第八話 サイレン・ナイト①
火災現場は、家から遠くなかった。
幾度となく襲うフラッシュバックを遮りながら、それでもミナミは炎へと近づいていった。
(今、この機会を逃したら、私は永遠に、過去に囚われたままになってしまうから。)
彼女を突き動かす意志の力は、彼女を歩かせ、走らせ、そしてとうとう、再び「炎」の前へと誘った。
そこまさに、赤の地獄だった。
燃え盛る炎に、煌々と輝く車両たちのランプ。その赤に焦がされる、観衆の声。
そしてミナミの目は、ある一点に吸い込まれた。
あの日の自分がいたところには、ひとりの少年がいた。
少年の目線の先には、毛布のようなものをかけられてブルーシートに横たわる、「ふたり」がいた。
ミナミは少年のもとへ駆け寄った。
そして、強く、強く抱き締めた。もう何も、見なくて済むように。何も聞こえなくて、済むように。
それはあの日のミナミが、いちばんして欲しかったことだった。
「南さん!」
そのとき、声をかけてきたのは千里刑事だった。
「その子は、この家の……」
ミナミは千里刑事の説明を遮って言った。
「わかってます。この子には、絶対私と同じ思いはさせない。」
「おねえちゃん、だれ?」
「私は南ミナミ。あなたの味方だよ。」
少年は、涙すら出てこない感情の迷いに陥っているようだった。
ミナミは千里刑事に詰め寄った。
「被害者の『最語』は?ラストワード、使ってるんでしょ?ねえ犯人は、いや、この子のお父さんとお母さん……、パパとママの『最語』は……!」
千里刑事は首を横に振った。そして、ミナミだけを手招いて少年から離れさせてから、言った。
「遺体は脳まで焼け焦げてた。人間の原型だってほぼ留めていない。どのみちラストワードを使っても結果は出力されないと思う。それに焼死体へのラストワード使用は『禁止されている』んだよ。」
「禁止?使って取れなかったとかじゃなくて、そもそも使ってすらないの?」
「ああ。かつて、焼死体にラストワードを使った際、システムエラーを引き起こしたらしいんだ。原因は依然として不明なまま。その解明ができるまでは、ラストワードは……」
「でも、可能性が少しでもあるなら、やってみる価値はあるんじゃないの?」
「だめなんだ、こればかりは、許可がとれない。ラストワードに何かが起きて、システムダウンなんてしてしまったら、我々の犯罪捜査機能が大きく損なわれてしまう。それだけは、避けなければならないんだ。わかってくれ。」
(だめだ、このままじゃあの子も、あのときの私と同じになってしまう。また、あのときと同じ連続放火が、あの悪夢が始まる……。そんなの、そんなの!)
気づけばミナミは駆け出していた。
その勢いのまま、野次馬の見張りをしている警官の腰につけてあるケースの中から、「装置」を奪い取った。そして、ブルーシートの上に横たわる「ふたり」のうちのひとりに、それを使おうと掲げた!
「よせ、南さん!」
千里刑事の声だ。
(絶対に、終わりにする!)
ミナミはラストワードの装置を眺めた。そこにはいくつものボタンと、2本の管のようなものがあった。
(さあ、今、もう、終わりにできる、さぁ、今!)
そして、しばらく固まった彼女は。我に返ったようにその手を無気力に降ろした。
(私、これの使い方、知らない……。)
呆気ない最後だと思った。結局、何もわからないまま、終わっていくのだと思った。
少年のために、いや、あの日の自分のために、何としても知りたかった。パパと、ママの声を。
己の無力さを知った。
その場に座り込んで、ただ呆然と、取り押さえられる自らの身体を眺めた。
「南さん、なんてバカなことをしたんだ……。」
千里刑事の声がする。刑事の手には、少年の手が握られていた。
「ごめんね、私、何もしてあげられないね。」
ミナミの声に、少年は涙を堪えた顔で、首を横に振った。そして、ポケットの中から何かを取り出して、ミナミに手渡した。
「これ、あげる。お姉ちゃん、優しかったから。」
「これって……。」
少年がミナミに手渡したもの、それは、最も見慣れているはずのものだった。
「お守りだよ。このまえ、ケイサツの人がくれたんだ。でも、さっき、おとしちゃったんだ。そしたら、ひろってくれたんだよ。また、おなじ、ケイサツの人が、ほら、あそこに……、あれ?いない。」
(こんなことって……!)
少年がミナミに手渡したもの、そして、少年が語った言葉。それらは、彼女が塞ぎ込んできた記憶の引き金を引くには、十分すぎるものだった――。