第三話 運命
それからの日々、結局私は自室から出してもらえることもなく過ごしていた。
この国の王妃になろうとしているのだから、もう少しくらいまともな生活をさせるべきではないのか――そう思わないこともない。
けれど、かわいいマリーネが「そんなの嫌」と言えば、父はきっとその言葉に逆らうことはないのだろう。
唯一、そんな私のそばにいてくれたのは、乳母のミレイユだった。母の代から仕えており、若い頃は母と姉妹のように育ったと聞いている。
教養があり、礼儀作法にも厳しいときがあるが、父や継母の目を盗みながら、今の王都の様子や、国の不穏な情勢をそっと教えてくれた。
外の世界を知る唯一の手段が、彼女の言葉だった。
しかし――そのミレイユの姿も、ここ数日どこにもない。
もしかすると、私に関わることを咎められ、追い出されてしまったかもしれない。
そんな折のことだった。
「お嬢様、支度をしてください」
無作法にもずかずかと部屋へ入ってきた侍女が、唐突にそう告げた。もちろんミレイユではなく、その顔には見覚えがある。
――マリーネの専属侍女。
「支度……?」
「はい。殿下へのご挨拶のお支度を」
そう言うと、侍女は私の返事を待つこともなく、手にしていた衣装を机の上に広げた。
光沢のある真紅のドレス。胸元が大きく開き、背中まで大胆に露出している。肩を覆うレースも薄く、どちらかといえば舞台衣装のようだった。
思わず息を呑んだ。
こんな衣を――人前で着るなど。考えただけでめまいがしそうだ。
「こちらをお召しください。王太子殿下にお会いになるのですから、相応しい装いをなさらねば」
その声音には明らかに悪意があった。まるで、私が恥をかく瞬間を楽しみにしているかのようにすら聞こえたが――それはきっと事実なのだろう。
今ごろマリーネは、部屋で声高に笑っているに違いない。
そして、王太子殿下に婚約を破棄されることを願っていることも。
「王太子殿下に、ご挨拶なの?」
結婚となれば、国王陛下や王妃陛下への謁見もあるはずだ。だが、彼女はあえて“王太子殿下”と言った。
「はい。本日はまず、王太子殿下がお会いになりたいとのことです」
すなわち――“お目通り”に過ぎない。
いい噂を聞かない王太子殿下の、気まぐれにすぎないのだろう。
私自身、どうするのが正解なのかなどわかるはずもなく、自分の意思で何かを変えられるとは思えなかった。
これが“ヴァルグレアの娘”として生まれた運命なのだと、静かに自分に言い聞かせた。
鏡の前に映ったのは、見慣れぬほど華やかな――けれど決して似合ってはいない自分。
白磁のように透き通った肌は、光を受けていっそう白く浮かび上がり、肩や鎖骨が露わになったその姿は滑稽にも思えるほどだ。
胸元には宝石を散りばめた金糸の刺繍が施され、腰を締めつけるコルセットが息を奪うほどきつい。
豪奢なドレスであるはずなのにただ――哀れで、痛々しいだけ。細い腕、落ち窪んだ頬、血の気を失った唇。誰が見ても、王太子の婚約者”だとは思わないだろう。
王命には逆らえないが、まだもしかしたらマリーネを王妃にすることを諦めていないのだろうか。
扉を閉める前に、ほんの一瞬だけ振り返る。
そこは、薄暗く狭い空間で、剥がれかけた壁紙、ひび割れた床、かすかに湿った冷気。そんな場所に、真紅のドレスの裾だけがひときわ鮮やかに広がっている。
――こんな私が、“王妃”になる?
胸の奥に、かすかな苦笑がこぼれる。けれど、すぐに息を整え、背筋を伸ばした。
どんなに滑稽に見えようと、これが今の私の立場なのだ。
冷たい廊下に一歩を踏み出すと、足音が静かに響いた。




