旅路と絆
出立の時は、まだ暁も見えない時間。
本当は馬車を使いたかったが、内政官はじめお父様にこの計画がバレてしまっては全てが水の泡。
それなのに――
「私は、偽物の馬だけに命を預けたくない」
きっぱりとした理解不能な拒絶に、エイドはしばらく苦悩した。
「わかった。なら僕の後ろに乗るといい」
ミーニャは静かに頷く。
つくづく、まだ彼女の理解が足りていないことを痛感した。
門番が居眠りしている時を狙って、目立たぬ服装で街を出る。
だが、それでもミーニャの姿は目立った。
尖った耳、白すぎる肌、目に刺さるほどの金色の髪。
街ゆく人々はじろじろと彼女を見た。
好奇心、畏怖、嘲り。
その全てを、ミーニャが黙って耐えていることをエイドもひしひしと感じている。
エイドは、街の入り口で立ち止まりミーニャを見た。
「無理をしていないか?」
ミーニャは首を振る。
「慣れてる。……嘘だけど」
その小さな冗談が、かえって痛々しかった。
街を出ると、ふたりを取り巻く空気は少しだけ軽くなった。だが、旅はすぐに困難を迎えた。
夜。
ミーニャが体調を崩した。
「ミーニャ!? どうした!」
「……空気が汚れてる。この土地も……」
ミーニャは苦しげに胸を押さえ、震えている。
「侯爵邸のある城塞都市は出たが、やはりよくないか」
エイドは焦りながらも彼女を抱え、馬から降ろした。近くを流れる川に連れていき、ミーニャの顔を洗わせ、呼吸を整えさせる。
ミーニャの顔色が、ようやく少しだけ戻った。
「……川の音、聞こえた」
「ほんとに?」
「偽物だけどね」
そう言って、ミーニャは微笑む。
その微笑みは弱く、壊れそうだった。
外に出れば空気は綺麗になる。そう思っていた。でも、ミーニャの言う自然はそんなに甘いものではないらしい。
「僕のせいだな……」
エイドは戒めるように呟いた。
しかしミーニャは、静かに否定した。
「違う。あなたは私に選ばせた。私は……自分の意思でここに来た」
その言葉が、エイドの胸に刺さった自責の念を少しだけ引き抜く。
「……ありがとう、ミーニャ」
「別に、感謝されるようなことじゃない。私は、約束を守って欲しいだけ」
「いいよ。それで」
エイドは笑った。
その微笑みにミーニャは、空を見上げる。
「……でも、あなたが泣く顔は見たくない」
その一言に、エイドは目元を急いで拭った。自分でも気が付かなかった。大粒の涙が、とめどなくエイドの頬を駆け下りる。
「辛いの? 辛いなら......一緒に寝てあげる」
その夜、二人は冷たい川のそばで互いの背中をくっつけて寝床へ着いた。
「ミーニャ......ありがとう」
「そういうの、好きじゃない」
ふたりの声が小さなテントの中で響く。
互いに顔は見えていない。
でも、たとえまだ互いを信じられなくても、互いの存在だけは少しだけ、許し始めていた。
*
王国を抜け、北の辺境へと続く森の入り口近く。エイドとミーニャのもとへ重厚な金属音がわらわらと近づいてくる。
狩猟隊。
王国から派遣される、”害獣“駆除専門の準騎士たち。
彼らはエイドの顔を見るなり、大袈裟に敬礼をした。
「エイド・アグリネス侯爵令息! お久しぶりでございます!」
エイドは、嫌な予感を覚えながらも応じる。
「こちらこそ。しかし、王直属のあなた方がなぜこのような辺境に?」
「いやぁ、近くに怪しい魔物の噂がありまして。特に、ここ数日『黄金の獣』の目撃報告が――」
「黄金の獣?」
エイドが聞き返すより早く、ミーニャが後ろで身を強張らせた。
彼女の髪の色。
彼女の耳の形。
彼女そのものが黄金の獣として噂になっているのだ。
「……エイド様は、見たことありませんか?」
狩猟隊の隊長は、にやりと笑った。
「こっちの森じゃ、まず見かけない女の獣です。生け捕りにすれば、さぞ王都で高く売れるでしょうなぁ」
その瞬間、後ろに乗るミーニャの、エイドを掴む手に力が入る。
「やっぱり……」
彼女は呟いた。
「結局、私は人間からすればただの......商品」
エイドは、震える拳を握る。
「……やめてくれ」
低く、しかしはっきりと彼は言った。
「彼女は誰のものでもない。僕のでも、王国のものでもだ」
狩猟隊の隊長は、呆れたように笑う。
「御令息も物好きですね。そんな獣に情けをかけて、何になるっていうんです?」
エイドは馬から降り、隊長の胸倉を掴んだ。
「人間か、エルフかなんてどうでもいい。僕は彼女と『対等』でいたいだけだ」
それでも隊長は、鼻で笑う。
「バカバカしい。獣と人間が対等だなんて、そんなことがあっていいはずがない」
エイドは微笑んだ。
「どうとでも言え」
手を離したエイドは自らの佩剣に手をかける。
隊長は、その気迫に気圧され一歩退いた。
「……まぁ、好きにされてください」
狩猟隊が隊長に続いて去っていく。
だが、これで諦めてくれるほど優しい狩猟隊ではないことは明白だ。
エイドは、ミーニャに向き直る。
「ミーニャ。これから僕は君を守るためじゃなく、君と生きるために戦う。一緒に行こう」
ミーニャは、静かに目を閉じた。
そして開かれた瞳には、今までなかった『希望』のかけらが浮かんでいた。
「……勝手にして。でも私も、あなたが泣きながら死ぬのは......見たくないから」
エイドは、笑った。
「お互い様だな」
こうして二人は『主従』でも『所有者と所有物』でもなく、不器用な『旅の仲間』として、新たな一歩を踏み出した。