川の音
優しい陽の光で目覚めた時、ミーニャがすぐ横に寝ていた。記憶の最後にあるのは――ミーニャとのキス。
身体の気だるさも、いくらか軽くなっている。
長いサラサラの金髪を撫でる。寝ているのに、くすぐったそうに首をすぼめるミーニャ。
「ミーニャ。そろそろ出発しようか」
エイドは声をかけつつ、地図で目的地の確認をする。
馬を走らせれば日が昇り切る前にも到着しそうだ。ただ、ひとつだけ不安な点――旧帝国の都市アークがあった。
数十年前には往来が枯れ、侯爵邸にも道中に寄った図書館にもその全貌が記された本はなく、探検家たちの日記すらない。
今の状況で、魔物に遭遇して勝てるのだろうか。
「ん......エイド、もう平気なの?」
目を擦りながら体を伸ばすミーニャ。エイドは、拳を強く握りしめる。
「ああ。ミーニャが看病してくれたからね」
笑いかけると、ミーニャは安堵の表情を浮かべた。
*
人の痕跡もほとんど消えかかった、かろうじて石畳が覗く自然豊かな旧道をエイドとミーニャを乗せた馬が駆ける。
到着した時ほどではないにしろ、刃のように鋭い風が吹き荒れる。
両脇の森には、王国で見つければ大物と言われるほど大きい鹿が群れをなしていた。
「あれが、アークか」
丘陵地帯を抜け、緩やかな下り坂。エイドの目の前に広がるのは、朽ち果て、自然へと還っている大都市。
石造りの支柱が蔦に覆われ、中央にそびえる今にも崩れそうな城砦があった。
「ミーニャ、魔物が出るかも知れない。周囲を見ていてくれるか」
「うん......エイド」
速度を落とし、街の中へと入る。
遠くからでは見えなかった生活の痕跡――屋根の瓦や門構え跡――が生い茂る草木に埋もれていた。
両脇を土にまみれた瓦礫の山に挟まれ、視界は良くない。
城砦へ近づくと巨大な広場の中心に、英雄の石像が置かれている。もう人の手を離れて長いはずだが、それでもいまだに蔦の1つも絡みついてはいなかった。
「あの石像の人、見たことあるかも」
「ミーニャは見たことがあるのか? でも、英雄レリオスが生きていたのは200年も前の話だよ?」
馬を止め、石像の近くへと寄る。
剣を空へ突き立てる勇者レリオスの像。“愛の勇者”とも呼ばれた彼は、世界を巡り、魔物と人間の関係を改善させた英雄だった。
伝説では彼の象徴的な青みがかった緑色の瞳は、石像からは読み取れない。
「うん。200年前、黒の森にまだエルフがたくさんいた頃にね。でも、エルフは自然の中でしか生きられないから......彼の言葉は、私たちには夢物語にしか聞こえなかった」
ミーニャは、どこか遠い目をしている。
「そうか。複雑だな」
世界を1つにした憧れの勇者でもエルフには響かない。そして彼の死と功績は、その後の人類と魔物の対立を加速する力となったのも事実。
「だが、そのおかげで僕はミーニャに会えた」
ハッとしたように、頬を真っ赤に染めたミーニャが振り返る。
「ま、またそんなこと......」
「事実じゃないか」
エイドは、笑って見せた。
*
幸いなことに、魔物の気配はどこにもなかった。それどころか街を進むにつれて風が病み、暖かい日差しが祝福しているようだった。
ふたりは特に何とも遭遇することなく街の外れへと足を進める。
視界がひらけ、川のせせらぎが聞こえてくる。
「ミーニャ! 降りて少し歩こう」
「わ、わかった」
エイドはミーニャの手をとり走りだす。
草の背がだんだんと低くなり、砂利の両岸には大小様々な石が点在していた。
川の流れは優しく、川底の岩やその上に影をつくる魚までもが透き通って見える。
ふたりは手を繋いだまま、じっと耳を澄ましていた。
「......エイド。約束を......守ってくれてありがとう」
「こちらこそ。ミーニャ、一緒に来てくれてありがとう」
エイドとミーニャの瞳が向き合う。
両手を繋ぎ、今度はエイドがミーニャを引き寄せる。
静かな、誰からも咎められることのない優しい口づけ。
約束を果たせたことへの安堵。
ミーニャと一緒にいられる喜び。
すべてがふたりを祝うような――
「貴様たち、そこで何をしている」