第九話 サイレン・ナイト②
今、少年から手渡されたもの。
そして、ミナミがいつも眺めている父母の写真立ての横に、置いているもの。
よく神社などで見るような四角形のお守り。袋部分は水色で、その中央には、名前すらわからない花の紋様が描かれている。厚みはなく、中には何も入っていないように思える。
ふたつのお守りは、完全に一致していた。
偶然ではない、明らかに必然の一致だと、彼女は確信した――。
6年前の、2029年8月24日未明。11歳の少女は、燃え盛る一軒家の前に立ち尽くしていた。
辺りには、数台の消防車両。懸命な消火活動が行われてはいるものの、上がり続ける黒煙は、それがもはや手遅れであることを告げているようであった。
「パパ、ママ……。」
握りしめた「お守り」を落とす少女の前に現れたのは、ひとりの警官だった。
「これ、落としたよ。」
警官の声は、少女には聞こえていないようだった。
「パパ、ママ……。」
現実を受け入れられず、もはや泣きわめくことすらできない少女の手を取って、警官は続けた。
「これを持ってたから、きっと君だけ助かったんだよ。だから、パパとママの分まで、生きなきゃね。」
少女は、警官と目を合わせもしなかった。
「君のパパとママ、きっと最後に、君のことを想っていたと思うよ。最後の言葉は、きっと、君の名前だよ。きっと、きっとそうなんだよ。」
そう言われて、少女が初めて警官の顔を見ると、警官は、泣いていた。
少女はそれを見て、泣いた。やっと、泣けた。泣いても、泣いても、炎は消えなかった。それでも、泣いている間は、泣いていられる間だけは、泣くことだけをする時間にできた。その後に来る絶望だけの時間を、遠ざけることができた。
「これ、持っておいてあげてね。今日の日を、忘れないように。」
手渡されたお守りは、柔らかく、少し軽くなっていた――。
(どうして、どうして忘れていたんだろう。思い出せなかったんだろう。
お守りは、確かにあの日、ひとりの警官に拾ってもらったものだった。でも、最初にそのお守りをくれたのも、同じ人物、同じ警官だったんだ!)
ミナミの記憶は、まるで栓が抜けたかのように、次々と蘇ってくる。
(夏休み前、一学期最後授業があった日の放課後、ひとりで学校から家に帰っていた私に声をかけた警官が、「最近火事が多くて危険だから」と渡してくれたもの、それが「お守り」だ。)
それなのに、ミナミのなかではいつからか、「あの日に警官からもらったもの」として記憶されていた。ただ、それがもし「同じ人」からもらった経験のせいであるがゆえに起きた混同だったとしたら。
(「お守り」にはきっと、何かがある。そして、あの警官が、もしかしたら、事件に深く関わる人間……犯人、かもしれない。)
バラバラになっていたものが、歪に組まれていた。それが今やっと、正しく組み直されて、繋がった。
「千里刑事!犯人はまだ近くにいます。警官の格好をしているはずです!すぐに周囲を封鎖してください!」
千里は呆れた顔でミナミを窘める。
「何を言ってるんだ南さん、それに、自分がいったい何をしたか、わかってるのか!君がしたのは、明確な犯罪行為。しっかりと反省を……」
「反省ならする!だから、犯人を!」
叫び続けるミナミを、千里はパトカーに連れ込むように指示した。逮捕するためではない。事件現場を目の当たりにして、彼女が一種の錯乱状態に陥ったと判断したためだった。一刻も早く、現場から彼女を遠ざけるのが先決だと思ったのである。
連行されていくミナミの乗ったパトカーを眺めて、少年は笑っていた。
「どうかしたの?何がおかしいの?」
千里が問うと、少年は答えた。
「わかったよ。これ、ユメなんでしょ。ぜんぶ。だから、こうしたらさ、いたくなくてさ、ぜんぜん、ほらさ、ほら、ね、いたく、ないから。ほら、ほら……。」
千里はもう、見ていられなかった。すぐさま少年の手を取って、しっかりと抑えた。
「なにするんだよ!」
少年が叩き続けた彼の頬は、明らかに腫れ上がりつつあった。
「夢じゃ、ないんだよ。」
「うそだ!」
千里は黙っていた。
「うそだ……うそだうそだ……」
「パパ、ママ……」
少年の目から大粒の涙が零れ始めた頃、パトカーで連行されるミナミは、悔し涙を流していた。
(手がかりをつかめたのに……、そうだ、船場さんなら……、きっと……!)
取調室でも、彼女は必死に訴え続けていた。彼女が手にしたふたつのお守りは、きっと犯人への手がかりになると、主張し続けた。
彼女の応対をさせられたのは、桃山刑事だった。
「ラストワードは、今回の火災について、警察内に犯人がいることを否定している。というかそもそも、事件とすらまだ断定していない。警察のシステムだから色眼鏡だろと思ったならお門違いだ。これ作ったのは『ラストワークス』とかいう葬儀屋だからな。別になんの忖度もねぇよ。それに『最語』の入力がなくとも、ある程度の推理くらいはできる。その『お守り』だって、事件とは関係ないって結果が出てる。さて、質問だ。日本の警察機構は、この人類の叡智と、17の小娘、どっちを信じると思う?少しは頭冷やせよ、お前、馬鹿じゃねぇんだろ。今、それ以上、騒ぐ理由があるか?」
結果、ミナミの証言は精神錯乱状態によるもので信用に足りないとされ、彼女のとった犯罪行為もまた、責任能力のない状態だったと整理された。これは、彼女の将来を思った、船場警視正の判断だったという。
また、ミナミをもう二度と刑事事件の捜査には関わらせない方針も決定された。これは、もう普通の高校生として生きて欲しいと願った、千里刑事の提案だったという。彼もまた、良心を痛めていたのである。
「ただいま。」
「おかえり。」
祖父は、人の心を読むことを得意としていた。いつも変わらぬ顔で、ミナミを迎えていた。
ただ、この日ばかりは、愛する孫がなにを考えているのかが、どうにもわからなかった。
それは、朝帰りの彼女が、小さな少年を連れていたからだった。