入眠
ウィルは無言で粘土を捏ねていた。
指先に残る粘土のひんやりとした感触が、高ぶった神経を鎮めてくれる。あの火災以来、喉がほとんど痛まなくなってからも、火を連想させるものには近寄る気になれなかった。
日干しレンガの自作は、知識不足もあって早々に頓挫した。代わりにレインが買い与えてくれたのは、子供が遊ぶような真っ白な紙粘土だった。
(……なんか、甘やかされている気がする)
小屋の机の上には、いびつながらも小さな建築模型が並び、さながらミニチュアの建設現場のようだった。魔法の修行という正解のない停滞から逃げるように、ウィルは粘土細工に没頭した。
(師匠にしてみれば、頼まれたから教えてるだけで、俺が何をしてようがどっちでもいいんだろうな)
ふと、捏ねていた粘土の表面が白く乾き、ボロボロと崩れ始めていることに気づいた。
(魔法で水を出せば、また柔らかくなるかもしれない)
そして今のウィルは、神経の高ぶりと正確な見本が無いと魔法を発現できなかった。
これではまだ外は危険だということで、一人での外出は出来ないしウィル自身もその気は無かった。
近くで静かに本を捲っていたミレイの元へ歩み寄った。
「どうしましたか?」
「……水魔法の練習をするから。何かあった時に対処できるよう、後ろに居てくれないか」
「良いですよ」
ミレイが本を閉じ、ウィルの背後にぴたりと寄り添う。彼女の存在が、目に見えない安全網となって背中を支えてくれた。
昨日、どうやってあの火を出したのかを思い出す。
あの時は、理屈なんてどうでもよかった。ただ自分とレインへの怒りに任せて、内側の熱をぶちまけた。
――コップの中に、水があってほしい。
いや、そんな「願い」ではない。
魔法は誰かに乞うものではなく、自分の一部だ。
俺の力なのだから、俺の意志に従うのは当然のこと。
ウィルがそう確信した瞬間、空っぽだったコップの底から、清涼な水が静かに溢れ出した。渦を巻くことも、弾けることもなく、ただそこに「在る」べきものとしてコップを満たしていく。
ミレイが、わずかに口角を上げて微笑んだ。
「三度目の魔法、おめでとうございます」
「……うん。安定しているね。止めてみて?」
いつの間にか背後に立っていたレインからの指示をうけ、ウィルが念じるとぴたりと水が出なくなった。
「ちょっと出してみて?」
チョロチョロと流れ出た。
「うんうん、もう一回止めて」
ぴたりと、また止まった。数回繰り返すと、いくら念じても水は出なくなった。
「魔力切れだね。暫くは使えないよ。制御もできているし、これなら暴発させる心配もなさそうだ。一人で外に出てもいいよ」
とうとう、レインにお墨付きをもらえた。ウィル自身、今の魔法が血肉の一部として馴染んだ確かな感覚があった。
「しかし、その割には微妙な顔をしているね」
「……なんていうか。あんなに苦しんだのに、いざやってみたらあっさり成功しちゃって。なんだか釈然としないんだよ」
指をいじるウィルにレインは頭を撫でて、得意げに笑った。
「なら、孤児院にでも行って、その釈然としない気持ちを整理してくるといいよ」
ウィルは一度も目を向けようとしなかった、あの日の 火災現場 の方を振り返った。
ただの失敗。ただの怪我。
喉元を過ぎれば、あの熱さも、どこか遠い出来事のように思えてくる。自分が何に怯えていたのか、今となっては妙に馬鹿らしく感じられた。
(……でも、あの感覚だけは忘れないでおこう)
自戒を胸に、ウィルは一ヶ月半ぶりにルンの町へと足を向けた。
***
「ウィル!」
孤児院の門を潜る前に、鋭い声が響いた。
返事をする間もなく、ミリが勢いよく駆け寄ってくると、その足がウィルの脛を軽く蹴った。
「……っ、痛いな。ごめんよ」
ミリは怒ったような、それでいて泣き出しそうな顔でウィルの手を掴み、強引に中へと引き入れた。
「ウィルにい……!」
今度はアルが泣きじゃくりながら飛びついてきた。その小さな体をしっかりと抱きしめ、ウィルは教会の冷たい床にそのまま座り込んだ。
張り詰めていた糸が、ようやく緩んだ気がした。
「本当に、ごめんな」
「当たり前だよ! ウィルが顔を見せに来る義務なんてないのは分かってるけどさ。二ヶ月近くも音沙汰なしなんて、死んだかと思ったんだから。それに、その声何?」
ミリは腕を組みウィルを見下ろした。手入れされた金の髪が、彼女の苛立ちに合わせて揺れる。
「……あいつに、弟子入りみたいな感じでいろいろ教えてもらっててさ。その修行に手間取ってたんだ。声はまあ修行中に事故っちゃって」
ミリは途端に顔を歪ませ、ウィルの耳元で声を潜めた。
「やっぱり教会に助けてもらおうよ。わたしシスターさんに言うから」
「いや、怪我については俺がヘマしただけだし。それに定期的に生存報告来るからさ」
ミリは苦虫を噛み潰したような顔をしている。目を伏せ、低い声で絞り出すように言った。
「お願いだから無事でいて……」
「うん」
ウィルはミリの手を握り、目を見て笑った。ミリは眉を寄せて再び口を開いた。
「ウィルも、あの人みたいに変な感じになっちゃうの? 絶対やだよ」
「……ならないよ。たぶん」
ウィルは目を逸らせどうにか否定した。アルの体温を腕の中に感じながら、瞼がゆっくりと重くなっていく。
安全な場所で、大切なものの匂いに囲まれて。溜まりに溜まった疲れを溶かすように、ウィルは静かにまどろみ始めた。




