表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

学級

「さて、講義を始める前に。――文字は読めるかい?」


 レインの問いに、ウィルは密かに安堵の息をもらした。勢いで頼み込んでみたものの、 やっぱり気が変わった と突き放される事態は避けられたようだ。


「……少しだけなら」


「うん。じゃあ、試しにこれを読んでみて」


 彼女が示したのは、机の上に山積みにされたあらゆる本だった。だが、ウィルはその頁を一目見ただけで絶望した。そこには見たこともない奇怪な記号と、脈絡のない幾何学模様がびっしりと並んでいた。

 レインは困惑するウィルを横目に、羽ペンを走らせて一枚の紙にさらさらと文字を綴った。


「これはどうだい?」


 差し出された手紙には、教会の聖句を彷彿とさせる、流麗で美しい筆致の文字が並んでいた。だが、その中身はあまりにも事務的な契約書だ。


「……『俺を教会に三週間通わせる。銀貨二枚を教材代と諸経費、布施として、文字を教えるように』。そんなことが書いてある」


 知らない単語を前後の文脈から補いながら、なんとか読み上げる。レインは満足そうに口角を上げると、ウィルの手に銀貨を三枚握らせた。


「一枚は正解したご褒美だ。残りの銀貨二枚は、しかるべき相手に渡すようにね。日が暮れる前には帰ってくるんだよ」


「……分かった」


 ウィルの母は、神を熱心に拝むような人間ではなかった。ゆえに、教会という場所は彼にとって、通りがかりに小奇麗な聖句を眺める程度の、縁遠い建物でしかなかった。


「今日から三週間、共に学ぶことになったウィル君です」


『よろしくお願いします』


「……よろしくお願いします」


 密集した子供たちの熱気と、カビ臭い羊皮紙の匂いが混じり合う教室。ウィルは促されるまま、硬い木の椅子に腰を下ろした。


「忘れるところだった。これを使いなさい。買取りになるから、君の所有物にして構わないよ」


 恰幅のいい教師が差し出してきたのは、木の枠に黄色い蝋を流し込んだ学習用タブレットと、一本の鉄筆だった。


「いいな。お前、どこか金持ちのところに拾われたんだろ?」


「……まあ、そうかもな」


 気安く話しかけてきた隣の少年に、ウィルは曖昧な相槌を返した。銀貨を端金のように持ち歩いているのだから、傍から見ればそう映るのも当然だ。


「まずは教科書の一ページ目から。ウィル君、それも君の買取りだから、好きに書き込んでいいよ」


 この教師は、やけに『買取り』という言葉を強調する。その響きに、ウィルはかすかな嫌悪を覚えた。


「おい、あのタブレットと教材代、いくらするんだよ?」


「タブレットは小銀貨五枚だろ。教科書は十五枚くらいか……」


「やべえな。あいつ、どんだけ持ってるんだよ」


 周囲の囁き声が、次第に尖ったものへと変わっていくのが肌で分かった。

 ウィルは勉強自体、嫌いではなかったが、教会が教える「聖句」の内容には、どうしても馴染めなかった。


『魔道に染まるべからず。その身が汚れるが故。

 魔道を語るべからず。その口が災いをもたらす。

 魔道を見るべからず。揺れ動き堕ちるが故に』


 レインは自分が魔法使いであることを隠せとは言わなかった。魔法をこれほど忌み嫌う場所に、なぜ自分を送り込んだのか。

 自分に対する周囲の視線よりも、ここに預けた弟分たちに火の粉が飛ばないか、その懸念が胸を支配していた。


 授業が終わると、ウィルは逃げるように子供たちの居住区へと急いだ。しかし、人通りの少ない建物の影に差し掛かったとき、背後から無遠慮な声が飛んだ。


「おい、新入り。お前、どうやってあの金持ちに取り入ったんだ?」


 振り返ると、クラスメイトだった少年たちが数人、道を塞ぐように立っていた。

 スリをした相手が、たまたま化け物じみた魔法使いだった――。そんな事実を話したところで信じるはずもない。


「……も、物好きな人がいたんだよ」


 自分でも笑い出しそうになるほど下手な嘘だった。


「物好きな金持ち、ねぇ。随分とふざけた回答じゃないか!」


 一人が激昂し、ウィルの胸倉を掴もうと手を伸ばす。だが、その手は空を切った。ウィルが後ろへ半歩身を引いたからだ。


「これ、何だか分かるか?」


 ウィルは懐から一枚の銀貨を取り出し、少年たちの目の前に掲げた。夕闇の中で、それは鈍い銀色の光を放つ。少年たちの瞳に、どろりとした欲望の色が混じる。


「取ってこい!」


 ウィルは大きく腕を振りかぶり、それを遠くの茂みへと投げつけた。

 少年たちは一斉に、我先にと草むらへ飛び込んでいく。その隙に、ウィルは迷わずその場を走り抜けた。


 ウィルは走りながら、手の中に隠していた本物の銀貨を見つめた。投げたのは、ポケットに紛れ込んでいた古い金属ボタンだ。

 弟分たちの安全、そして自分の立場。考えがまとまらないまま歩き続けていたウィルの前に、一人の影が立ち塞がった。


「何か、お困りですか?」


 顔を上げると、そこには気難しそうな顔をしたシスターが立っていた。相談をすべきか迷った、その時だ。


「やや、相談相手なら私の仕事だろう? しかし流石に器用だね。銀貨とボタンをすり替えて投げ飛ばすなんて」


 耳慣れた、どこか楽しげな声がすべてを遮った。レインだ。


「この子は私の子でね。二人で話すよ。世話をかけたね」


 レインはシスターを冷淡に追い払うと、ウィルの方へ向き直った。


「余計なことをしたかな?」


 その言葉の意味を、ウィルはすぐに察した。

 わざと恵まれているように見せ、周囲の敵意を煽り立てる手法。彼女がスラムを訪れた時とと同じ構造だ。


「……まさか、教会の教師が『買取り』とか騒いでたのも、あんたの差金か? わざとクラスの連中の反感を買わせるために」


 レインはにこりと、無邪気なまでの笑顔を浮かべた。


「言い方が酷くないかい?」


「被害が出たらどうするんだよ!」


「出ないよ。君のことは私が見ているし、必要なら介入するさ。たった三週間じゃないか。しかも通いだ」


「俺と関わりの深いミリとアルは違う! あいつらに俺との関わりがバレたらどうするんだ! 金を持ってると思われたら、たかられて終わりだぞ!」


 レインはきょとんとした顔をした後、少しだけ申し訳なさそうに肩をすくめた。


「確かにそうだね。……けれど、あの子たちは私にとっては、正直どうでもいいというか。君にとって重要なら、それは君自身が解決すべき事情だろう?」


「……あいつらに何かあったら、俺は絶対にあんたの言うことを聞かない。口もきかない」


「取引かい? まあいいよ。完全に繋がりを隠すのは難しいだろうし、定期的に顔を出せるよう取り計らおう。月に一度くらいならね。……あと、一応気にかけてあげるよう、あっちには念を押しおいてあげるよ」


 意外な譲歩だった。もっと子供の癇癪のように扱われると思っていたウィルは、毒気を抜かれたように黙り込んだ。


「けれど、これからはちゃんと良い子にするんだよ?」


 レインはウィルの頭を撫でて微笑んだ。そうだ。彼女は『取引』と言ったんだ。

 取引のつもりなんて無かったが、ここで頷かなければ二人の立場が危うくなりそうだ。

 ウィルは奥歯を噛み締めながらも頷いた。


 レインはさぞ気分が良いだろうと思ったが、その挙動は随分と意外な物だった。

 ウィルに一瞬頷きそれから独り言のように、何かをぶつぶつと呟きながら歩き出した。


「三週間ならどうとでもなるけど、あいつにバレたら面倒だしね……。六、七年くらいなら、どうにか誤魔化せるか……」


 その呟きの意味を、今のウィルが知る術はなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ