誘拐
目を覚ますと、窓から差し込む陽光が赤く伸び、日が随分と傾いていることに気づいた。影は長く、空気の温度もわずかに下がり始めている。
「もう少しいても良いのに」
ミリは名残惜しそうに、ウィルの袖を引いて引き止めた。
「いや、行くよ。アルにもよろしくな」
深く眠るアルの背中をもう一度軽く叩き、ウィルは孤児院を後にした。
急がなければ日が暮れる。日が暮れる前に門の前で待ち合わせ――それが師匠との約束だった。
人の気配が薄い、石造りの古い家並みの合間に差し掛かった時だった。
背後から、突然衝撃が走った。不意打ちだったが、スラム時代に培った泥臭い荒事の経験が、辛うじて意識の糸を繋ぎ止める。
襲撃者は三人。茶髪の男、異様に背の高いのっぽ、そして少し離れた位置で品定めするようにこちらを見る男。
「三対一は不味いな……」
レインからは、外での魔法使用を禁じられている。ふとした拍子に制御を失う危険と、彼女が施すであろう処置が、ウィルの脳裏をよぎった。
「殺しゃしねーよ。大人しくしろ」
のっぽが、獲物を追い詰めた獣のように低く笑う。
大通りまで逃げて助けを求めれば勝ち目はある。だが、まずはこの状況を打開しなければならない。
ウィルは銀貨の入った小袋の紐を指に絡め、拳の中に固く握りしめた。そして息を大きく吸った。
「泥棒――!」
腹の底から声を張り上げる。三人が一瞬、反射的に身を竦ませた隙に、ウィルは大通りへと駆け出した。
今のウィルは、仕立ての良い清潔な服を着ている。誰かの目に留まりさえすれば、連中もこれ以上の暴挙には出られないはずだった。
大通りまであと数歩という場所で、背後から肩を強く掴まれた。バランスを崩しながらも、ウィルは巾着を握った拳を思い切り後ろへ振り抜く。
「イッデェ!」
重い金属の塊が、男の顔面に鈍い音を立ててめり込んだ。
拘束が緩み、そこから脱出しようともがいたが、のっぽの男の膝が、容赦なくウィルの腹部へ突き刺さった。
「いっ……!」
肺から空気が押し出され、視界が明滅する。よろけたところを力任せに押さえつけられ、首を絞められた。
抵抗する力は急速に失われ、ウィルの意識は暗転した。
***
再び目を覚ますと、三人の見知らぬ顔が目の前に並んでいた。茶髪、のっぽ、そして鷲鼻の男。
そこは窓一つない地下室だった。澱んだ空気が滞留し、隅に置かれた古い樽から、微かに酸っぱい酒の匂いが漂ってくる。
「起きたか。手荒にして悪かったな」
ウィルは背後で手を縛られ、硬い椅子に座らされていた。
「アンタ、魔女の弟子だろ? 呼び出せ」
魔女。レインは自身のことを魔法使いと呼んでいたが、連中の口から出るその言葉には、ウィルにとってなじみは薄かった。いいや、教会の勉強で少し教わったことを思い出した。魔法使いの最高峰の7人を指す。魔女というが男でも魔女と呼ぶらしい。これくらいの知識だ。
「気絶してから、どれくらい経ってる?」
ウィルの師匠という意味ならレインを指すはずだ。
「質問に答えろ」
「日が暮れても帰らないなら、連れ戻しに来る。もうアンタたちの目的は、達成されてるよ」
茶髪が不思議そうに首を傾げ、鷲鼻は鼻で笑った。
「連れ戻しに来るって、場所なんか分かんねーだろ」
「背中に追跡魔法陣が刻まれてる。そのうち――」
鷲鼻の男が、不気味なほど激しく顔を顰めた。
「……おかしくないか? 『強欲の魔女』が、そんな弟子に執着するタイプだっけか。アンタの師匠は誰だ」
「レイン。名前しか知らない」
その時、重厚な木の扉が静かに開いた。
現れたのは、いつもの町娘風の恰好をしたレインだった。
「君にはそういう名乗り方をしていなかったね。抜け出して変な遊びでもしていると思ったけれど、脱走という訳ではなさそうだ」
のっぽの男の顔から冷汗が吹き出した。
「茶髪、碧眼、方陣を好む……そして白い肌。『怠惰の魔女』。強欲の魔女じゃないが……大物を引き当てたな」
レインはウィルの元へ歩み寄り、縄に軽く指を触れた。そよ風が吹いたかと思うと、頑丈な麻縄がするりと解けて床に落ちる。
「荒事には耐性が低いね。仕方ないけれど。……君は外が好きだから、今夜は補助用の文身をいくつか彫ろうか」
ウィルはビクリと体を震わせ、目を逸らした。
「い、いや、これは不意打ちで……」
レインは安心させるように肩をぽんぽん叩き、笑う。その穏やかな仕草が、かえって抗いようのない支配を際立たせていた。
「ビビらないビビらない。今夜、私の部屋においで」
「……いや、だから――」
視界の端で、鷲鼻の男が土気色の顔で拳を握りしめていた。
「あの、『強欲の魔女』に会わせてもらえませんか? 私の国が滅びるきっかけを作った魔女に」
レインは一瞬だけ、記憶の索引を辿るような目で彼を見据えた。
「最近アイツのせいで滅びた国は……ええと、ナインアルム王国だっけ?」
「そうです」
「ええと、ご愁傷様。けれど君を会わせる訳にはいかないよ」
「どうしてですか」
「アイツが原因なのは間違いないだろうけれど、燃え滓の君がやってくるなんて、彼女にとってはきっと退屈なことだ。私は友達に退屈なことを押し付けるのは好きじゃない。楽しくもないのに」
レインは一転して、冷徹な視線を周囲へ向けた。
「まあ、君の行動によっちゃ考えないでもないよ。……さて、この子を魔女の弟子だなんて言った お喋りさん は、どこの誰かな?」
レインはウィルの方を振り向き、小さく笑った。
「先に門の所で待っておいて」
ウィルは無言で頷き、彼女が入ってきたドアへと向かった。
強くなりたい。だが、妙なことに首を突っ込むのは、ごめんだった。




