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事実は小説より奇であるらしい


 桜小路さんの継母であるらしい女性は、私が専属のパティシエールだと名乗ると、訝しげな表情で上から下まで舐めるようにじっくりと観察してから。


「あら、そうだったの。スイーツが好きだとは聞いていたけど、そこまでとは思わなかったわ。でも、まぁ、そんな様子だとお付き合いされてる女性もいなさそうねぇ」


 コックコート姿の私に納得したのか、感心したようにそう言うと、カメ吉の水槽を眺めながら。


「こんな亀なんか大事にして、どこがいいのかしらねぇ。気持ち悪い」


 両手で自分の腕を抱きしめるようにして肩を竦めて。


「別に変わったこともなさそうだし、そろそろお暇しようかしら」


 誰に呟くでもなくそう零した。それから。


「創さんに、くれぐれもよろしく伝えといてちょうだいね」


 それだけ言い残すと、そそくさと帰っていったのだった。


 滞在時間は、ざっと見積もっても、十分もなかったんじゃないだろうか。


 ――一体何をしに来たんだろう?


 そう首を傾げるしかなかったが、それは、継母が現れたとき同様、お母様が丁寧に教えてくださった。


 お母様曰く、なんでも桜小路さんが一人暮らしをするようになってからというもの、必ず週に一度予告なくふらりと訪れて、変わったことがないかの確認にきているのだという。


 近頃は、縁談話があってもいつも仕事が忙しいといって取り合わない桜小路さんに、女性の気配がないかを探りにきているらしい。


 それを桜小路さんは毎回毎回非常に嫌がっているそうだ。


 ……でも、それならそうと、言っといてくれたら、こんなにビックリすることもなかったのに。


 そう思うのも当然だと思うが、そんなことより今は、カメ吉に転生しているらしい桜小路さんのお母様のことだ。


 継母が居なくなったカメ吉ルームで、そう思っていたところに、すーっとお母様の声が割り込んでくる。


【やっぱり香水の匂いが凄いわねぇ。早く換気しておいた方がいいわぁ。匂いが付いちゃったら大変。菜々子ちゃん、悪いけどお願いできるかしら】


 いつのまにか、『菜々子ちゃん』呼びになっていることに、半端ない違和感を覚えながらも、私は広い部屋中の換気に奔走したのだった。


***


 ようやく換気も終えてカメ吉ルームに戻ってきた私はソファに倒れ込んだ。


「はぁ~、ビックリした」


 そうして放心しているところに、お母様の優しい声音がすーと沁みてくる。


【菜々子ちゃん、お疲れ様】


 この現実離れした現実をどう受け止めればいいのかよく分からず、無意識に笑いがこみ上げる。


「……はは」


 ――やっぱり聞こえてくるし。でも、どうしてお母様の声が聞こえるんだろう?


 勘案して辿り着いた疑問に、お母様の思いがけない言葉が、再びすーと割り込んでくるのだった。


【あぁ、それはきっと、菜々子ちゃんが事故で死にかけていたのを私が助けたからじゃないかしら】


「……え?」


 ――今確か、『私が助けたから』って言ったよね?


【ほら、よくいうでしょ? 九死に一生を得た人が、死んだ人の魂と話ができるようになったとか、その姿が視えるようになったとか】


 確かに、そういう話を耳にしたことはある。


 でも菱沼さんの話だと、カメ吉を助けたのは私のはずなんだけど……。


 ――どういうこと?


 お母様の言葉には吃驚させられたけれど、どうにも合点がいかなくて。そこんところをはっきりさせておこうと声を放ったものの、見かけはカメ吉なだけに、『お母様』と呼んでいいものか、躊躇いがちに伺ってみる。


「あのう、お母様……とお呼びすればいいんですかね?」

【あら、いけない。そういえば自己紹介がまだだったわね。私は、桜小路愛梨(あいり)……と言いたいところだけど、もうこの世には存在しないから、ただの愛梨って呼んでくださって結構よ】


 当のお母様は、特に気にすることもなく、ごくごく普通に当たり前のように、自己紹介をしてくださった。


 若干ズレていた気がしないでもないが、カメ吉に転生したお母様と話してることに比べたら、大したことじゃない。


 その間も、水槽の池の中の立派な青石の上で、ミドリガメのカメ吉として甲羅干中である。


 なんとも不思議な心持ちでカメ吉を眺めつつ、お母様改め愛梨さんに向けて、私は今度こそ核心に迫ることにした。


「あのう、愛梨さん? 菱沼さんの話によると、私がカメ吉というか、愛梨さんのことを助けたって聞いたんですが」

【そりゃそうよ、亀が人間なんて助けられっこないもの】

「――え!? でもさっき、私のこと助けたって」

【ええ、いったわ。いったけど正確には神様ね】


 愛梨さんとコントのようなやりとりを経て得た情報によると、愛梨さんが亡くなったとき、お迎えにきていた死神らしき若い男に、幼い桜小路さんを残して成仏できないと泣きついたところ。


 困った死神が神様に事情を伝え、愛梨さんはすぐに人間に生まれ変わる権利を持っているから、それを放棄すればその願いが叶えられる、ということで、愛梨さんは二つ返事で放棄することにしたらしい。


 そうして、言葉を話せないカメ吉なら問題がないということで、前世の記憶を残したまま転生することが決まり、カメ吉が愛梨さんの代わりに人間に転生したのだという。


 その際、人間に生まれ変わる権利を持っていた愛梨さんには、それを放棄した代わりとして、一つだけ願いが叶えられる、という特典をもらっていたらしい。


 その特典とやらは、カメ吉の天寿をまっとうしてこの世を去るときに、桜小路さんと話をしようと思って大事にとっておいたらしいが、私が事故に遭ったあの場所に居合わせた愛梨さんが、私を助けるために、突発的に特典を使ってしまったんだそうだ。


 愛梨さんから聞かされた話は、やっぱりにわかに信じがたい話ではあったけれど……。


 おぼろげではあるものの、確かに事故の時に儚げな女性の姿を見た記憶もある。


 あまりに現実離れしていて、正直なところよく理解はできないけれど、そういうことなんだろう。


 ーー死後の世界って、本当にあるんだ。


 などと感心しつつ、命の恩人だったらしい愛梨さんに感謝しきりの私だった。


「そうだったんですか。それはありがとうございました」

【いいのよ。カメ吉の姿になっちゃったけど、創の傍に居られるんだし。こんなに可愛らしいパティシエールさんのお役に立てて光栄だわ】

「愛梨さん」


 優しい愛梨さんの言葉に感動して思わず涙ぐむ。するとそこへ。


【それに、これからは私と話ができる菜々子ちゃんがついててくれるんですもの。こんなに心強いことはないわぁ。これからは《《持ちつ持たれつ》》、色々と助け合っていきましょうね? 菜々子ちゃん】


 相変わらず優しいものではあるけれど、悪戯っ子のような口調で、恩にでも着せるようような、そんなニュアンスのある愛梨さんのやけに弾んだ嬉しそうな声がすーっと割り込んできた。


「……そ、そうですね。あはは」


 そこで、愛梨さんがあの桜小路さんのお母様だということを思い出した私は、なにやら嫌な予感がして、それが当たらないことを心底願っていたのだった。




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