱と光はすぐに引き、体は平静を取り戻した。しかし依然、ルーンは全身に浮かんでいる。


「彼のあのルーン……全身に刻まれるルーンなんて聞いたことがない」

ジャンはきびすを返すと、誰にも気づかれることなく、一人足早に学院に戻っていった。その表情には驚きと好奇心で充ち溢れている。彼は根っからの研究者だった。


「なんだ、これ?」

蓮は驚いていた。痛みが消えた。体が軽い。さっきまでずっしりと重かった剣が、今はまるで体の一部のようだ。不思議だ。初めて握ったこの剣が、昔から使ってる自分の竹刀のようにしっくりと馴染んでいるような気がする。真剣を握ったのは初めてだというのに。剣を握った蓮を見て、アイザックが冷たく笑った。

「僕は君の事を少々勘違いしていたようだ。ここまで僕に楯突く奴がいるとは思わなかった。素直に誉めよう」

そして、手に持った杖を振った。あのいかにもな魔法の杖らしき棒が、ケルベロスに命令を出すアンテナのようだ。冷静に状況を分析できる余裕がある自分に驚く。痛みは感じてないけど、ボロボロの体なのに俺はどうしてしまったんだろう。アイザックのケルベロスが飛びかかってくる。三頭六眼の魔犬が、素早い動きで蓮に向かってくる。ちくしょお、と思った。あんなノロマなイヌっころに、今まで散々ボコられたのか。

怒りの表情でケルベロスを睨みつけ、蓮は疾駆した。


ケルベロスが風の如き速さで動きまわる蓮に切り刻まれていく様を見て、アイザックは声にならないうめきを上げた。すでにケルベロスは全身斬り傷だらけの満身創痍状態になっている。次の蓮の一閃で、ケルベロスの頭のひとつが切り落とされた。同時に、蓮はアイザックめがけて疾風のように突っ込んだ。アイザックは慌てて杖を振る。ケルベロスの影から黒い狼の様な獣が八体現れる。ケルベロスを主戦力として、全部で八体の黒い狼で撹乱と奇襲をかけるのがアイザックの戦術だ。ケルベロスしか召喚しなかったのは、それには及ばないと思っていたためだった。黒い狼が蓮を取り囲み、一斉に襲いかかる。そして、八頭合わせて六四もの鋭い爪で一気に引き裂く――かに見えた瞬間、五頭の黒い狼がバラバラに切り裂かれる。速過ぎて剣の軌道がまるで見えない。こんな風に剣を操れる人間がいるなんて信じられない。残った三頭の狼を、アイザックは自分の盾に置いた。蓮が地面を蹴った瞬間、三頭は一瞬にして切り裂かれる。

「あっ!」

アイザックは、顔面にパンチを食らって後ろに吹っ飛び、地面を情けなく転がった。蓮が自分の方にゆっくりと歩いてくるのが見えた。殺される!と思ってアイザックはうずくまって頭を抱えた。ズバンッと音がして、おそるおそる目を開けると……。剣がアイザックの杖をバラバラに斬っていた。

「まだやんのか?」

蓮は呟くように言った。アイザックは、心を完全に折られていた。震えた声でアイザックは言った。

「ま、参った……」

蓮は剣を離すとメイベルの方へ歩き出した。なかなかやるじゃん、とか、けっこう強いな!とか、アイザックに勝っちまったぞ!とか、見物していた数人が歓声を上げる。どうにか、勝った……のか?蓮はぼーッとする頭で考えた。俺、どうやって勝ったんだっけ?途中まであの犬に、ゴミクズみたいにボロクソにやられていた。それが、変な模様が体に浮かび上がった瞬間、痛みがなくなり身体が羽のように軽くなった。気づいたらアイザックのケルベロスを斬り倒していた。俺は、竹刀なら使えるが真剣は握ったことすらない。なにがなんだかわからない。まあいいや、わからないことは後で考えればいい。とにかく疲れた、今日はもう寝たい。メイベルが駆け寄ってくるのが、閉じかけた目に映った。どんなもんだい、そう言おうとしたら、膝が折れた。身体が重い。激戦後の疲労感が蓮を襲う。メイベルに抱きかかえられるようにして、蓮は横たわった。

「本当、あなたってば無茶ばかりしますね」

瞳に涙を溜めながら、それでもメイベルは笑顔だった。さっきまでの悲しみと悔しさに満ちた顔とは違う、喜びに満ちた笑みを浮かべていた。蓮は満足だった。蓮にとっては単なる自己満足でしかなかったが、それでも目の前の女の子は笑ってくれている。その事実だけで、ボロボロになった自分の体の痛みが引いていく様な気がした。そして、その笑顔をもっと見たいと、心のどこかで思っている自分がいることに蓮は気づいた。蓮は、決意した表情ではっきりと言った。

「……決めたよ」

「え?」

「俺、どうせすぐには帰れないんだろ?」

メイベルは俯いて言った。

「……はい」

「なら、帰る方法が見つかるまで、泣き虫な君を守るよ」

「え、でも……」

「もう決めたんだ」

猪突猛進モードを発動させた蓮は、もう誰にも止められないのであった。こうなった蓮はテコでも動かない。蓮の瞳に宿った決意を感じ取ったのか、メイベルは潤んだ瞳のまま笑顔で言った。

「よろしく、お願いします。レン」

「よろしく、メイベル」

直後、すぐ近くにいたメイベルがはるか遠くにいるように見えた。視界がどんどん黒く染まっていく。メイベルの笑顔を見てほっとしたのか、蓮は意識が遠退いていった。起きたら、味わったことのないようなファンタジーの世界にまた放り出されるんだろうな、と蓮は思った。

(でも、まあいいか。なんでか理由はわからないけど、俺はこの子の笑顔が見ていたい……だから……)

もうちょっとこの世界につき合ってやるか、そう思う直前に、蓮は完全に意識を失った。


そして、普通の高校生だった祠堂連が目覚めた時、召喚士メイベル・フラメルとの果てしない冒険の物語は始まるのであった。

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