第五話 Uninformed Consent
(眠い。)
昨夜、ほぼ眠れなかったミナミは、祖父の作ってくれた味噌汁とご飯を、それぞれ半分も残してしまった。
「もう、いいのかい?」
「ごめん、そろそろ行く。」
「わかった。行ってらっしゃい。残りはわしが食べておくから。」
祖父は、食べ物を粗末にしない人である。
「行ってきます。」
満員電車を何とか回避すべく、ミナミはちょっと早めの通学路を急いだ。
学校に着いたミナミは、ある変化に気がついた。
隣のクラスの、ユミの席がなくなっていたのである。
ユミの死から2週間あまりが経った。学校としては、空席をいつまでも放置しているわけにはいかないのだろうが、こうして、死者は消えていくのだと思うと、ミナミは少し寂しくなった。
「さあ、授業を始めるぞ。」
朝のホームルームの間、ユミのことを思い出しながら、ぼうっとしていたミナミは、突如始まった一時間目に、慌てて「公共」の教科書を開いた。
「前回の続きだ。えっと今日は……、南!」
何とかページを見つけたミナミは、周りからの視線で、やっと自分が指名されていることを知る。
「タイトルの下の、本文最初のところから、読んでくれ。」
(ここからか!)
「2032年から本格的に犯罪捜査現場に導入された『ラストワード』は、死者の最後の声、通称『最語』を……」
(よりによって、この内容を読まされるとは。)
なんの因果か、ミナミは教科書の文章を読み上げ続ける――。
《『ラストワード』は、死者の最後の声、通称『最語』を聞き取ることを可能にしました。しかし、この用途は本来想定されている使い方ではありませんでした。
ラストワードは、葬儀の場において、死者本人や遺族の同意のもと、亡くなられた方の『最語』を公開するというサービスに、端を発したものでした。当時は、たとえ死者の言葉であれ、プライバシーは強く保護されるべきとの見方が強かったのです。また、ラストワード自体の性能についても、疑いの声が多数あがっている状況でもありました。
しかし、『ラストワード葬』が一部の富裕層を中心に浸透していくなかで、亡くなられた方以外知りえない情報すら出力してしまえることや、死亡時における背景情報を踏まえた非常に確からしい回答を出力することなどが次第に評価されるようになりました。
この状況に注目したのが、警察庁でした。》
(そろそろ、交代だよね。)
ミナミがそう思いながら教師をチラッと見ると、教師は「続けて」と言わんばかりに、教科書見開き1ページを丸ごと彼女に読ませようとしているようだった。
(しかたないか……。)
《ラストワードの犯罪捜査への導入にあたり、その障壁となったのが死者や遺族の『不同意』でした。政府はこれについて国民の真意を問うとして解散総選挙を実施し、政権与党に変わりがなかったことを根拠とし、2033年の通常国会において、『高機能言語中枢解析推論AIの犯罪捜査における利用指針(通称、ラストワード・ガイドライン)』を策定しました。
これにより、ラストワードは、死者や遺族の同意がない場合においても、警視総監および道府県警察本部長が認めた場合については、これを開示することが可能になりました。これは事実上の『不同意』の軽視とも捉えられるため、反対の声は現代に至っても少なくありません。このように、我が国における犯罪捜査の発展には、注視すべき問題点も存在するのです。》
パチパチパチパチ。教師が手を叩く。
「南は声がいいな。聞きやすい。」
呑気なものである。
(喉が疲れた。)
その後の授業は、「同意なきラストワードの利用を今後も認めるべきか」というテーマについて、クラス内で賛否をディスカッションをするという形式で進んだ。
ミナミは少し迷いはしたものの、ユミやユミの両親がもし「不同意」だったら、死の真相は明らかにならなかったのだろうと思い、「賛成」サイドに手を挙げることにした。
議論は、最初こそ盛り上がらなかったものの、教師が「死者のプライバシー」や「生者の知る権利」、「不同意による事件の迷宮入りは非難されて良いか」などというキーワードを生徒たちに与えながら、わかりやすい図解を加えつつ板書を整理していったおかげで、段々と色々な考え方が示されるようになってきた。
この教師、なかなかのやり手なのである。
「事件解決に繋がるなら、いいんじゃね?と思うけどね。俺は。」
「でも、恥ずかしい言葉だったら、公開されたくないよ。」
「恥ずかしい言葉を言いながら死ぬ人なんて、いないと思います。」
「亡くなったからといって、プライバシーが無くなるわけじゃないと思います。それこそ、死者の墓を掘り返すような話ですよ。よくないと思います。」
「当事者でもない私たちには、結論の出しようがないと思います。」
「そもそも、遺族と死者の見解が違ってたらどうするんだ?」
「確か、遺族の考えが優先なはず。もともと葬式が始まりだからね、死人に口なしってことよ。」
「じゃあ、警察、遺族、死者って順番ってことか?死んだら肩身狭いな。」
「そもそも事件がなかったら警察は関係ない話だし。」
「なら、事件のときだけは警察に任せるってことでいいんじゃね?」
最後に、教師が「議論を経て、最初の考えと変わりがあるか」を聞いた。結果、このクラスは、「賛成5割、反対2割、わからない3割」という今の日本社会の民意を、まさしく表象していた。
(ユミの話は、出せないよね。)
そう思って、ミナミは特に意見を述べはしなかった。けれども、2回とも、確かに「賛成」に手を挙げた。
この授業に「答え」はない。
「考え続けることが重要だ」という教師の締めが、ピッタリとチャイムの音に重なったところで、2時間連続の「公共」の授業は終了した。
「ねえミナミ、あんた今日のお昼暇?あたしと一緒に食べよーよ。」
3時間目までの休み時間。ミナミは同じクラスの東野トウコと一緒に、お花摘みに向かっていた。
「いいよ、食べよ。」
「最高!このあとの国松のコミュ英と、操田の体育。マジだるいけど、お昼モチベにがんばる!ありがとね!」
校則違反の金髪ショートヘアを揺らすトウコは、ミナミの親友であるとともに、亡くなったユミの小学校からの幼なじみでもあった。昨年、ユミを介して仲良くなった3人は、いつも一緒に、学校生活を過ごしていた。
ユミの死があってから、トウコはいつもミナミのことを、少し過剰なくらい気にしている様子である。
花畑から出て、2人で教室に戻っているときのことだった。
ミナミのスマホから、軽快な着信音が鳴り響く。
「あんたその変な曲いい加減やめたら?だっさいよ。」
表示された番号は、あの「メモ」に書いてあったものと同じだった。
「南さん。僕だ、刑事の千里だ。」
「千里さん?そちらからかけれるなら、別にメモなんて渡さなくても良かったんじゃないですか?」
「すまない。その件はまた説明するとして、ちょっといま、大変なんだ。至急来て欲しい。学校には萱野警部がうまいこと話をつけてくれるみたいだから、今すぐ……」
(誰かがまた、亡くなったんだ……!)
ミナミはラストワードとの接触機会に、歪な高揚を覚えている。
「ごめん、トウコ。今日のお昼、無理になった。」
「え!いきなり?ねえ、どうしたん?ミナミ?」
「ちょっと急用。」
「もしかして、彼氏?ねぇ、彼氏!?」
恋愛脳モードのトウコは、非常に面倒くさい。
ミナミは警視庁を目指し、長い黒髪をポニーテールに束ねながら、廊下を駆け出した。
ミナミを待つのは、果たして――。
「ちょい待ち!あたしも行く!!!」
(え……?)