魔法学校長
ウィルが孤児院へ足を運ぶと、アルは相変わらず『銀の姫様』の絵本がお気に入りのようだ。当然のようにウィルの膝の上を陣取り、期待に満ちた目で物語をせがんでくる。
ウィルとしても小さい子は可愛いのでなるべく期待に応えてやろうと思った。そしてふと膝の上に陣取っていたアルが、頭をウィルにグリグリと擦り付けて来た。
「ツッ……アル、ちょっと位置変えて」
アルの頭はウィルの胸に入れられた刺青を刺激しピリピリとした痛みをウィルに与えた。
「? うん」
アルは大人しくその頭をウィルの腹に押し付けた。
「ありがとう」
他の子供たちも次々と集まってきたため、ウィルは奥から紙芝居の木枠を引っ張り出し、即席の読み聞かせを始めた。
「銀の姫様は、騎士のアルフレッドを連れて遊びに行きます。舞踏会を抜け出すけれど、本当は宝石もドレスも大好きで……」
厚手の紙が擦れる乾いた音を響かせ、ウィルは物語を読み進める。だが、不意に表の騒がしさが耳に届き、言葉が止まった。
入口の方では、シスターたちが裾をなびかせ、慌ただしく右往左往している。
やがて、深く帽子を被った老年の男が、静かな足取りで院内へ入ってきた。
シスターたちが一箇所に集まり、震える声で恭しく頭を下げる。
ウィルは自分に無関係だと判断し、読み聞かせを再開した。
「今日のドレスはピンクの可愛いのがいいかしら? でも、黒が一番素敵だってみんな言うわ。とっても悩んで……」
「やあ、ウィルハルト君。水入らずのところを済まないね」
不意に、頭上から穏やかな、だが有無を言わせぬ響きの声が降ってきた。
顔を上げると、先ほどの老人が目の前に立っていた。男は柔らかな笑みを浮かべ、ウィルを見据えている。
「僕は魔法・魔術学院の校長を務めている、ウェルネスという。君を学院に招待しようと思ってね。……興味はあるかい?」
ウィルにだけ聞こえるように囁いたその言葉に、紙芝居の枠を持ったまま硬直した。喉の奥が引き攣り、言葉にならない吐息が漏れる。
その沈黙を破ったのは、雷鳴のような音だった。
バアン、と正面の扉が跳ね上がり、そこから一人の女がなだれ込んできた。レインだ。
彼女の顔は、かつて見たことがないほど険しく、剥き出しの怒りに染まっていた。
「……おい、クソガキ。テメェ、人の弟子にツバかけてんじゃねえよ」
レインの口から飛び出した罵倒に、周囲の空気が凍りつく。ウェルネスと呼ばれた男は、動じることなく口元を皮肉げに歪めた。
「お久しぶりです、姉さん。すべての魔法を学ぶ者は、少なくとも術師資格を取るべきだと定められている。彼には入学する義務があると言ってもいい。彼があなたの弟子だという裏は取ってありますし。まあ、その必要もなかったようですがね」
レインは返事をする代わりに、ウィルの脇に手を差し込み、ひょいと軽々と抱き上げた。そのままウェルネスに背を向け、大股で歩き出す。
十を過ぎた身で、赤子のように抱え運ばれるのは流石に居た堪れない。
「……師匠、降ろしてくれ。自分で歩けるから」
「だめ。アイツに掠め取られて、変な理屈を刷り込まれるからね」
***
家に着くやいなや、レインは機嫌を取るようにテーブルへ山盛りの甘味を並べた。
焼きたての菓子の甘い匂いが鼻を突くが、ウィルの心は晴れない。
「悪いね。そのうち、孤児院には行けるようにするからさ」
「……そのうちって、いつだよ」
「まあ、十年……いや六年。四年、かな……」
レインは珍しくウィルの顔色を窺うように、視線を泳がせながら答えになっていない数字を口にした。本音は 十年 なのだろう。そんなに経てば、アルもミリも、もう孤児院にはいない。
「ウェルネスさんが言ってた『術師資格』って、取るのにどれくらい掛かるんだ?」
「確か、二年だね。学位の一番下だから」
「通い? 夏休みとかはある?」
「全寮制だよ。休みはあるはずだけど、どれくらいかは忘れたね」
「……それなら、別に学院の方が行きたいんだけど」
ウィルの言葉に、レインは露骨に嫌そうな顔をした。
「いや、まあ。その方が君が孤児院に行けるって意味では都合がいいかもしれないけどさ。アイツは頭が硬いし、五月蝿いし、自分の考えを押し付けてくるし」
――それに関してはあんたも人のことは言えないだろう。ウィルは飲み込んだ言葉を喉の奥に留め、さらに続けた。
「でも、話だと魔法使いはみんな行くんだろ? なら俺も行っておきたい。そこでしか教わらない教育があるなら、知っておかないと将来困りそうだし。……それに、孤児院には行けるようにしてくれって約束しただろ。教会の心象を悪くしたくないんだ」
あのウェルネスという男は魔法魔術学院の長でありながら、教会に強い影響力を持っているようだ。
レインは黙り込み、テーブルの上の砂糖菓子を指先で弄んだ。
「……保留で」
「いつまで」
レインは腕を組み、机に突っ伏し、絞り出すように一言発した。
「三ヶ月……」
ウィルが無言で睨みつけ、レインは目線を大きくそらした。そして漸くウィルの納得する答えが出た。
「良いよ。行っても。学費も出すし。私も講師としてついてくわ」
「分かった」




