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文身魔法

 風が吹き込むこともないい温かな部屋。

 夕飯で腹の膨れたウィルはレインの向かいの席に座っている。

 といっても食欲が無く、さつまいものポタージュを飲んだだけだったが。

 そしてレインが再び同じセリフを口にする。


「罰と躾を兼ねて、一つ対策をしようか」


 母が生きていた頃、今日は南部シチューだよと晩御飯を教えてくれることがよくあった。そんな口ぶり、表情だな。とウィルは感じた。


「……俺はあんたの物になるなんて、言ってないよ。それに、なんでそこまでするんだ」


 ウィルは絞り出すように反論を試みた。机を挟んで向かい合う彼女の、致命的なまでの感覚のズレ。そして自分へ向けられる歪な執着。それが得体の知れない泥のように、足元から絡みついてくる。


「初めて会った時、私を化け物だと言ったね。どうして?」


 レインが深い青の瞳で、じっとウィルの顔を覗き込んできた。


「理解……出来なかったからだ。ノルグとあんたは、少なくとも仲間なんだろ? なのに、あんたはあの人のことを何とも思ってなかった。もし彼に何か起きても、あんたは心配する 演技 はするだろうけど。そういうのが、分からない。怖いんだ」


「なるほど。それは、私の本性を見抜いた上で理解できなかった、といったところか」


 レインは満足そうに口角を上げた。


「君は、目に見えないモノを観測する能力に長けている。だからこそ、側に置いて観察したくてね。――逃がす気はないよ」


 返せる言葉が見つからず、ウィルが唇を噛んで黙り込んだ。沈黙を肯定と受け取ったのか、彼女はさらに一歩踏み込んでくる。


「上を脱いで、横になりなさい」


 本能的な危機感が、ウィルの背筋を駆け抜けた。机の向こうから、白く細い手が蛇のように伸びてくる。

 かつて意識を奪われた時の恐怖が蘇り、ウィルは反射的に右の前腕を掴もうとした手を振り払った。捻るようにして距離を取り、出口へと視線を走らせる。

 本来なら、非力な子供相手にここまで手こずるはずがない。彼女は、逃げようと足掻くウィルの反応を見て遊んでいるのだ。


「みんなを保護してくれたことには感謝してる。でも、俺がどこに住もうと何をやろうと俺の自由だ。放っておいてくれ!」


 一気にドアへ向かって後ずさった時だった。

 突然、全身の関節から芯が抜けたような感覚に襲われた。膝が笑い、立っていることすらままならない。


「……っ、なんで……?」


「君のどこが自由なのかな?」


 崩れ落ちる体を、レインが軽い身のこなしで受け止めた。

 指先一つ動かせない。だが感覚だけは鮮明で、視界は皮肉なほどはっきりと彼女の貌を捉えていた。

 ウィルは赤子のように軽々と抱え上げられ、あの部屋のベッドへと横たえられた。


「少し待っていてね」


 レインは一度部屋を出ると、すぐに重厚な木箱を抱えて戻ってきた。

 首を動かすことすら叶わない。床に置かれた箱が開き、その中身が視界の端に映った。

 十数瓶にも及ぶ色とりどりのインク。そして、鋭い針が付いたペンのような器具が数本。

 

「嫌だ……やめてくれ」


 微かな掠れ声で抵抗するが、レインは 元気だねー と気のない調子であしらうだけだった。


「何をするつもりだ」


 聞くのも怖かった。だが、何をされるか分からないのは、更に恐ろしい。


「文身魔法だよ。私の専門でね。人間の体に刺青を施すことで、魔法を定着・発動させる技術さ。君には『追跡陣』を刻む。君がどこにいても、私にはその居場所が分かるようになるんだ」


 抗う術のないまま、上半身の服を剥ぎ取られ、うつ伏せにされる。

 遠慮のない冷たい指先が、ウィルの背中を這い、肩甲骨の間に止まった。


「ここが良さそうだね」


 そう呟いた直後、肌にひんやりとした薬剤が塗られた。


「痛いのは流石に可哀想だから、麻酔をしておいたよ」


 その言葉を合図に、背中にチクチクと細かい針が刺さる感覚が始まった。

 皮膚を貫く異物感。自分の体でありながら一歩も動かせない絶望。時間が経つほどに、焦燥がどろどろと胸の中に溜まっていく。

 だが、思いのほか作業は早く終わった。レインの手が離れ、器具を片付ける硬質な音が部屋に響く。


「三十分もすれば動けるようになるはずだよ。そうしたらそのまま寝なさい。一週間は、保湿をしっかりすること!」


 レインは人差し指を立ててそう告げると、机の上に小さな薬瓶を置いた。


『君のどこが自由なのかな?』


 その問いに、今のウィルは答えられない。


 スラムのあばら家に住み、他人の金を奪う日々。それでも、二人が笑っていればそれでよかった。


 何もできない子供だから、見逃されていた。

 何の価値もない泥屑だったから、誰の目にも留まらなかった。

 ただ無害だったから、そこに居させてもらえただけ。


 綺麗な服を着た魔法使いが現れただけで、あっけなく瓦解するようなものを、永遠だと思いたかっただけなのだ。


 背後で、首が落ちる鈍い音。

 血の匂いに怯えながらも、レインの施しに安心した顔を見せたミリ。

 何も知らぬまま、温かな場所へと連れ去られたアル。


 ――強くない奴は、不自由だ。


「分かっていたはずなのに」

 

 緊張が解けたせいか、やがて疲れが意識を塗り潰していく。

 ウィルは背中に刻まれた刻印を抱えたまま、深い眠りへと落ちていった。

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