表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

第四話 王宮

屋敷の前には王家の紋章を刻んだ白馬の馬車が待っていた。朝の光を浴びて銀の装飾がまぶしく輝き、磨き上げられた車体の側面には、王家の紋章が誇らしげに浮かび上がっている。純白の馬は手綱を引く従者の指示に従って微かに蹄を鳴らした。


 私は裾を整え、足取りを乱さぬようゆっくりと歩みを進める。

 従者がこちらに気づくと、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに表情を消して恭しく頭を下げた。その仕草一つにも、私がどれほど“場違い”な花嫁かを、まざまざと突きつけられた気がした。


「お姉様」

 背後から、鈴を転がすような声が響く。愁傷を装ってはいるが、その声音の奥に、確かな嘲りが潜んでいることを、聞き逃すほど幼くはない。

 足を止めても、振り返ることはしない私を見ても、マリーネはためらうことなく言葉を重ねてきた。


「気をつけて行ってらっしゃいませ。お姉様が王家の一員になることを、心よりお祝い申し上げますわ」

 まるで台本を読むような声音。その言葉のどこにも、祝意などあるはずがない。

 唇を噛んだ瞬間、口の中にかすかな血の味が広がる。


「しっかりやるのだぞ」

 父の声が続いた。王家からの使者が来ている以上、見送りをしないわけにはいかないだろうから、姿を見せるとは思っていたが、想像以上に乾いた声。


 その隣には、きっといつものように継母が立っているのだろう。見なくても、表情まで容易に想像がつく。

 本当なら、何も言わずにそのまま馬車へ向かいたかった。

 けれど、そんなことをすれば、彼女たちの思うつぼだ。


 ――ならば、ヴァルグレア侯爵家の娘としての矜持を見せるべきだ。誇り高い母の教えを私は受けてきたのだから。


 私はくるりと踵を返し、ゆっくりと裾を広げながら一歩後ずさった。胸の前で両手を重ね、背筋をまっすぐに伸ばし、静かな呼吸を整える。

 磨き抜かれた石畳に光が反射するのを見届けてから、私は深く頭を垂れた。


「お見送り、ありがとうございます。――行ってまいります。お父様、お母様」

 きっと笑みも完璧に浮かべられたはずだ。悔しそうにゆがむマリーネの表情が答えだと思う。

 私は背を向け、光の差す庭へと足を踏み出した。


 王都に入ると、景色は一変した。馬車の窓越しに見える街並みは、石造りの建物が立ち並び、陽光を反射する白い尖塔が遠くまで連なっている。

 王城へと続く石畳の大通りには、商人や兵士、貴族の馬車が行き交い、街のざわめきが絶え間なく耳に届いた。

 王家の紋章を掲げた馬車が通ると、人々は道の端に寄り恭しく頭を下げる。


 ――けれど、その人々の表情に敬愛の色はなかった。

 誰もが息を潜め、ただ“逆らってはいけない”という恐怖に縛られているようにしか見えない。

 今の王家は、かつてのように民から慕われてはいないとミレイユも言っていた。

 数年前に広がった瘴気が国土を蝕み、南方では魔物が現れるようになってから、王の治世は混乱の一途をたどっている。作物は育たず、疫病が広がり、民の不安は日ごとに募る。

 それでも、王は力と威光だけで国を押さえつけ、第一王子ギルベルト殿下もまた父に倣い、恐怖によって秩序を保っている――。


 そんな国の王妃になりたいなど、マリーネはきっと今の王家の実情を知らないのだろう。

 やがて、王城の尖塔が視界いっぱいに広がった。

 白い石で築かれた城壁の上では、王家の旗が風を受けてはためいている。

 その姿は確かに豪奢で、美しく、威厳に満ちていた。

 けれど私の目には――ただ冷たく、閉ざされた“箱”のようにしか映らなかった。


 やがて馬車が緩やかに止まり、扉が開く。差し込む陽光に一瞬だけ目を細めると、真っ白な石畳の上に、王家の紋章が刻まれた門扉がそびえ立っていた。


 馬車を降りた瞬間、冷たい風が頬を撫でた。

 門の前には、整然と並ぶ近衛兵の列。その中央に、灰銀の髪をきっちりとまとめ上げた中年の女性が立っていた。

 深緑のローブの裾が風に揺れ、胸元には王妃の紋章を模した金のブローチが光っている。


「――お初にお目にかかります。わたくしは侍女長、イザベル・クレインと申します」

 深々と一礼しながらも、その声音には柔らかさよりも鋭さを感じた。


「お疲れのところ恐縮ですが、殿下がお待ちです。 “謁見の間”へご案内いたしますわ」

 抑揚のない丁寧な言葉。だが、その瞳は一瞬、私の姿を上から下まで値踏みするように動いた。

 そのわずかな間に、華美なドレスにそぐわぬ痩せた肩、そして手の甲に刻まれた小さな傷までもが、すべて見透かされた気がした。


「参りましょう。王城は広うございます。迷われませんように」

 彼女が歩き出すその背を追いながら、私は静かに息を整えた。重厚な扉がゆっくりと開かれ、王城の内へと足を踏み入れると、石の床には赤い絨毯が敷かれ、壁面には歴代の王妃の肖像画が並んでいる。

 そのどれもが美しく、強く、そして――どこか孤独そうに微笑んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ