第七話 微か
窓の外を眺めていると、不意に風が吹き込み、冷たい空気が肌をかすめた。肩を覆う布地は薄く、露出の多いこの衣装では、寒さを防ぐことなどできるはずもない。
思わず両腕で自分を抱くようにして、そっと肩をさする。
その小さな仕草に気づいたのか、隣に座るアルヴェイン殿下が静かに視線を向けた。
そして、何も言わぬまま、身に着けていた外套を脱ぎ、私の肩にそっと掛けてくれる。
「こんなものでも、少しは寒さを防げるだろう」
穏やかな声に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
けれど、すぐに我に返り、慌てて首を振る。
「いえ……申し訳ありません。いつもは、このような格好ではないのですが……」
口にしてから、はっと息を呑んだ。
――たとえ真実でも、王家の御前で侯爵家の恥をさらすような真似をしてはならない。
息を詰めて黙り込んだ私に、殿下はそれ以上何も言わず、静かに窓の外へ視線を戻した。
その横顔に、言葉よりも深い思慮の光が見えた気がする。
馬車は夜の王都を抜け、次第に人通りの少ない通りへと入っていく。
そのとき――。
小さな影が視界を横切ったかと思うと、ひとりの幼い男の子が道端にふらりと倒れ込むのが見えた。
「危ない!」
思わず声を上げた瞬間、アルヴェイン殿下の姿が視界から消えた。
私は慌てて馬車を降り、殿下の傍らへ駆け寄る。
「息は……ありますか?」
「ある。ただ……」
馬車にぶつかり、足からは血が流れている。けれど、それ以上に、やせ細った体のほうが気になった。
アルヴェイン殿下の声は冷静だったが、その眼差しには苦しみにも見える表情があった。
「あなたは馬車へお戻りください」
侯爵令嬢ともあろう者が、なりふり構わず外へ出たことに驚かれたのだろう。
だが、この場を離れることはできなかった。
“癒しの力を受け継ぐ家系”と言われながら、こんな時に何ひとつできない。
いつ現れるかもわからぬ力が現れることだけを期待され、そのために結婚を強いられる――それが私の現実だ。
結局、私は何の役にも立たない。
「いえ、せめて手当てだけでも」
そう言って、自分のハンカチを取り出し、少年の傷口に触れる。
血を止めるように押さえながら、かすかに微笑んで声をかける。
「ごめんなさいね、痛いでしょう?」
その瞬間、掌がじんわりと温かくなり、流れていた血がぴたりと止まった。
私自身が驚いて息を呑むよりも先に、殿下の瞳が大きく見開かれる。
「……それは……」
問いかけられても、私自身、何が起こったのか分からず、ただ小さく首を横に振るしかなかった。
その時――。
「申し訳ありません!!」
切羽詰まった叫び声とともに、一人の女性が駆け寄ってきた。
泥にまみれた素足のまま、石畳に額を押しつける。
「王家の馬車にぶつかるなど……どんな処罰もお受けいたします……!」
母親だろう女性は嗚咽を混ぜながら、額を地面に押しつけた。素足は泥にまみれ、膝はすでに擦り切れて血がにじんでいた。
「顔を上げよ」
アルヴェイン殿下の声は静かだったが、その場の空気は凍えたままだ。
普通に考えれば、というより今の王家の状況を考えれば、ここですぐに首を跳ねられても仕方がない状況だ。
女性はなおも首を振り、震える声で続ける。
「お許しください……この子は、飢えて……食べ物を探して……! 処罰は私1人でお願い致します」
王家の馬車にぶつかっただけで、罰が下る。
そんな国に生まれたこの人たちの現実が、胸を締めつけた。
しかし、子供を命をかけて守ろうとする姿に胸が打たれる。
これが本当の母親の姿だと。
そっと横の殿下を仰ぎ見るが、表情からは何を考えているかを測ることはできない。
私としてはこの親子の命を救ってほしい、そう思うが王族の馬車を止めたことも事実。
キュッと自分の手を腹の前で握りしめ、殿下の次の言葉を待つ。
「これからは子供から目を離さないように」
それだけを言うと、彼は私に背を向けた。
「侯爵令嬢、行きましょう」
その声が聞こえた私は「はい」と答えつつ、先ほどの子供に微笑む。
「きっと、いつか国が変わる日が来ますからね」
その声を聞いた親子は、涙を流していた。
私なんかにはなにもできないが、第二王子殿下がいるならば、きっとそんな未来がある気がした。




