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第四話 炎

「お断りします。」


そう言って、ミナミは警視庁を後にする。

報酬が不満なわけでも、自信がなかったわけでもなかった。

彼女は、これを断らなければならない、そうしなければ、きっと自分は、自分を抑えきらなくなるだろうと思ったのだった。


(私はこれ以上、「ラストワード」に関わってはいけない。)


ミナミの脳裏に蘇るのは、燃えたぎる炎。

焼き付いて離れない、あの日の炎は、いつも消えきらずにどこかに火種を残していて、今も彼女を苦しめ続けている。


「ただいま。」

「おかえり、ミナミ。」

返事をするのは、七十七歳の老爺(ろうや)である。ミナミは、都内の古い一軒家で、彼女の祖父と暮らしている。


祖父は、人の心を読むのを得意としている。ゆえに、今日はミナミが何やら深刻そうなのを察して、特段の追求をしないでおくことにしたようである。

ミナミは、そんな祖父の気遣いに支えられる日々の心地良さに、今日もまた救われていることを感じつつ、同時に申し訳ないような気持ちにもなっていた。


(いつか、絶対に恩返ししなきゃ。)


簡単な夕食と、風呂を済ませたミナミは、ひとり自室のベッドで考え込んでいた。

ミナミの右手には、ガラスの写真立てに入れられた、一枚の家族写真があった。


(パパ、ママ……)


あの頃、ラストワードがあれば。父母の『最語(サイゴ)』は、どんな言葉だったのだろう。

苦しみの言葉だったのだろうか、それとも。私を想う言葉、だったのだろうか。もしかして、「ごめんね」だったのかもしれない。いや、こんなこと、考えたらだめだ。

そう何度も自分に言い聞かせても、どうしても、割り切れない空間が、心の中に残り続けた。たった一言、それでいい。それさえあれば、きっと、この暗雲のような、煙のような時間に、少しの光が見えるかもしれない。

「ごめんね」の一言が、彼女に友の死の全貌を見せてしまったことは、少なからず彼女の思考に希望みたいなものを与えてしまう。


誰かの死に関わることで、自分の知りたい死の真相に近づけるかもしれないなんて、そんなことを考えるのは、本当によくないと、わかっているはずなのに。


『知らない方がいいことも、世の中にはある。もし苦痛の叫びだったとしたら、それを聞いてどうなる。もし不幸な人生への嘆きだったとわかったら、それを知ってどうする。たとえ愛の言葉だったとわかっても、機械を通したその言葉が、本当に慰めになるのか。お前のことだ、本当にそれが答えだったのか、また悩むことになる。よくよく、考えなさい。じいちゃんは、ミナミが生きていてくれて、元気にわしと話してくれること、それだけで、あのふたりの残した大切な声に、向き合えているんだと、思っているよ。』


いつか、祖父はそう言った。そして、わからない空白を考え続けること、そこに自分なりの答えを見つけて、それがきっと正しいのだと信じて生きることは、悪いことではないと、彼女に教え続けた。そこにこそ、愛は宿るのだと。

以来、ミナミは祖父とラストワードについての会話をすることを、避けてきた。それと同時に、ラストワードやそれにまつわる「死」についての話も、意図して避けてきたはずだった。


ミナミの左手には、一枚のメモがあった。

千里(せんり)ヒサシ……」

そこに書いてあったのは、新米刑事の名前だった。警視正からの誘いを断り、警視庁を後にするミナミを追いかけて、もし気が変わるようなことがあれば、ここに連絡をしてくれと手渡されたものだった。


『絶対だと信じていたAIに、見えなかった空白があった。それを見つけてくれた君と、僕はもっと話がしてみたい。』


たしか、そんなことを言っていた気がした。

AIの出力した答えには、確かに欠陥があった。だが、それはAI自体が完全に無用なものということを示したのではなかった。むしろ、答えそのものには相違がなかったことさえ示していた。


ラストワード、「最語」――。期せずしてできてしまった、またとないチャンス。ずっと、ずっと知りたかった、父母の最後の声を知るための、チャンス。誰かの「死後」に寄り添うことで、もしかしたら、それを知ることができるのかもしれない。そう思うと、やはりどうしても、近づいてしまいたくなる。


良心の呵責(かしゃく)と、悲願に後押しされた探究心、これらのせめぎ合いは、深い夜に飲まれていった。


浅い眠りから目が覚めたとき、ミナミの両手にあったはずの写真とメモは、ぴったりと重なって、彼女の枕元に置かれていた。

彼女はそれをしばらく眺めて、何かを決心したかのようにメモをポケットにしまった。


「パパ、ママ、行ってくるね。」


『行ってらっしゃい。』

ミナミには、確かにそう聞こえた気がした。

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