第四話 王宮
屋敷の前には王家の紋章を刻んだ白馬の馬車が待っていた。朝の光を浴びて銀の装飾がまぶしく輝き、磨き上げられた車体の側面には、王家の紋章が誇らしげに浮かび上がっている。純白の馬は手綱を引く従者の指示に従って微かに蹄を鳴らした。
私は裾を整え、足取りを乱さぬようゆっくりと歩みを進める。
従者がこちらに気づくと、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに表情を消して恭しく頭を下げた。その仕草一つにも、私がどれほど“場違い”な花嫁かを、まざまざと突きつけられた気がした。
「お姉様」
背後から、鈴を転がすような声が響く。愁傷を装ってはいるが、その声音の奥に、確かな嘲りが潜んでいることを、聞き逃すほど幼くはない。
足を止めても、振り返ることはしない私を見ても、マリーネはためらうことなく言葉を重ねてきた。
「気をつけて行ってらっしゃいませ。お姉様が王家の一員になることを、心よりお祝い申し上げますわ」
まるで台本を読むような声音。その言葉のどこにも、祝意などあるはずがない。
唇を噛んだ瞬間、口の中にかすかな血の味が広がる。
「しっかりやるのだぞ」
父の声が続いた。王家からの使者が来ている以上、見送りをしないわけにはいかないだろうから、姿を見せるとは思っていたが、想像以上に乾いた声。
その隣には、きっといつものように継母が立っているのだろう。見なくても、表情まで容易に想像がつく。
本当なら、何も言わずにそのまま馬車へ向かいたかった。
けれど、そんなことをすれば、彼女たちの思うつぼだ。
――ならば、ヴァルグレア侯爵家の娘としての矜持を見せるべきだ。誇り高い母の教えを私は受けてきたのだから。
私はくるりと踵を返し、ゆっくりと裾を広げながら一歩後ずさった。胸の前で両手を重ね、背筋をまっすぐに伸ばし、静かな呼吸を整える。
磨き抜かれた石畳に光が反射するのを見届けてから、私は深く頭を垂れた。
「お見送り、ありがとうございます。――行ってまいります。お父様、お母様」
きっと笑みも完璧に浮かべられたはずだ。悔しそうにゆがむマリーネの表情が答えだと思う。
私は背を向け、光の差す庭へと足を踏み出した。
王都に入ると、景色は一変した。馬車の窓越しに見える街並みは、石造りの建物が立ち並び、陽光を反射する白い尖塔が遠くまで連なっている。
王城へと続く石畳の大通りには、商人や兵士、貴族の馬車が行き交い、街のざわめきが絶え間なく耳に届いた。
王家の紋章を掲げた馬車が通ると、人々は道の端に寄り恭しく頭を下げる。
――けれど、その人々の表情に敬愛の色はなかった。
誰もが息を潜め、ただ“逆らってはいけない”という恐怖に縛られているようにしか見えない。
今の王家は、かつてのように民から慕われてはいないとミレイユも言っていた。
数年前に広がった瘴気が国土を蝕み、南方では魔物が現れるようになってから、王の治世は混乱の一途をたどっている。作物は育たず、疫病が広がり、民の不安は日ごとに募る。
それでも、王は力と威光だけで国を押さえつけ、第一王子ギルベルト殿下もまた父に倣い、恐怖によって秩序を保っている――。
そんな国の王妃になりたいなど、マリーネはきっと今の王家の実情を知らないのだろう。
やがて、王城の尖塔が視界いっぱいに広がった。
白い石で築かれた城壁の上では、王家の旗が風を受けてはためいている。
その姿は確かに豪奢で、美しく、威厳に満ちていた。
けれど私の目には――ただ冷たく、閉ざされた“箱”のようにしか映らなかった。
やがて馬車が緩やかに止まり、扉が開く。差し込む陽光に一瞬だけ目を細めると、真っ白な石畳の上に、王家の紋章が刻まれた門扉がそびえ立っていた。
馬車を降りた瞬間、冷たい風が頬を撫でた。
門の前には、整然と並ぶ近衛兵の列。その中央に、灰銀の髪をきっちりとまとめ上げた中年の女性が立っていた。
深緑のローブの裾が風に揺れ、胸元には王妃の紋章を模した金のブローチが光っている。
「――お初にお目にかかります。わたくしは侍女長、イザベル・クレインと申します」
深々と一礼しながらも、その声音には柔らかさよりも鋭さを感じた。
「お疲れのところ恐縮ですが、殿下がお待ちです。 “謁見の間”へご案内いたしますわ」
抑揚のない丁寧な言葉。だが、その瞳は一瞬、私の姿を上から下まで値踏みするように動いた。
そのわずかな間に、華美なドレスにそぐわぬ痩せた肩、そして手の甲に刻まれた小さな傷までもが、すべて見透かされた気がした。
「参りましょう。王城は広うございます。迷われませんように」
彼女が歩き出すその背を追いながら、私は静かに息を整えた。重厚な扉がゆっくりと開かれ、王城の内へと足を踏み入れると、石の床には赤い絨毯が敷かれ、壁面には歴代の王妃の肖像画が並んでいる。
そのどれもが美しく、強く、そして――どこか孤独そうに微笑んでいた。




