狩り
視線を上げると、頭上の枝に腰掛けたレインが、楽しげにこちらを見下ろしていた。
ウィルが着ている外套は、レインの魔力によって生成された特殊な糸で編まれている。彼女の指先一つで、ウィルの身体はマリオネットのように制御されるのだ。
彼女は命に関わらない限りは手を出さず、必要最小限の介入だけでウィルを生かしていた。
「グルルルル……」
ウォーターウルフは獲物を取り逃した理由を理解できぬまま、低い唸りを上げてウィルを凝視し続ける。
再び、狼の周囲に浮かぶ水滴が旋回を始めた。
「大丈夫。大丈夫だ……」
ウィルは震える声で自分に言い聞かせ、乱れた呼気を整える。
敵の放つ水が激しい渦となり、水球を成していく。対するウィルが手の中に生成したのは、たった小石程度の、歪な水の塊だった。
放たれた水球が空気を震わせ、再びウィルを襲う。その刹那、再び外套が強く引かれた。
ウィルの肩口を紙一枚の差でかすめ、後方の樹木を破壊する。
「ツゥ……」
衝撃波に頬を焼かれながらも、機能美にあふれた水球に魅せられた。
「魔法に必要なもの……魔力、確信、イメージ」
(手本なら今見た。見たものをそのまま再現するだけ。)
力強く地に立つウォーターウルフの姿は美しかった。だが、この場の弱者は間違いなくこのウォーターウルフだろう。この戦いは保証された訓練に過ぎないのだから。
ウィルがレインに見逃してやって頼みこめば、コイツは家に帰れるかもしれない。
「ご飯を食べるってことは何かを奪うってことだよな」
ウィル自身、他人が命を削って得た金を散々奪ってきた。命そのものを奪うか、命のかけらを奪うか。大きな違いなのだろう。
ウォーターウルフの周囲でまた水が渦を巻いた。
「でもそんな俺が可哀想だから助けてあげて。なんて言えない」
水球が放たれ、ウィルの体は大きく引かれた。水球はウィルの目の前を掠め、その軌道を、水の練り方を、網膜に焼き付けた。
「さっきの……水球を、再現するように……いけ!」
ウィルの手の内の小さな水球は渦を巻きゆっくりと引き絞られ、ついには放たれた。
ウィルの放った小石大の礫は、加速とともに鋭い錐へと姿を変え、ウォーターウルフの喉元へと吸い込まれた。
数秒の停滞の後、狼の巨体は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。噴き出した鮮血が、新雪の上に散らした果実のように鮮やかに舞った。
「予想以上の出来だよ。素晴らしいね」
軽やかに着地したレインは、音もなく絶命した獲物へと歩み寄った。
狼の首は、着弾の衝撃で不自然な方向に折れ曲がっている。
狼の首に当たったのは偶然に過ぎなかった。それでも、それでもである。
「かった……。死ぬかと思ったけど……勝ったんだ……」
ウィルはへたり込み、暴れ狂う心臓をゆっくりと落ち着かせた。
ふとウィルに影が差し、頭をなでられた。
「上出来。自信を持っていいと思うよ。明日もやろうか」
「ええ……」
安全が保障されていると頭では理解していても、指先の震えはまだ収まらない。
「まあ、まずは解体だ。獣の捌き方は知っているかい?」
「……知らない」
「じゃ、やってみよう。こいつの首の、この辺りだ。ナイフを入れてごらん」
レインが毛に覆われた首の内側を指差す。
ウィルはどうとでもなれと覚悟を決め、ナイフを滑らせた。どろりと、温かい血が地面を濡らしていく。
「これで木に吊るして放置だね」
血の匂いに誘われて寄ってきた下級の魔物を、レインが追い払う。
皮を剥ぎ、正中線に沿って慎重に肉を切り出していく。作業の途中、ナイフの先に硬い手応えがあった。
「代わって」
レインがその部分に指を差し込み、肉の奥から小石ほどの石を取り出した。くすんだ赤色をしたその石は、見た目より随分と軽い。レインはウィルに手渡した。
「何、これ」
「魔石だよ。大きくはないから、そんなに高くはなさそうだ。今度、冒険者ギルドに持っていこう」
レインは魔石をヒョイと取り上げて鞄から、一枚の布を取り出した。その瞬間鼻を刺すような臭いを感じ、ウィルは顔を顰めた。
その布は全体的に黄ばんでおり、所々に魔物の体液が染み込んだような濃いシミがある。魔物の体液を吸い続けた布ならば、この臭いも納得だ。
「この上に全部置いて」
「……ん」
切り出した肉と皮を乗せると、レインが手際よく布を包んだ。すると、その塊はふわりと宙に浮き上がり、二人の前を先導するように動き始めた。
「すご……」
「そうだろう、そうだろう」
ウィルは、肉を運んでいるシミだらけで臭い布と、意識してみればシミだらけで妙な臭いのする外套の色が、似ていることに気づいた。
「……師匠。この外套、元は何だったんだ?」
「ちゃんと洗ったよ」
レインはそれ以上、何も答えなかった。




