第七話 致命傷
「ミナミ、やっぱあんたすごいよ。天才だよ!」
トウコは目を輝かせながら、ミナミを見つめる。
「そんなことないよ。それに、今回解決できたのは、トウコのおかげ。」
「あたしなんにもできてないじゃん!」
(何もできてないのは、私の方だよ。)
そう思いながら、ミナミは今回の事件では特に何も有益な収穫が得られなかったことを、残念に感じていた。
唯一わかったことは、「最語」は死者の主たる言語、つまりは普段使っている言語で出力されるのが一般的だという、当たり前なことだけだった。
今回の被害者の「最語」は、「Fatal+E」という謎の文字列だった。
萱野警部は被害者が外資系企業に勤めていることや、妻が英国人であることを加味して、それならば「最語」が英語として出てくるのも不自然ではないと考えた。千里刑事は何度も頷きながらこれを聞き、桃山刑事は一つ返事でこれに同意した。
ただ、「致命傷」と発言もしくは思考をしながら亡くなるケースなど、先例がなかった。それに「+E」が何を指すのかも、わからないままだった。
AI「ラストワード」は、これらを考慮せずとも推理は可能とし、独自に論理を組み立ててひとりの犯人にたどり着いていた。その論理には確かな証拠として、防犯カメラの映像や物的証拠などが示されていたので、場にいる全員がその人物が犯人であることは明らかだとわかっていた。
「『+E』って何か、見当がつくか?桃山。」
千里刑事が問う。
「そうだねえ千里クン、難しいねえ、考えても分からないねえ。」
そう言いながら、桃山は千里の肩を引いて、会議室の角の方へと連れていった。
「おい千里、冷静になれよ。こんなことやっても意味ねえよ。俺たちにはやらなきゃいけないことが他に山ほどあるだろうが。AI入れて人員削減したのに、昔の仕事を復活させてどうするんだよ。回るわけねえよ。船場のジジイを黙らせるロジックだけうまいことみんなで考えようぜ。なあ、昔のお前ならそうしたはずだ!」
千里がこれに答える。
「桃山、声がデカいよ。確かに僕は別に推理なんて全てAIに任せとけばいいと思ってた。でも、今は違う。正しく真実を知りたい。初心に帰った気分なんだ。」
「それがお前の本心か?千里。よく考えてみろよ。お前は上が言ってることをただ思考停止で、正解だと言ってるだけなんじゃないのか?今回だって、ジジイが勝手に言い出したことを真に受けて、なんか勝手に『目醒めた』みたいなことを言ってるけどな、お前だけだよ、そんなこと言ってるのは。周りを見てみろよ、誰だってこの状況が変だって分かってる。萱野警部だって明らかに乗り気じゃない。小娘と一緒に推理ごっことは、いよいよ刑事も暇人と変わらないって、内心思ってるよ。あの人は数少ないマトモ側だからな。お前、こんなことしてまで上に媚びたいのか?」
「違うよ、ただ僕は、船場警視正の考えを知りたい。きっと、僕らにはわからない、ちゃんとした理由があるんだよ。きっとそうさ。でもなければ、優秀なあの方がこんなにも『最語』にばかり執着するはずがないよ。」
千里の声は、どこか小さく、震えているようにも聞こえた。
「執着してんのはほんとに『最語』なのかねえ、千里クン。俺には高卒ノンキャリアの運だけジジイが、好みの小娘眺めて遊んでるようにしか見えねぇけどな。老害でしかねぇよ、まったく。まあ、いいや。俺は今回、これ以上口出ししねぇよ。せいぜい勝手にやってくれ。」
千里は、迷っていた。真実を知りたい、その思いが自らにあるのは確かだ。でも、明らかに口が悪すぎるが、桃山の言うこともひとつの正論なのかもしれない。
そもそも、これまでラストワードが「非考慮」とした「最語」は数え切れないほどある。今回のが特段珍しいケースというわけでもないのである。
坂江さんの一件から、「最語」と真実の結びつけが大切だと気づいたという船場警視正の気持ちもわかるが、ここまで頑なになるのはなぜなのだろうか。
そして……。
(どうしてあの子は、あんなにも……。)
千里と桃山の視線を感じつつも、ミナミは、この「最語」もきっと、死に瀕した人間の編んだ大切な言葉なのだと信じ、頭を悩ませていた。
(私には、この方法しかない。私はこのチャンスを、絶対無駄にしない。パパ、ママ、ふたりの言葉に、会いに行くからね……!)
そんな時だった。
「ねえ、このファタレって何?」
トウコが言った。すかさずミナミが答える。
「フェータルって読んで、致命傷って意味。他には……」
そう言おうとして、ミナミはハッとした。
「そうか、ファタレ、いや、ファタール。これ、ファム・ファタールじゃないでしょうか。」
「失礼。なんだ?それは。」
千里が言う。
「フランス語で、『運命の人』の意味です。さらに、最後のEはフランス語において女性形を示す印。英語話者だった被害者には馴染みのない女性形のEが、後ろに別立てて整理された歪な文字列。これが、今回の結論なのではないでしょうか。」
ミナミの言葉に、拍手が起こる。
「ミナミすご、あんたフランス語もできるん?」
「ちょっとだけね。」
「おお!なるほど!ありがとう!さっそく、船場警視正に報告してくるよ!」
千里刑事は、まるで子どものように喜んだ。
(やっぱり、意味があったんだ!よかった!)
その一心だった。
萱野警部は、特に表情も変えぬまま、さあ次の案件に移ろうとだけ言って、部屋を出ていった。
「とんだ茶番だな。」
萱野警部が部屋を出ていくなり、桃山刑事が言い放つ。
「そうですね。もっと、意味のある『最語』に向き合いたいものです。」
気づけばミナミは、そう続けてしまっていた。声に出すつもりのない言葉だった。少々驚いたような顔でミナミを見つめる桃山刑事だったが、この場を収められるのは自分しかいないと思ったのか、女子高生ふたりに軽く礼を言って、家に帰るように促した――。
「ただいま。」
「おかえり、ミナミ。警察の人から、電話があったよ。ありがとうってさ。」
ミナミは黙ったままだった。
「ちょっと早いが、晩ご飯、食べようか。お昼食べてないんだろう?」
祖父は人の心を読むのを得意としていた。とりわけ、ミナミの心境については、手に取るようにわかるのだった。
「釣りに行って、一匹も釣れずに帰ることもある。そんな日はな、わしは、今日釣らんでやった魚の子どもが、いつかたくさんの子どもを連れて、わしの釣り針に恩返ししてくれるものだと信じるようにしていたよ。焦ってもいいことはない。昔の話だが、今どきこういう話は、老人にしかできないからね。」
そううまくはいかない。わかっていたことでもあった。それでも、警察に協力し続けさえすれば、パパとママの「最語」が、まるでラストワードに映し出されるように、わかるのではないかと思うようになっていた。でも、現実はそう甘くは無いのだろう。
勝手に願望を重ねていたのは、自分なのだと思う。
勝手に希望を持って、勝手に思いが先走っている。
(いま、私焦ってたんだ。)
『ミナミ。人が亡くなってるのに不謹慎だって言われるかもだけど、今日は久しぶりに一緒に過ごせて、ちょっと楽しかった。あのさ、ちょっとずつでいいからさ、また昔みたいに、あたしと遊びに行ったりしようね。じゃ、また明日!』
帰り際の友人の言葉を思い出す。
(トウコも、きっと色々気づいてるんだろうな。)
食事を済ませたミナミは、自室に戻ってテレビをつけた。寝る前に、ちょっとだけ、今日のことについての報道がどのようにされているのか、確認しておこうと思ったからである。
しかし、ミナミの目に飛び込んできたのは、先刻ようやく抑えることに成功しかけた焦りを、一瞬にして湧きたててしまうほどの、事件だった。
《速報です。都内で火災が発生し、夫婦と見られる男女二名の遺体が発見されました。なお、ふたりの子どもとみられる男児一名は無事であり、警察は……》
私と、一緒だ……!