本物の愛
声の方向を見ると、白いローブに身を包んだ女性がそこに立っていた。
エイドは即座に一歩進み、ミーニャを庇いながら佩剣に手をかける。
「これだから人間は......あと後ろのはエルフか。まあ殺気は仕舞え。大地が汚れる」
フードから覗く銀色の髪。女性の身長よりも少し高い杖。少しでも気を抜けば畏怖で動けなくなりそうな眼差し。
まわりの木々が、ぐらぐらと揺れる。
「お前は......誰だ」
なおも柄に手を添えたエイドが尋ねる。それに対して女性は、いっそ清々しいほどに大きなため息を吐いた。
「帝国が崩壊して時間が経ち過ぎたか。私は大司祭アリアス。貴様たちが眺めていた石像の、最後の管理者だ」
そう言ってフードを脱ぐ。後ろでまとめられていた艶やかな銀髪が、ふわりと広がって背中へと垂れる。
まだ20歳だと言われても信じてしまいそうなほどに若々しい顔と、翡翠色の細長い瞳。
「にしても、貴様たちはなぜここへ来た。エルフはまだわかるが、人間の望むものは、ここでは何も手に入れさせないぞ」
突き刺すような嫌悪感が、エイドに向けられる。
「僕が望むのは......この子の、ミーニャの幸せだけだ」
「ほほう? 貴様は勇者レリオスのようなことを言うのだな。博愛主義、いや、これは単なる物好きか? エルフを連れ歩くとは、どちらにせよ結構なことだ」
あざ笑う声に、エイドが剣を抜こうとする。しかし、そこへミーニャの手が添えられた。
我に返り息を整える。
「......違う。僕とミーニャは対等だ。ここまで支え合って来たんだ」
エイドの返答に、アリアスは品を定めるようにふたりを交互に見回した。
「悪くはないな、ふたりともついて来い」
急に微笑みだしたと思えば、浮遊しているような足取りで来た道を戻っていく。それを追ってエイドとミーニャも後ろを歩いた。
アリアスは、通り過ぎた城砦の中へとふたりを案内する。外から見た時は蔦に覆われ今にも崩れそうだったのに、中はまだ貴族が住んでいるように綺麗だ。
飾ってある花も、1つとして枯れていない。
「まあ座りな。あと、エルフの子はこっちにおいで」
修道院の大広間に食卓が鎮座し、エイドは前にある椅子に腰掛けた。ミーニャとアリアスが部屋の奥へと消えるのを眺め、剣をベルトから取り外して横に置く。
話しているのはわかる。だが、何を話しているのかまではわからない。
しばらくして、帰ってきたミーニャの顔はりんごのように赤かった。
エイドの対面に座ったアリアスが、エイドにまたも微笑む。
「話は聞いたよ。だからあえて率直に聞こうか」
「お前は、エルフと生きることの難しさはわかっているのか?」
心を抉りとるような、そんな声。
「エルフは優に1000年の寿命をもつ。しかし人間は生きて高々80年。お前が死んだあと彼女は、ミーニャは天涯孤独だ。子を授かることもできない。それでもお前は、彼女の隣に居続けたいか? それは、お前の“自分勝手”ではないのか?」
自分が死ぬことなんて、エイドはちゃんと考えたことがなかった。北の辺境に入り倒れた時、確かにあの時は死を覚悟したが、ミーニャなら大丈夫だと思っていた。
“自分勝手”
出会って間もない頃のミーニャにも、同じことを言われた。
人間とはいつでも身勝手で、自然のことなど何も考えてはいない。それは、この旅で何度も何度も考えさせられてきたことだと言うのに。
ミーニャの隣に居たいというエイドの思いすらも、自然にとっては“自分勝手”なのだと。
隣に座ったミーニャの顔を覗く。
まだ赤みのひかない顔から、不安と心配の色がうかがえた。
声が詰まる。不規則に揺れる蝋燭の炎が、風に吹かれて消えかかる。
だが、その炎は決して消えはしなかった。
「僕は.....僕はミーニャの横に居たい。自分勝手なのかもしれない......いや、自分勝手なんだ。でも、それでも、大好きなんだ......ミーニャと一緒に、生きていたいんだ!」
心から溢れ出す言葉。
ガタンという豪快な音とともに、エイドに衝撃が走る。
ミーニャが、エイドを抱きしめる。
エイドの胸で啜り泣いて、エイドを離さないと言わんばかりに、震える両手で包みこむ。
「そうか。ではそれがお前の、いやお前たちの決断なのだな。ふっ......私としたことが、こんな歳もいかない子どもに泣かされるとは」
アリアスが瞳から涙を払い、部屋を去る。
「あ〜今日は歓迎会だ。たぶん、おそらく日が暮れるまで慣れない料理で手が離せないから、ふたりで自由に過ごしていてくれ」
長い時間お互いの暖かさを感じあったふたり。今度は急に気恥ずかしさに襲われて互いに椅子に座り直した。
静寂の中、軽快に何かを切る音と微かに鼻をくすぐるスパイスの効いた匂いが部屋の奥からしてくる。
「ミーニャ」
均衡を破ったのはエイドだった。ミーニャの瞳をじっと見つめる。
「な、何? エイド」
ミーニャはミーニャで一瞬顔を逸らしたものの、すぐにエイドを見つめ返す。
「まだ、ミーニャからの返事を聞けていない。その......僕のわがままに、ミーニャは付き合ってくれるか?」
エイドの質問を聞いて、ミーニャから笑みが溢れた。
「ここまで来ていまさらだよ。私はエイドといられるなら、それが1番......嬉しいから」
「幸せにする。絶対に――約束だ」
「うん。約束」
笑いあって、エイドがミーニャを引き寄せる。サラサラの髪の質感を感じながら、ミーニャへと近づく。
ミーニャも、目をそっと閉じた。
触れ合う程度の、でもそれでいて愛情を感じられずにはいられない、互いが互いの気持ちを確かめ合うような口付け。
いつしか料理の音は止んでいたのだが、ふたりがそれを気にすることはなかった。
*
ここに来て、なん度春が過ぎたのだろうか。
アリアスに言われて、エイドとミーニャは今日も山菜採りに出掛けていた。
旅を始めた頃から変わらないふたり――いや、そんなふたりにもひとつだけ変わったことがある。
昼の暑い日差しが降り注ぐ中、ふたりの影の間を小さな影がしきりに動き回っている。
白のワンピースがふわりと広がり、金髪を揺らす少女。
鋭い瞳は、翡翠のように鮮やかな青緑色。
「ミヤ! あんまり動きまわらないで」
少女の右手を握るミーニャがそう言うのを、反対の手を握るエイドは笑って見ていた。
「パパ! ママ! もう一回して!」
ミヤと呼ばれた少女はエイドとミーニャの手をギュッと握り込む。
仕方ないなぁと言いつつ、ふたりは息を合わせた。
「「せ〜の!」」
少女の小さな身体が地面から一気に持ち上がった。
森の中に永遠と響く楽しそうな笑い声。
この森に、孤独はない。
世界最後のエルフは、今日も本物の愛に触れている。
〜fin〜